第二十七話 森の奥の廃屋にて
死すべきはずが黄泉返った者――それはこの俺ザイゴール・ヴァンサンカン伯爵に違いなかった。
一度目はイーゲルジットの死。二度目は矢形修字郎の死。死生の摂理に二度も反した忌み者を、教会は決して許さない――。
マスカレーダのランプに似た形の兜に、相手から目元を探られるような大きな隙間は空いていなかったが、それでも俺は彼女からじわりと染み出す貫徹の冷気に背骨を震わせる。
「こんな奇妙なことを貴殿に話すのには、訳があるのです。少し前のことですが、卿の治療に協力したという錬金術師が教会に現れ、死者をも蘇らせるとの触れ込みで霊薬のレシピを売りに来ました。素材に貴重な竜の体の一部を使うとかで確認が難しく、買い取りは見送ることになりましたが……。煉界の者の目撃例と神秘の蘇生薬。何が繋がりがあるように思えませんか?」
一歩間合いを詰めてくるような論調。
オォン……! 完全にターゲッティングされている!
俺が二度も重篤な状態に陥ったことは教会の耳にも届いているはず。何しろ領民のほぼ100%がセルガイア教徒なのだ。そこから二度とも生還し、しかも今はピンピンしている。こんな怪しい容疑者、疑わない方が犯人に失礼なくらいだ。
何てこった……!
これじゃソラじゃなくて俺の方が大罪人じゃないか!
どうする。ここで回答を間違えれば何かが決定的にこじれる。
アークエンデがおろおろを俺を見てくる。そんな態度ではすべてを白状しているようなものだ。緊張が沈黙に重なり、罪まで勝手に積み増されている気分になる。な、何か言わないと――。
「――そんなこと聞かれても、伯爵にわかるわけねーよ」
突然、別の世界から湧いたような軽薄な声を投げつけたのは――オーメルンだった。
全員の視線が一斉に彼を捉える中、十歳と少し程度でしかないはずの幼い顔は、平然と続く言葉を羅列させる。
「伯爵はずっと寝てたんだ。どんな薬を使われたのかなんて知らないし、原材料なんてもっと知るかよ。そういう難しいことは執事のバスティーユにでも聞いてくれよな。あぁ、でもあいつ、仕事以外のことは一切話さねー変人だったわ。多分聞いても無駄だな」
オーメルンンンンンンンッッッッ!!
この状況下で何という達者な口を!「む……」とわずかに怯んだマスカレーダからも、上手い逃げ道を拓いたことがうかがえる。
「執事が主人に呑ませた薬の委細を伝えないというのか?」
「性格悪いからなあいつ。首都の人材派遣センターで、性格Zの判定されたらしーぜ」
「判定Zだと……」
「そう言えば聞いたことがある……」
「まさか、ヤツか……?」
ざわざわと騒ぎ始める聖騎士修道会の皆さん。バスティーユ、おまえ、むこうで一体どういう評判を……。
「そうですね」と今度はシノホルンが口を開く。
「わたしたちは懸命に領主様を看病し、盟主様にお祈りしていただけです。領主様が回復されたのなら、それは盟主様にわたしたちの祈りが届いたということではないでしょうか。理に反することなどありはしません」
「むう、しかし……」
「笑止!」
ソラが突然叫んだ。
「……何か? 審判者殿」
「笑止笑止!」
「……何だというのだ……どういう意味だ……」
これは……ソラが俺を助けてくれているのか?
彼女が気を引きまくったせいで、マスカレーダの追及は急速に尻すぼみになった。元より煉界の門すら憶測めいた内容でしかなく、勢いを失った彼女は「……今は首無し像に集中しましょう」と吐き出したきり、黙々と森を進み始める。
俺たちはその最後尾で、ほっとため息をついた。
ありがとうな。
俺が軽く手をかざすと、オーメルンはフンとそっぽを向きつつもパンとハイタッチしてきた。続けてシノホルンもホクホク顔でこれに混ざる。助かったけど、ここまで片棒担がせちゃうと彼女の今後がちょっと心配だ……。
そしてソラにも手を向けてみたのだが、彼女は陰気な目でこちらをちらと見ただけで、すぐに前を向いてしまった。
ダークサイド化しているソラは、彼女の心情を食って育つブラックガントレットからネガティブ思考のフィードバックを受け、より後ろ向きな気分に陥っている。誰かを助ける気なんて起こらないはずだ。それでも、さっきのはどう見ても俺を助けてくれた。
彼女も、自分の心と戦っているのかもしれない……。
以降のマスカレーダ隊と俺たち一行は、ソラの案内もあってさくさくと森を進んでいった。大型の獣の姿はない。森というのは、人が立ち入れている時点でまだまだ浅い部分だという。本格的な獣たちが住む深部に踏み込めるのは、特別な訓練を受けた者だけだ。
やがて、とある場所へとたどり着いた。
そこには――。
「こんなところに廃屋……?」
瞬間。
ぞわっ、と背筋を這い上がる何かがあった。
それは森の空き地に突然現れた、苔むした小さな家屋だった。
黒ずんだ木壁はツタに覆われ、屋根は大半が崩れ落ちている。村の採取小屋とも違う、ずっと昔に放棄された家。
「だ、誰かが住んでいたんでしょうか……」
そう言いつつ俺の後ろに隠れるシノホルンの気持ちが痛いほどわかった。
この家は、ひどく不気味だ。
分厚く茂った枝葉のせいで光は差さず、緑に覆われた廃墟特有の神秘的な気配もない。ただただ陰湿で忌まわしい何かが、この場所にこびりついている……そんな気がする。
いつの間にかアークエンデとオーメルンも俺に身を寄せ、残されたのは青ざめた顔で佇むソラだけになった。その彼女も、アークエンデが引っ張り込んで俺たちと一体化する。
「この近くで像に襲われた」
「……了解した。全員、小屋を調べるぞ。注意しろ」
ソラの言葉を受け、聖騎士修道会の面々が小屋のまわりを調べ始める。彼らもなにがしかの不吉な気配を察しているのか、動きがぎこちない。
俺たちは少し離れた位置からそれを見学していた。
「ソラ、首無し像はどこにいた?」
「あのあたり」
小屋の脇を指さすソラ。薪置き場らしき棚の残骸が見えるが、もちろん今はそこに像の姿はない。
「なんか……おっかねえ小屋だよな。空気が湿ってるっていうか……」
「そうですわね、でも生活の名残はありますわ。それが余計に不気味なのですけど……」
オーメルンとアークエンデが所感を交わすのを聞きながら、俺は恐る恐る、薪置き場から今いる場所への直線上の地面を少し調べてみた。
下草に隠れてはいるが、土を強く踏んだ形跡がある。それから鞭のような細く鋭いもので削った跡……。戦いの痕跡か。
「ここでソラが何者かに襲われたのは間違いなさそうだ」
俺がそんなことを子供たちに話しているうちに、マスカレーダの次の指示が飛んだ。
「外は異常なし。次は中だ」
小屋の屋根は落ちてしまっているが壁は無事。隠れられるとしたら、そこくらいだろう。
「隊長、この小屋はもしかして……」
「私語は慎め。推測は調査が終わってからだ……」
そんな意味ありげな騎士たちのやりとりが聞こえた時、俺は奇妙な音を聞いた。
ボソボソ、ボソボソと。
うぐっ……! こ、こんな時に。
これはユングレリオの暗殺劇でも聞いた、悪意ある人々の囁きだ。
「……女……」「隠れ……」「災いの……」「引きずり出して……」
ただあの時とは少し違う。密談というより、うわ言、何か熱に浮かされたような……。
おい、やめろ。なんでこんな森の中で人の声が聞こえてくる。
この小屋で過去に何かあったとでも言うのか……?
「……何もないようだ」
俺の恐怖心をよそに、マスカレーダの外まで聞こえる声が安堵をもたらした。これまでの証言によると、煉界人は長くはとどまっていられないっぽい。今回もそうなったか。
ソラだけが暗鬱な瞳で小屋を見据えていた。俺は彼女の肩に軽く触れ、
「大丈夫だよ。ここまでのことで君の証言は十分裏付けが取れた。町に帰って、像を壊したことと暴れたことをみんなに謝ろう。それで終わりだ」
「結末を語るにはまだ早い」
ソラがそうぼそりと返したタイミングで、聖騎士修道会のメンバーが小屋から出てきた。
「伯爵、シノホルン司祭、内部も異常なしだ。やはり今回も目撃証言だけだった」
証拠を隠滅したような気配はない。マスカレーダは誠実に任務をこなしてくれたらしい。そうとわかれば、こんな場所は早く離れるのが賢明だ。一応、地面にあった戦闘痕について伝えておくか。
そう思い、口を開こうとした次の瞬間――。
本当に
瞬間的だった
途中のコマをすべて落としたように
いきなり
首無しの石像が騎士たちの背後に現れた。
「!!! 後ろだああああッ!」
俺が叫んで両脇のシノホルンとアークエンデを腕で押し下げたのと同時、
「う、うわあああ!」
片足を天に伸ばした状態で、騎士の一人が逆さまに宙に浮きあがった。
いや、これは――逆さ吊りにされているんだ! 彼は恐ろしい勢いで地面へと叩きつけられ、かすかにうめいたきり動かなくなる。
そこで初めて目視できた。
石像の首の切断面から、何本もの赤黒い光が触手のように広がっている。
それは――腕だった。節も関節もない五指生えた人の腕。それがイソギンチャクみたいにゆらゆらと。
「敵襲!!」
マスカレーダの号令を受けた修道士隊の反応は早く、そして正確だった。
全員が背中に回していた銃剣一体のマスケットソードを構えると、一斉射撃。
しかしその直前、首無し像は広げていた触手を、まるで自らを抱きしめるようにして体に巻き付け防御体勢を取た。
こいつ……こんな器用なことまでするのか!?
果たして、弾丸は致命傷とはならなかった。防御を解いた触手が素早く二人の騎士を薙ぎ払う。
あのウネウネと動く触手、柔らかそうに見えてかなり重く、鋭いらしい。倒れた騎士たちは、もがきつつもなかなか起き上がってこられない。
その時――。
「“一旦は、地を這う滝の一雫となろう――”」
凛とした声が、その騒乱に一陣の風を吹かせた。俺が思わず目線を向けると、そこには以前プレゼントしたのと同じレイピア型の触媒を構えたアークエンデの姿。
彼女の周囲を赤い粒子が巡っている。これは『煉火』の魔法詠唱――!
「“然して再び天へと昇れ。汝の名は……『煉火涙星雨』”!」
アークエンデが高らかにそう読み上げると、突きつけた触媒はたちまち鋭く可憐な真剣へと姿を変え、その先端から光を迸らせた。
五条。星型の頂点を描くように発された光は、長い尾を引きながら硬直するマスカレーダたちの隙間を正確にすり抜け、その奥の煉界人へと着弾した。
業! と広がった熱風と衝撃波に、その場の全員が身を屈める。
なんつー威力! これが俺の前でアークエンデが初めて攻撃魔法を使った瞬間だった。
陰で練習はしていたのだろうがとても子供が使うような技じゃない。しかし――。
「やったぞ! これを食らえば生きてはいられまい!」
「余計なこと言うなよ伯爵!」
自重して「やったか?」って言わなかったのにオーメルンに怒られる。しかし、立ち上る土煙、余波で完全に崩れ落ちる廃屋。これだけの威力だぞ。無事でいられるはずが……!
『なぜ ころした』
「!!」
突然、老若男女が入り混じったような不気味な声が俺の耳に突き刺さった。
何だこれは、誰だ、誰がしゃべってる!?
『わたしたちは ただ ここでしずかにくらしていただけなのに なぜ』
ボソボソ、ボソボソと囁きが一斉に激しくざわめき立てる。
『だダだだれかカかか ここここのウらららラらみををヲをを はらラらしてくクククれ』
『こころあるもの』
『せいぎあるもの』
『ゆうしゃよ』
子供が主役の時は大人は無能役。




