第四十一話 暫定、判定、残当!
新しい朝が来た。ヴァンサンカン屋敷での朝が。
「おはようございます、ご主人様」
「おはようございます、伯爵様」
起床時刻ぴったりに部屋を訪れた我が家のメイド、トモエとメリッサが、落ち着いた口調で挨拶してくる。俺は「おはよう」を返しつつ、行儀のいい二人だけの訪問者を見て小さく息を吐いた。
「アークエンデはまだああなのかい?」
「はい……」
少し寂しそうなトモエの返事に、俺は窓の外へと視線を向ける。目をすがめるほどのまばゆい朝にも関わらず、屋敷はどこか静かだ。彼女にこの光は届いているだろうか。
これで三日目になる。アークエンデが部屋に閉じこもってから。
あれからのことを話そう。
どでかい光の柱を生み出したアークエンデの魔力は、グラウンドを丸々呑み込んだ後、急速に収束した。
被害は、可哀想な魔力測定器君をのぞいて、ほぼなかった。全員が光に呑まれて吹っ飛ばされたかと思いきや、ふわっと浮かんだ後にそのままゆっくりと下降したのだ。
烈光とちょっとした浮力。それだけだった。
その後、俺たちを含む一部の勇敢な者たちが、爆心地を確認。
そこには皆に背を向け、自然と二つに分かれた髪をなびかせるアークエンデの姿だけがあった。なんか背中に『煉』の刻印が浮かび上がってたとかいう証言もあるが……俺は見てない。
最後に大混乱はあったものの、模擬テストはそのまま終了、解散となった。
元より閉会式のようなものがあるわけでもなく、開催側としてもとっととお開きにして人々を追い出したかったのかもしれない。
何しろ貴族ばかりが集まる場であんな事件が起こったのだ。あれこれ言われるのは目に見えてる。だがおかげで、俺たちも厄介払いしてもらえた。「あれは何なんだ?」なんて聞かれたとしても、俺の方が聞きたいよ……。
馬車での帰り道、当然のことながらアークエンデはへこんで反省しきりだった。
「お父様の顔に泥を塗ってしまいました……」と。
光の柱をぶっ立ててグラウンドを飲み込ませたことを、彼女はほとんど覚えていなかった。俺たちが説明してからようやく理解したくらいだ。以来ずっとこんな感じで、パンネッタとカグヨとのお別れも曖昧な形になってしまった。
「いやいや……泥どころか、箔が付きまくった気がするよ」
「テストは実力を測る場ですから。あれだけ全力を出せれば十分なのではないですか?」
「気にすることねーって」
と俺たちの必死のフォローにより、馬車での帰り道は何とか持ち直してくれていたのだが……屋敷に戻った途端、部屋に閉じこもってしまった。
一日中顔を見合わせている狭い馬車内で、陰気な空気を振り撒くわけにはいかないと、彼女なりに気遣ってくれたのだろう。どこまでも優しい子だ。
だからこそ、普段は朝から俺の部屋に押しかけるメイド長やソラやシノホルンが、今はアークエンデを看にいってくれているのだ。
「今日は確か、模擬テストの結果が届く日だったな?」
「はい、ご主人様。午前中のうちにお屋敷まで届く予定ですよ」
メリッサの言葉に俺は一つうなずき、
「じゃあ、そろそろ眠り姫にも起きてもらおうか」
※
アークエンデ抜きの朝食を済ませてから、俺は彼女の部屋を訪ねた。
「そろそろ後悔の種も尽きたろう。ベッドから出てこないか、アークエンデ」
「お父様……」
寝台の上で丸まった掛布団の塊が、彼女の声を吐き出してくる。
「今日、模擬の結果が届くよ。一緒に見よう」
「わたくし、お父様に……いえ、屋敷のみんなに合わせる顔がありません。きっとひどい結果ですわ。みんなで送り出してくれたのに。文通しているアルカナだって、わたくしをとても応援してくれていたのです……」
「わたしは、むしろ物凄く良い成績を残せたと思うけど」
光の柱の中に消えていって、その後、破片すら見つかっていないらしい測定器は気の毒だったが。
「いいえ。試験監督の方がおっしゃってましたの。魔力は暴力にあらず。使いこなせて初めて己の力として認められる……。自分でも何をしたのかわからないような力、わたくしのものとは認められていないはずですわ」
「では賭けよう。君が模擬トップの成績であることに、全財産」
「……もう、お父様ったら……」
少しだけ緩んだ彼女の口調に、俺は静かに語りかけた。
「アークエンデ、後悔というのは誰にでも、イヤほど押し寄せてくるものだ。どれも取り返しがつかず……ただそれを受け止めて悶えるしかない。そんな自分がイヤになる。でもね、これはみんなそうなんだ。そして自分だけが上手くいかなかったと己を責めてしまうのも同じ。俺も、たくさんした」
「お父様も……?」
「ああ。俺の後悔の大半が、君のよりもずっと低レベルで、くっだらないものだ。けれど俺には、もっと悔やんでも悔やみきれない後悔がある。……君にひどい仕打ちをしたことだ。たとえ君が許してくれたとしても、俺はそれを永遠の戒めとして生きていく。進んでいくしかないんだ。後悔も反省も糧にして。立ち止まれば、すべてが凍ったままになってしまう。誰も……この戦いからは逃げられない」
「…………」
もぞもぞと動いたシーツから、彼女の銀髪がのぞいた。
ボサボサの髪の隙間から、アークエンデの瞳がこちらを見ている。
「おはよう、アークエンデ」
「おはようございます、お父様……」
目が笑ってくれた気がした。
と。
「お嬢様、伯爵、模擬テストの結果が来たぜ」
扉のむこうからオーメルンの声がした。それを聞いたアークエンデはさらにシーツの中でもぞもぞと動き、
「……準備をいたします。お父様は、ご自分のお部屋で待っていてください」
身支度を整えたアークエンデが俺の部屋に現れたのは、それからすぐのことだ。服装はもちろん、髪までしっかりとかした凛とした姿。いつもの彼女だ。
一方で俺が座る机のまわりには何というか……屋敷の全員が集結していた。見習いメイドさんたちも含めて全員だ。
部屋に現れたアークエンデに、俺をのぞく全員が真剣な表情でうなずく。アークエンデもそれに勇ましくうなずき返す。……これからみんなでラストダンジョンか?
「お嬢様とオーメルンに、それぞれ一通ずつ結果が届いています。が、まずは、お嬢様宛てのこちらをご覧ください」
机から少し離れて傍観者気取りのバスティーユが、二通の手紙を彼女に差し出した。
「これは……パンネッタとカグヨからですわ!」
どヘコみしていて満足にお別れもできなかった二人からの手紙。アークエンデの決戦前夜の顔に、ようやく柔らかさが戻る。
手紙を開いたアークエンデが俺の隣に来て、一緒に読ませてくれた。
――親愛なる友人アークエンデ様へ。
そんな出だしから始まり、流れるように時候の挨拶へと繋がっていく。領主の娘らしい美しい文字と文章だ。とんだクセつよの二人だが、こういうところで品の良さが出る。だが、パンネッタもカグヨも大人しいのは揃って見事にここまでだった。
そこからは突然砕けた文体になって、「勝ったと思うなよ……」とか「あんなのハメでしょ? わらわのシマじゃノーカンだから」などなど、最後の見せつけられた魔力量に対する負け惜しみの数々が、所狭しと書きつけられている。
……あれを見てビビるどころか逆に発奮するあたり、この子たちも相当だな……。
そしてそれがアークエンデにも良い影響を与えたらしく、彼女の表情は終始にこやかだった。
やっぱな、友達なんよ。
家族同士だと、些細な励ましすら真面目な話になっちまう。友達同士だからこそ、笑い飛ばせる暗い空気もある。彼女たちと仲良くなれたのは、きっとこの模擬一番の収穫だった。
ただ……二人とも、追伸に気になることを書いていた。
――調べたところによると、怪盗貴族なる優雅で高貴なお方が初めて現れたのは、あなたのヴァンサンカン領だとか。そう言えばあの方も銀髪で、アークエンデたちと一緒。そちらの領地にゆかりのある可能性大です。というわけであの方について調べるため、後日そちらにうかがいます。客室を掃除して待っていなさい。
……要約するとだいだいこんな感じ。最後の図々しい注文までぴったり一致とか、同じ部屋で書いたんか……?
『…………』
……なんか、周囲から視線が集まるのを感じる。疑惑のような、あるいは責めたてるような……。
か、怪盗貴族? へー? そんなヤツがこの子たちの前に現れたんだ、ふーん? ぼくはなにもしらない。
「? 何のことなのでしょう?」と、アークエンデが首を傾げていたのだけが救い。
「まさかあの二人、同じ日に来たりしねーだろうな……」
オーメルン、余計なことを言うんじゃない。ホントになるだろ……!
そうして、ちょっと冷や汗をかいた前座は終了。
「では、そろそろ結果の方を」
バスティーユが机の上に二通の封書を置く。
全員がゴクリと喉を鳴らす。
「じゃ……まずはオレから」
オーメルンが手紙を取った。
朝食までは気にした様子もなかったのに、場が無駄に緊張しているせいか、彼の声は少し強張っていた。
封を切り、折り畳まれた中身を取り出し――バン! と勢いよく机に叩きつける。
全員の視線がそこに集まる。
判定は――。
『A!!』
わあっと周囲が華やいだ。メイドさんたちは揃って大喜び。「よっし!」とオーメルンも拳を握って喜びを露わにする。なんだ、しっかり嬉しそうじゃないか。当然だよな。
「こらオーメルン、喜んでばかりもいられんぞ」
笑顔を見せつつ、メイド長のユングレリオが軽くたしなめる。彼は、総合結果の後に記されている詳細を指さし、
「筆記試験はいずれもC判定。実技がずば抜けて良かったからAが付いたものの、座学は今後の課題であるぞ」
「はい、わかってます。暗記は良かったけど、詩の読み解きとか頭使うところじゃ結構詰まったから……。けど、オレの技が認められたのが一番嬉しい……!」
「ああ、よく頑張ったなオーメルン」
俺はオーメルンの頭をガシガシ撫でてやった。オーメルンは照れくさそうに頬を赤くして、「へへ……父さんの弟子なんだから、当たり前だろ」なんて笑ってた。可愛いやつめ!
この結果は暫定的なものでしかない。オーメルンたちの本試験は年単位で先だし、それまでいくらでも変化はあり得る。それでも、初めての大がかりなテストで好成績を残した。それは偉い、嬉しい!
そして……いよいよ次はアークエンデの番だ。
「筆記は、一教科目以外はできてたんだよな?」
自分宛ての結果通知を仇のように見つめる彼女に、問いかける。
「は、はい。後で自己採点してみましたけれど、八割九割方は……」
「それはすごいな。教えたボクも鼻が高いぞ」
ユングレリオが朗らかに言う。
魔導実技でも、すべての課題で好成績を叩き出している。となると、やはり気になるのは最後のアレ。
「ちなみに消し飛んだ計測器に関しては、我が領の金庫から弁済しておきましたので、その被害を元に減点されることはないと思われます」
バスティーユが言ってくる。室内のテンション、にわかにアップ。
「あっでもね、ハゲ言ってた。魔力が強くてコントロールできないヤツが一番ダメって。色んなものを吹っ飛ばすから。わたしもね、ハゲ吹っ飛ばして怒られた! へへ!」
ソラが言ってくる。室内のテンション、わずかにダウン。
「そ、それでも、アークエンデさんの頑張りは伝わっているはずです」
シノホルンが励ます。
「こればかりは規則にもあるまい。試験監督の心象による……」
ユングレリオが慎重論を投げる。
ついにはメイドさんたちもガヤガヤと言い始める。アークエンデの気を紛らわせたいのはわかるが、このままでは埒が明かない。確かめる方法は、当然一つ。
俺は結果通知の封を切った。
誰もが息を呑む中、中身を机の上にさっと置く!
偶然にも俺の手は、一番肝心な総合結果の部分を隠してしまっていた。
細かなテスト結果が先に目に入ってくる。
……どれもAだ!
ほぼすべての科目で、アークエンデは合格予測が出ている。オーメルンには弱点だった筆記テストも、大失敗だった一教科目すらBを死守して死角なし。これは総合A判定間違いなし!
わあっと、屋敷の人々が歓声を上げる。
「おめでとうございます、お嬢様!」
「おめでとう!」
メイドさんたちから次々に祝福され、アークエンデの表情も明るく輝く。
「ありがとうございます、みんな。ありがとう……!」
ここ数日元気がないことを、誰もが心配していた。それくらい、彼女は皆に愛されていたのだ。愛らしく、気高く、偉ぶったりしなければ、メイドをいじめたりもしない。まるで主人公みたいな女の子。それが今、鬱屈した空気を完全に吹っ飛ばした。これが嬉しくないはずがない。これが……愛されているということ。
しかし。
「ん……? 何だこれ?」
オーメルンが何かを見つける。それは詳細の一番下にあった項目。
魔力総量――『Z』。
Z……。
誰もがその見慣れない文字を見つめ……そしてバスティーユを見た。
「何か?」
「いや……別に……」
全員で慌てて目を逸らす。
このZは……どういう意味だ? 計測器を消し飛ばしちゃったから、計測不能で0点? それとも数字を超えた「最悪」って意味のZ……?
これまで祝賀会ムードだった机周辺は、一気に混迷を帯びてきた。
誰かさんの持つZは、他がどんなに優秀でも、それただ一点ですべての美点を帳消しにしてしまうほどの威力を持つ。すなわち……“不適格”。人として。
だとしたらアークエンデのこれも……だがそんな成績聞いたことないし……。
すべては俺の手が隠した総合結果にかかっていた。
ゴクリ……と屋敷中の目が一点集中する。
「お、お父様……よろしくお願いしますの……」
「あ、ああ……。じゃあ、いくぞ……! せーの……!」
俺はパッと手をどけた! 全員が一斉に身を乗り出す!
そこには!!!
――あなたの判定は『破壊神』です。元の世界にお帰りください……。
「フニャーーーーーー!!!!!!」
アークエンデは悲鳴を上げて、俺のベッドの中に頭から滑り込んでいってしまった。
何だこれは……どうすればいいのだ!?
合否判定じゃないだろもうこれ! 称号!? 格付け!?
「はっはっは! もはや試験では計り知れないと出たぞ。これは愉快!」
ユングレリオが呵々大笑すれば、
「お嬢神様、どうか伯爵様のベッドからお出になられてください」
「ナニトゾー、ナニトゾー」
ベッド脇に跪いたメイドたちが、隠れてしまった神に祈りを捧げている。
ええい、何だこのノリは。メイドの教育課程にはボケとかノリまで含まれているのか?
「わたし知ってる! ケチハゲ言ってた! 破壊神って『らすぼす』なんだよ! アークエンデは『らすぼす』! 強くて偉い!」
ポンポンとシーツの中で丸まったアークエンデを叩くソラ。
そうだな。ラスボスだな。いやそうさせないために俺がいるんだけど。
「なんだ、強そうでいいじゃんか」
「お、女の子が強そうなのはどうなんでしょうか……」
「あーっ司祭様、古いんだ。今は強い女の子の時代なんですよ」
「そ、そうです。ご主人様も、認めてくれます……!」
オーメルンもシノホルンも、メリッサもトモエも、好き勝手言っている。
だが、誰一人、この結果に悲嘆している者はいない。
バスティーユが成績Zの部分を見て鼻で笑っているが、これもアークエンデに向けてというより、計る者たちの程度の低さを小馬鹿にしているふうに見えた。
これでよかったんじゃないだろうか。
良いとか悪いとか、そういうありきたりな判定すらぶっ飛ばしてしまう我が家のお嬢様。髪で羽ばたいたり、屋敷を植物で覆ったり。そんな驚きに世界も巻き込まれろと。
そんな彼女が、俺たちは大好きだと。
これにて、我が家の模擬テスト騒動は終わり。平定!
明日からはまたいつもの日常が帰ってくることだろう。
あの悪役公女二人については、ちょっと身構えておかないといけないかもだが……。
まあさすがに、反対の位置にある領地から同じ日にやって来るなんてこと、そうそうないだろう。
……ないよな?
ちなみにアークエンデはわりと本気でこの判定がイヤだったらしく、これより数日間、「破壊神ですけど何か」とふて腐れた顔で周囲を威圧するのだった……。
ヴァンサンカン特産品
・トメイトウ
・メイド
・破壊神 new!




