第二十一話 メイドインヴァンサンカン
盗賊の哲学によると、人間は何だかんだで合理的に動く生き物だ。
巧拙は個人差あるにせよ、人はその時で一番いいと思った方法と手段を自然と選んでいる。
後悔や反省するのは結果がわかってからだ。
今、屋敷の中で労働しつつ教育を受けているメイドたちは皆、「目の前の仕事を片付ける」という目的に対して極めて真っ直ぐに行動している。将来の展望は違うとしても、すべきことは同じ。
そんな彼女たちと、優秀なメイド二人――メリッサとトモエは何かが違っていた。
何だろうか……。
仕事はできて挨拶もちゃんとしてくる。後は、病院の世話になるくらい頑張らないを徹底できれば社会人の鑑といえる。なのに何が引っかかっている……。
そこまで考えたところで、俺の足は自然とバスティーユの執務室の前で止まっていた。
なるほど、人は合理的な生き物だ。困った時は彼に聞け。
「メリッサとトモエでございますか?」
メイド専門学校と化した屋敷の中でもミリも変わらず執務に専念していたバスティーユの反応は、何言ってんだコイツという呆れたような顔から始まった。
「ああ。何か気になるんだが何が気になるのかわからない」
「左様でございますか。では、私の知っていることを適当に述べますが、書類によれば、メリッサはヴァンサンカン領の西部出身。亜麻色の髪と癖毛はそこ以西――つまりウエンジット鋼領でよく見られる特徴です。逆に東部出身のトモエの黒髪蒼眼は、イルスター槍領の人間に多いです。しかしこれは、元々この土地が東西の合流地点であったことを考えればごく当たり前のことです。ピケの町でも似たような特徴の者は山ほどおりましょう」
「そうか……つまり、バスティーユからは特におかしなところはないと」
「見える範囲では。あるいは、私以外の屋敷の全員が怪しいかと」
「それは言わなくていいだろ……」
こんだけ猜疑心の塊のバスティーユが、とりあえず何もないと言っている。やっぱり気のせいかな……そんなことを考えながら、自室の部屋に戻ろうとした時だった。
俺の部屋の扉の先から、何やらゴソゴソと音がしている。
そんなに騒がしいわけではない。少し慌ただしい程度の衣擦れと、その他小さな雑音。耳を当ててもこの分厚い扉越しでは本来聞こえてこないもの。しかし竜の血で蘇生してからというもの、明らかに何かの能力が追加されている。主に盗賊に役立ちそうなのが。
「誰かいるのか?」
俺は声をかけつつ扉を開けた。
大方アークエンデか、彼女がいるならオーメルンも一緒、という予測だったが、慌てた様子で俺とすれ違ったのは一人のメイドさんだった。
「しっ、失礼しました。お部屋のお掃除をしておりました……」
蚊の鳴くような声でそう述べると、彼女はうつむき加減のまま部屋を出て行こうとする。
――違和感。俺は咄嗟に、すれ違う彼女の手を取って引き留めていた。
「!!」
驚愕の気配を広げたメイド少女は、それでも顔を上げずに、前髪で目元を隠し続けた。
俺は奇妙な感覚に導かれるまま、それを下からのぞき込んだ。
すると――。
「……えっ!? ……シノホルン司祭……!?」
「ぇひっ……!?」
ビビクゥ! と体を震撼させ、メイド少女がさらに顔を背ける。
「い、いやいやいや、何をやっているんです。えっ、メイド服……えぇ……!?」
俺は混乱した。どう見てもそれは、町の教会にいるはずのシノホルンだったのだ。
「ちっ、違うのですこれは……。あの、その、別にメイド服が可愛らしかったとか、こうすれば週に一度の礼拝以外にもお屋敷に行く口実ができるとか、掃除を理由に領主様のお部屋にも入れちゃったりなんかしたりしてとか考えたわけではなくて……!」
「全部白状してる!」
顔を真っ赤にしながら物凄い勢いで釈明を始めた彼女は、やがて完全に停止した。クッソ情けない誤魔化し笑いの顔に、もう一段階濃い朱色が駆け上った時、彼女の頭の上からぶしゅうと猛烈な蒸気が立ち上る。
そしてそれはあたり一面を覆い尽くした。
「なっ……これは煙幕!」
その煙に乗じてダッとシノホルンが駆け出す気配があった。
しかし……悲しいけど、俺本業なのよね!
「あっ……」
一瞬で部屋の中に引き戻されたシノホルンは、今度こそ逃げ道を失って、壁を背に立ち尽くした。
「シノホルン司祭……ですよね?」
俺は部屋の扉を閉めつつ、彼女に確認を迫った。
さすがにこの姿を誰かに見られるのはまずい。何せ、お仕着せっぽいとは言えセルガイア教の司祭の肩書きを持つ少女だ。その厳格なユニフォームをホイホイと取り換えていいはずがない。
「…………」
うつむいたままのシノホルン。が、やがて沈黙に耐えきれなくなったのか、彼女は深く頭を下げてきた。
「もっ、申し訳ございません……!」
「いや、別に謝るようなことでは……。でも、何やってんですホントに。教会の方は?」
「うぐぅ!」
ナイフでも刺されたみたいに、シノホルンが体をくの字に折る。
あっこれは……すごいダメそうな気配。
「天と地の狭間を見守る盟主様、シノホルンはあなたからの試練に耐えられませんでした。どうかお許しください……。メイドギルドの制服があまりにも可愛らしすぎてっ……」
やっぱりダメだったよ。
深く追求するのは可哀想だが、どうやら彼女はこの可愛いメイド服に魅せられすぎて、司祭服をぶん投げてきてしまったらしい。なんかシノホルン、闇堕ちしない代わりにどんどんダメな方に堕ちていってないか。これが関係者にバレたらエラいことだぞ……。
しかし……。
「…………」
壁際に追い詰められ、恥じらうように身を縮めたシノホルンは、何というか……。
クッソ死ぬほど可愛かった。
教会の聖服では絶対に見られない、清楚な白タイツのおみ足も美しい。当然、育成が進んでいる部分も……。
い、いかん、いかんぞヴァンサンカン伯爵……! 彼女は絶賛恋に恋するお年頃で、おまけに彼女の心を傷つければ禁呪発明→アークエンデ闇堕ちのデスコンボが成立してしまう。ここは穏便に。大人のスルー力で。気を静めて……。
「オホン……。ひとまず、わたしはあなたを責める立場にはありません。他の人にはバレてない……ですよね?」
「は……はい。大丈夫です。教会の人たちも、他の町の祭事の手伝いに出ていますので……」
また彼女が留守番をしているらしい。教会は修行僧揃いの修道院と違って、町の人々の暮らしを助けることを主な役割としている。これも奉仕活動の一環と見なせば、ギリギリアウトなセーフになる、か……?
「あの、領主様、わたしはやっぱり、ここに居てはいけないのでしょうか……?」
恐々と上目遣いに聞いてくる。そりゃまずいに決まってる。「バレなきゃいい」というのはほぼ100%が「やんなきゃいい」だ。
しかし、シノホルンは今にも泣きそうな顔をしていた。彼女なりにさんざん悩んだ末、ここに来ているのだろう。正直、メイドさんの彼女は死ぬほど可愛いし……いやいやいや、その仕事ぶりはしっかりしているだろうし、有能な同僚というのは職場の士気を大いに高めてくれる。彼女を傷つけないためにも無下に追い返したくはない。
「メイドさんの管理はユングレリオ陛――メイド長に任せているので、わたしからは何とも……。むしろ、あなたがこれだけうちのことを気にかけてくれているのだと嬉しい気持ちもあります」
「あっ……そ、そうですか……!?」
ぱあっと顔を輝かせる彼女に、俺はあることを思いついた。彼女はメイドの中に混じって働いてきた。それならば。
「シノホルン司祭、ここだけの話なのですが……」
「わたしと領主様だけの!? はっ、はい、何なりとおっしゃってくださいっ……」
「メイドの中にメリッサという子と、トモエという子がいますよね?」
「はい……?」
「彼女たちについて、何か知っていることや気づいたことはありませんか」
「…………」
急に彼女が黙ったので、何事かとまじまじ顔を見たが……。
「彼女たちのことを知って、何を……?」
じとーという重い目つきが、梅雨の湿気を伴って俺を見返してきた。
何でぇ!?
「いや、あの、よく働いているな、と……。あっそうだ、ユングレリオメイド長から、いい働きをしている者がいたら教えてほしいと言われていて……」
口から出まかせが功を奏するまでたっぷり三秒は睨まれて、
「そういうことなら……。でも、そんなに詳しいわけじゃありません。メリッサさんは面倒見がよくて、色んな人から頼りにされています。トモエさんは口数は少ないですが、気の利く頑張り屋です。彼女にミスをフォローしてもらった人も多いです。あっ、そういえば二人とも、時折一人で行動していることがあるような……。メリッサさんは多分誰かのヘルプに向かっていて、トモエさんは一人で黙々と作業しているのでは、と皆さんは思っているみたいですが……」
……一人で行動……? ふむ……。
「すみません。これくらいのことしか……」
「いえ。とても参考になりました。今後ももし他に気づいたことがあったら、何でも教えてくれると助かります。あと、そうだ……」
俺は机に向かうと引き出しを適当に開けた。お目当てのもの手にし、すぐ戻る。
「バスティーユは多分スルーしてくれますが、アークエンデやオーメルンはあなたの顔をよく知っていますから。間に合わせですが、とりあえずこれで変装してください」
「これは、眼鏡……?」
「お忍びで町に出かける時用の、度の入っていないやつです。わたしのなので大きいとは思いますが、ちょっとはサイズ調整できるらしいので……」
「領主様の眼鏡を……わたしにっ……?」
ビクンとシノホルンが体を揺れさせる。
「あ、ありがとうございます。部屋で大切に保管します……」
「あの、使ってくださいね……」
豊かな部分にぎゅうと抱きしめられた眼鏡を見て、俺は釘を刺した。
そして実際に眼鏡をかけてもらったが……。
うん……可愛い子は何を足してもプラスにしかならんな……。しっとりとしたおしとやかな眼鏡メイドさん、完成でございます。
「とてもよく似合ってます」
「……! あっ、ありがとう……ございます……。嬉しいです……」
「それでは仕事に戻ってください。シノホルン司祭」
「はいっ。あっ、領主様。ここではシホという名前で応募してますので、どうか今だけはシホとお呼びください」
「なるほど。わかりましたシホ、今後ともよろしくお願いします」
「はっ、はい。何かあればいつでもお呼びください。ごっ……ご主人様……えへへ……」
※
いいんか? 国教の司祭にあんなことさせて……。いや、シスターメイドくらいもうとっくに既出の属性だろ。罪はないよ……。
人目につかないようシノホルンもといシホを部屋からそっと出したところで俺は次の考えを巡らせた。
メリッサとトモエが単独行動を取っている。メイドたちは基本、スケジュール通りの班と割り当ててで仕事をしているはずだが、一人が絶対に許されないかというと、そこまでキツい縛りではないらしい。本家メイドでもチームワークは重要だ。
ただ、何をしているか、少し気になるな。
俺は彼女たちを直に見てみることにした。運よく単独行動が見られれば、そこで盗賊の眼が何かを拾うかもしれない。
そして屋敷の中を少し回ってみたが……おかしい。二人がいない。
ユングレリオにもそれとなく今日の割り当てを聞き出してみたが、不在。
そのうち、俺は奇妙な圧を肌身に感じるようになった。さほど強力ではないが、まとわりつくような感覚。
…………。
見られているのは……俺の方か?
もうみんなメイドとしてここに住みこめばそれでいいんじゃない?




