第二十五話 裏切りのギルティ・ブレイブ
『アルカナ・アルカディア3』について少し話そう。
例によってやまとさんの動画配信からだ。
二作目も相変わらず微妙なところがありつつも、すでに数が揃いつつあった煉界症候群患者たちの買い支えによって無事三作目の発売と相成った本作は、王国の国境沿い、辺境ににらみを利かせる〈エルドラ騎士団〉が舞台となる。
内部の謎と蔓延る陰謀がシナリオの主軸だ。
主人公は入団したばかりの新米書記官。なんと主人公のくせに眼鏡キャラで、しかも運動神経Z(最高値という意味ではない)の貧弱もやし。その代わり書記官としてのスキルは一級品で、頭脳明晰かつ勉強熱心という超秀才系の彼女が、歴史や風俗の知識を総動員して、古い因習溢れる団内の事件を解決していくことになる。
なお眼鏡を外すと実は美少女という古式ゆかしいネタがあり、登場男性キャラたちからせがまれて後半は眼鏡オフになったりする。は?
で、そんな運動音痴の主人公を序盤に助けてくれるのが、大罪人として俺の館に運ばれてきているソラ・ブランクスカだった。
彼女を一言で言うと、天真爛漫世直し少女。
考えるのは苦手だが体力は人一倍ある彼女は、主人公と男性騎士たちがまだそれほど親しくない段階で、たびたび力仕事を請け負ってくれる。
性格はどこまでも真っ直ぐで純真。たまに狡知を働かせ実は腹黒とかファンから言われている主人公とは好対照の相棒だ。
そんなソラにはある秘密がある。左腕に常にはめているブラックガントレットは、実は幼い頃に偶然拾った「聖剣」が形を変えて吸着したので、ソラの成長と共に大きくなっているのだ。
この聖剣、実は「人間にとっての」聖なるものとは違う。ソラの心が清らかなままならば清らかな剣を生み、黒く染まれば闇の剣を作り出す。つまり、この剣は人々が彼女にどう接したかを常に測っており、その結審をもって大衆に日々の因果を突きつけるのだ。
審判の神剣。そう呼ばれることもある。
そんな設定の少女なので、ソラはストーリーの進め方によって闇堕ちし、ラスボスの一人として主人公と対峙してしまう。闇堕ち公女や闇落ち聖女に続き、今度は闇堕ち勇者というわけだ。
幸いスタッフには人の心が残っているので、ソラを殺害して終わるエンディングは存在しない。ただし主人公にはその危険がある。シリーズ初の、主人公死亡エンドだ。
逆に主人公が男性陣とくっつかず、ソラと共に出世街道を駆け上がるバリキャリエンドもあり、単なる友達以上のキャラとして用意されたことは間違いない。
そしてこのソラは、戦略シミュレーション版『クロニクル』の方にもばっちり登場した。
俺とアークエンデにとってヤバイのはそっちだ。
ソラは聖剣の導き(と本人は思っている)に従い、ゲーム開始直後から大陸全土を放浪していて、時間経過でプレイヤーの領地を訪ねてくる。
部隊を指揮する能力はあまり高くないもののスキルの威力が邪悪の域で、はっきり言って自陣に加えない理由はないのだが、それを無視して加入を三回拒んだ場合、彼女は傷心のまま立ち去り、やがて戦乱の闇に染まって闇堕ちしてしまう。
そして、その闇堕ちイベントがアークエンデの支配地域で発生した場合、何とアークエンデを倒して領地を乗っ取ってしまうのだ。
アークエンデが操作キャラだった場合、問答無用のゲームオーバー! これは彼女だけの特殊イベントだ。何の警告もないためガチ詰みが発生しかねず、『クロニクル』の多数ある欠点の一つとなっている。
絶対に放置しても傷つけてもいけない少女。
それが闇堕ち勇者ソラ・ブランクスカなのだ。
※
ソラをつれて屋敷の中に戻った時、エントランスには怖いもの見たさのメイドさんたちが集まっていた。
濡れた子犬のようなソラの姿を見た途端、彼女たちが息を呑む気配が伝わった。ほとんどのメイドは町住まいなので、領主の館に送られる犯罪者がどういうものかわかっている。それがこんな小さい女の子だなんて……。
「お父様、この子は……」
その一人、アークエンデが駆け寄り、神妙にそう問いかけてくる。ソラはこの屋敷で一番若いアークエンデよりもまた少し年下だ。それが凶悪犯として裁かれることに、感情的な恐怖を覚えたのだろう。
「大丈夫だ。まずは話を聞こう。誰か、タオルを持ってきてくれるか」
「あっ、でしたらわたくしが!」
そう言って奥へとすっ飛んでいこうとするアークエンデだったが、途中でトモエからタオルを渡され、すぐにとんぼ返りしてきた。そして、うな垂れているソラの髪を優しく拭いてやる。
ソラは暗い目でアークエンデを見つめ返したが、拒絶はしなかった。礼も言わなかったが。
……『クロニクル』の要素が入ってくるのは覚悟していたが、まさか闇落ち寸前の状態で勇者と出会うとは思わなかった。彼女が完堕ちした場合、アークエンデだけでなく、館の住人も何なら町の方まで危うい。
ここは、やまとさんから授かった攻略法を元に彼女を光方面に導くしかない……!
「ソラ、お腹が空いてないか」
「……空いた」
返事はか細いものの意図は明確だ。
「では食事を用意しよう。この子の分を頼む」
俺がエントランス中に呼びかけると、それまで呆然と立ち尽くしていたメイドさんたちが我に返ったように活動を再開した。ちょうど昼飯時、準備はすぐ済むだろう。
「食べ物、くれるの……?」
ソラが恐る恐る聞いてくる。何とも素朴な問いかけに彼女本来の気質が見えた。よし……少しずつだが、光の方に寄りつつあるな。
やまとさんの教え曰く、ソラちゃんは食べ物をあげれば落ち着く。実際の『3』の決戦においても、闇堕ちした彼女を救ったのは、主人公がかつて差し入れた手作りクッキーの記憶だった。
「ああ。まずは腹に何か入れて、そこから話をしよう。わたしはヴァンサンカン伯爵だ。よろしく」
子供たちやシノホルンを引き連れ、ぞろぞろと食堂へ。
「さあ、どうぞ」
数歩先回りして食卓の椅子を引いてやったアークエンデに対し、ソラは消え入りそうな声で何かを返した。多分、お礼だろう。我が子ながらなんと親切な女の子なのだ……。これなら『クロニクル』の二の舞はないかもしれない。
「さ、召し上がれ」
給仕役のメリッサが食卓に置いたスパゲッティ・ミートソースを見るなり、ソラの細い喉がゴクンと鳴るのが聞こえた。正面の席に着く俺に暗い目線を向けてくる。
「どうぞ、遠慮はいらない」
それを聞くや否や、ソラは猛烈な速度でスパゲッティを頬張りだした。食べ方を知らないのか最初はかなり苦戦したが、アークエンデが横で実演を見せてくれたおかげで、吸引はさらに加速した。
そうしているうち、じわ、とソラの目に涙が浮かぶ。
「おいしいかい?」
「ウン……」
「それはよかった。たくさんあるから、いくらでもおかわりしてもいいぞ」
彼女はうなずき、すぐに二皿目を所望し、それもすぐに空にした。
「さて……そろそろ話を聞かせてもらえるかな?」
「待て……モグモグ……終焉の……モグモグ……姉妹は……」
「ああ、うん、やっぱりまだいい」
三皿目を頬張りながら小難しい単語を挟んでくる彼女。こうしていると食い意地の張った中二病少女なのだが、中二というのはホンモノでないヤツがホンモノのフリをすることだ。その点、彼女は紛れもなくホンモノ。最凶スキル〈ジャッジメント・フロー〉が完結したら最後、ここにいる全員が屋敷の屋根と一緒に空を飛ぶことになる。
しかし……。檻の中にいた時より、だいぶ落ち着いてきた。そのことでふと思い立ち、俺は隣にいたシノホルンに礼を言っていた。
「ありがとうシノホルン司祭、彼女の味方でいてくれて」
セルガイア像を民衆の前で破壊なんてしたら、その場で袋叩きにされてももんくは言えない。そうされずに済んだのは、町民たちに信頼される誰かがかばってくれたから。それがシノホルンであることは容易に想像できた。
「彼女は大きな過ちを犯しました。けれどそれはきっと、誰かがそそのかしたからに違いないのです。子供はまっさらです。そこから良い事と悪いことを教えるのは、わたしたちなのです……」
彼女としても像の破壊は許せない蛮行だっただろう。だが、それをこらえて冷静に述べる彼女は、とても十代半ばの女の子とは思えないほと大人びていた。
どうですかこれがうちの町のシノホルンさんですよ。最近は面白コスプレ少女みたいになっていたけど、この慈悲深さこそが彼女の本領。世界はひとまず彼女にありがとうを言わないとな。
「あの、わたしからも……」
「? 何か?」
「領主様は誰にも教わっていないのに、あの子のことをフルネームで呼んでいました。もしかしてご存知だったのですか?」
「……ええ、ちょっとだけ」
「……ちょっとって、どれくらい? 名前? 出身地? 生年月日や好きなものまで?」
「ええっ……。いや、名前、くらいですかね……」
「……それならお許しいたしましょう」
ほっとした様子のシノホルンさん。えっ何今のは。
あのう、俺たった今あなたを褒めたばっかりなんですけど……。
そんなふうに、司祭の株が乱高下しているうちに、ソラの食事はようやく一段落ついた。
聞けば昨日の夜からろくに食べていないそうで、それならスパゲッティ五杯も、まあ……。あの小さな体のどこにそれだけ入るかはわからないが。
「ごちそうさま……」
丁寧に食後の言葉を述べながら、ソラは慎重な上目遣いで俺をみた。その目にはまだ光が戻っていない。『3』本編においても、普段は青天井のように明るいが、闇落ちすると底なしに暗くなる。……その曇り顔が一番可愛いというユーザーも一定数いるから、世界は広大だ。
「君はこのあたりの子ではないね。旅をするにはまだ小さすぎるし、誰かと一緒に来たのかな?」
俺は彼女の素性をある程度把握している。が、それを極力出さないように質問する。
案の定、ソラは首を横に振った。一人旅だ。『3』においても、彼女はエルドラ騎士団に就職するまで一人で放浪していたことが語られる。だが……年齢が合わない。彼女が旅に出るのは、もう少し後のはずだ。
「静かなる村の寺院を……抜け出してきた」
端的すぎる回答に、アークエンデもシノホルンも首を傾げる。
だが、これでいい。寺院というのは彼女が旅に出るまで身を寄せていた場所だ。そこで隠居の坊さんから剣と精神の鍛練を受け、外の世界へ出ていく。そうしないと世界が危ういと判断されたからだ。だからその途中で抜け出て来たとすると……。
「どうしてヴァンサンカン領へ?」
「トメイトウ……。トメイトウを、食べたかったから」
その素直すぎる理由に、同席しているアークエンデたちから拍子抜けしたような柔らかな息が漏れた。
なるほど、トメイトウの噂に引き寄せられたか。ソラの寺院があるのは王国の国境寄りだったはずなので、そこまでわーくにの特産品の名が鳴り響いているのは喜ばしいことだが、それで勇者を釣ってしまうとは完全に予想外です……。
「それで、どうしてセルガイア像を破壊したりなんかしたんだい?」
俺は本命に斬り込んだ。ここまでで、ソラが屋敷に運ばれてくるような凶悪犯でないことは何となくまわりに伝わっていたはずだ。しかし、
「あれは……神様じゃない。汚らわしくいやらしいバケモノ……」
唐突に低く押し出された暗い声に、場が一気に緊張した。いち早く身を乗り出したのはシノホルン。
「そのようなことを言ってはいけません! 誰がそんな邪なことをあなたに教えたのですか? その寺院の方々ですか?」
「違う……! わたしは見た。あの神像がバケモノになるところを……!」
ぎろりと動いた目が、逆に司祭の体を縫い留める。
「ここに来る途中、森の中で出会った。わたしが祈りを捧げようと近づいたら……襲われた」
ミシミシと異音が鳴る。黒い聖剣が軋んでいるのだ。状況を説明するソラの表情は、緊張と不信に強張っていた。どうやら相当ショックな出来事だったらしい。ここまで闇落ちが進行しているのは、町での経緯よりもこっちの影響か……?
「そんなこと……あるはずありません……! そもそも、森の中にどうして盟主の像が……?」
シノホルンはテーブルに置いた手で身を支えるように、その否定を吐き出した。彼女なら、この領地のどこに教会があって像があるかも把握できているはず。
俺はシノホルンをなだめつつ、ソラにさらに問いかけた。彼女の言っていることが間違いでないパターンを俺は一つだけ知っていた。だが……それはそれでかなりまずい。
「ソラ、それは本当にセルガイア像だったかい。普段と何か違うところは?」
彼女はじっと俺を見つめる。ひたいに冷や汗が浮いているのが見えた。思い出すだけでもかなりつらそうだ。信じていた相手に突然襲われ、本当に怖かったのだろう。
「……頭部がなかった。それと翼の形がいつもと違っていた……かも。両方同じ形をしていたような……」
「なんだと……!」
その驚きの声は、俺の感情とはまた別のところからこぼれ出たものだった。
同席していたユングレリオ。彼だ。
「ソラ、それは本当の話か?」
「偽りは言わない」
「メイド長さん、何か知っているのですか?」
シノホルンの問いに、ユングレリオは「うむ……」と気難しくうなずき、
「数年に一度あるかないかの頻度ではあるが、そうした怪談じみた報告が王宮へと上がってきていたらしい。ただ、目撃証言を辿れど証拠は何も見つからず、教会側も何かの見間違いということで処理してきたそうだ……」
「そんな。そんな話、聞いたこともありません」
「あくまで上層部の内々で片づけられた話だ。若いそなたまで伝わらないこともある」
見るからにシノホルンより幼い彼がそんなことを言うのは噴飯ものではあったが、これは……もう悪い予感的中と見なしていいだろう。
襲ってきた像の正体は……“煉界人”だ。
「ソラ、そなたはそれに襲われたと言ったな。どういう様子だった?」
「……首の切断面から何本もの触手が生え、飛びかかってきた。足を掴まれて飲み込まれそうになった。とても気持ちが悪かった。だからわたしは、町でそれと会った時に破壊を試みた……」
なるほど、そういう経緯だったのか。
聞いてみればシンプルな話だ。だが、これを真っ当に受け入れるにはユングレリオ並みの知識と、ソラを信じてやれる聴衆が必要だった。もし、彼女がまったく別の土地で同じことをして捕まっていたら……考えるのも恐ろしい。
「これが事実ならば彼女に恩赦を与える理由になろう。しかし今から教会に報告しても、真相にたどり着けるかはわからない。どうする伯爵?」
「わたしが調べに行きます」
俺は即答していた。
「そんな怪物が領内をうろついていては、民の暮らしに影響します。ただ、像のことがあるので町の傭兵たちも真剣に取り合ってはくれないかもしれない。自分でやります」
「ならばわたくしも!」
アークエンデが手を挙げる。オーメルンも皆まで言わすなという顔で腕組みをした。竜の血の入った三人。これなら相手が誰でも怖くはない。
「わたしもこの目で確かめないわけにはいきません。どうか連れて行ってください」
シノホルンも毅然とした目を向けてくる。裁判の証人としてはこれ以上の人選はなかった。
決まりだ。俺はうなずき、ソラを見た。
「ソラ、君がその怪物を見たところまで案内してくれるか。君を信じたい者たちのためにも」
ソラは審判の目を少しの間こちらに向け、静かに告げた。
「……了承」
聖剣の軋みは止んでいた。
勇者、盗賊、僧侶、ちびっこ(最大火力)のパーティ結成。




