第三十八話 怪盗貴族、快特帰還
アークエンデには何でもないと告げ、ひとまず模擬の方に集中させる。
俺は周囲を調査した。
校舎内へと避難した模擬テスト参加者たちが集まっていたのは、空の様子がよく見える窓際。その背後側、つまり廊下にかすかな香りが残っていた。
これは……〈ドッペラドンナ〉!
かつてシノホルンの教会に忍び込んだ泥棒を、俺が夜警まで誘導した盗賊道具だ。
残り香にはさらに別の匂いも混じっていた。わずかに甘く……郷愁を誘うような。思考の一部が緩むのを感じ、俺は慌てて顔を引いた。ある種の催眠効果のある薬らしい。
「やっぱりいないよなぁ」
ふと、そんな声がして俺は振り返った。教室から廊下を覗いている少年がいる。彼の隣の人物がたずねる。
「何が?」
「いや、さっきウエンジットの子が“お父様がいる”って言って、ふらふら出てったんだよ。あの子多分、領主の子だぜ。だとしたら人狼公ってことじゃん。でも、こんなとこにいるわけないよなあ」
「見間違いなんじゃないの?」
「――君たち」
彼らは目撃者だ。俺は二人に声をかけた。
「その子がどこに行ったか、わかるかい?」
「えっ、そっちの角を曲がっていったような……」
「ありがとう」
俺も一応紳士の装いをしているので、不審者扱いはされなかった。言われた通りに移動してみると、さっきの匂いが少しだけ強くなるのがわかった。
……このあたりに大元が仕掛けてあったな。
これは多分、人に偽りの幻を見せるための香りだ。郷愁……過去や、あるいは自分のルーツに関わる人物。パンネッタが父親の姿を見たように。きっとカグヨも同じ手口でおびき寄せられた。
今は何も残っていない。この匂いも常人では気づけないほど薄い。
まずい……この手口。鮮やかすぎる。
俺の感覚だと、賊のやり口は総じて粗い。仮に上手くやるヤツがいたとしても、そいつはきっともっと自分に酔った特徴的なやり方をする。
これはそのどちらでもなかった。必要十分の誤差、プラスマイナス共にゼロ。正にすべきことを過不足なくやり遂げて姿を消している。機械のように正確な……これは正規の訓練を受けたレンジャーだ。
「伯爵、どうしたんだ?」
不安げな呼び声があった。オーメルンだ。すでに何かを察している顔。
「オーメルン。二人が攫われた」
「マジかよ、いつの間に……クッソ!」
荒っぽく廊下を蹴り飛ばす。
「落ち着け。相手の目的がわかった。二人を攫って、そのことでウエンジット騎士公に恥をかかせようとしている。そうして求心力を奪おうと企んでるんだ。細かいことは省くが、あの子たちがそこまで危険な目に遭う可能性は低い」
「本当だろうな……」
「俺はヤツらを追ってみる。テストが終わるまでに二人を連れ戻せれば、相手の計画を失敗させられる」
「じゃ、じゃあオレも」
「いや、おまえは残れ」
「何でだよ!」
不満を爆発させる彼に俺は静かに告げた。
「アークエンデを頼む」
「!」
「万が一に備えてくれ。あの子が俺にとってどういう存在か、おまえならわかるはずだ……」
「……わかった。お嬢様を守るよ。絶対、二人を助けてやってくれよな」
コンと拳をぶつけ合って、俺たちは二手に分かれた。
よくできた子だ。俺に似ないで。
正直に言うと、アークエンデに魔の手が及ぶことはまずないと思っていた。オーメルンをここに残すための方便だ。相手はプロのレンジャー。どんな搦め手を使ってくるかわかったもんじゃない。竜の血で強化されていても、オーメルンでは経験が乏しすぎる。……まあ俺が経験豊富かっていうと、全然そんなことないけどな……!
とにかく追いかけよう。スピード勝負だ。
実技テストが終わるまでに二人を連れ戻し、しれっと参加させられたら俺たちの勝ち。二人がいなくなったことがバレて失格や騒ぎになったら、誘拐犯たちの勝ちだ。
「くそ、匂いが薄い……」
俺は廊下を抜け、学校の裏門へと出ていた。
風もない穏やかな天気。雨がすぐに上がってくれたのはまだ幸運か。
誘拐は使った香はとっくにフタをされたのだろうが、二人にまとわりついた匂いがまだ空気中をさまよっている。しかし、空気が動かない校舎内ならまだしも野外では長持ちしない。
「ん?」
ここで俺は別の匂いを嗅ぎ取った。パンネッタの匂い……ではなく、これは彼女が今日も胸に差していた“人狼公花”の匂いだ! 名前に違わず凛とした香り。外の空気の中にもしっかりと足跡を残している。これなら追える!
彼女のオシャレが彼女自身を救った。一筋の残り香を手掛かりに俺は走った。
お嬢様二人を連れ歩くのは目立ちすぎる。馬車か何かに押し込まれたはずだ。そのまま町の外へ? いや、首謀者は土地勘がある。町の中でもいい隠れ場所を知っているはずだ。……そう願いたい。
懸命に追跡を続けると、やがて人気のない寂れた区画に来た。家はどれも手入れが絶えて久しく、生活感がない。空き家ばかり。
人狼公花の匂いは、古びた二階建ての建物へと続いていた。
あそこだ、間違いない……!
早速近づこうとしたところで、入り口から人の顔がのぞき、俺は慌てて物陰へと引き返した。
見張りか。当然か……。
俺は正面からのドンパチには向かない人だ。できればこっそり侵入し、二人を救出したい。ついでに身元も隠して。
「還るか、あの姿に……」
協力者側のレンジャーが持ってきた怪盗貴族のマスクを装着する。これで身バレに関しては安心。ウエンジットの内部闘争にヴァンサンカンの領主が絡んでるとなったら、どんなこじれ方をするかわかったもんじゃない。
入り口からお邪魔するのは避け、周囲の屋根伝いに二階へと近づく。
窓からのぞいた室内はがらんとして家具すらない。二階は一部屋だけのかなり広い作りになっている。慎重にいくつかの窓から確認したところ……。
「!!」
いた! パンネッタとカグヨだ。
「ムー! ムー!」
「ウー!」
二人は手足を縛られた上、猿ぐつわを噛まされていた。しかし彼女たちには魔法がある。なのに猛然と唸るだけなのはどうしてだ……?
「何度足掻こうと無駄だ。その首輪がおまえたちの魔法を封じている」
おっとぉ……!?
俺は慌てて窓枠から頭を引っ込めた。室内に男がいる。
「ムー!!」
パンネッタがうめいた。魔法を封じる首輪だと……? 見れば、確かに二人は犬のような首輪をはめられている。
「魔法さえ封じちまえば、気の強い単なる小娘だよなあ。へへへ……」
さっきの発言とは違う、粗野な声が聞こえる。こちらからは死角で見えない。部屋に何人いるんだ、クソ。
「魔導士用にこんな便利な道具があるなんて知らなかったぜ。おれも一つほしいな」
「あの男が持ってきたものだ。オレたちが手に入れられるようなものではない」
「ああ、やっぱりか。レンジャーの秘密道具ってやつ?」
「余計なことは言うな。それより、オレは少しここを離れる。二人を見張っておけ」
「へーい」
「……くれぐれもおかしな真似はするなよ。彼女たちを傷つけることは許可されていない」
「……へーい……」
足音。扉が開く音。……一人出ていった。気配からして部屋にいるのは今の二人だけか。なら後は、もう一人も何かの用事で扉の外に出てくれれば……。
「……へへへ」
いやらしい笑い声がした。
「何が、傷つけることは許可されていない、だよ。どこのお偉いさんに雇われたか知らねえが、人攫いの片棒担いだ時点で何をやっても同じ穴の狢さ。ぐへへっ」
『!!』
パンネッタとカグヨが体を硬くする。
「人狼公の娘は確かにちとアレだが……イルスターの娘なら、ヤツらもそうもんくは言えねえだろう。所詮、敵の子だ。あーあ、見張りなんて退屈だよなぁ~。まだガキだが、ちょっとくらい楽しませてもらっても罰は当たらないよなぁ~」
「ムー、ムーッ!!」
男が近づいてくる。パンネッタが、必死にカグヨにかぶさるようにして、彼女を守ろうとする。カグヨはそれを押しのけようとしながら、懸命に男をにらみ返した。しかし男は意にも介さず、その下劣な手を彼女へと伸ばし――。
「――待てい!!」
「なっ、なにやつ!?」
朗々と響き渡る声が、その邪な男の目論みを阻止した。
「家族を想う心につけ込んで少女たちを攫い、お互いを守り合おうとする健気な姿を前にも、あくまで欲望のまま動こうとするその姿勢、言語道断! 人間のクズがこの野郎!」
「どこにいやがる、名を名乗れ!」
「おまえに名乗る名前はない! だが便宜上こう呼べ!」
バァン! と部屋に複数ある窓がすべて開く。
そんなものを見たら、普通の人間は唖然として停止する。その気を取られた瞬間、天井を突き破って落下した俺のドロップキックが男の顔面にクリーンヒットした。
「――怪盗貴族である」
俺の両脚に顔面を埋められた男は、返事もなくゆっくりと崩れ落ちた。
――決まった……!
「何だてめぇは!」
「侵入者だ! やっちまえ!」
あれっ!? 部屋の扉から追加で敵が入ってくる!
あっ、そっかぁ……。あんだけ騒げばそうもなるかぁ……。
「ンー! ンー!」
パンネッタとカグヨが口々に何かを叫ぶ。俺に危機を知らせてくれているみたいだった。肩越しに振り返り、優しく微笑んでやった。もう大丈夫だと。
そして迫りくる男たちと対峙。
男たちはナイフを振り回してきたが、盗賊の眼と竜の血を持つ俺にはかすりもしない。
すれ違うたびに、相手の手足に不可視の糸を絡みつけていく。
そして三人を通り過ぎた時点で、グッと気合注入!
「うげっ!?」
男たちは人質以上に厳重に縛り上げられ、その場に転がった。
「なんだこれは!」
「動けねえ……!」
「そこで大人しくしていろ。後で警察に突き出すからな」
そう告げて、俺はすぐに公女二人へと駆け寄った。
ひとまずその苦しそうな猿ぐつわを外してやる。
「二人とも……あーオホンオホン、二人とも大丈夫かい?」
俺はできる限りダンディっぽい声で話しかけた。普通にしゃべったらこの二人には丸わかりだ。
「はい……大丈夫ですの……」
ん……? なんか元気ないな。例の香の効果がまだ残ってるのか?
と思ったら、二人とも何やらポーッと顔を赤らめてこちらを見ている。
「悪党三人を相手に一人で立ち向かい、あっという間に勝ってしまうなんて……」
「カッコイイです……」
なに!? カッコイイ!?
「あ、あの、お名前は? わらわはカグヨと申します」
「あたくしはパンネッタですの!」
「ええと、怪盗貴族、です……」
「本当の名は教えてくださらないんですね。それでも、わらわたちを助けてくださったことに変わりはありません……」
「素敵ですわ……!」
こ、これは……。
どうやら彼女たちは怪盗貴族の活躍に一目惚れしてしまったらしい。
そういやこの子たちの好みって、多数が相手でも恐れを知らないツエーヤツだったっけ……。
ま、まあ今はいいや。変に怪しまれるより、この方がスムーズに助けられるでしょ。どうせ怪盗がこの子たちと会うのはこれが最初で最後だ。
二人の手足を縛っているロープを切り、その後すぐに魔法を封じているという首輪も外そうとする、が……。
「何ですのこれ、外れない……」
「硬いです……!」
俺や二人がどう頑張っても、首輪は外れなかった。形状としてはペットにつける首輪と同じなのに。
「――そいつはなぁ、ちょっとやそっとじゃ取れねえようにできてんのよ」
『!!』
弾かれるようにして俺たちは振り向いた。
その男は、いつの間にか部屋の中に入り込んでいた。
壁に背を預け、腕を組んで、獰猛な笑いを浮かべながら。
鮮やかなブルーのヘアバンドで髪を押さえた、鋭角的な形の男だった。年のころは俺とそう変わらない二十代前半あたり。背丈もほぼ同等で、しかし手足は妙に細く長く感じる。右腕だけが拳一つ分長い。
毛皮の腰巻やケープはどこか狩猟民族を思わせた。その眼差しもまた、狩人と呼ぶに相応しい鋭さだ。この男は……?
「アンサー! 来てくれたのか!」
転がっていたゴロツキの一人が喜びの声を上げるも、
「どこまで役に立たねえんだよ、てめぇらは。傷一つなく丁重にラッピングされやがって」
男――アンサーと呼ばれた――の振り放ったブーツのつま先により、鼻血を飛ばしながら数回転がって白目を剥いた。
「だが……おかげで面白れぇ技を見せてもらえた。何だ、この蜘蛛の糸みてぇなのは? 何もない所から突然現れたように見えた。ハン……それに、怪盗? 確かにさっきのは賊の動きだが……そんな愉快な生き物がまだこの世に存在してるとはなァ」
くつくつと笑いながら、あくまで俺を見据えてくる。自由になった公女二人ではなく。
何かおかしいと思ったがこいつ……瞳の色が、一つの瞳の中で左右に分かれてる。青と、赤に。
何から何まで異質だ……。しかし何より異常なのはこいつの纏う空気。視覚では捉えられているし、声も聞こえている。なのに気配がない……それに匂いも。見ている分にはこれだけ特徴が多い男だというのに、一瞬でも目を離したら、もういないも同然に思えてしまう。
まるで真昼の亡霊。
間違いない。こいつが二人を攫ったレンジャー……!
貴様らに名乗る名前はない! ドーモ! カイトウ=キゾクです!




