第二話 ああしてこうして、更生して
「お嬢様の瞳に〈執着〉の刻印が現れた?」
俺がアークエンデの養父ザイゴール・ヴァンサンカンとして目覚めた翌日のことだ。
ザイゴールの正体である盗賊イーゲルジットの対人スキルを体ごと受け継いでいた俺は(ああややこしい)、体が自然と動くままに朝食を済ませ、その後改めて執事のバスティーユにこの秘密を打ち明けていた。
執務室で早くも仕事に就いていたバスティーユは、氷のように冷めた瞳で俺を見、それからすっと視線を落として、朝食以来俺の腕を抱き込んでずっと頬ずりしているアークエンデの姿を確認した。
「私には朝から鬱陶しいほどに乱舞するハートマークしか見えませんが」
「見えるのか……」
アークエンデは昨日からずっとこんな調子だ。片時も俺から離れたがらず、子猫のようにじゃれついてくる。危うく風呂とベッドにまで入ってこようとしたのは家人に止められていたが。
「いや、それじゃなくて確かに見えたんですよ。この子の目の中に、なんかその、記号っぽいマークみたいなのが。どうすればいいですか?」
「……ですよ? ですか?」
俺の供述よりも言葉遣いの方を聞きとがめ、バスティーユは片眉を持ち上げた。
あっ、やべっ、つい素が……。
「使用人の私にそのような言葉遣いをされては困ります。旦那様はここヴァンサンカン伯領の主にして管理者。上に立つ者として指導者の立ち居振る舞いを心がけください。上が権威と威厳を纏わねば、下々の者は貴方を侮り、規律を忘れたサルとなり、結果として土地の政情不安を招きましょう」
「そっ、そうだったな、すいませ……ゴホン、すまない」
偉そうに俺ェ……。会社じゃ常に敬語だし一人称も「僕」だったのに……。
だが、これもアークエンデの立派な父親になるためだ。今までやらかしてきた毒親行為と合わせて徹底的に更生するぞ!
「わかっていただければよろしい。それに人前でそのような卑屈な態度を取られたら、寝たきりの主をいいことに領地を我が物としようとする私の魂胆がバレるやもしれないではないですか」
「ん~~~?」
今なんか物騒なこと言わなかったかこの執事。
俺は問い質す視線を向けるも、彼は「聞き間違いでは?」と書いてあるような顔で平然と話を続けた。
「それに刻印が表れたというのなら、それはそれで喜ばしいことではありませんか」
「えっ……そうなの? ……そうなのか?」
「〈執着〉は魔導素養『火・水・風・土・星・煉』のうち、高度な『煉』に表れるもの。お嬢様の本来の素養は『火』ですから、それに『煉』を足した『煉火』がお嬢様に発動したということ」
このへんは俺も配信で知っている。『アルカナ・アルカディア』シリーズでは、いつもの四属性に加え、星と煉という、いわゆる光と闇に相当する属性がある。
この二つは四属性にプラスアルファで付け足される属性で、星はパアッと明るく、煉はじっとりと絶え間なく、みたいな効果を付与する。煉は闇っぽい属性だが、邪悪な意味合いはない。
「現在王国は重魔導主義を採っており、刻印が現れるほどの魔導士は必ずや優遇されることでしょう。たとえば、ユングラント魔導学園においても」
「――!」
ユングラント魔導学園。それはアークエンデがもっとも花咲く場所であり、同時に破滅する場所だ。名を聞いた途端、ぞわりと這うものが背中を冷やす。
俺は慎重に言葉を吐き出した。
「その……それは何とかならないのか? 別の学校に入学するとかは」
「なりません」と、バスティーユは冷たい目をさらに冷たくしてこちらを刺した。
「領主のご息女であれば、よほどの莫迦か虚弱でない限り、ユングラントに入学するのが必然。それを避けたという時点で悪評が立ち、お嬢様ひいてはこのヴァンサンカン家の災いの種となりましょう」
入学したら災いの種どころか大輪の花を咲かせて爆散するんだが……。
「お父様、ご心配なさらないで。わたくし、必ずやユングラントを首席で卒業してみせますわ。誰が相手であろうと絶対に。そしてお父様と共に、未来永劫二人でこの地を治めますの……」
俺の腕を抱え込んだまま、アークエンデがキラキラ夢見る邪眼でそう主張した。
「…………」
まずい。アークエンデは邪悪可愛いんだけど、それはまずい。
彼女の闇堕ち阻止計画一歩は、昨日の段階ですでに33-4の大敗を喫している。
学園に入学してから覚醒するはずの魔眼を入学前にゲッチューし、飛び級でラスボスへの道を駆けあがっているのだ。
どうする。何か迂回策は……?
「ところで、屋敷を歩き回れるほど回復したのであれば、これまで滞ってきた政務について考えることの方が先決でしょう。時に旦那様、この領地の特殊な事情についてはもちろん理解されておられますね?」
「えっ? え、ええっとぉ……それはぁ……」
やばい。何だろ。知らん。そのへん何かゲームで語られてたっけ?
いきなりの話題転換に俺は焦った。
「…………」
呆れたような、しかしその中にも底を探るようなバスティーユの視線が俺を射抜く。この感覚……何かやばい。盗賊イーゲルジットの勘が告げている。この目を向けられるのはまずいッ……!
「バスティーユ!」
そこに割り込むように声を張り上げたのはアークエンデだった。
「わっ、わたくしも知りたいですわ! お父様はまだ記憶が曖昧なのでしょう。あなたから教えてくださらない? そうすれば、お父様も思い出すと思いますの!」
焦っているのがバレバレの、必死の抗弁だった。目端の利くバスティーユにはさらにお見通しだろう。だが俺は焦りよりも、情けなさと自責の方がはるかに強かった。アークエンデにこんな無様な擁護をさせてしまうなんて、何をやってるんだ俺はァ……。
「…………まあよいでしょう。旦那様はまともな政務を一度もされていませんから、半端な知識で踏み込まれても困りますゆえ」
バスティーユは長い沈黙の後、そう折れた。俺とアークエンデは揃ってふうーっと二人でため息をつく。親子か。親子だよ。
「ここヴァンサンカン伯領は、左右を二大騎士領に挟まれた、緩衝地帯としての役目を持っております。東のイルスター槍家、西のウエンジット鋼家。彼らは国王陛下に忠誠を誓いつつもお互いをライバル視しており、隙あらば互いの領地を削ろうとするので、それらを引き離すためにこの伯領が設けられたと聞いております。そのため、もし両者の間で揉め事が起こるとすればこの地。そしてその時は旦那様が仲裁に入らなければなりません」
うげっ、何という面倒な立ち位置……。アークエンデってこんな厄介な土地の出身だったのか……? そりゃ何かと荒みそうだ……。
「ただし、厄介事を引き受ける代わりに特典もございます。まず、伯領ではございますが国王直轄領の性質を帯び、税が安く、有事の際の軍役が免除されております。他の貴族領はもちろんのこと、軍事奉仕が本務である騎士領の負担と比較すれば破格の待遇と言えるでしょう」
「争いは……イヤです」
不安げに俺に身を寄せてくるアークエンデ。大人だって怖いのだ。子供が怖くないはずがない。俺は彼女の肩を優しく抱き寄せた。
「また、はっきりと国王陛下の後ろ盾が見えているため、先に述べた騎士領二つもおいそれとは圧力をかけられません。従って小競り合いは起こりにくく、もし起こるとしたら、それは両家にとって破滅的な大戦となるでしょう」
「嬉しいんだか嬉しくないんだか……」
ともあれ、我がヴァンサンカン領の微妙な立ち位置については概ね理解できた。
何も起こらなければどこよりも平和。何かあれば一番の修羅場となる。そんな土地だ。
「とはいえ、領地同士の政治的バランスは王国全土のうねりと連動するものですから、こちらからどうこうできるものではありません。ただ己の立ち位置を知り、覚悟を持っていただければ十分です」
「よくわかったよバスティーユ。ありがとう」
「ありがとうバスティーユ」
俺たち親子から礼を述べられ、バスティーユは不自然に視線を逸らした。「ええ」と少し控えめに返された言葉は、まさかと思うが、彼が照れているように見せた。
「それで、何から手をつけるのがいいかな……」
ここまで来たら、彼にすっかり甘えてしまうのも手だ。この土地のイロハすら忘れていた設定なのだから、素人があれこれ考えるより聞いてしまった方が早い。
「色々ございますが、陛下から委託された旦那様の主な仕事は二つ。税の徴収と裁判です」
うむ……何かとても大変そうだ。税金は安いらしいのでいいとして、悪者はムッコロせばいい?
「が、納税は年に一度ですし、その手続きは各地の長に任せてあるため今は不要です。裁判に関しても領民の手に余るような極悪人はまず出ないので、各地から届けられた書類に目を通しサインするだけで十分でしょう」
「それは……何というか楽で助かるな」
そんなことをつぶやいた途端、バスティーユの鋭い目線が俺の両目に突き刺さった。あっ、今俺余計なこと言った。
「旦那様がまともに起き上がれない身でしたので、私がそのように手配したのです。楽すぎて物足りないというのなら、従来の形にお戻し致しますが?」
「いや! そんなことは一切ないです……ないぞ! なんかその……大変世話になった。すごいな。仕事の流れを作り替えたのか?」
こういう手続きを組み替えるというのはクッソ大変と相場が決まっている。そして次に起こるのは不具合の連続だ。素人目線で小さな改善策を投入したら全体がガタガタになった……なんてことはあり得る話。
それを一人でクリアしてしまったなんて。
「バスティーユはとても有能ですのよ、お父様」
その仕事ぶりをきちんと見ていたのだろう。アークエンデが嬉しそうに付言する。
「無論です。旦那様がそのように中枢評議会に人材をご要望しましたので。“人となりはどうでもいいのでとにかく有能なやつをくれ”と。結果、執務S、性格Zの私がここに派遣されてきたわけです」
性格Zってどういう評価だ……? いやでも、これまでの数々の発言からうなずけはするが……。
と。
不意に、バスティーユの執務室の扉を控えめなノックが叩いたされた。
「何か」と部屋の主が用向きをたずねると、家人の声でおずおずと、
「バスティーユ様、お屋敷にまたセルガイア教の司祭様がお見えになっていますが……いかがいたしましょう」
セルガイア教……! これは俺も知っている。確か王国全土で信仰される一神教だ。この権威は凄まじく、下手なことをすれば貴族さえも罰を受けるという。多分やばい!
「ああ、そういえばそんな面倒事もございました。これまでは旦那様のご病気を理由に面会を断ってきましたが……いかがいたしますか?」
対応をこちらに委ねるバスティーユ。選択権があるということは、今ならまだギリ、病み上がりを理由に追い返せるということだろう。
ううっ……いかに盗賊イーゲルジットの対人スキルを引き継いでいるとはいえ、いきなりそんなお偉いさんと会うのはキツいか? せめてもうちょっと、この世界の常識や作法について頭に入れてからの方がいいような……。
「ちなみにお伝えしておきますと、聖庁としてもこの土地にあまり深入りはしたくないらしく、司祭とはいえまだ若い娘で名前はシノホルン・ウラタスカといいます」
「!!!???」
俺は思わず叫びそうになった。そして、実際に叫んだ。
「すぐに会う!」
驚いた様子のバスティーユ、それからアークエンデの視線を肌に感じながら、俺はただ混乱と焦りのみを頭の中で回していた。
シノホルン・ウラタスカ。
そいつは『アルカナ・アルカディア2』の、ラスボスだ……!!
今作の方もお付き合いいただき、本当にありがとうございます!
平穏な領地と平穏な家族。不意の来客も平和そうだし大丈夫だろガハハ。