第二十四話 ある雨の日に罪を積んで
こつ、こつ、と数滴の硬い雨が窓を叩いたと思ったら、それはたちまち驟雨に変わった。
「キャーッ! 洗濯物が!」
「さっきまで全然晴れてたのに!」
雨が降ると誰かの悲鳴が上がる風景は、ヴァンサンカン屋敷では定番になりつつあった。俺が窓から裏庭をのぞけば、洗濯当番だったメイドさんたちが働きアリのように忙しくなく洗い物を屋敷内に運び込む姿が見える。
「濡れた髪はこれで拭いてください」
「そのままにしてると風邪ひいちゃうからねー」
続けて階下から聞こえてくるのは、雨に濡れた同僚たちをケアするトモエとメリッサの声だ。気のつく二人が中心となって、メイド訓練生たちは今日も良いチームワーク。
突然現れた雨雲は、しばらくの間ヴァンサンカン領に居座るつもりらしい。
メイドさんたちは仕事。アークエンデとオーメルンは、暇を見つけたユングレリオから勉強を教わっている。退いたとは言えこの国最高峰の教育を受けてきた人物。家庭教師としては町からの雇い人とは格が違う。
そんないつもの平和な我が家であったが……。
ゴンゴン、と重厚なドアノッカーの音が屋敷のエントランスから俺の部屋まで響いて来た。
対応にあたるメイドの気配。こんな雨の日に一体誰が? と思っていたら、ややあってバスティーユが俺の部屋に現れた。
「旦那様、町の者が裁判の要請に来ております」
「裁判?」
地方領主が臣従礼によって王国から委託される業務は、徴税と裁判の二つ。これはその後者というわけだ。
「そういうのは初めてだな……」
「はい。ある程度のものは町の者たちで処理しますので。領主の判断を要するのは、極めて重大な犯罪に限ります」
「重大な……」
俺は苦いつばを呑んだ。どんな犯罪が行われたかはまだわからないが、被害に遭った者は確実にいる。それまで積み上げてきた人生を、ただの一度の犯罪で壊された人間。その事実と向き合うのは気が重かった。
町からの先触れからほどなくして、幾分弱まった雨脚の中、林道から荷馬車がやって来た。
荷台に載っているのは荷物ではなく檻だ。仰々しい鉄製の檻。屋根がついているので一応雨ざらしではない。まわりには町の傭兵団と思しき護送の人々が多数。何だか物々しい。
自室の窓からバスティーユと並んでそれを見下ろしていた俺は、護送車の近くに意外な人物がいるのを見つけて、思わずつぶやいていた。
「シノホルンがいる。どうしてだ?」
「彼女がいるのであれば教会関係の犯罪かそれとも……」
まるでこちらの度量を測るかのように、バスティーユの目が静かに俺を捉えた。
「死罪相当か」
「!」
マジかよ……。死にゆく者のためのお祈りをするということか。
アークエンデのために良き父、良き領主であろうと全力で努める所存ではあるが、人の生き死に――いや死までは介入したくない。だが……そうもいかないのだろう。死刑に値する重罪ならば、犯人はそれ相応の罪を犯している。被害者の無念のためにも、裁きはきちんと行われなくてはいけない。
そう思って、俺は荷馬車の檻に目を向けた。それまでは角度的に見えなかったものが、屋敷の前に停まったところでちょうど見通せた。
「は……?」
俺は、我が目を疑い。
「ナニイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!」
叫びながら一階へと駆け下りていくハメになった。
何で!
何で勇者が檻の中にいるんだよ!!!
※
「あっ、伯爵様。雨の中、申し訳ありやせん。とても町には置いておけないヤツでして――」
護送の傭兵が労う言葉をかけてくるのをすり抜け、俺は護送車へと飛び乗っていた。
「これは一体どうした? 彼女は何をした?」
俺は叫ぶようにそう問いかけていた。
猛獣でも閉じ込めておくような鉄の檻の中、膝を抱えて座り込む小さな人影がある。
アッシュブラウンの、腰に届くほどの大きなポニテ。体つきは華奢で折れやすそうに見えるが、軽装の上に胸甲と肩甲を付けており、武芸者であることがうかがえる。何より、左腕を覆う黒く刺々しい手甲――。
間違いない。彼女は勇者、ソラ・ブランクスカ……!
俺は知っている。年齢的に、今頃だとまだ十歳前後と幼いはずだが、彼女はこの世界そのものが認めたただ一人の正義の執行者。本当の意味での勇者なのだ……!
その彼女が何で、大罪人として我が家に運ばれてくる!?
「気を付けてくだせえ、領主様。そいつは小せえガキのナリですが、とんでもねえ怪力です。おまけに左の不気味なガントレット……。信じられねえかもしれですが……最初に会った時より、でかくなってやす……」
傭兵が俺にこっそりと耳打ちする。
雨音に紛れて、何かが軋むような異音がどこからともなく聞こえてきていた。
ああ、すべてご存知だ……。これは、あの籠手が成長のために軋んでいる音。怪物の背びれのような棘が伸びてきている。あの様子、すでにもうかなりいってる……!
彼女がぶつぶつと何か言っているのが聞こえた。
「何で、何で誰も信じてくれないの……。そうだ、どうせ、わたしなんか。わたしの言うことなんか。……死ぬんだ、わたし……今日死ぬんだ……」
思い詰めた鬱々とした声。やはり本人も相当ギリギリだ。とにかく、ここから出してやらないと……。
「彼女は、教会への大きな罪を犯したのです」
俺ははっとして横へと向き直った。簡易司祭服の上に雨用の外套を羽織ったシノホルンが立っている。彼女はいつになく陰鬱な眼差しで牢の中の少女を見やり、
「この者は、大勢が見ている前で天地の盟主セルガイア様の像を破壊し、その御心を激しく冒涜しました」
「像を破壊……!?」
「それだけじゃねえです」
さらに傭兵が話を加える。
「取り押さえようとしたら獣みたいに大暴れして、広場の屋台やら小店舗やらを軒並みぶっ壊しました。十人がかりで何とか取り押さえた次第です」
彼をよく見ると、顔に青あざをこしらえていた。同様に、護送に加わった傭兵たちの多くに悪戦苦闘の痕跡が見て取れる。全員が殺気立って見えるのもこれが原因か。
国民のほぼすべてがセルガイア教徒という土地にあって、神の像を破壊するなど宣戦布告に等しい。檻に入れられただけで済んだのは最大限の恩情だろう。だが、ソラはそもそもそんなことをする少女ではないはず。なぜそんなことに……。
「神をも恐れないとんでもねえガキですよ、こいつは。山の獣から生まれたに違いねえ」
「……違う」
傭兵の悪態に噛みつくように、小さな声がこぼれた。
ソラは膝に押しつけていた顔をかすかに持ち上げ、こちらを見ていた。
――暗い目だ。ギチギチと籠手が軋む音が増す。成長している。彼女の心を食って、今この時も。
「真に神を恐れないのは人間のみ。神に正義を代弁させ、おのが善を証明させる。しかしわたしは深淵の闇の中に見た。あれは神ではなくバケモノだった……」
アークエンデより幼い子供とは思えない重厚な語り口。しかし、それに異を唱える声が素早く飛ぶ。
「またそのようなことを言って……! いけません。己の罪との向き合いを拒んでは……」
「本当だ。……どうしてわかってくれないの……? 嫌いだ……みんな嫌い……」
シノホルンとソラのやり取りを見て、傭兵がうんざりしたように肩をすくめる。もう何度も同じものを見せられたように。実際そうなのだろう。ソラは曲げず、シノホルンは諦めない。だが、このままの状況が続くのは絶対にマズかった。何しろ……あの黒手甲を放っておいたら、神罰よりヤバいものがわーくにに降臨するからな……!
「……話はわかった。この少女はうちで預かろう。皆、ご苦労だった。戻ってくれていい」
「まさか伯爵様、一人でこいつを連行するおつもりなんで? 物凄く暴れますぜ」
傭兵たちの心配は当然のことと言えた。しかし、俺は「心配はいらない。責任をもって対処する」の一言で彼らを押し下がらせる。
町にはこんな噂がある。伯爵の屋敷には竜を倒した子供が二人いる。いざとなればそれらを使うか――そんなふうに彼らが先読みしたかはわからないが、シノホルンが「領主様にお任せましょう」の一声を投げ入れてくれたこともあって、彼らは納得した顔で引き下がってくれた。
「シノホルン司祭、申し訳ないが屋敷で詳しい話を聞かせてもらえますか?」
「はい。もちろんです。伯爵様、この子はまだ幼いです。どうか寛大な処置を……」
そう言って目を伏せるシノホルンにうなずき返し、俺は檻の中のソラへと呼びかける。
敵意と恐怖、困惑と“審判”の眼差しが俺へと向いた。
「心配はいらない。君はソラ・ブランクスカだな? 今すぐどうこうするというわけではないから、まずは落ち着いてわたしと来てくれ」
しくじることはできない。なにしろこの勇者の動向はアークエンデの命運も左右する。
「……了承」
小さな“神”の口が、その答えを返した。
いくら勇者でも樽やツボを壊すのとはワケが違った。




