第三話 会ってみて、あっ!? として
応接間だという場所にバスティーユに案内された俺は、部屋のソファーで先に待っていた相手を見て、ナニイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!? という絶叫を全力でこらえる必要があった。
「あっ……。領主様、このたびはお体の具合が良い方に向かったと聞いて、心からお慶び申し上げます」
あたふたとソファーから立ち上がったシノホルン・ウラタスカは、司祭という肩書と豪奢で荘厳な法衣に今にも押し潰されそうな、素朴であか抜けない、気弱そうな少女だった。
お下げにしたライトブラウンの髪は麦畑のようにふわっと。垂れ気味の大きな目は、いかにも世間知らずで人が良さそうで、緊張と安堵を同時に露呈させている。
これが……シノホルン・ウラタスカだと……?
俺の知っているシノホルンはもっとけばけばしくて、バッキバキの目をした(まただよ)、いかにも闇の聖女といった風貌だった。『アルカナ・アルカディア2』にて神学校に通う主人公の先輩として登場するが、やがてラスボスとして本性を表す。そして当然のように破滅する。
そう。アークエンデを闇堕ち公女とすれば、シノホルンは闇堕ち聖女だ。
俺が彼女を無視できなかった理由は、アークエンデが本編でぶっ放す禁呪をこのシノホルンが完成させたというストーリー上の関連性があるからだった。
いわば、アークエンデの破滅のキーを握る最重要人物の一人。
今の内から何らかの手を打っておかなければと思ったのだが――。
「どうもありがとうございます。これまで何度も足を運んでいただいたのに、面会を先送りにしてしまって申し訳ない……」
俺は内心の動揺と疑問を押さえつつ、社交辞令の裏で彼女をしげしげと観察した。
これが禁呪を編み出した〈黒い聖女〉?
俺に宿る盗賊イーゲルジットの観察眼が告げてくる。こいつは拍子抜けするほどにシロだ。目元、唇の形、そして手。人の本性が現れる(とイーゲルジットは思っている)すべてのパーツにおいて、危険度はゼロ。
むしろ無垢すぎて逆に危うい。他人の甘言にコロッと騙され、簡単にズタズタにされる人相をしている。聖職者に必要な、罪ある人間と向き合う頑強さを持ち合わせていない。彼女が今日まで生きてこられたのは、胡散臭いほどに善良な人々に囲まれていたから。とんだ甘ちゃんだ……。
と、そこまで悪辣な考えをすらすら並べ立てたことに、俺は密かに愕然とした。普段ならそんなこと考えもしないはずなのに。
盗賊イーゲルジットが因果応報の最期を遂げたように、この俺もすでに矢形修字郎本人ではないのかもしれない。ここにいるのは娘を救いたい一心のただの男。ついに現れた本物のザイゴール・ヴァンサンカン伯爵……。
「いっ、いえ、そんなことは。わたしこそ、今日お会いできて本当によかったです」
俺の観察結果をなぞるように、彼女は威厳もへったくれもない態度でぱたぱたと手を振った。そこから目を伏せ、こんな気弱なつぶやきを吐き足す。
「もし今日もまたお目通りがかなわなければ、わたしはこの地を担当する資格なしとして、野蛮な辺境へと送られているところでした……」
あっ……。
俺は思い出した。シノホルンの重要な設定。
彼女は『2』本編前に辺境で暮らしており、そこでの過酷な経験が原因で闇の力に手を染めるのだ。ゲーム内のテキストではぼかしてあったが……正直、かなり悲惨な目に遭ったことは想像に難くない。彼女の無垢な性格から考えても……。
あっ、危ねえええええええ……!
俺は昨日死ぬはずだった。その跡は多分アークエンデが引き継ぐのだろうが、政務はバスティーユに丸投げするにしても、シノホルンとの正式な面会はもっと先送りにされていたに違いない。
結果、彼女が危惧した通りのことが起こり、物語は正史を辿っていく……。
ここが最終チャンスだったのだ。シノホルンにとっても、俺にとっても、そしてアークエンデにとっても!
やった……! やったぞ! 今度は成功だ! この少女を辺境にやってはいけない。この領地に確実に縫い留めて、ミルクセーキに浸かるほど甘やかすのだ! これで禁呪は編み出されない。アークエンデも闇堕ちしない! 勝ったッ! 新シリーズ完!
「あっ、あの、そんなに熱心に見つめられると……」
手をもじもじとすり合わせながら、シノホルンは恥じらうように目を伏せた。人とというより男と一対一で向き合った経験がまるでなさそうな態度。俺の中の――いやもう俺そのものであるイーゲルジットが囁く。今だ。いけ。今ならかすめ取れる。盗み取れる!
俺はソファーを立つと、彼女の前に膝をついてその手を下からそっと握っていた。
「いえ。貴女のような愛らしく清らかな女性を我が領地にお迎え出来て、本当に光栄です」
「ふ、ふえっ……?」
「どうか貴女の陽だまりのような人柄でもって、わたしと民に安らぎをお与えください。そのためならいかなる協力も惜しみません」
「りょ、領主様……」
ぽおっと頬を赤くしたシノホルンは、それから「わ、わたしも身を粉にしてこの地の人々に尽くしたいと考えています……」と上擦った声で返事をし、短い面会を終えた。
※
応接間を接待側の扉から出ると、鎧の置き物のようにバスティーユが佇んでいて俺をビビらせた。
「どうだった……?」と面会での評価を求める。シノホルンはともかく、彼女のバックにいるのは王国最強の宗教団体。儀礼的なぶしつけがあってはマズい。
彼はあごに手をやりながら、
「ふむ……相手が初心な小娘と見て、たぶらかす方向に舵を切ったのは存外悪くないかもしれません」
「たぶらかす!?」
俺は目をひん剥いた。
「我が領地の面倒くささは教団も熟知しているでしょうから、形式的な勤めと寄付さえ滞らなければ、細かな内情を探られることはまずないでしょう。奇手ではありますが、やり切れるなら面白い布石です」
「い、いやいや、俺はそんな……!」
「おや? ではもしや本当に、あの司祭の娘が気に入ったのですか? それは少々厄介な……いや。あれはどう見てもお仕着せの役職でしたし、要職が過去に還俗した例がないではなし……。この地と聖庁を無理矢理結び付けることで情勢が安定するなら、それは国王陛下も望むところ……なるほど、彼女を妻として迎える考え、これまたナシではございません」
「ちょっと待てぇ! 何でそうなる――」
「――お父様?」
ボウッ、と火の粉が爆ぜるような音がして、俺の反論は遮られた。
驚いて顔を振り向ければ、そこにいるのは険しく目を見開いたアークエンデ。
「ど、どうしたアークエンデ?」
言って、俺ははっとなった。
そうだ。もし俺が誰かと結婚するようなことになれば(ならないけど)、当然跡取りとかそういう話も出てくるわけで、そうしたらアークエンデの立場が危うくなる。彼女はそれを心配しているのかもしれない。
「不安になることはないよアークエンデ。おまえがこの地の正当な後継者であることは何があっても変わらない。わたしがそれを保証する」
「そのような話はしておりませんわ、お父様」
「へ……?」
彼女の瞳に、カッと印が浮かんだ。高レベルの煉属性。〈執着〉の刻印。
「どうしてわたくしがいるのに、他の“女”が必要なのですか?<◎><〇>」
「ぺえっ!?」
「お父様にはわたくしがいれば十分、わたくしにはお父様がいれば十分、そうでしょう? 司祭様であろうと聖女であろうと異国の王女様であろうと、わたくしとお父様の間に入ることは許されません……!」
ギ、ギギ、ギギギ……!
何かが軋む音がする。空気も震えている。これは何だ? まさか、アークエンデの魔力の影響で……!?
「……そういえば執務の途中でございました。では私はこれで」
「あっ、バスティーユ逃げんな!」
主人の制止を無視して執事は風のように去っていった。チクショウ、性格Z!
いよいよ取り残された俺は、アークエンデの瞳の中で何かが起こっていることに気づく。
〈執着〉の刻印が震えているのだ。
ピキ、パリ、とガラスにヒビが入るような音がする。そのたびに刻印を描く線が増えていく。
そして――。
ギギギギ……バギィン!<煉><〇>
デンデレデーレ! アークエンデは暗闇の階段を一歩上った!
アーーーーーーーーーーーッ!!!!
何の修行もせずに想いだけで強くなっていくヒロインの鑑。