第三十四話 かいくぐる陰謀のインモラル
イルスターとウエンジットの公女が誘拐される。この昼休みに二人揃って。
ただの冗談にしては悪質で、そして手が込み過ぎていた。主にそのメッセンジャーに。
数々の疑問はあれど子供の誘拐なんて見過ごすわけにはいかない。因縁あるイルスターとウエンジットの両公女となれば、なおさらだ。
「バスティーユ、すまないが、少しの間子供たちを頼む」
「かしこまりました」
何も聞かず、彼は、模擬テストの参加者たちとは逆向きに歩き出す俺を見送ってくれた。
学校の昇降口からは子供たちが濁流のように溢れ出てくる。その中に指定された二人の公女の姿はない。
「お父様!」
人ごみに埋もれるようにして、アークエンデの姿が見えた。はちきれんばかりの笑顔だ。一刻も早く二教科目の手応えを伝えたい、そんな様子だった。
「アークエンデ、バスティーユのところで待っていてくれるかい。オーメルンとも一緒に」
「えっ? は、はい」
ちょっと戸惑いつつも、素直にうなずいてくれる。俺は感謝を述べつつ、押し寄せてくる人の流れの端を、じりじりと遡っていった。
あの二人の姿はまだ見えない。まさか、もう攫われてしまったのか?
ようやく人の流れが落ち着いたところで、俺は焦る足取りのまま一階教室を見て回った。
室内に参加者たちはほとんど残っていなかった。当然か。テストが終われば赤の他人の教室も同然。立ち話も外でいい。
一つ、二つと空振りを続けた三部屋目。
「……いた!」
墨を流したような漆黒の長髪。歳相応に小柄で、おとぎ話のお姫様のような容姿は、カグヨ・イルスターで間違いない。
「スコピー」
ね、寝ている……。
めっちゃ気持ちよさそうに机に突っ伏して。
これはアレか。やっぱ徹夜してたってことなのか? テスト用紙は回収されているので、試験自体はしっかりやり遂げ、そこで意識が途切れたのだろう。
無事ではあったが……これは隙だらけだ。校舎内はすっかり人気がなくなり、人を攫うにはベストなコンディション。当然、放置はできない。
「失礼。イルスターのお嬢さん、お嬢さん……」
手で肩を軽く揺すり、呼びかける。すると彼女のまぶたがうっすらと開き、
「ああ~、パパ上~。どうしてそこに~?」
「!!!???」
ニヘラと笑うと、彼女は突然俺の手を取ってスリスリと頬ずりを始めた。
「わらわね~、頑張ったんですよ~。テストで全科目満点取ってぇ~。それでね~」
こ、この状況は……!?
どう見ても寝ぼけています本当にありがとうございました。
目は開いているが、意識は半分以上夢の中に置き去りなのだろう。雪見だいふくみたいな、すべすべしつつも、もっちりと吸い付く頬の感触が伝わってくる。
ええと、どうすれば。起こす? しかしそれはあまりよろしくない状況なのでは……。
「ハッ!!!!!!!!!!!」
答えが出ないまま固まっているうちに、カグヨが突然生き返ったような声を上げた。
彼女は限界まで見開いた目で俺の顔を見て、続いて頬に押し当てたままの手を見て、
「……い……いつからそこに……」
ゴオオオオ……と般若の形相に怨嗟の炎まで散らしながら俺をにらむ。涙目な上にトマトのように顔を真っ赤にした状態では、かなり威圧感に欠けていたが。
「それは、最初から……」
はぅっとのどを引きつらせるカグヨ。
「こ、これは、違います。わらわは寝ぼけていただけで、すべては一時の間違い、夢幻の如く……」
「それは、まあそうでしょう。常識的に考えて……」
「伯爵様……わかって……ますね……?」
「へ?」
「このことをもし誰かに言ったら……どうなるか……」
さすがは騎士領のお姫様。この圧倒的不利な状態にもかかわらず、強気に押してくる。領主相手に脅しをかけるのはどうかとは思うが……。いや、やっぱ相当パニクってるのか?
「大丈夫。人に言うようなことではないよ。それよりウエンジットのお嬢さんがいた教室を知らないかい。一階にはいなかったようだが……」
「……あの子なら上の階で試験を受けたはずです」
「そうか、ありがとう。申し訳ないが君も一緒に来てくれ」
「なんでわらわが――ハッ! 断ったらさっきのことをバラすつもりですね……! それをダシに何か言うことを聞かせようと……。なんと卑劣な……! くっ……」
なんか勝手に邪推してまた涙目でにらんできてるけど……俺が悪いんかこれ?
だが、今は一刻を争う。カグヨが居眠りこいてたなら、同じく徹夜していたパンネッタもそうなっている可能性は高い。なんとなく!
「急ぐ。頑張ってついてきてくれ」
「ちょ、ちょっと! 速いです!」
もんくを言ってくる彼女の手を引いて、俺は二階への階段を駆けあがった。「多分、あちらです」とカグヨが指した廊下の突き当りの教室へと踏み込む。
セ、セエエエエエエエフ!!
いた。ふわふわした癖毛のツインテ。間違いなくパンネッタ。
で、
「スコピー」
こっちも案の定、めっちゃ健やかに寝てた。二人とも努力家なのか、勝ちにこだわるタイプなのか……多分両方なのだろう。
「はぁ……。もし、そこの蛮族。起きなさいな。昼休みですよ」
自分と重なることが多すぎたのか、うんざりした顔のカグヨがパンネッタの肩をぞんざいに揺さぶる。すると彼女は重そうなまぶたを半分開き、
「お母さま~。パンネッタはやりましたの~。全科目満点でぇ~。褒めて褒めて~」
スリスリ……。
さっきとまったく同じ展開。カグヨの手にパンネッタが頬ずりしている。それをカグヨは、苦虫の塊でも噛んだような渋い顔で見下ろしている。ひどい状況だ……。
「寝ぼけるのはやめなさい、この大たわけ!」
つんと強めにパンネッタのひたいを指で小突く。
「ハッ!!!!!!!!!!!」
我に返ったパンネッタは、信じられないといった顔でカグヨを――以下同文。
「い……いつからそこに……」
「最初からです」
「こ、ここ、これは違いますのよ。こんな」
「ええ、わかっています。ここでは何もなかった。忘れます。あなたも忘れなさい……」
まるで自分に言い聞かせるような苦悩に満ちた言葉。そんな態度にパンネッタは不思議そうに首を傾げるも、カグヨが恨めしそうに誰をにらんでいるかに気づいて声を上げた。
「ヴァ、ヴァンサンカン伯爵!? 今の見てらして……いえ、それより何で二人が一緒に……!?」
「くっ……」と悔しげに歯を食いしばるカグヨ。まるで囚われの姫の屈辱。それを見たパンネッタは、利口な頭で何かを壮絶に理解したらしく、
「まっ、まさかあなたも何かの弱みを握られて……? 黙っている代わりに行動を共にしろと……!?」
「いやいやいや、そんなことないよ。イルスターのお嬢さんにそんな弱みなんてあるわけないだろう?」
なんだってこの公女たちは邪推ばかりするのだ。日頃からそんなことばっか考えてるからだな?
それにさっきのことはカグヨとの秘密だ。俺は慌てて否定するも、
「くぅっ……!」
とさらに唇を噛んだ本人が、態度ではいそうですと白状してしまう。自分からバラしていくのか……。いやそんなこと言ってる場合じゃない。事態を勘違いしたパンネッタは明らかに敵対モードに入り、
「卑劣なッ……! いえ……これがヴァンサンカンの実力ということですのね。甘く見ていましたわ……。しかし……人の弱みにつけこんで従わせようとは、やはり悪趣味ですわ……!」
「違うんだよマジで……」
俺の訴えも空しく、二人の公女は揃って屈辱に肩を震わせていた。
何だこの状況……。もし誰かに見られたら俺こそが極悪人じゃないか……。俺は何も言ってないんですよ! 彼女たちが勝手にそう思ってるだけで! ダメだ、この言い訳も終わってる!
しかし、今ここで二人に事情を話して信じてもらえるだろうか。いや、信じてもらえたところで、逆に「誘拐犯なんか怖くねぇ!」と野郎オブクラッシャーしてしまう予感がある。そうなったら後の祭り。俺が警護すると言っても受け入れてもらえないだろう。せっかく二人を無事に確保できたのにだ……。
「それで……わらわたちに何をさせるつもりですか……? そのために二人集めたのでしょう……?」
懸命に意志を奮い立たせながら俺を睨んでくるカグヨ。パンネッタも目を吊り上げながら、しかし逆らえない様子。
絶望的に絵面が悪い。俺の。
どうする。何をすればこの状況を一番丸く収められる……?
「……そうだ! 実は、昼食を一緒にと思ったんだ」
盗賊のよく回る口と頭が、俺にそんな名案を閃かせた。
「昼食ですの……?」
「わらわたちと……?」
「ああ。俺と、じゃなくて、うちのアークエンデと。聞けば三人とも同い年だというし、この際だから親交を深めたくてね」
はぁ? こいつと? という顔は、俺宛てではなく公女同士で向けられた。アークエンデ関係なしに犬猿の仲の二人。大事な模擬テストの当日に仲良くランチなんて、微塵も頭になかったはずだ。
だが、考えれば考えるほど、二人をいっぺんに保護するにはこれしかないと思えてきた。これは押し通すべし!
「頼むよ。思う所はあるだろうけど、うちの娘と仲良くしてやってほしい」
「ぐっ……! そうやって遠回しにわらわたちを脅す気ですね……」
「ひ、卑怯者……! 卑劣漢っ……!」
と、もうどう申し出ても俺の悪者ルートは変わらないのだが、
「わかりました……」
「仕方ありませんわ……」
めっちゃ不満たらたらの顔で、二人は何とか同意してくれた。
ふーっ……ひとまず命綱は結べた。後は外にいるアークエンデたちと合流するだけ。これだけ人の目があれば誘拐犯も動けまい。
二人を集めた理由もそれっぽいし、俺が露骨に誘拐を阻止したふうにも見えない。今、この町でどんな策謀が動ているのかわからないが、これなら渦中に引きずり込まれることもないはず。やりぃ! 冴えてるぜ今日の伯爵……!
そして、校門前で待ってくれていたアークエンデたちと再会。オーメルンもそこにいる。
「あっ、お父様が出ていらしたわ! お父様ー!」
「アークエンデ! 待たせてすまない!」
すべてが上手く行ったと俺がにこやかに手を振った、その矢先。
「は? <〇><〇>」
こちらの両脇にいる二人の公女を見たアークエンデさんから、凄まじい闇のオーラが立ち上って天を濁した。青かった空がみるみるうちに黒ずんでいく。
あっ……そっかぁ……。そうなるかぁ……。
子供を集めることに定評のあるヴァンサンカン伯爵。




