第三十五話 三公女の攻城戦
「お父様? どうしてその二人と一緒にいるんですの?」
俺と悪役公女二人が並んでいるのを見るなり、アークエンデの顔から無数の矢が放たれて、そのすべてが俺の体に刺さりまくった。
圧倒的に不評。いやこれはその上を行く伝説的に不評。
あんだけバチバチやってた少女二人を連れてこられたらそうもなるか……。
「ああ、せっかくだからみんなで昼食を取ろうと思って」
『はあ!?』
そう声を上げたのはアークエンデ一人ではない。オーメルンも、そしてバスティーユですら。
「おいおい、変なものでも食べたのか伯爵? そいつらがそんな仲良しこよしな真似するかよ」
オーメルがあからさまにイヤそうな顔をすると、こちらのお嬢さん二人も負けずに、
「フンッ、こっちだってあなたたちとランチなんで冗談じゃありませんわ」
「不本意ながらそちらの野蛮人に同意です。そちらの殿方とも意見は一致しているようなので、わらわはこれで」
合意を得たとばかりにさっさと退散しようとするパンネッタとカグヨ。昼飯のテーブルに着く前からこの有様だ。俺は二人を慌てて引き止めつつ、
「オーメルン、まあそう言うな。君たちも頼む。そういう約束だったろう?」
「ぐっ……! ぐぬぬ……」
「ギギギ……はい……」
二人が大人しく俺に従ったことに、ヴァンサンカン一行はさらに目を丸くした。
「アークエンデも、せっかくこうしてお隣さんと会えたんだ。ユングラントでも顔を合わせることになるだろうし、仲良くしてほしいな」
「……お父様がそうおっしゃるのならば……」
不承不承、そう返してくるアークエンデ。さすがに素直にはうなずいてくれないか。
それでもパンネッタたちの安全のため……と言いたいところだが、俺の本心は純粋に彼女たちと仲良くしてほしかっただけかもしれない。
正史において、この二人の公女は登場しない。ユングラント魔導学園には入学したのだろうが、その時アークエンデはすでにヴァンサンカン領を継いでおり、張り合うような立場ではない。
彼女が平穏に暮らせたからこそできた縁。彼女の心が棘だらけでないからこそ生まれた出会い。その可能性を大切にしてほしかった。……なんてな。
ともあれ話はついた。少し離れた場所にいたカグヨの付き添いらしき人物が、彼女のうなずき一つで下がっていく。パンネッタは地元出身のためか、単独行動のようだ。
改めてこの六人で出発だ。
「おい伯爵……あの二人に何したんだよ。大人しくついてきてるぞ……」
町のメインストリートへ向かう途中、疑念顔のオーメルンがそんなことを聞いてくる。そりゃ気になるだろうな。大人しくと表現されてはいるが、後ろからついてきてる二人は見るからに仏頂面だ。そのそばにいるアークエンデ共々、ろくに口もきいていない。
まるで堅牢なお城を着込んで歩いているみたいだ。
これはいかんな……。何かきっかけがないと。
「そんなことよりオーメルン、アークエンデがあの二人と仲良くなれるようフォローしてあげてくれないか。アルカナの時みたいに」
「えぇーっ、あいつらをアルカナと一緒にするなよ。天使と猛獣くらい別物だぜ……」
と小声で言って、肩越しに振り返った時だ。
「ねえ、そこのあなた」
ふとパンネッタの方から声をかけてきた。
「オレ?」
「そうよ。なんか昨日から一緒にいるけど……どなた? ヴァンサンカン伯爵に息子はいないはずよね?」
「オレはオーメルン。アークエンデお嬢様の付き人だ。別に貴族でも何でもねーよ」
「あらそうなの。髪の色まで一緒だから親戚かと思ったわ」
パンネッタは興味深そうに俺たちを見る。なるほど、銀髪は珍しいし、そういうふうに思われてもおかしくないか。この髪は、ある意味で俺たちの世界に一つしかない繋がりを意味している。オーメルンも心なしか嬉しそうだ。
「あなた、昨日はなかなかだったわよ。アークエンデを守って前に立って。従者の鑑ね、褒めてあげるわ」
「お、おう。あんがと……」
「ふうん。そんなことがあったんですね」とカグヨも話に混ざってくる。「顔も可愛いし、少しは見所がありそうです」
「なっ、何だよいきなり……」
美少女二人から褒められ、ちょっと照れた様子のオーメルン。これはアオハルですね間違いない……。
「フフン、でもやっぱりまだまだお子様ですわ。殿方はもっとがっちりして逞しくないと」
「多数の敵を相手に敢然と立ち向かえるくらいでないと男の中の男とは呼べません。出直して参ってください」
「クソッ、何だこいつら。人のこと褒めたり貶したり好き放題言いやがって……」
苦いものでもなめたみたいに、オーメルンが俺の方に逃げてくる。
「けどオーメルン、わりと好印象じゃないか? もうちょっと話したら仲良くなれるかもしれないぞ。せっかく可愛い子に興味を持ってもらったんだから……」
「……あのなぁ伯爵。顔じゃなくて中身を見ろよ中身を。貴族なんてだいたい見てくれはいいんだよ。けど性格があれじゃ、仲良くなってからの方が大変だぜ?」
何でこのショタ、俺よりしっかりした恋愛観持ってるんですかね……。
「いやいや、彼女たちにも意外と可愛いところが……オフッ!?」
セリフの途中で背中をどつかれた。振り返れば、パンネッタとカグヨが顔を真っ赤にして俺を睨んでいる。あっ、危ねっ。二人の“可愛いところ”は内緒なんだった。
「ちょっと! わたくしのお父様に二人で乱暴しないでくださる!?」
訳を知らないアークエンデが、謂れなき暴力に対して非難の声を上げた。
「あーらアークエンデさん、乱暴だなんて。ちょっと頭突きをしただけで大袈裟ですわ」
「そうそう、ちょっとつまずいてぶつかってしまっただけです。こんなことで取り乱すなんて、伯爵様のご令嬢はずいぶん繊細なんですね」
そんな二人の図々しい反応が、さらに彼女を刺激する。
「そもそも一体お父様とどういう関係ですの!? 何で急に言うことを聞いて――?」
「ぐっ! ……そ、それはっ……」
「ひ、秘密です。あなたには関係ないです」
「秘密の関係ですって……!? ぐぬぬぬ……!」
ああまた三人のにらみ合いが始まってしまう。アークエンデがいまだ〈執着〉の刻印を宿していないのは、彼女なりに領地の関係を気にしてくれたからかもしれないが、このままでは……!
「それより伯爵様、どちらへ向かっていますの? あまり会場から離れると戻るのが大変でしてよ」
と、ここでパンネッタが話を逸らすような一声を投じてきた。しかしこれは結構重要な議題だった。
「申し訳ない。ホテルの近くなら食事ができると思ったのだが……」
「そんなことだろうと思いましたわ。あそこは古くからの細工物屋が多くて、昼食には向きませんの。であれば、この町を知り尽くしたあたくしが、とっておきのお店に案内して差し上げますけれど?」
「えーあなたのです?」
「カグヨさん何か不満でも!?」
「いやいやいや、助かるよパンネッタお嬢さん。是非、地元の名店を教えておくれ」
これは思わぬ援軍を得た。
パンネッタはこのヴァンマーニュの町に誇りを持っている様子だし、外の者に見せつける意味でもいい場所を紹介してくれるに違いない。
これまでの進行方向をクルリと反転させ、そこからやや込み入った裏道へ。
そうしてやって来たのが、
「ここって……」
「大衆食堂じゃないですか……」
驚いた顔で店の看板を見上げるアークエンデとカグヨ。
ヴァンマーニュ特有の剣を描いた大看板に、マンガ肉とジョッキ樽の絵が付け足されている。見るからに庶民的な店構えで、入っていく人々も平民だ。
「フフン、ここがあたくしのイチオシですの!」
どう!? とばかりに、パンネッタが腕を持ち上げてアッピルしてくる。
対するカグヨは「ここが?」と訝る顔だし、アークエンデも懸念の残る表情を見せていた。
彼女に従い中に入ってみれば、やはり昼飯時の大衆食堂。下町の騒々しさと雑多な食器の音、それに料理の匂いがごちゃ混ぜになって押し寄せてくる。
テーブルもカウンターも満席。大繁盛だ。
「あっ、パンネッタお嬢様、ごきげんよう!」
「お嬢様、今日もお元気で!」
そんな彼らは、パンネッタを見るなり口々に挨拶を述べた。彼女も軽く手を振ってそれに応えてやっている。いかにも高貴で高慢な態度とは一転して、まるで地元の子のような愛想の良さだ。
「パンネッタお嬢様、こちらへどうぞ!」
そうしているうちにウエイトレスのおばちゃんが近づいてきて、俺たちを店の奥へと案内した。「足りない椅子はすぐに用意しますね」と、彼女が言い置いていったそこは、“パンネッタ様予約済み”との小さな看板が立てられたテーブル席。
当然だが、試験会場からここまで、彼女が店に連絡を取った様子はない。ということは――。
「最初からここで食べるつもりだったのかい?」
「そうですわ。六人もいるけど何とか座れるでしょう」
どうやら本当にここの常連であり、人々から親しまれる女の子だったらしい。
「意外だな、こんな平民用の店なんてよ」
オーメルンが率直な感想を漏らす。それは俺たち全員の総意でもあった。
バスティーユやユングレリオからの話を聞くに、貴族というのは平民と同じ目線でいることを嫌う。
これは驕りや優越感に近いようで、実は彼らへの戒めでもあるという。俗な感覚を捨て、物欲に惑わされず、高貴に公平に立ち振る舞わなければならない。これのせいで庶民の流行や遊びに手を出せずやきもきするパターンが山ほどあるのだとか。
まあ、うちの屋敷にそういうのはないですねぇ……。
「ウエンジットは騎士と市民戦士の領! 町と愛する者を守るためなら誰もが武器を取って戦いますわ。そのために大事なのは日頃の鍛錬と市民との交流ですの!」
彼女は誇らしげにそう言い放った。
なるほど。いざという時のために騎士の方から親しく接しておく。これがウエンジット流の備えというわけか。なかなか……参考になる。
パンネッタからのオススメも聞きつつそれぞれが注文すると、料理はあっという間に来た。このあたりの素早さはヴァンサンカン領と変わらない。
しかし――。チキンの香草蒸しに、クリームソースのたっぷりかかった厚切り肉など、その出来栄えはまるで高級レストランだった。
やや不安で不満げだったアークエンデとカグヨも、思わず唾を呑むかぐわしさ。これまで固く閉ざしていた城門も開放せざるを得ない。
「つ、漬物もあったら完璧だったんですけどー……」
そんなカグヨ姫の負け惜しみも立ち上る薫香の中に消え、「ではいただこう」の俺の一言と共に、テーブル席についたメンバーは出された料理に早速かぶりついたのだった。
「――それで、テストの手応えはどうだった?」
料理の味は、散々期待を煽る見た目通りの旨さだった。おかげでみんながそれに夢中で会話が一切なくなった。これでは交流も何もないので、俺から話題を持ちかける。
「モグモグ……ヨユーですわ!」
「当然です。わらわの家庭教師が出す問題の方が、よほど難しいです」
と、先を競うみたいに勝利を宣言するパンネッタとカグヨ。徹夜の効果も出たようでよかったね。
「まあまあなんじゃねえかな。ま、オレは実技だ実技」
オーメルンはやっぱり明日が本番。問題は――。
「やれることはしました」
ピシッ、と一本の白樺のように背を伸ばし、アークエンデはそう告げた。
食卓とは思えない強い意志と覚悟を秘めた声に、テーブルの雰囲気が急に引き締まる。パンネッタとカグヨが彼女に鋭い目を向けた。
「すべてお父様のアドバイスのおかげです。本当にありがとうございました」
爽やかで熱のこもった線が、俺と彼女を繋げる。
一教科目はボロボロだったとしても、彼女にそれを気にする後ろ向きな感情は微塵もないようだった。真っ直ぐ前だけを見る。清々しい挑戦者の姿だ。
「何だか、朝までと雰囲気が違いますね」
カグヨが言うとパンネッタもうなずき、
「ようやく本領発揮というところですの? そうこなくては」
不敵に笑う。つられてアークエンデも笑いだした。
ああ、結構いい感じだ。
もしかすると悪役令嬢というのは、片方が大人しい子だから悪者になってしまうのであって、気の強い者同士でつるむ分にはいい塩梅なのかもしれない。……なんて思っていたら、
「フフ……いつまで人の顔を見て笑っていらっしゃるの?」
「ふふ……わらわ以外の顔が面白くて、つい」
「はあああ!? 今何て言ったのこの漬物女!」
ガルルルル……!
えぇ……なんでそうなるの……。途中まですごくよかったのに……。野生の獣並みに感情が読めない。
「ま、まあまあ、みんな実力が発揮できてよかった。アークエンデも頑張ったね。午後もこの調子でいこう」
「はい、お父様! 見ていてください!」
アークエンデが思い切り首を縦に振っているのを見て、
「ふうん。仲がよろしいのね……」
ぽつりと、パンネッタからそんな言葉が漏れた。別にどうという内容ではなかったのだが、言った本人だけがわたわたと口を塞いで、
「もっ、もちろんあたくしだって、お父様からいつも激賞されていますけど!」
「と、当然ですー。わらわだってパ……父上から全幅の信頼を寄せられていますー」
ここにまで張り合いだすカグヨ。
ただ二人とも、これまでと違って少しだけ寂しさのようなものが滲んだのは……さすがに気のせいか。どちらの騎士公も立派な人物とされ、俺のような毒親という話は聞いたことがない。
「フッ、フフッ……! お二人がどうあれ、わたくしとお父様の堅い絆に勝つことはできませんわ」
これまでで一番の強気を漲らせ、アークエンデが二人を見下ろす。
「なぜなら……わたくしはお父様のもの、お父様はわたくしのもの。二人は正に一心同体!」
「何ですのこの子! 急に光り始めましたわ!」
「光ってマウント取るのやめてください。対抗してわらわも光りますよ?」
どうやら彼女たちにとって、この話題は一番後れを取ってはいけない内容だった模様だ。
尊敬しているのだろう。領主である父を。だからこそ認められたい。褒められたことを誇りたい。
彼女たちが張る意地も、声高に叫ぶ威勢も。すべてはそこに通じているのかもしれない。
俺もそうなりたい。この娘に恥じない父に。男に。
「たとえあなた方の愛が束になったところで、わたくしとお父様にはかないません!」
「言いましたわね、このトメイトウ娘!」
「勝手に勝負を決めないでください。ハアアアア……!」
自分も光ろうと力を溜めだすパンネッタとカグヨを見つつ、俺はそんなことを思ったのだった。
午後のテストに向けて知能を下げていく。




