第四十五話 近くて遠い地下図書館
イーサンは古い町並みを保ったのどかな場所だった。
首都並の華やかさはなく、けれど寂れてもいない。歴史と静けさが番い、人生の終わり頃にはここで過ごすのも悪くないと思わせる落ち着きぶり。
悪く言えばさして特徴もない町なのだったが、ここに禁忌のゼロノック図書館は存在する。
「人間族の町を歩くのは初めてだわ」
どこからともなく取り出した日傘を差しながら、黒ドレスの令嬢が通りを歩く。
「住人がたくさんいるのね。深族は皆離れて暮らすのが普通だから新鮮」
「そんなに離れて暮らして不便ではないの? 人間は、服を作る人や道具を作る人、食べ物を作る人、他にもたくさん仕事を分担しながら生きていますわ」
その横を歩くアークエンデも、見た目の優雅さでは負けず劣らず。
この地味な町においてはあまりにも華やかな二人に、通りを行き交う人々の目は自然とそこに集中する。あと、ミニスカメイドのユングレリオにも。
……俺たちは、何の集まりなんだっけ?
「不便に感じたことはないわね。服や道具も自分で作ればいいし、食べ物はそのへんに生えているもので済むわ。……ああ、でも、布は誰かが届けに来ていたかしら。きっとその人が織物職人だったのね」
「作るって、まさかそのドレス、ベルゼが作りましたの?」
アークエンデだけでなく、話を横で聞いている俺たちも目を丸くする。
「ええ、そうよ。針仕事は女の役目。靴と道具は男が作るのが一族の掟なの。わたしの着ているこれ、どうかしら?」
「すごい、素敵ですわ! 本当によく似合っているし、正にあなたのためのドレスよ!」
「ありがとう。そんなこと言ってもらえて嬉しいわ」
目を輝かせるアークエンデ、そしてユングレリオ。陛下、何を考えていらしゃるのですか……。
そんな他愛のないやり取りをしながら、町の中心へと進んでいく。
ここで少し『アルカナ・クロニクル』について説明しようと思う。
このゲームには、他の戦略シミュレーションではあまり見ない、ちょっと特殊なシステムがあった。
それが『領地探索』。これまでちょこちょこ触れてきた単語だが、これは占領した土地にある町や遺跡などをダンジョンとして探索できるコマンドだ。
しかもこの時の操作は普通のRPG。戦闘もコマンドバトルになる。つまり『クロニクル』は、SLGとRPGが同時に楽しめてしまう非常に意欲的なゲームなのだ!
ダンジョンには武将を成長させるレベルアップ要素や、仲間を加えられるイベントなどがある! この世界の広さ、奥行きを感じさせてくれる有能な舞台装置だ!
何だこのゲーム全然面白そうじゃん! と思った? 俺は思った! アハハ!
だがここで恒例のガッカリ要素が入ってくる……。
この探索……ほぼ意味ない。
武将の成長が適応されるのはRPGパートのみで、本筋のSLGに関わる内政とか指揮とかのステータスは完全固定。
探索中に出会う仲間は、シミュレーションパートの「人員募集」コマンド一つでも出てくるので時間をかけて探す必要なし……。
なんなら探索なんて一度もやらずに全国統一が可能……。
だが中には、隠しキャラ的な武将と出会えるダンジョンもある! キャライラストはもちろん力が入ってるし、それが別シリーズで見たキャラだったりすると「このゲームやっぱ作り込んでんじゃん、スタッフゥー!」と褒めちぎりたくなる!
でもね……。別に強くないの、その人。既存のキャラで十分なの……。
自己満足でいいじゃんと言えばその通りなんだけど、その満足にすらちょっとずつ届かないのが、煉界症候群をもたらすゲームたちなのだ。
もしもダンジョンに、武将のステータスを区別なくパワーアップさせるアイテムや装備があれば。
お気に入りのキャラを最強に育成できちゃう要素があれば。
それくらいは普通あるだろ絶対あるよ、が本当にあれば。
それだけで多くの人々の自己満足の要件を満たし、『クロニクル』が“個人的には良ゲー”にまでなれたに違いないのだ……。
どうしてなんですか、やまとさんッ……!
「ここだ」
ユングレリオの案内によって俺たちがたどり着いたのは、何の変哲もない小さな図書館だった。
とはいえ、地方領ではこうして大量の本が保管されている公共施設は珍しい。書庫があるのは貴族の家かギルドの倉庫くらい。さすがは首都に近い町だ。
「禁忌の図書館というわりには、こぢんまりとしているのね」
ベルゼヴィータが忌憚のない意見を述べる。
正直俺も、もっと要塞のようなところをイメージしていたが……。
「見た目に騙されるでない。ゼロノック図書館の本体は地下だ。その存在を知る者たちの間では、世界でもっとも近くて遠い場所と言われている」
へえ……。それはなかなかゴツい二つ名だ。
扉を開けて入るなり、冷たく乾いた空気が俺たちを出迎えた。カーテンが日差しを遮っており、エントランスからしてもう薄暗い。
こちこちと機械仕掛けの規則正しい音が鳴っている。入ってすぐ正面の壁にある大時計だ。
音らしきものはそれだけ。利用者の息遣いさえなく、どことなく時間の止まった世界を思わせる。
大時計のすぐ下、受付カウンターに一人の女性が座っていた。
しなやかなブロントをロングヘアーにし、眼鏡をかけたどこかおっとりした雰囲気の女性だ。
制服と思しきケープはシックながら細かな刺繍がされており、優雅で勤勉な知の探究者を思わせる。
ただ、本人は下を向いて――どうやら読書に夢中らしく、来館者が近づいてきていることにも気づいていない様子。
「こんにちは、エクリーフ」
ユングレリオが親しげに呼びかけたことで、女性が顔を上げた。
(なにっ……!?)
俺は、そして子供たちも、思わず身じろぎした。
その女性の顔に見覚えがあったのだ。
〈マスケット〉マスカレーダ。中身超綺麗なあの屈強女性騎士だ。
「あらぁ、ユングレリオ様ではありませんかぁ~」
ほわほわほわぁ~という、呑気さを最大限表した擬音が立ち上るレベルの、おっとりした声音が流れた。何事もハキハキ、キビキビしていたマスカレーダとはまるで正反対。
「お久しぶりです。今日はお城の仕事はよろしいのですかぁ~?」
「我は……いやボクはもう王様ではないんだエクリーフ。引退して弟に王位を譲った。今は大叔父上に摂政をお願いしている」
「あらあら、そうだったんですねぇ~。じゃあまた、昔みたいにゆっくりお話もできますねぇ~」
「うん……いや、そうもいかないんだ。今のボクはヴァンサンカン伯爵のところで厄介になっていて、メイドの仕事をしているんだ。服装を見てわかるだろう」
「あら本当~。そうですかぁ、王様はメイド様になったんですねぇ~」
何だ? おとぼけおねショタコンビか? 和むぞ。
このエクリーフという女性、ユングレリオとは顔馴染みらしいが、彼の退位も知らなければそのことに驚きもしない。さすがに……普通驚くだろう。退位かミニスカメイド服のどっちかには。
「伯爵、紹介する。彼女はエクリーフ。この図書館の館長だ」
「えっ……館長さんだったんですか。初めまして……」
「はい~、初めまして~」
のんびりとお辞儀される。何というか、マスカレーダに似ているせいかギャップがすごい。
ここでユングレリオがニタリ顔を俺に向けてくる。
「驚くなよ伯爵。彼女は何と、そなたがついこの間共闘したマスカレーダの姉君だ」
『なっ……!?』
絶句する俺たちと同時に、「あ、やっぱり~。あの子が話していた伯爵様だったんですね~」と死ぬほどのんびりとした驚きを露わにしてくれるエクリーフ。
お姉さん。あの戦乙女みたいなマスカレーダの。
顔が似ているわけだ。性格は真逆っぽいが。そして姉妹ということは首から下も……い、いや、これに関しては何も考えないようにしよう。何もね……。
「エクリーフ、ボクたちはゼロノック図書館に入りたいんだ。いいかな?」
「いいですとも~、ユングレリオ様がそうおっしゃるなら」
そう言うと、エクリーフはのんびりと席を立ち――すぐ背後にある柱時計の振り子を掴んだ。
「よいしょ、よいしょ」
そしてそのまま、振り子を右へ左へと振り回し始める。適当にやっているのではない。何かルールに従ってそうしている。
「けれど、伯爵様は陛下にご縁があって良かったですねえ~。普通なら、ここに入るのはすごく大変なんですよ~」
「はあ、陛下からうかがっています。何でも世界で一番近くて遠い場所と言われているとか……」
「ええそうなんです~。本来なら、アカデミアの教授からの推薦状五枚以上、直近十年の価値ある論文五本以上、教会からの感謝状三枚以上、司教の委任状三枚以上、そして王室の許諾状に加え、二年間の審査期間が必要なところです~」
ヒェ……。何だそのハードルの高さ。下を通り過ぎても気づかないくらいだ。誰がそんなもん集められるんだ……?
近くて遠い場所とはよく言ったものだ。これに匹敵するものを『クロニクル』のプレイヤーが集めるとしたら、そりゃ手間暇かかりますわ……。
ややあって――。
ゴゴゴゴ……。
エクリーフが相当複雑な振り子の作業を終えると、カウンター席隣にある書架の一部が横にスライドし、そこに隠し階段が現れた。
おお……と俺たちは感嘆の声を漏らしながら、その階段をのぞき込む。
「地下は一部区間が人を人とも思わない大変危険な場所になっていますのでお気をつけください~。あと遺体も回収されないと思うので、遺書を書き残す方はこちらのペンでどうぞ~」
めちゃくちゃ朗らかに絶望的な警告を発してくるエクリーフに、俺たちは早くも、第一歩目を誰が振り下ろすかで揉めることになった。
おとぼけおねショタではどっちが主導権を握ればいいんだ……?




