第二十話 メイド、ギルド、ボクと
「伯爵……伯爵……」
ううん、むにゃむにゃ。やったぁアークエンデとの健全なハッピーエンドにたどり着いたぞぉ……。
「起きるのだ伯爵……」
何だ……? 誰かが俺を呼んでいる……?
甘く囁くような声。スマホの目覚まし時計はもっと人の心とかない起こし方をするので違う。一体誰が……?
俺はゆっくりと目を開けた。そこには――。
「おっ、ようやく起きたか、この寝起きよわよわ伯爵~。愛らしいボクがせっかく起こしに来てやったというのに、幸せな時間を早くも数分無駄にしたぞ」
「へひっ!!!!????」
俺の上に、ベビードールみたいな煽情的な下着を身に着けた少女がまたがっていた。
緩く解けた三つ編み、しどけなくずれた肩紐、どこか妖艶さを湛えたあどけない顔は……って、これはユングレリオ!?
「な、何をやってるんですか陛下……!」
「ちーがーう。ボクはただのユングレリオだ。一方的に世話になるわけにもいかぬのでな。目覚めを手伝ってやりに来たのだ。それで、起きるか伯爵? それとも、今度はボクをつれてもう夢の世界へいく?」
「起きます! ただちに起きますから降りてください!」
押しのけようと、ユングレリオの肩に手を伸ばしたその時だった。
「お父様? 何やら大きな声が聞こえたような気がしましたけれど……」
「伯爵。もう起きてるのか?」
ガチャと扉を開けて、子供たちが入ってきた。
「あっ」
『あっ……』
…………。
「お父様ああああああああああああ!?」
「王様に何やってんだ伯爵ううううううう!!!?」
「ああああああ違うのおおおおおおおおおおおおお!!!!」
こんなんじゃ夢の欠片すら残らんわ……。
※
「ダメだ、片時も心休まる時がない……」
俺はバスティーユにそう吐露した。彼の執務室。机の上は利用者の理知的な脳内をそのまま移し替えたかのように整然として、書類の山もピシッと四隅が揃えられている。
「陛下が来ないのはこの部屋だけだ。後はどこにいても現れて俺をからかってくる。いやもうからかいとかいうレベルか? あれが……」
完全に誘惑だ。間違いを犯しに来ているとしか思えない。
だからと言ってこの部屋に逃げて来られても迷惑なのですが、とバスティーユの不機嫌そうなペン音が密かに抗弁してくるが、もう俺はここに避難するしかない。
だってよ……本当に……可愛いんだよ、あのお方……。この屋敷に来ておふざけのタガが外れたのか、当然のように女の子の服装してくるし、仕草も愛らしいし。
「……バスティーユ。陛下は本当に男なのか?」
つい漏らした俺の問いに、ガキッとペン先が紙面を削る音が反射した。
「旦那様……」
異物を見るようなバスティーユの目。俺は慌てて手を振りながら、
「い、いや! 変な意味じゃなくてだな! 女だったらどうこうとか、男でも別にどうこうとか、そういう危険な発言をしてるわけじゃなくて……!」
「いいえ。ユングレリオ様が男性だろうと女性だろうと、また子供であろうと成人していようと、もし旦那様が手を出されたら、その時点でヴァンサンカン家は終わりです」
「オフッ!? だ、大丈夫だ。そんなスキャンダルなことは……」
「醜聞的な意味ではありません。ユングレリオ様は退位にあたり、すべての権力を手放したとおっしゃっていましたが、あの家財を詰め込んだ多数の馬車を見たでしょう。生きている限り王族を降りるなど不可能なのです。そして政敵たる元王妃殿下は王宮に残っている。この意味がわかりますか?」
「いや……全然……。権力闘争に勝った元王妃がお城に残ってるのは当然だし……」
「ユングレリオ様はいつでも、誰かによって、表舞台に引き戻される可能性があるということです。元王妃殿下がいかに宮廷政治に長けていたとしても、王国全土を掌握とまではいきません。今回のことで首都から離れた諸侯の間に反元王妃の気風が生まれたことは確実。そんな時、隠居したユングレリオ様と“親密に”繋がった貴族がいたとしたら? そしてそれが、最後に臣従礼を行った貴族だと知られたら?」
「まさか……俺が担ぎ上げられるってことか……?」
バスティーユはコクリとうなずいた。
「彼らとて本気の反抗はできますまい。つまり適度に鬱憤晴らしに使われた後は、責任のすべてをかぶせられて旦那様一人だけ処断。そのような結果が目に見えています。ですので、ユングレリオ様とは適切な距離感を維持していただかなければなりません」
「わ、わかった……」
と、とんでもないこっちゃ……。いや、もちろん、陛下と間違いを起こす気はないよ。だってほら、相手は男だし。男だよな……?
「ちなみに旦那様の最初の質問ですが、ユングレリオ様が男性か女性かは本当のところわかりません」
「えっ!?」
男じゃないの? だって王様やってたし……。
「王室の方々が性別を公にしないというのは実は珍しくないのです。健康問題と並んで政治の不安を招きかねない内容なので、伝統的にあえてぼかし、そして周囲もそれを汲んでいる。王とはある意味で聖像。そこに居ると皆が納得できればいいのですから」
「ええぇ……」
聞くところによるとユングレリオは一人っ子だという。王と正室の貴重な嫡子。もし男子でなければ王位は継げず、腹違いの弟であるクレインハルトが生まれても慎重に扱わなければいけなかった可能性は十分ある。
あの女の子みたいな顔に、壊れそうなほど薄く細い体つき。瑞々しさの中に紛れたかすかな色香……。あんなに可愛い子が女の子じゃないわけがなく、普通に考えて女の子じゃなくなくなくなくなくなくない……?
それに今朝のベビードール姿、服の形状なのかもしれないが、ちょっと胸があったような……いや、そんなにまじまじ見たわけじゃないけど……。
アークエンデとは違った意味でとんでもない爆弾だ。絶対に爆発させてはいけない。……主に俺の理性の方をだが。
「時に旦那様、そこにいらっしゃるのであればこちらの書類にサインをお願いします」
ヴァンサンカン家終焉レベルの世間話が一段落ついたところで、バスティーユは俺に一枚の紙を差し出してきた。
「これは?」
「ギルド設立の承認届けです。設立の可否は町の合議で決められますが、領地に対して保守的な特権を付与するため、最終的な確認は領主が行うことになります」
おっと、ここからは領主の真面目なお仕事だ。
ギルド。それは現代人なら誰もが知る一般常識の一つ。俺は少し嬉しくなって、
「へえ、何のギルドだ? 冒険者ギルドとか?」
「は? 何でそんなごく少数の物好きな暇人のために領地の特権を貸し出さなければいけないのですか?」
「あっ……ハイ……」
そういえば『アルカナ』シリーズには冒険者なんて職業はなかった……。領北の山脈には魔竜なんてものも住んではいるが、魔物という区分よりは危険な野生動物の意味合いが強く、人々も狩りに出たり冒険なんてするよりも畑を耕し家畜を育てる方を優先している。
では、何のギルドか?
「メイドです」
「えっ」
「メイドギルドです」
「メイド……!? って、あのお城とかにいる、メイド服の?」
「うちにもおりますが」
まあ、いる。別にメイド服でもない中年のオバチャンが数人。町からの通いで、食事や掃除をやってくれている。ほとんど実家の家事の延長だが、それで十分ありがたい。
「しかし、メイドはともかくメイドギルドとは一体……?」
そんなギルドがあるのかと俺が首を傾げたタイミングで、執務室の扉がノックされた。
「バスティーユ、いいか?」
ユングレリオの声だった。俺はぎょっとする。ついに執事室にも彼の手が届くのか。
バスティーユが「お待ちください。ただいまお開けします」と席を立とうとしたところで、「いや、いい。自分でやる」との声が返され、彼は自ら扉を開けて部屋に入ってきた。
俺は、口と目をフルオープンすることになった。
現れたユングレリオは――なんと、フリフリの可愛いメイド服を着ていたのだ!
「ユングレリオ様!? その格好は……!?」
「伯爵も一緒だったか。ふふん、どうだ? ボク可愛いであろう?」
そう言ってその場でくるっと回ってみせる元国王。
本当にこの人は国のトップをやっていたのですか!?
首都ユングラードの宮殿で見たロングスカート型――実務一辺倒の貞淑なデザインではなく、フリルやリボンが付いて、さらに言うならスカート丈もやや短くなった破壊力抜群の逸品。ただし生足は見せずに清純な白タイツにてカバー。
当然、見た目は超絶可愛いメスガキロリショタのユングレリオに似合わないはずがなく……。
「ご主人様、あなたのユングレリオに何なりとお申し付けください。言われたことは何でもいたします……」
「ぐふう!」
上目遣いにあざとい発言を加えて、攻撃力さらに倍!
伯爵は4000ポイントのダメージを受けた!(即死)
「ぷぷっ、いい反応だ伯爵。さて……見てのとおり注文していた仕事着が届いた。商工組合に出していたギルドの申請はどうなった?」
「ちょうど次で手続きを終えるところでございます。旦那様、サインを」
俺をワンターンで(悩)殺しておきながら、メイドさんは突然バスティーユと事務的な話を始める。なにっ、ちょっと待ってくれ。なんか流れるように二人の間で話が進んでいるが、これってもしかして……。
「そうだ。メイドギルドの創設者はこのボクだ」
「えええええ……!? なっ、なぜそんなことを……?」
「オホン。伯爵、この屋敷は人手が足りておらん」
それは確実にそう。俺が過去に散々錯乱しまくったせいで、有能な使用人もそうでない人も軒並みいなくなってしまったのだ。その穴はいまだ埋めきれてはいない。
「ボクが伯爵専属のメイドをやってやってもよかったが、それでは掃除だけで一日が終わってしまうからな。いっそのことギルドを作って人を集めることにした」
「そ、そんなことして大丈夫なのか……?」
俺がちらとバスティーユに目を向けると、彼は仕事モードの涼しい顔で、
「ユングレリオ様の計画書には一定の妥当性と将来性がございました。どの貴族の館にも使用人はおりますが、それらの大半は何のトレーニングも受けていない町民で、不慣れなまま失態を演じて主人の顔に泥を塗ったり、また本人も激しく叱責されて心が折れてしまったりと、双方にとって不利益しかない状況がたびたび起こっています。しかし、ギルドを設立し、専門職として保護・教育することで、雇う側は確かな人材を、雇われる側は安定した仕事を継続できる。そうして組織的に人材育成を進めれば、この領内だけにとどまらず、他の土地から派遣を要請する声もあるかもしれません」
「わーくにからメイドさんを出荷……!?」
「新人使用人の教育というのは、貴族側にとっても負担なのです。それを代行してくれるギルドがあるなら有り難いことでしょう。結婚前の若い娘たちは母親の手伝いをしているのが一般的ですので、この労働力をより活用できるのはヴァンサンカン領にとって悪い話ではございません」
そう言えば、バスティーユも首都から派遣されてきた人材だった。中央にはそうした人材システムが出来上がっているのだろう。しかし田舎の方ではまだだ。王宮暮らしのユングレリオはそこにチャンスを見出したのか。
「あははっ、そういうことだ。というわけで、ボクはこれからこの姿で町に出てギルド員の募集をしてくる。この愛らしい姿を見れば、たちどころに人が集まるであろうな」
「そんな格好の殿下を一人では行かせられませんよ!? 悪いヤツにさらわれたらどうするんですか!」
「殿下はやめろ! では、伯爵も一緒について参れ。いや……ご主人様、どうかこのユングレリオと一緒に町へお出かけくださいませ」
そう言ってカーテシーとかいう婦女子の礼をしてくるユングレリオに、俺が逆らうことなどできるはずもなく……。
※
結果を先に言うと。
メイドギルドは窓口のユングレリオがパンクしかけるほどの大盛況となった。
地味な作業着ではなくドレス的で華美なメイド服は、男性以上に町の若い娘たちの興味を直撃。あれを着られる上に賃金までもらえるということで、志願者が殺到したのだ。
そして本日、なんやかんやあってメイドギルドの本格始動初日。ヴァンサンカン家のエントランスにて。
「お、お父様、この騒ぎは一体……?」
「何が起こってんだよ? あの人たち誰だよ?」
二階の手すりから子供たちが一階を見下ろす中、俺も一緒になって「何がなんだか……」と情けない声を吐くしかない。
エントランスには、ピカピカ、キラキラのメイド服に身を包んだ十人は下らない少女たちが集結していた。
彼女たちは一様にソワソワウキウキした様子でまとまりがなく、どこかの学校の入学式を思わせた。例えばそう、メイド専門学校とか……バカな。
「領主の屋敷は時として教育機関の役割を持ちます」
隣のバスティーユが、メイドさんの群れにも全然動じてない声で言う。
「徳の高い貴族は、領内の孤児や才能ある子どもたちを預かり高い教育を施します。貴族付きのメイドを育成するのであれば、ここで育てるのが一番でしょう。王家に仕えるメイドたちが貴族の出身である理由は、屋敷の中で身に着けた品格と教養をおいて他にありません。最初のうちは大したことはできないでしょうが、まあ、尻で拭くだけでも椅子のホコリは取れますので」
あまりにもぞんざいな言い方をされる彼女たちではあるが、目の前に同じメイド服のユングレリオが現れると、全員がおしゃべりをやめて背筋を伸ばした。
「すでに知っているだろうが、ボクがギルド長兼メイド長のユングレリオだ。そなたたちは今日からこのヴァンサンカン屋敷で働くことになる。丁寧な仕事を心がければ、それがそのままスキルへと繋がることを心掛けよ」
『はい、師匠!』
あんなに可愛くてこの中でも小柄な部類に入るというのに、もう師匠扱いされている。それはそうか。彼女たちを町で一目惚れさせたメイドとメイド服は、まさしくこのユングレリオのいで立ちなのだから。
「ここで存分に腕を磨き、ゆくゆくはどこかの貴族の元で働くことになる。高い技術と品格を身に着けたのであれば、主人の目に留まって玉の輿も十分にあり得るぞ」
『!!!!』
「それまではボクが宮廷流の作法を躾てやるので、皆しっかりとついてくるように」
『はい、師匠!』
見習いメイドたちの目の色が変わった。なるほど玉の輿狙い。元王様のユングレリオが行儀作法の師匠ならそれは国内最高峰だろうし、たとえ結婚までいかなくとも優秀なメイドは一つの家で何代もの当主に仕えるらしい。要は一生食いっぱぐれないのだ。
しかし、そんな可愛いメイドさんたちの中にあって、ユングレリオがやっぱり一番可愛いというのは、何かの間違いなのではなかろうか……。
そしてその日を境に、ヴァンサンカン屋敷はやたら華やいだ空間に変わった。
わかるだろうか……。どこを向いてもJKぐらいの可愛いメイドさんがいて、まだ庶民感覚でキャッキャと笑い合いながら、家事にいそしんでいるのだ。
まるでメイド喫茶かメイド科のある学校に住んでるようなものだ。
とんでもねえ……これが貴族の館の風景……!
そして、
「お父様、ご覧になって! ほら、可愛いでしょう?」
「オフッ……! ア、アークエンデ、それは……」
ついにはアークエンデまでがメイド服を着て洗濯を始める始末。もうこの屋敷はメイド王国だよ。
「お、お嬢様まで使用人の格好すんなよ。見分けがつかなくなるだろ……」
なんてもんくを言っているオーメルン君も、少し顔を赤らめて直視できないでいる。それくらいメイド服のアークエンデは可愛いのだ。
そうかおまえもメイド服に弱いか。さすがは俺の子だ。わかるよ。
ちなみに、この服のデザインはユングレリオがしたという。ギルド設立と言い、彼は王様こそやりきれなかったが、他でなら十分に活躍できる俊才だった……。
そんなこんなでメイド三昧の一週間が過ぎた頃、彼女たちの中に早くも頭角を現す者が出始める。
一人は、少しクセのある亜麻色のロングヘアーのメリッサ。勝気な目元と自信ありげな顔立ちが特徴で、メイド見習いの中でもリーダー的存在。追記として、別にあまり重要ではないし業務とも関係はないが、背は平均的ながら育つところはよく育っている。
もう一人は、黒髪をミディアムボブにしたトモエ。こちらはメリッサとは真逆に大人しい性格で、顔立ちもどこか気弱そうな印象を受ける。強く頼んだら何でも言うことを聞いてしまいそうな……い、いやもちろん仕事的な意味でね……? なお、こちらも重要な情報ではないが、小柄でほっそり型。
彼女たち二人は特に仲が良いわけでもなく、仕事場が重なることもそうなかった。あるいは、別々の持ち場にいたからこそお互いの才能を発揮できたか。
そんな将来有望な二人を、俺は……盗賊の目は静かに見ていた。
この二人は、何かがおかしい、と。
突然我が家がメイド学校になるとか、許されませんねえ。




