第三十六話 なんやかんや、決戦前夜
「それでは行って参ります、お父様!」
元気ハツラツ、完全に本調子を取り戻したアークエンデが校門前でそう声を張る。
大衆食堂から始まった彼女の発光はチカチカと点滅を続け、いまだに周囲の人々をビビらせているが、本人に気にした様子はない。
頼むから筆記テスト中は治まってくれよ、つまみ出されるから……。
廊下につまみ出されつつも得意げに光り続けている彼女を想像し、俺はわりとシャレにならんと思った。
「君たちも頑張ってね」
「なんで伯爵様があたくしたちまで応援しますの? でもまあ、やりきってみせますわ」
「言われるまでもありません。今すぐにでもユングラントに入学できることを証明してあげます」
律義に返事をしてくれるパンネッタとカグヨも含め、子供たちは四人並んで校舎へと入っていく。何だかんだで有意義な昼休みだったと言えた。
これまで黙って影に徹していたバスティーユがぼそりと口を開いた。
「なるほど。まだ猜疑心の薄い子供を手懐けることで、両騎士領の獅子身中の虫とする作戦ですか。悪くありません、旦那様」
「相変わらず人聞きが悪すぎんだろ……」
「ゴホン。……まあ、同世代の子供たちが友誼を結べば、微力かもしれませんが未来への友好の懸け橋となるかもしれません」
「それを先に聞きたかったよ」
「――ありがとうございます、伯爵」
その最後の言葉はバスティーユのものではなかった。
軽薄な、捉えどころのない声。
しかも俺の耳には聞こえつつもバスティーユには聞こえていない様子だ。こんな妖しげな技を使えるのはヤツしかいない。
目の動きだけで相手を探す。
校門前に集まった見送りの人垣の中に、それらしい人物を見つけた。ジャケット姿の若い紳士。山高帽を目深にかぶっているせいで目元までは見えないが……付き添い人たちが心配そうに校舎を見つめる中、一人だけ横顔が微笑んでいる。空気もどこか異質だ。
「あなたのおかげで陰謀・昼の部は見事に頓挫しました。まさかあんな方法でお子らを従えさせるとは。噂にたがわぬ辣腕です」
「どんな噂だよ……」
唇の動きだけでつぶやいてみたが、男の微笑みが一段階深くなったのがわかった。読唇術か、これは。
「しかし彼らは引き続きお二人を狙うようです。家に帰るまでどうかエスコートをお願いします。説明は夜に必ず……」
そう言うなり、男はきびすを返した。歩いてくる一人の影に潜り込んだと思ったら、その姿はもうない。……あの男、声は聞こえるのに唇はまったく動いていなかった。ここまで来ると同じ人間であるかも怪しい。
……夜にもう一度か……。
※
「……なにわらわに手を振ってるんです?」
最後に出てきたカグヨに手を振ったら、この反応。
模擬初日の筆記テストをすべて終え、解放された顔の参加者たちが昇降口から流れ出てくる中、俺たちは校門前で彼女をずっと待っていた。
「ちょっと、遅いですわよカグヨ。テストが終わったらすることないんだから、さっさと出て来なさいな!」
ともんくを垂れたのはパンネッタで、
「あなたこそ、何で伯爵と一緒にいるんです?」
と呆れ顔を返されるこちらは、俺たちヴァンサンカン一行にパンネッタを加えた計五人。カグヨを加えたら昼休みのメンバーが再集結という様相だった。
「どうせ同じホテルに泊まってるんだし、一緒に帰ろうと思ってね」
そう俺が話すとカグヨは露骨に眉をひそめ、
「は? そんなことに何の意味が? 慣れ合いはやめてください」
「別にいいじゃありませんの! 同じ鉄板の肉を食べた仲ですわ!」
「あなたなんてホテルじゃなくて家に帰るだけじゃないですか……。はあ、もういいです。断ってもどうせついてくるつもりでしょう。一緒に行きます」
わざとらしいため息をこちらに吐きつけた上で、イルスターからの付き添いへと手のひらを向ける。俺はその人物に挨拶代わりの目礼しつつ、子供たちをつれて歩き出した。
「あなたも大変ですね。お父様の変なお節介に付き合わされて」
カグヨがアークエンデにそんなことを吹き込んでいる。しかし彼女は平然と、
「お父様のなさることに悪いことはありませんわ。今までもそうでした、これからもそうです」
「ふーん……。悪いことではないですか……。ふーん……」
何ですかカグヨさんその目は。やめてくださいよ、まるで俺がすでに悪いことをしてみせたみたいじゃないですか。
が、同じく脅迫された(と思い込んでいる)もう一人、パンネッタは、楽しげにオーメルンに話しかけては、昼前に本人が危惧した通り、次々切り替わる話題のスピードで彼を振り回している。
どうやら少し打ち解けるとそこから一気に心を開く性格らしく、この帰り道のエスコートに関しても、校門で軽く呼び止めただけで「あら、待っててくださったの?」なんて向こうから寄って来てくれて大変助かった。彼女だけが家から通っているので、帰り道が別なのだ。
町も明るい人が多いし、この馴れ馴れしさがウエンジットの風土なのかもしれない。
「ねえカグヨ、午後のテストはいかがでしたの? あたくしはもちろん楽勝! フフン!」
「ふっ、誇るのも躊躇われるほど余裕でした。アークエンデさんは?」
「復活したわたくしの前に死角はありません。無敵ですわ」
「おい頼むからもう光んないでくれよ、まぶしいから……」
歩いているうちに子供たちは自然に四人で会話を回しており、なんだかずっと前から友達だったようにも思えてくる。
何だか嬉しいな。こうして子供たちが打ち解けていく様子を見られるのは。
こんな子供たちが誘拐犯に脅され、怯える姿なんて見たくはない。絶対阻止だ、阻止。
「それではまた明日、ごきげんよう!」
もう完全にスクールメイトのノリで、パンネッタがホテルの前で手を振った。
「ええ。パンネッタもよくお休みになって」
とアークエンデが返せば、
「まあ、実技に向けて気晴らしになったと言えばなりました。それではまた明日です」
素っ気なくホテルへと入っていくカグヨの足取りも、さほど不機嫌ではない。
さてと……。
「アッソウダ!(唐突)、実はユングレリオ陛下に頼まれていたことがあったんだ。ちょっと済ましてくるから、皆は部屋に戻っていてくれ」
「伯爵、もうちょっと普通に話す努力しなよ……」
「ぐっ……余計なことを言うなオーメルン。とにかく少し出てくる。すぐ帰る」
子供たちからの粘つく視線を振り切り、俺はホテルを出た。
パンネッタが去っていった方角へと急ぐ。このあたりは人通りは多いし、彼女も有名人だ。悪者が行動を起こすのは不可能。果たして彼女の背中はすぐに見つかる。
スキップするようなご機嫌な歩みで、通りを進んでいる。
通りの店先にウインドウショッピングの目を飛ばしつつ、やがて一軒の前で立ち止まった。
花屋だ。彼女はそこで一輪の花を購入した。
初めて会った時にも胸に差していた、稲光みたいな形をした花だ。
遠くから名札を眺めてみると、『トネルの花(人狼公花)』とある。何のことだろう。公の文字が入っているから、誰か偉い人にちなんだ花だろうか。
瑞々しい黄色い花を身に着けたパンネッタは、さらに上機嫌になって歩いていった。
やがて通りから人気がなくなる。この独特の静けさは貴族街、ここでは騎士街といったところか。
さすがにここからの尾行は目立ちすぎるので、不可視の糸を彼女に絡ませた。完全に曲がり角一つ分距離を空け、この糸の感触のみで安否を確かめる。
結果、何事もなく彼女は家に入っていった。
このあたりでは一際大きな豪邸。彼女の父にして領主であるウエンジット騎士公の邸宅に違いない。無事送り届けた……!
「ふーっ、セーフ……!」
「いやアウトだろアンタ……」
後ろから突然声をかけられて俺は飛び上がった。
振り返った先にいるのは……オーメルン!?
「どこに行くのかと思えば、よりにもよってアイツの尻追っかけてるとか……何考えてんだ、一体?」
「こ、これにはワケが! 決してやましいことではなく!」
彼の壮絶な呆れ顔に、俺は必死の抵抗を試みた。いけるか? いやダメかコレ? 明らかに小さな子を追い回すストーカーか?
しかし彼は深い深いため息をつき、
「んなこたわかってんだよ。オレに後ろ取られて気づかないくらい、何一生懸命になってるんだってこと」
「へ?」
「言えよ。オレだって、その……父さんの弟子なんだぜ。なんかまた事情があんだろ?」
不満そうな顔は、俺が誰にも打ち明けずに行動していることへの反発だったらしい。ここでまだ白を切るのはこの子を……いやこの男を信頼していない証拠として伝わってしまう。そう思った。
「実は……パンネッタとカグヨが誘拐されるって情報を受け取った」
「……マジか」
一笑に付しもしない真剣な顔で受け止めるオーメルン。
「正直、眉唾だ。出所も曖昧……だが俺にそれを伝えた男はどうやらかなり腕が立つらしい。つまらん冗談を言わせるには役不足だ」
「そうか……。それで伯爵は、あの二人を変に連れ回してたのか」
「ああ、そうだ」
俺はうなずいた。やっぱり変だとは思われていたらしい。
「はあーっ、そういうことは早く言えよな。オレはてっきり……」
「へ?」
「なっ……何でもねえよ! それより、これからどうすんだ?」
「家と学校とホテルは大丈夫そうだ。問題は外だな。俺はできるだけ二人を見ておくつもりだが……」
「なら、学校の中ではオレが注意しておく。明日の実技は校庭でやるそうだから。つっても、レンジャー技能と魔導実技は場所が違うらしいから、どこまでやれるかはわかんねーけど……」
真剣な顔つきで言ってくれるオーメルン。
「助かるよ。でも、おまえもテストがあるんだから、無理はするなよ」
「バッカ、模擬なんかどうでもいいーだろ。んなことより二人の身の安全だ」
こいつ……いい男だな。彼女たちの性格については散々もんく垂れてたのに、危険となればこの対応だ。模擬テストとはいえ、オーメルンだってこのひと月懸命に準備をしてきた。それを何の躊躇いもなく捨てられるのは、一人の男としてカッコイイと思う。将来どんないい男になるか、今から楽しみだった。
それから俺たちは揃ってホテルへと戻った。
一人取り残されていたアークエンデはひどくご立腹で、「なんで別々に出ていったのに二人揃って帰ってきてますの」とチクチク目線を刺されはしたものの、帰り際に買っておいたカラフルなマカロンのおかげで信頼回復。
はー、彼女が好きそうなお菓子が道中で見つかってよかった。おやつの豊富なヴァンマーニュ様様だ。
そして、約束の夜――。
一旦ベッドに入る素振りを見せつつ、俺は部屋に備え付けられた小さなバルコニーで、相手からの接触を待っていた。
ふと、小さな石がぶつかるような、かすかな音がした。
目を向けると、手すりに何かが引っかかっている。
ウサギの耳を模した釣り針――これは……!!
「こんばんは、伯爵。いい夜ですね」
釣り針が震え、軽薄そうな男の声がする。昼間のあいつだ。
「……盗賊だったのか……?」
俺がそう吹き込むと、向こうからはわずかな失笑が漏れ、
「やだなぁ。何も賊だけが使える道具じゃないでしょう。一応、もう少しまともな人間ですよ、多分」
改めて針を観察すると、装飾は俺のよりどこか細かく豪華……。裏街道の職人が作った怪しげなものとは雰囲気からして違う。
まるで真っ当な正規品。万人に認められた仕事道具。
「まさか……」
王様の泥棒。
レンジャー……!
「たどり着いたようですね。しかし、答え合わせはしないことにしましょう。私の正体なんて知らない方が、いざという時にあなたを守れますから」
本物なのか。俺のようなケチな泥棒とは訳が違う。王国が技術と知見の粋を集めて生み出した王立特殊部隊。こういう時、公的な組織はなんかヘッポコというイメージがあるが、俺の賊としての感覚が叫んでいる。こいつはガチでやる……!
「日中はご苦労さまでした。おかげさまで本日の陰謀は挫かれましたよ」
「続きはまた明日?」
「そうそう、その調子です」
コイツ……。
「しかし、あなたの助力のおかげでこちらもわずかですが余裕ができました。約束通り、聞きたいことがあれば、ある程度はお話しますよ」
「敵の正体を」
俺は間髪を入れずにそう聞いた。盗み聞きの針が忍び笑いに震える。答えも率直だった。
「相手はウエンジットの強硬派。それも有力な騎士家が多数です」
「なに……? 自分とこの領主の娘をさらおうとしてるのか?」
思わず目を丸くした。てっきり、両騎士領を不仲にさせたい何者かかと思っていた。すでにどうしようもないほど不仲という説は置いとくとして……。
「彼らの目的は、ご令嬢二人の身柄ではありません。真の狙いは、“人狼”トネルーガ・シル・ソル・ウエンジット騎士公」
「!」
娘ではなく、父親……領主本人!?
それに人狼という言葉は、昼間どこかで見たような……。
ああ、そうだ。パンネッタが胸に差していた花だ。あれは領主にちなんだ花だったのか。
「――模擬テスト中にご令嬢を二人も誘拐された警備の不手際。しかもそれが武で知られ、因縁浅からぬイルスターとウエンジットという痴態。この恥ずべき事態にどう責任取るおつもりか……そう言ってトネルーガ公から人心を遠ざけることが、強硬派の真の狙いです」
「つまり……権力争いというやつ?」
「その通り」
俺は呆れた。ここでもそういうことをしているのか。
「強硬派からハメられるということは、ウエンジット騎士公は穏健派なのか?」
「いえ、どちらかと言えば強硬派、むしろその中核の一人です。しかし、指導者が自分の意志を思うがまま振りかざせばどうなるか熟知している。領内の分裂や離反を防ぐためにも、自身は中庸の立場を取らざるを得ない……」
どちらにも叩かれるが、自分が憎まれ役になることで決定的な分断は避けられる、という感じか。適度にガス抜きをしつつ……。
バランス感覚に長けた理性的な人物のようだ。
聞くところによると騎士領は力がモノを言う世界で、そんな中でも最強を誇る者が領地の名を受け継ぐという。
これは単に個人の強さの話ではなく、有力な騎士を束ねられる統率力、一声で兵を集められる求心力、他領から侮られない威厳や品格、財産といった、様々なステータスが関わってくる。
一番強いヤツがリーダーになるのが一番いい。シンプルかつ強力な理屈。
だから最強の座を巡る争いが絶えない、と。
「けど、こんな仲間割れしてて大丈夫なのか、この領地は? いざという時はみんなで出陣するんだろう?」
「騎士たちの至上命題は、戦で勝利することです。栄えある戦場で足を引っ張り合うような愚かな真似はしません。ただし平時は別です。戦争はもちろん、政争で負けるような弱いリーダーはいらない。トップとは常に周囲からの剣を跳ね返して然るべきものなのです」
つまり、言わばこれが彼らの内政パートなのだ。町の発展コマンドも軍備も人材発掘も、すべては権力闘争を最低限クリアしてから。うわあ、これはきつい……。うちのメイド長が聞いたら何と言うか……。
そういえば、『クロニクル』の各勢力にも忠誠のパラメータがやたら低い武将が一人くらいいて、やまとさんから「引き抜く分には楽なので、序盤にかき集めて適当に使い捨てましょう」とか言われてたっけ。リアルな立場で考えると恐ろしい女性だ……。
「ですので今回の件についても、お嬢様方に直接的な命の危機が迫っているわけではありません。ただ、彼女たちの今後の人生や、模擬テストという影響力の大きなイベントから鑑みて、阻止すべしという流れができたのです。まあ……偉い人の判断が遅れたおかげで、私が動こうものなら即刻不審者として逮捕される仕掛けを作られてしまったのですがね」
「そしてその不審者役は俺に回されたわけだ」
「フフ……いえいえ、なかなかどうしてご立派な保護者でしたよ。貴族なんてやめて普通のパパになったらどうです?」
ありがとナス。
「それで、この状態はいつまで続くんだ?」
「明日までです。イルスターの令嬢が領地に帰ってしまっては、本当にただの内輪揉めになってしまう。強硬派もそこまでマヌケになりたくない」
明日は実技のテストが行われる。筆記試験よりは人が流動的だ。ちゃんと守り切れるだろうか。そういえば……。
「うちの子は大丈夫なのか? アークエンデは……」
ここまで来たらついでにヴァンサンカンの公女も、となってもおかしくない。よその子に気を取られ、うちの子を攫われたらたまったもんじゃない。
しかし返ってきたのは、自嘲気味な含み笑いだった。
「正直申し上げて、今あの方に手を出すのは相当な向こう見ずです。端的に言ってアホですね」
「…………」
「そう疑わずとも本心です。さるお方……大変大変恐ろしいお方が、あなたのお嬢さんを気にかけている。これだけでもうアンタッチャブルですよ。なので、お嬢さんの方はご心配なく……。マヌケが迂闊に近づけば魔法で吹っ飛ばされるだけですしね」
「そうか……」
大変大変大変恐ろしい方というのは、あの蛇の巣のお方に違いない。国のトップに守られているようなものだ。それなら大丈夫か。……いや逆になんか怖いが。
「さて……私はそろそろ仕事に戻らなければなりません」
「こんな夜更けまでお疲れ様」
「! アハハ……。そんなことを言われたのは隊を抜けて以来初めてです。再就職先はもう少し吟味すべきだったかな? まあいいや。それでは伯爵様、よい夢を……」
音もなく対話用の釣り針が外され、闇夜に静寂が戻った。
ガチのレンジャー兵が動きを封じられるほどの相手。つまり相手もそれに匹敵すると考えた方がいいか。戦略シミュレーションだと一山いくらの使い捨てなんだけどな。現実はそうはいかない。
とにかくもう休もう。
アークエンデも頑張っている。俺も頑張らないと。
それにしても静かな夜だ。
悪い連中がそこらで暗躍しているとは思えないくらい。
この気配の掴ませなさが、逆に恐ろしい所なのかもしれない……。
今夜の公女三人はぐっすり寝てそう。




