第三十話 嗚呼、道場無情
つい先日のことだ。
廊下で仕事中のメリッサとすれ違った時に突然手首を掴まれ、手の中に何かを押し込まれた。
おみくじみたいに器用に結ばれた紙を解いてみると、それは手紙だった。
「“二日後の午前中にピケの傭兵ギルドに来て”……? どういうことですの?」
「さあな……わかんねえ」
「ホワタッ!?」
自室でこっそり読んでいたはずが、いつの間にかアークエンデとオーメルンに背後を取られていた。いや……盗賊の名誉のために言っておくと、手紙を渡されて、なんかちょっとときめいて隙が生じていたのは確かだ。だって、絶対何かあると思うじゃん……。
しかし、この文面の真意を本人にたずねることが野暮天の極みであることくらいは正解だろう。実際に足を運んでみるしか、この謎を解く方法はない。
というわけで指定された本日。指定の時刻。俺は傭兵ギルドへとやって来ていた!
「わーっ、人がいっぱいいる!」
と無邪気に店内を見回し、明るい声を振り撒くのはソラだ。アークエンデとオーメルンも真相を突き止めるために同行しており、今の俺は引率の先生に等しい。
王国有事の際に参戦の義務がないヴァンサンカン領には、伝統的に軍がない。その代わりに傭兵という文化が発展した。これは、わーくにの左右を固めるイルスター槍領とウエンジット鋼領がこの地を争っていた時代の名残の一つだという。
当時はどっちにつくかの窓口が仲良く二つ並んでおり、応募した傭兵たちはお互いに手加減してねと何の保証にもならない口約束を交わしていたとか。
紛争のまず起きない現在では町の何でも屋となっており、害獣駆除から野良作業の手伝い、果ては猫探しまで手広くやっている。
店内には、市役所のようなでかいカウンター。窓口案内札には「退治・駆除」から始まって「ケンカ仲裁」「家事手伝い」など細かな分類が書き表されている。
面倒事は傭兵へ。そんな習慣が根付いているのか、どこのカウンターにも客がいてそれなりに繁盛している様子だ。
「むっ、可愛い子供たちと手を繋ぐ陰気な成人男性……。あれはまさか!」
「ママー、トメイト伯爵だー」
「こらっ、ご挨拶が先でしょ」
そんな人々から残念ながら注目を浴びる俺。何が残念かって、ちゃんと変装してるのに速攻でバレたことだよ!
地味な平民の格好をしていても、アークエンデもオーメルンもちょっと見ればすぐに美少女美少年とわかるし、極めつけはソラ。屋敷での仕事着――つまり、特注の子供用メイド服で俺たちについて来ているのだ。
最近町では、ヴァンサンカン屋敷にはとにかく器量よしで若い子ばかりが集められているとの噂が乱れ飛んでいるとか。そこから逆算して、可愛い子供をつれている男を見かけると自然と伯爵だと決めつけるムーブが横行しているそうだ。
これは領民から親しまれていると思っていいのかどうか……いや、今はそれよりも、
「いかんな……」
遠巻きにだが人の注意を確実に引いてしまっている。人間、目立ってもろくなことがないし、何よりギルドの業務妨害になりかねない。
俺たちは足早に店内を移動する。
受付ホールの脇には、お馴染みの酒場兼食堂が併設されていた。腕っぷしの強そうな人物から、温和そうな老婆まで多様な人々で溢れている。ギルド登録は誰でもできるので、手の空いた人がふらっと寄って小銭を稼ぐこともあるそうだ。
「メリッサのおねーさん、ここにもいねーな」
「だな……」
俺とオーメルンが鵜の目鷹の目で探しても、彼女の姿はない。
と。
カンカンと木が打ち鳴らされる小気味いい音が、食堂の裏口から流れてきた。
何とはなしにそちらに向かってみると、広々とした裏庭に出る。
そこには木の武器で激しく打ち合う人々の姿や、筋トレ用か何かの器具があり、どうやら傭兵たちの訓練場のようだった。
「あーっ、メリッサいた! おーい!」
「本当ですわ! メリッサー!」
ソラが駆け出し、アークエンデもそれについていく。お目当てのメリッサが訓練場の端に立っている。
「お嬢様、ソラ!」
二人に駆け寄り姉のように迎えるメリッサはいつものメイド服ではなく、シャツにズボンという動きやすそうな格好だった。髪もポニテに縛ってスポーティな装いだ。
「伯爵様、来てくれてありがとうございます」
歩み寄った俺に丁寧に頭を下げてくる。
「わざわざ招待状までもらったからな。それでこれは? 傭兵の副業でも始めたのかい?」
本日、メリッサは休暇だ。ユングレリオの統括するメイドギルドでは休みをしっかり取らせ、病気やケガには見舞金も出る。人を育てることが第一目標であり、育つ以前に壊しては何の意味もないというのがメイド長の持論だ。
先の質問に対し、彼女は大袈裟に手を首をぶんぶんと振って、
「まさか! お屋敷の仕事だけで大満足ですよ、あたしは。そうじゃなくて、あれ見てください、あれ」
そう言って彼女が指さす先に俺たちは目を向ける。すると――、
「やあーっ!」
長い木の棒をしならせ、風を巻き込むようにしながら連続の薙ぎ払いが繰り出される。受け手がそれを防ぐたびにこの場でも一際甲高い音が鳴り響き、一打一打に気合が入っているのが伝わってくる。
「あれは……トモエのおねーさんじゃねーか」
オーメルンがつぶやいた通り、棒を振るっているのはトモエだった。ミディアムボブの黒髪を舞わせ、得物の棒も回す。軽やかでしなやかな美しい動きだ。
彼女に武術の心得があるのはわかっていたが、ちゃんと見たのはこれが初めてだった。なかなかの迫力!
カン! とこれまでで一番大きな音を弾けさせ、トモエと受け手双方が、演武じみた動きで互いに距離を取ったところで、訓練は一息ついたようだった。
「よくできました」
受け手役の男性が、にこやかにそう告げる。トモエは息が上がっているが、彼は平然としている。長身でひょろっとした体格ではあるが芯の強さを感じた。多分、傭兵の一人だろう。細目の穏やかそうな人物で、裏切らなければきっといい人に違いない。
「ありがとうございました」
トモエがお辞儀をし、額の汗を拭う。
「最近頑張っていますね。前は打ち込みに消極的でしたが、今はしっかりと勢いを乗せられています。何か心境の変化が?」
「はい、あの……」と彼女は運動で火照った顔にかすかな紅を足し、「守りたいものが、できましたから……」などと答える。
「トモエー、おつー」
訓練を終え、指導役らしき男性とこちらに歩いて来るトモエに対し、メリッサが手を振った。一旦それに対し軽く手を振り返した彼女だったが、そこに俺たちがいることに気づくなり、棒を抱えるようにしながら大慌てで走ってきた。
「ご、ご、ご主人様……? お嬢様方も……ソラまで……?」
「お疲れ様、凄かったよトモエ」
俺たちは見事な棒捌きを見せてくれたトモエに、みんなでパチパチと拍手を贈った。それに対し赤くなりつつ、上目遣いに俺を見て、
「ど、どうして、ご主人様が……?」
「あたしが呼んじゃった。トモエが頑張ってること知ってほしくて」
てへぺろするメリッサ。俺がうんうんとうなずくと、トモエは「は、わ、あ」としどろもどろになりながら下を向いてしまう。
「どうやら、トモエさんの守りたいものとは、守りたい人だったようですね」
指導役の男性が柔らかな声でそうまとめた。
「初めまして伯爵様。傭兵ギルドの副長を務めております、イルヒトと申します。最近まで依頼で町を離れていました」
「初めまして。先日はソラがご迷惑を」
セルガイア像破壊の件で傭兵たち相手に大暴れした件については、すでに説明と謝罪は済んでおり、ギルド長との話もついていた。他に壊された屋台なども迷惑料込みで弁済している。
「ごめんちゃい、えへへへ……」
「……なんだか、聞いていた少女とだいぶ違いますね……」
改めて謝るソラにイルヒトは首を傾げる。
あの時は曇りソラだったからな……。同僚たちから、なんか子供のくせにすげー重い謝罪だった、とでも聞いていたのかもしれない。
「トモエはここでよく訓練をしていたのですか?」
と、俺から軽い質問。
「ちゃんと通うようになったのは最近です。それまではごく稀に顔を出す程度で。鍛錬自体は家の方でしていたのでしょう。彼女の薙刀術は、イルスター槍術から派生した東の武術ですから。何となく覚えられるというものではありません」
おぉ……薙刀。何となく薙刀小町という名前がピッタリだと思った。
「彼女は以前、屋敷の敷地内に入ってきた野犬を追い払って、同僚を助けてくれたことがあったんです」
「それは素晴らしい。我々も町民に教えるのは基本的に護身術です。教えた相手に乱暴者になられては、自分たちで仕事を増やしているようなものですからね」
たはは、と嫌味のない笑顔を見せる。年齢はアラサーくらいに見えるが……何だ? この爽やかさは。これに比べたら俺はため息の吹き溜まりや。
「トモエ、上手だった」
「カッコよかったですわ、トモエ」
「やるじゃん、おねーさん」
「あ、ありがとうございます……」
子供たちに群がられ、恐縮しつつもテレ顔のトモエ。陰日向に甲斐甲斐しく働く彼女は子供たちからも慕われている。ここは俺も一つ、さらなる称賛を――。
「ごっ、ご主人様は近づかないでください……!」
「えぇ……」
「あ、あの……わたし……今、汗臭い、ですから……」
「何だそんなことか。気にしないよ」
「わたしが気にしますぅ……」
さっきの勇ましさはどこへやら。急に日陰に退散するネズミみたいになってしまったトモエを、メリッサとイルヒトが優しく見届け、
「さて、ではメリッサさん。休憩は十分したでしょうから、次はあなたの番ですよ」
「い、いやいやいや、あたしはもうたっぷり運動しましたから! だいたい、最初からトモエの付き添いみたいなもので……。あの子ばっかり強くなるのも何だなーって……」
メリッサが密かな心の内をうっかり暴露した、その時だった。
「だから弱っちいんだよテメェは! 傭兵やめちまえ!」
空気を叩くような怒号が、訓練場に響き渡った。
同じく護身術を習いに来ていた町民だろう、思わず手を止めてしまった者もいるほど。
俺は大音声の出所に目をやった。
熊と見まごうような大男がいる。手にした訓練用の剣が子供勇者の棒切れに見えるくらいの巨漢だ。
男の相手は若い傭兵のようだった。それなりに体格はよかったが、相手が悪かったらしい。地面に倒れたまま、肩を押さえてうずくまってしまっている。
「ブライゴという男です」
イルヒトが問わず語りをしてくれた。
「最近ウエンジット方面から流れてきた者で、腕は立つのですが……」
「だいぶ手厳しいようだ」
「はい。けれどそれは仕方ありません。依頼の中には死と隣り合わせのものもありますから。ただ、彼の場合はいささか辛辣すぎて、仲間との不和が生じてしまうという懸念が……」
いわゆるパワハラというわけか。どこにでもいるものだ。荒事も請け負う職場だけになおさらか……。……あれ……何だろう……なんか胃が……うぅ……。
そんなふうに俺がHPを減らしている間にも、ブライゴの罵倒は続いた。
「おら、早く立て! ちょっと肩を小突いただけだろ! 実戦で食らったらもっと痛ぇんだぞ。敵が待ってくれると思ってんのか!?」
そうして、倒れている男に再び剣を振り上げる。
だが、それは青空を指したままピタリと止まった。
「ダメーっ! 弱い者いじめ!」
場違いなほど幼い声が、彼の眼前で弾けた。
「ぶっ!?」
俺はコーヒーを吹きかけた。倒れた若い傭兵の前で、両手を広げて立ちはだかっているのはソラだ。慌てて周囲を見回すが、確かに彼女の姿はそばにはない。
「なんだぁ、テメェは」
「わたしはソラ! 弱い者いじめは弱いヤツのすることなんだよ!」
「あ”ァン……!?」
うっおおわああああああああああ! 思い切りケンカ売ってるううううう!
ブライゴのいかつい顔がさらに凄みを増す。普通の子供ならそれだけで泣き出しそうだ。だがソラはピクリとも動じない。彼もそれを奇妙に思ったか、
「……待てよ。……ソラだと? おれが留守中に町で大暴れしたっつうガキも、そんな名前だったような……」
「ごめんちゃい!」
ブライゴはニヤリとした。
「いいや、謝ることはねえ。こんなガキに青あざ作る方がどうかしてんだ。オイ、おれを弱い者扱いしたんだ。だったら確かめてみようじゃねぇか」
地面に転がっていた木剣――恐らくはしごかれていた傭兵のもの――を拾い上げ、ソラの足元に放る。
「ブライゴ!」
さすがに見かねたイルヒトが非難の声を上げる。しかし、
「黙ってな副長さんよ。おれたちゃ腕っぷしを売り物にしてんだぜ。ガキにのされて、その上ごめんなさいまでさせて、何が傭兵だよ。生ぬるいことしかしてねぇからそうなるんだ。おれが目を覚まさせてやんよ」
そしてソラの方も俺を見てくる。それは、助けてほしいとかそういうのじゃなく。
「伯爵様、伯爵様、ねえやっていい? 勝負だって。やっていい!?」
そう目をキラキラさせながら聞いてくるのだ。あっ、あー……? これは……大丈夫なのか? いやもちろんソラの心配だ。彼女が聖剣の担い手で、将来、国境騎士団なんていうバリバリの前線でのし上がることも知ってる。けど、まだ子供な上にこのエグい体格差。熊とスライストマトくらいの違いがあるぞ……。
「や、やりたいのか?」
「うんっ、うんっ! だってね、だってね!」
落ち着きのない口調でそう言いながら、ソラのつま先が木剣に触れた。
そこから、すい、っと足を動かしただけで地面に寝ていた木剣は浮き上がり、ソラの両手に収まった。
その達人めいた動きに俺たちは目を丸くし。
そして彼女はとびきり無邪気な笑顔で言ったのだ。
「剣を持った者同士なら、思い切りぶっ叩いてもいいんだよ!!」
光属性の方だからいい子に違いない、と思っていたのかぁ……?




