第四十六話 四番書架を目指して
「暗黒の羨道が開かれた。深淵へと沈むはるかな道。だがこれは我らにとって希望の活路となる……」
そんな前向きな台詞を言うなら、俺の背中をグイグイ押すんじゃないソラ……。
彼女だけでなく他のメンバーからも最前列に押し出され、俺は秘密の階段を降りていく。
まさかこの段階から危険地帯ってことはないよな?
途中、上で入り口が閉まっていく音がした。これ、帰りはどうするんだ? 思いはしたが、ユングレリオも一緒だし閉じ込められるということはさすがにないだろう。
「エクリーフはああ見えて人並み外れた記憶力を持つ才女でな。地頭もとても良いのだが、いかんせんペースが独特過ぎて周りと合わず、上のダミー図書館の館長に押し込まれている。本人は何の不満もないようだが、ボクとしてはもっと表舞台で働いてほしかった」
そのユングレリオが、気晴らしも兼ねてかそんな話題を口にする。
「マスカレーダは修道騎士でしたが、エクリーフも教会関係者なのですか?」
「ああ。ゼロノック図書館自体が教会と王宮の共同管理なのだ。どちらにとっても看過しがたい書物で溢れているからな。さあ、下が見えたぞ」
階段の末に扉。
そこを開けると――。
「えっ、何これは……」
ひゅう、と吹いた風が首筋を掠め、思わず首をすくめる。
石造りの重厚な柱。ブックカートを押して歩くには、あまりにもごつごつとした石床。
薄暗く、重苦しい空気。控えめに言って地下牢。
盗賊の体にこれはこたえる……。
「もし……」
突然、生きた声をかけられ――死んだ声をかけられたらもっと驚くだろうが――、俺たちはたちまち密集陣形を取ってそちらに振り返った。
「当館をご利用されるのであれば、これを……」
壁際に備え付けられた受付のような場所だった。カウンター奥にフードを深くかぶったローブの人物が鎮座している。
大きな鎌でも持ってたら死神にしか見えない。……だが、その物言いに加え、カウンターの上に一つ一つカンテラを置いていってくれている親切な姿から、どうやらここの職員なのだと類推できる。
いるのか……ちゃんと、職員が……。
それに、カンテラの中に灯っているのが、鬼火のような青白い光なのですが……。
「禁書のほとんどには魔が宿っております……。この火で照らすことで一時的に大人しくなりますので、閲覧はその間に……」
なんて重要なアイテムなのだ。これは聖なる光だ!
こんな便利アイテムをくれる上に、説明までしっかりしてくれるなんて、俺は見た目に騙されていたらしい。地下牢風の景色は、昔の施設を再利用しているだけかもしれない。この案内人だって、町での生活がある。フードの奥には、案外明るく接客好きな職員の顔が隠れているのかもしれない。
俺はそうっと、闇でも見通せる視線をフードの中に忍び込ませた。
だが、何も見えなかった。まるでそこに穴が開いているみたいに……。
……ダメだ。これ以上考えるのはよそう。
「人間族の読書はスリリングなのね」
「読書のドキドキはそういうのではありませんわ……」
ベルゼヴィータのぼやきにアークエンデが反応してやっている。
無理もない……。
普通、地下図書館でダンジョンと言ったら、壁一面が全部本棚で、知的で格調高く、そしてどこか陰鬱な景色を想像する――いや、したいだろう。だがこれは容赦なくナチュラルに地下牢。こんなん動画配信で見せられたらコメント欄が「!?」で埋まるわ。
「ありがとう」
俺はカウンターからカンテラを拾い、それぞれに回した。
ちょうど二人で一つ。班分けは自然とハエに騎乗したメンバーになった。
「ああ、そうだ。わたしたちは煉界船というものにまつわる本を探しているのだが、何か知らないだろうか」
準備が整ったところで、俺はフードの人物にそうたずねてみた。
ここまで親切にしてくれるんだ。もし知っていたら儲けものと思って。
しかしその反応は予想を上回るものだった。
「煉界船……!?」
暗く響く生の声が、フードの内側から外へと広がっていく。
「知っているのですか!?」
俺は思わず食いつく。だが、フードの奥の闇はそれから数秒間沈黙し、冷静に答えてきた。
「……それかどうかはわかりませぬが、“4番”の棚をお探しください。今もそこにあるかは保証しかねますが……」
『!!』
思わず皆で顔を見合わせる。
あった……かもしれない。本当に!
これに一番の驚きを見せたのはもちろんベルゼヴィータ。一族がどうしても手に入れられなかった宿敵の情報が、こんなところに隠されていたなんて。
これは、希望が見えてきたぞ……!
「あの、失礼ですがそちらの方はもしや……?」
と、今度はフードの彼の方からたずねてきた。フードが向く先はベルゼヴィータだ。
「ええ、わたしは深族の貴族よ」
「深族の貴族……!?」
彼は再び驚愕に声を震わせ、
「……やはり、そうでございましたか。詮索するような真似をして申し訳ありません。ここに入られた以上、どの種族の方であっても閲覧可能です。お気になさらずご利用ください……」
なんかこの人、最初のリアクションはでかいけど、その後言ってることは普通だな。
まさかと思うけど……これがこの人の普通のコミュニケーションなんじゃあるまいな……。
「それでは行ってきます」
「行ってきます……!? いってらっしゃいませ……」
出発する。
相変わらず俺が先頭を務める。カンテラはしっかり手に持ち、いつでも掲げられる体勢。不意に、空いている方の腕にユングレリオがひしっと抱きついてきた。
「殿下……怖いのであれば、ここまでついてくることはなかったと思いますが。危険なようですし、上で待っていても……」
「そ、そうはいかんだろう。多少なりともここについて知っているのはボクだけだ。足を踏み入れるのは初めてだが……」
強く抱き込まれた腕が、僭越ながらユングレリオの胸に押し当てられる。こ、これは……あるような、ないような。どっちだ……? え? 元王様のロリショタメスガキミニスカメイドの胸なんて気にしてる場合かって? 逃げたいんだ、現実から……。
ひとまず進んでみて……俺は頭を抱えた。
通路の先にうっすらと鉄格子が見えたのだ。
何で図書館に牢屋があるんだよ。
これじゃ本当にただの牢獄じゃないか。入るダンジョンを間違えたのか……?
そう危惧しつつ、よく牢屋を観察すると。
中から鉄格子を誰かが掴んでいる。
ぎょっとした。罪人……いや、先客?
だが、俺はすぐにもっと恐ろしいものを見ることになった。
鉄格子を掴んでいるのは一人ではなかった。何人も、いや何十人も。人がそんなに密集できるのかと思うほどびっしりと手が並んでいる。男も、女も、子供も、老人も。そしてそのどれもがひどくやせ細っている……!
俺は思わずカンテラをかざした。
……手は一つ残らず消えていた。
「お父様、どうなさったのですか?」
アークエンデが後ろから恐る恐る聞いてくる。その声からは、たった今起こった怪奇現象の名残は感じられない。「今の手が見えなかったのか?」と聞こうとして、やめる。これは言わない方がいいやつ……。
どうあってもその前を通り過ぎないといけないので、俺は首が一切可動しないオモチャ並みにガチガチに固まりながら通過した。こういうのは見たら負けなのだ。
が、ここで思わぬ行動に出た者がいる。
アークエンデと組むベルゼヴィータが、カンテラで牢の中を照らしたのだ。
耳をつんざく悲鳴を予想して思わず首をすくめたが――それらが噴き上がることはなかった。
「本棚があるわ」
発されたのはその一言のみ。
俺たちは改めて中をのぞき込む。
ベルゼヴィータの言う通り、牢の中に本棚が置いてある。中の本は……何と一冊だけだ。
俺は暗闇に向かってじっと目を凝らし、
「『選別されし星々とその考察』――と書かれているみたいだ」
「――! それは、かつて王国内で吹き荒れたという選民思想の煽動書だ」
ユングレリオが驚いた様子で解説してくれる。
「今ではもう絶えている教会の“星別派”と呼ばれる人々が、不可解な教義を元に多数の信徒を殺害した。星別派には女性はおろか子供までいたという。彼らは皆、投獄先で餓死するまで放置され、持っていた書もすべて焼かれたというが……原典と思しき一冊だけは、焼いても裂いても失われることはなかった。そしてその中身も、一文字も読める者はおらず、記号とも絵ともつかないものが延々と並んでいたと……そういう伝説だ……」
誰もが二の句を継げなくなった。
いきなりのガチモン呪物。
まさか、俺がさっき見たやせ細った手は、彼らの……。
「普通さ、こういうのって、奥に行くほどヤバいもんがあるんだよな……」
……余計なことを言うなオーメルン。正解だから。
細い笑い声が、通路の先から聞こえてきた。
鉄格子を激しく揺らす金属音が、鳴り響いて来た。
人間とは思えない何者かの金切り声も。
……イーサンが老後に暮らすにはよさそうな町と言ったが、あれはウソだ。
生きてるうちは、誰であろうとここに来るべきじゃない。
これは地上でもたびたび幽霊騒ぎが起こってそう。




