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第四十二話 深層の令嬢

 その伝説は『七つの箱舟』と呼ばれている。


 かつてこの世界には、今からは想像もつかないほど高度な文明が存在した。

 しかし、あまりにも暮らしが豊かになりすぎたことで人々は堕落し、頽廃(たいはい)し、禁忌と倒錯に耽るようになった。


 星界の神々はその淫らな姿に怒り、地上の文明を人々もろとも雨で洗い流すことにした。


 だが、一部の善なる人々にだけは、それを事前に伝えた。

 箱舟を作らせ、その大洪水を生き残らせるために。


 その人間たちの中心となったのは、セルガイア。羊飼いのセルガイアと言った。

 彼はこのことを、他の種族の善良な友人たちにも伝えた。


 彼らはそれぞれの土地で箱舟を作った。悪しき他の者たちが、それを見て嘲笑う。

 これほど英知と栄華を極めた我らが、そのような大災害の兆しを見逃すはずがない、と。


 果たして運命の日。

 世界は瞬く間に海に没した。

 高名な学者も、溢れるほどに富んだ金持ちも、みんな「ウソだ、ウソだ」と言いながら消えていった。


 七つの箱舟で嵐の海に漕ぎ出したセルガイアたちは船団を組み、互いに助け合いながらこの破滅の水害を逃げ延びた。


 しかし、静けさを取り戻した漂流十七日目。再びとてつもない嵐が船団を襲う。

 世界を沈めた神の厄災の一部がまだ残っていたのだ。


 セルガイアたちはお互いを励まし合いながら必死にこれに耐えた。


 そして恐るべき夜が明け、人々が被害を確認した時――最後尾の箱舟はどこにも見当たらなかった。


 残っていた船に乗っていたのは、六種族。

 人間、エルフ、ドワーフ、獣人、深族、竜人。それは今、世界にいる人々。


 しかし七番目の船に乗っていた種族――歴史に名も残らぬ第七種は、この時より永遠に失われたという。


 ※


「今帰った」

「おかえり伯爵」

『おかえりなさいませ』


 トメイトウ農園の視察から帰った俺をエントランスで出迎えてくれるのは、メイド長のユングレリオ率いる見習いメイド軍団だ。

 一糸乱れぬお辞儀はまるで王様を迎えるみたいな仰々しさだが、これも他家への就職に備えた彼女たちの実習の一つ。俺が恥ずかしいからと断るわけにはいかない。ふんぞり返って耐えるのだ。


 彼女たちを教育する傍ら、俺もまた領主としての振る舞いをユングレリオから教え込まれているのかもしれない……。


「アークエンデは?」


 メリッサとトモエにコートや手荷物を預けつつ、俺は普段は真っ先に飛んでくる(あくまで比喩)はずのアークエンデが現れないことに首を傾げた。


「お嬢様なら、お友達とオーメルン君と一緒にテラスでおしゃべりしてますよ」


 メリッサからの回答。


「友達?」


 珍しいな。友達と聞いて真っ先に思いつくのはアルカナだが……ホイホイ遊びに来るにはそれなりに遠い。となると、まさか模擬テストで友達になったパンネッタかカグヨ?


「何でも北の山でお世話になったとか……。北の山って何のことです?」

「何だって……!?」


 忘れもしないあの一件。子供たちが俺の治療のために魔竜ニーズヘッグの爪の欠片を持ち帰ってくれた。


 あの時どんな大冒険があったのか、実は今日までアークエンデたちはあまり話してくれていなかった。肝心なところをぼかされているようで……なるほど協力者がいたか……!


「それは、わたしも是非挨拶に行かなければ」


 内心の驚きと好奇心、それから子供たちを助けてくれた多大な感謝を胸に、俺は早足で彼女たちのところへと向かった。


 ※


 アークエンデとその協力者は、メリッサの言葉通り、庭園を臨む一階テラスにいた。組まれた木製デッキの上にお茶会用の小さなテーブル席があり、そこで少女が二人、アンティーク人形のように向かい合って談笑している。もちろんオーメルンも添えて。


 客人のことはすぐにわかった。色彩豊かな花壇に、白いテーブルと子供たち、そんな色鮮やかな世界にあって、そこにだけ墨汁のような黒い影が落ちている。


 年齢はアークエンデたちより少し上くらいか。しっとりとした黒髪は、前髪の揃ったツーサイドアップにしてあった。ゴスロリ風の豪奢なブラックドレス、赤いリボンのヘッドドレス付き。少しアンニュイな目もルビーのように赤く、反面、肌の青白さは生気に欠けている。


 どこか妖しく、そして神秘的な少女だ。とても北の山でアークエンデたちを助けたようには思えない、どこかの高貴なご令嬢。そんな印象だった。


「こんにちは」


 俺が呼びかけると、アークエンデとオーメルが揃ってぱっとこちらを振り向き、


「お父様! おかえりなさい!」

「おかえり伯爵」

「ただいま」


 椅子を蹴るようにして飛びついてくるアークエンデを受け止めつつ、オーメルンとも目で応答する。普段はそれだけである程度の現状報告が受けられるのだが、今日に限っては何だか申し訳なさそうに目を伏せられた。


 何だろうと思いつつも、最後に黒ずくめの令嬢へと挨拶を向ける。


「我が屋敷へようこそ、お嬢さん。何でも、北の山で子供たちを助けてくれたとか。もしそうなら、二人だけでなくわたしの命の恩人でもある。是非、お礼を言わせてほしい」

「もったいないお言葉ね、伯爵さん。わたしは道案内をしただけ。命を賭して戦ったのはアークエンデとオーメルンよ」


 ゆるやかで大人びた、しかし確かに少女の柔らかさを帯びた声。ただその雰囲気はどこか夜風の冷たさを思い出させる。ヴァンサンカン領の貴族とは一線を画する……何者なのだろうか。


「お父様、ごめんなさい。ベルゼのこと、今まで黙っていて」


 アークエンデが抱きついたまま俺に謝ってくる。


「ベルゼ……。このお嬢さんのことかい?」

「ええ。ベルゼヴィータ。わたくしとオーメルンが北の山で迷子になっている時に助けてくれたのですわ」

「そうか。それだけでも十分な感謝に値するな。しかし、どうして内緒にする必要があったんだい?」

「わたしがそう頼んだの」


 答えを寄越したのはベルゼヴィータお嬢さん。


「伯爵さん、わたしを見て何かお気づきにならない?」

「……? 何だろう」

「伯爵、この人は“(シン)族”だよ……」


 察しの悪い俺に、オーメルが歯切れ悪く言った。


 深族。それは“他の世界”であればいわゆる魔族に相当する種族だ。人間族とそっくりではあるが、生来的に強い魔導素養を有し、深山幽谷――世界の深層で暮らす人々。


 住むところが異なり、そして能力にも違いがあるゆえに、生まれた誤解や偏見は数知れず。妖魔や妖精の類と見なすものもあれば、人をさらうとか食うなどといった心ないものまで幅広く揃えられて、深族の正体はもはや霧の向こう側。


『アルカナ』本編でも正式にキャラとして登場したのは『3』からとなる。

 ただ『クロニクル』ではバッチリ強勢力として参戦しており(そしてイケメンも多く)、やまとさんの初心者向けセレクト第一位。無論、俺にも悪印象はなく、今こうして感じている神秘性を足せば、ポイントはさらに倍。


「そうか。気を遣ってくれてありがとう、ベルゼヴィータ。だが、君の生まれや所属が何であろうと、わたしにとっては大切な恩人だ。最大限感謝するし、歓迎するよ」

「ほら! 言ったでしょう、ベルゼ! お父様はあなたを嫌ったりしないって!」


 ぱあっと明るくなった顔を彼女に向けるアークエンデ。オーメルンも「へへっ」と少年らしく鼻の下をこすっている。そんな態度をあてられた本人は少しだけ目を丸くし、


「……珍しい貴族もいたものだわ」


 なんて艶然と微笑んでいた。

 それにしても、アークエンデたちを助けてくれたのが深族の少女だったとは。

 北部山地は魔竜が住むくらいだから、当然深山幽谷の一つにかぞえられる。恐らくはそこでひっそりと暮らしていたに違いない。一応ヴァンサンカン領にはなっているが……ほぼ立ち入り不能の場所に住む人々まで、こちらの支配下と言い張るわけにはいかない。


「色々とお礼をしたいんだが、なにぶん突然のことで何の用意もできていない」

「ふふ……結構よ、伯爵さん。わたしはただ友達の様子が気になって顔を見に来ただけだから。一目見たら帰ろうとしたのだけれど、すぐに見つかってしまったの」

「だってベルゼったら、こんな大きくて立派で真っ黒な日傘を差していたんですもの。見逃すはずがありませんわ! あら……あの日傘はどこ? 大変、なくしてしまったの?」

「いいえ。気にしなくていいの。それより、お体の具合はいかがかしら、伯爵さん」


 ベルゼヴィータは俺に話を振ってきた。どうやら秘密のドラゴンスレイヤーたちの会話に混ぜてもらえるようだ。


「おかげさまでとても健康だよ。眼の下のクマは取れていないけど、すこぶる調子はいい」

「そう。それはよかったわ。竜の血でもなかなか治らなかったと聞いて、よほど質の悪い死神に憑かれていると思ったのだけれど、腕のいい薬師がいたのね」

「うん、それもそうなんだけど、一番の鍵はアークエンデのわたしに対する愛情だったそうだ」

「あら……美しい話ね」

「いや、単なる美談というわけではなく、それを魔導錬金術に応用したらしい。詳しくはわたしにはわからないが、とにかく彼女の想いの強さがわたしを救ってくれた」


「ね?」と改めて感謝の微笑みを向けると、アークエンデはぽおっと頬を赤く染めて微笑み返してきた。そんな彼女とは対照的に、黒ずくめの令嬢は冷たく目を細める。


「そう……。魔導錬金術に通じる者までいるのなら、これもきちんと伝えておかないと後で伯爵さんがその人に怒られそうね……」

「へ? 何のことだ?」


 ここでベルゼヴィータは元からよかった姿勢を正し、ひたと俺を見据えた。


「――改めて名乗らせてもらうわ。わたしはベルゼヴィータ・ハイペストン。第466代〈死食の女王〉よ」

「…………え?」


 ぽかんとする子供たち。そして俺も、彼女がフルネームを名乗った意味を即座に理解することはできなかった。

 だが……。


「し、〈死食の女王〉……だって……!?」

「あら、ご存知だったかしら。さすがは領主様ね……」


 艶然と笑うベルゼヴィータ。しかしそこに、かすかな寂寥が紛れ込んでいるのを俺は見逃さなかった。ただそんなこと今は頭にミリも入らない。だって……。だってよ!


〈死食の女王〉って、魔王形態のアークエンデの二つ名だぞ!!!????


 間違いない。セリフの名前欄にもバッチリ、『魔王アークエンデ〈死食の女王〉』と表記されていた。いきなり偉くなりすぎィと配信コメント欄が大盛り上がりだったほどだ。そしてイベントCGには確かに、ベルゼヴィータのような黒ドレスに、目がバッキバキのアークエンデが描かれていた……。


 何だ? おい、いきなり何だこれは?

 何の前触れもなく、仕事から家に帰ってきてみれば……。

 命の恩人が……魔王?


「だいぶ動揺しているようね。無理もないわ。死と腐敗、暴食を意味する〈死食の女王〉は、人間の歴史の中にも脅威として残っているのではなくて? こんな恐ろしい者に家族そろって助けられたと知って、さぞお困りでしょう……」

「い、いや……」


 そうではない。だがその先はうまく言葉にならなかった。

 アークエンデがなるはずだった魔王を、この少女が引き継いだ? いや、466代とか言っていた。あの時のアークエンデは何代目だった……?


「お父様……」

「伯爵……」


 子供たちが不安げに俺を見てくる。まずい。俺が、彼女のことを畏れ、危険視しているふうに思われている。


「違うんだ。そうではなくて……」


 必死に抗弁しようとしたが、ベルゼヴィータの声の方が早かった。


「いいの。和やかな空気に水を差してしまってごめんなさい。少し長居しすぎたから、これを最後のお話にしようと思っただけ」


 彼女が席を立つ。

 俺もアークエンデたちも引き留めようとするが、彼女は「楽しかったわ」と密やかに微笑み、テーブルを離れた。俺はもつれる舌をどうにか動かし、


 「……待ってくれ。その、またいつでも来てほしい。これは社交辞令ではなく、本気だ。俺は決して、君を忌み嫌っているのではなく……」

「ありがとう伯爵さん。その気持ちだけで十分よ。それでは……」


 漆黒の令嬢は、彼女たち流儀のカーテシーのような一礼をすると、屋敷を去ってしまった。

 何とも言えない気まずさが残る。

 子供たちは面と向かって俺を責めたりはしなかったが、それでも言葉少なにその場を解散させてしてしまった。


 ……これはマズったな……。

 次会った時は、絶対ちゃんと対応しよう……。


 ※


 その夜のことだった。


 ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ…………!!!!!!


 豪快なラッパが一斉に吹き鳴らされたような、凄まじい轟音が俺の全身を揺らした。


「うっ、うるせええー! 何だこの音はぁ! ブブゼラか!?」


 やかましいと評判のアフリカの楽器を想起しつつ、俺はベッドを飛び出した。

 部屋中のものが小刻みに揺れていた。幻聴や悪夢の続きじゃない。現実に巨大な音が屋敷を包み込んでいるのだ。


 今は真夜中。だが部屋の中はやけに暗い。普段なら月と星の明かりでもっと華やかなのに。

 俺は窓際に寄り、音の正体を探ろうとした。


「うおっ!?」


 窓を開けた途端、入り込んでくる暴風。

 そこで、異様なものを見た。


 月の代わりのような、一対の赤い楕円。

 そして白い星に取って代わった赤い星々。


「う――わ――」


 声を失う。

 轟音の正体は無数の羽音だった。そして赤い光の正体は、目だ。


 虫。巨大な羽虫たちが屋敷の正面を占拠している。


「こんばんは、伯爵さん」


 凄まじい爆音の中、なぜかその声だけは、いかなる雑音にも遮られることなく、丁重に俺の元まで届いた。

 昼間に聞いたばかりの声。

 それは、深族の令嬢ベルゼヴィータのものだった。


「最後のご挨拶に来たわ」


この丁寧な出だしはシリアスさんの仕事……!

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