第四十四話 ぶらり、禁忌ライブラリの旅
夜明け前。子供たちがいない間に荷物を整え、書置きも残した。
しばらく旅に出ます、探さないでください――。
いやこんなん絶対怒られるよ! けど今はこれくらいしか言えんよ!
手がかりがあるダンジョンの場所は思い出したものの、『クロニクル』の戦略パートは縮尺の大きな俯瞰図でしかないので正確な位置までは未確定。図書館内部に関してはもっと未知数だ。目的を達成するまでメチャクチャ面倒なことだけが確定している。不安しかない。
「いいの? あの子たちに挨拶もなしに」
黎明の空の色をバックに、ベルゼヴィータが問うてくる。
「言えば必ずついてくると言うだろうだからな。どれくらい留守にするかもわからないし、無暗に引っ張り回すわけにもいかない」
「そう……。でも困ったわ……友達の大切な人と二人きりのアバンチュールなんて……」
気恥ずかしそうに、あるいは気まずそうに目線を斜め下に落とすベルゼ。
「エンデのお父さんと聞いていたからもっと年上の人かと思っていたけど、そんなに離れていないし、あんなことを言われた直後だし……」
「うっ、それはその……」
いや、あの、俺も咄嗟とはいえだいぶ踏み込み過ぎたセリフを吐いたとは思うのですが、どうかあまり気にしないでいただければと……。
不意に、あたりが暗くなった気がした。
朝日が雲にでも隠れたか。そう思いつつ、俺はなんとなく部屋の天井を見上げた。
「ぺぇっ!!!!????」
ビキバキベキ……Σ<煉><〇>
そこにアークエンデがいた。見間違いじゃない。彼女はまるで蜘蛛みたいに、天井に張りついていたのだ。ついでに言うとオーメルンも。
「お父様? ベルゼと何をしていらっしゃるの?」
「ア、アークエンデ……何で……?」
「今朝なんとなく目覚めたら、お屋敷の方から悪い虫の波動を感じたのですわ。だからオーメルンを叩き起こして急遽屋敷に戻って参りましたの」
しれっととんでもないことを言い出す娘。ていうか、あの世界の終わりみたいなハエの軍勢には気づかなかったのに、この状況には気づくのか……。
スタッ、と背後で着地音がしたと思ったら、オーメルンが机の上の置手紙を見ていた。彼はさあっと顔色を変え、
「おい、旅に出るってどういうことだよ! まさかベルゼヴィータとか!?」
クシャッと握りしめた書置きを手に、猛然と詰め寄ってくる。
部屋には最小限の旅行用荷物。黒ずくめの令嬢を添えて。そこに書置きの内容を含めたら、もうどんな優秀な弁護士を雇っても言い訳不能だ。
「もしかして昨日の昼間に様子がおかしかったのって、一目見た時からこのことを決めて……!」
クソッ、普段は裏の裏まで読んでくれる超明晰タッグパートナーなのに、どうしてこういう時だけ早とちりを積み上げるんだ!?
アークエンデも音もなく床に舞い降りる。
「お父様、ベルゼと二人きりで一体どこへ……」
ゴゴゴと俺の部屋限定の震度5が家具を揺らし始めたところで、それまで他人事みたいに突っ立っていたベルゼヴィータが、どこか安堵したような様子で言った。
「二人の冒険はここで終わりみたいね。エンデにこれ以上嫌われたくないから洗いざらい白状するわよ? 伯爵さん」
俺たちはすべてを白状した。
さすがに「なぁんだそういうことだったのか、わっはっは」とはいかない内容。開始数十秒で、不満と怒りの集合体だった子供たちの顔はみるみる青ざめていき、
「ベルゼ、わたくしイヤですわ!」
話を聞き終えるなりアークエンデがベルゼヴィータに抱きついた。ベルゼヴィータの方も彼女を優しく受け止め、「ごめんねエンデ。何も話せなくて」と髪を撫でてやっている。
「そんな事情があったのかよ、オレたちの恩人は……」と、拳を握るオーメルンは、何も知らずに呑気に構えていた自分に怒りをたぎらせているようだった。
ベルゼヴィータは俺にした話より少し前の段階から今回の経緯を説明してくれていた。
彼女は深族の中でも位の高い、いわゆる貴族に該当する家の生まれだという。
ただ、深族は人間のように大勢が集まって暮らすというような生活形態を取っておらず、各家庭がぽつんぽつんと深山幽谷のどこかに存在しているだけらしい。
無論、集団生活をまとめる政治など必要もなく、では貴族とは何者かと言えば、それは種族でも突出した能力者なのだという。
そんな彼らには、ある掟が存在した。
それが煉界船なる古の怪物との戦い。
約百年の周期で、ランダムな場所に現れるそれを、もっとも近くに居住していた深族の貴族たちが迎え撃つ。
この掟の来歴や由来はわからない。ただ、怠れば一族は滅びると言われている。
その戦士の代表格が〈死食の女王〉。
この名を受け継いだ者は、住んでいる場所にかかわらず必ず煉界船との戦いに赴かねばならない。
誰一人生きて帰ることのない決死の戦い。彼女もまた、やがて来る務めを果たすために研鑚を続けた。最後に勝つために。最後に死ぬために。
「それだけの人生だったわ」と、彼女はさしたる感慨もなしに語る。彼女にどこか厭世的な雰囲気があるのはこのためだったのかもしれない。
友もなく、思い出もなく。だから、アークエンデとオーメルンを助けたのは、彼女の生涯にとってとても大きな出来事だったという。
いずれ死ぬ自分と、誰かのために命を懸ける二人。対照的なようで似た者同士と感じた彼女は「わたしに欠けていた心を持ってきてくれたみたいだった」と、そのたった一つの思い出を心より賛美した。
俺は聞いていて泣きそうになった。
ベルゼヴィータも、アークエンデより少し年上くらいの女の子だ。俺がそんくらいの頃には、悩みはあってももっとくだらない、この先何十年も生きていることを前提とした、安穏とした内容だった。
でもこの子は、すでに自分の行き着く先を宣告されていて、そのために人生を使い続けてきたのだ。望んだ献身ではない。他者に決められた命の使い道。さぞ……イヤだったろう……。
「煉界船の情報は一切ないわ。言い伝えにもないし、挑んだ者も、それを見届けるために随伴した者も誰一人として帰ってこなかった。貴族たちが遠い場所で暮らし、お互い没交渉だったのも、情報が伝わらない理由の一つかもしれない。けれど――」
ベルゼヴィータからの目線のパスを受け、俺はうなずいた。
「王国の地下図書館になら、手がかりがある……」
はずだ。何も知らないはずの『クロニクル』のプレイヤー勢力が、“船”との決戦に臨めるようになるまでの、その糸口が。
「で、その地下図書館って、どこにあんだよ?」
オーメルンが早速聞いてくる。
「ええと、首都近くの、カロンヒルトとかいう場所だったような……」
カロンヒルト……と繰り返した子供たちが、困ったように顔を見合わせる。
この二人は優秀すぎるうちの家庭教師から地理も習っている。けれど心当たりがない、というのは、のっけから大きなつまずきを俺に予感させた。
「カロンヒルトは地名ではないぞ」
突然、鈴が鳴るような愛らしい声がして、俺たちは扉の方へと向き直った。
そこには、もうすっかり定着してしまったミニスカメイド服姿のユングレリオ。
「閣下……!」
「閣下じゃない! 朝から扉が開いていて人の話し声が聞こえると思ったら、愛らしいボクを残して旅行にでも行く算段か? 伯爵」
扉が開いていた理由はアークエンデたちがそこから入ってきたからか。天井をカサカサと這って……いやその想像は怖いのでよそう。しかし、地名ではない、とは?
「家族旅行に行くのはまあよかろう。ちなみにカロンヒルトは、かつていた郷士の名だ。その土地の者たちは偉大な彼に敬意を表し、橋にも山にも土産物にもカロンヒルトの名前を付けるようになった。が、よそ者は誰も知らん。そんな手がかり一つで旅に出ようものなら、現地に着く前に子猫が親猫になってしまうぞ」
ううっ。確かに俺がカロンヒルトと言ったのは、『クロニクル』に登場する〈カロンヒルト共同体〉という強者のエサでしかない弱小勢力が、その図書館のある地域を支配していたからだ。そこを占領した際に、やまとさんが例の紹介文を口にした。
「伯爵の言う地下図書館とやらが、〈ゼロノック図書館〉のことを指しているのなら、向かうのはイーサンという町だ」
「イーサン……!」
そこが俺たちの目的地……!
「だが、一般人が立ち入ることはできないぞ。あそこは禁書ばかりが集められた本の牢獄にも等しい場所。大領主や高名な学者であっても、許可が下りるのに何年もかかる」
「うっ……それはその、何とかします。どうにかこうにかコネを作って……」
「ふふっ。思考よわよわ伯爵、頭が働いておらんぞ~? ここにいるのを誰だと思っておりゅぅ?」
そう言うなり、ユングレリオは俺の膝の上にぴょんと飛び乗ってきた。こちらに背を向ける形ではあったが――下半身はばっちりみっちり密着し、衣擦れのたびに華奢な体とミニスカメイド服から甘い匂いが立ち上る。
彼はニヤニヤした顔をこちらに振り向かせ、
「ボクなら顔パスだぞ、顔・パ・ス」
「! マジですか!?」
「ただ、王室から離れた身で再びその威光を振りかざすのは、いささか恥ずべき行為だ。しかし伯爵がこの体勢のままボクの頭を撫でて、わたしの可愛いユングレリオよありがとう、と囁いてくれたら考えてやらないことも――」
「ありがとうございます、陛下!」
「ひゃあ!」
俺は思わず後ろから彼を抱きしめていた。
場所を教えてくれたどころか、その入り口まで提供してくれるなんて!
『クロニクル』の配信を見ていて思ったが、あのゲームはとにかくイベントのフラグがとっ散らかっている。近所の小さなイベント一つ始めるのにも、あちこちの領地で手がかりを見つけないといけない。それもノーヒントで!
あの煉界症候群のやまとさんをして『フラグ立てに死ぬほど時間がかかっちゃう』と言わしめた以上、本当に人が死ぬ可能性がある。それほど面倒な手順を、このメイド長はかなり短縮してくれたに違いないのだ。
あ、今になって、やまとさんの言葉をまた一つ思い出した。
『まあ、このゲーム一面倒なイベント、わたしは毎回クリアしてますけどねー、あハハはハ』
それはまずいですよ、やまとさん……。
「コホン」
咳払いをしたベルゼヴィータがふと指摘した。
「伯爵さん、彼女のお願いとはだいぶ違うみたいだけど大丈夫……?」
ここでようやく俺は、自分の過ちに気づいた。
し、しまった。つい嬉しすぎて陛下に何と無礼なことを。要求と違う! ときっと猛然と怒り出すに違いない。まずい今機嫌を損ねては……!
……って、あれ? 何も言ってこない。
「ユ、ユングレリオ様?」
ご機嫌をうかがうつもりでそっと耳元に問いかけたら、腕の中の細い肢体がビクビクッと小さく震えた。そうしてから、ひどくか弱い力でもがいて俺の腕から抜け出すと、
「いっ……いい……だろう。す……少し……準備をするから……待って……て……」
直前までのクソメスガキな態度はどこへやら。へろへろと今にも腰砕けになりそうな足取りで、メイド長は一度も振り返ることなく部屋から出て行ってしまった。
これは……セーフ、だったのか……?
「伯爵さんって、結構悪い人だったのね。わたしも気をつけた方がいいみたい」
どこか冷たく言ってくるベルゼヴィータ。
セーフでは……ない……?
※
ヴァンサンカン伯爵一行、一路イーサンの町へ!
それっぽい建前でごまかそうとする俺に対し、バスティーユは例の如く多くは問わず「ご無事で」と見送ってくれ、トモエとメリッサは「早く帰って来てくださいね」と寂しそうに言ってくれた。シノホルンが教会の催し事で不在の中、
「どこに行くつもりだ? わたしも同行する」
と、口出ししてきたのは、朝食のサラダに入っていたピーマンでダークサイド化したソラ。
何でも今日はこのままいけば、教会でお勉強のスケジュールになっているとか。
そんな彼女を加えた総勢六名が、ゼロノック図書館捜索隊。
本来なら馬車が二台は必要な大所帯だったが、
「それでは時間がかかりすぎるわ。うちの“騎翅”を使いましょう」
とベルゼヴィータが用意してくれたのが――。
ぶうううううううん……。
「と、飛んでる……!」
俺は、あの真っ黒で赤い目のハエのバケモノの上にまたがりながら、その事実を口にした。
サイズは馬並。全身が真っ黒い毛で覆われているため、昆虫のグロテスクな皮膚を直視しないで済むのは救いだったが、巨大な複眼と六本脚はなかなか視覚的・心理的ハードルが高い。
聞くところによると、これはベルゼヴィータの生家、ハイペストン家に従属する家畜の一種で、常備軍にあたる存在だという。こうした(人間から見たら)異形の手勢を持っているのも、深族の貴族である証だという。
「あのすごいでかいヤツはどうした?」
俺は取り付けられた鞍に腰を落ち着けつつ、隣を飛ぶベルゼヴィータに問いかけた。
「“群王”はわたしの軍勢の中の王。戦にしか出陣しないの。それに、あんな大きなものが飛んでいたらさすがに人間たちが驚くでしょう?」
それはそう。今のハエでも十分やばい。だから、俺たちが飛んでいるのは街道コースから大きく離れた原野の上。それでも馬で目的地を目指すより圧倒的に早い。
手綱を握ってはいるが指示などは必要なかった。ハエたちは行く先を理解しているらしく、俺はただ座っているだけだ。
乗り心地はというと……非常に快適なんだな、これが。
地を蹴る必要がないので振動もなく、鞍と鐙の独特の形状によって下半身はがっちり固定されている。そしてこれは思わぬ副産物だが……ハエの体毛が、滅茶苦茶ソフトで心地いい。あまり昆虫と同列に並べたくないが、普通に犬や猫の毛並みにフワフワなのだ。
「ば、馬車の旅だと思っていたのに……!」
と後悔するようにうめくユングレリオは、メイド服のスカートがめくれぬよう、苦闘しながら俺の腕の中に納まっていた。他には、ベルゼヴィータとアークエンデ、オーメルンとソラという組み合わせの二人乗りだ。
揺れはないものの、風はいかんともしがたい。どうにかスカートを太ももの間に挟むようにして事なきを得たが、その分、スケートの丈が……。見てない。俺は何も見ないぞ。
ちなみにこの二人乗りの対策もしっかりされており、専用の馬具によって決してもう片方も落ちないように結ばれている。この騎翅なるハエたちにどれほどの長い歴史があるかを偲ばせる用意周到さだった。
「ヒャッホー!」
「笑止!」
オーメルンとソラが、アクロバットな軌道で俺の横をすり抜けていく。
「上手よ、オーメルン」
ベルゼヴィータがその様子を上品に褒め讃えると、
「馬の乗り方覚えたかったけど、まさか先に空飛ぶ生き物に乗るとはなぁ。伯爵、これすげーぞ!」
怖いもの知らずであり同時に純粋。同乗するソラもキャッキャと喜んで、そんな二人の下にいるハエもどこか楽しげですらある。三人揃って俺たちのまわりをぶんぶん飛び回っていた。
「そんなふうに遊びで飛ぶようなこと、彼らはしてこなかったから」
ベルゼヴィータが少し神妙な様子で言ってきた。
「皆、いつか来るわたしの出征に合わせて育ってきた。死ぬ時も一緒。でも――」
「させませんわ」
アークエンデが、ベルゼヴィータの手にそっと手を重ねる。
「あなたの責務を無事果たして、またみんなでこうして飛びましょう。争いも悲しい運命もなく、ただ自由な空を。約束ですわ、ベルゼ」
「ありがとうエンデ。あなたはまるでわたしの翼よ」
ベルゼヴィータはうっとりと目を細めた。
大切な友人。ベルゼヴィータがそう思ってくれたのと同じくらい、子供たちも彼女を慕っている。
思えば、ユングレリオの命が助かったのも、ソラの罪が軽くで済んだのも、俺たちが関わったから。そんな俺たちをベルゼは救ってくれた。
巡り巡った命の恩が、今、彼女に恩返しをしようとしている。
必ず、上手くいかせる。
失敗はさせない……!
そして青空の旅は始まって一日たらずで、イーサンの町へと俺たちを辿りつかせたのだった。
・ヴァンサンカン一行
△ 移動式ハーレム
〇 重機動型高火力要塞ハーレム




