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第十九話 王の道は民の往来へ

 翌日、臣従礼は音のないどよめきの中で執り行われた。

 先日と変わらぬ姿で謁見の間に現れたユングレリオ陛下を見て、出席した重臣たちが動揺の空気を垂れ流すのを、俺は全身で感じる。


 ここにいる者たちは知っていた。陛下は昨日死ぬはずだったことを。それを涼しい顔で切り抜けてきたのだから、彼らの中には、王の真価を見誤ったかと己を悔いる顔もあった。そう考えると、案外、逆転の目はあったのかもしれない。


 だがそれを選ばなかったのがユングレリオの弱さであり、優しさ。


「汝ザイゴール・キア・エムス・ヴァンサンカン、我ユングレリオ七世と我が王国に対し、終生違わぬ忠誠と奉仕を誓うか?」


 厳かに述べるユングレリオ国王の前で俺は片膝をつき、「誓います」と静かに答える。

 これでいいのだろう。彼は王座にいるべき人ではなかった。色んな意味で。


「では、汝に与える領地とその権能で以て、王国のために尽くすがよい」


 ここで国王側が俺の肩に手を置き、俺がその手に手を重ねることで式は終わる。ちなみにこれは貴族領への対応で、騎士領の場合は、あの有名な剣を肩に当てる仕草をやるのが王国式だと、バスティーユは教えてくれた。


 厳粛な空気と大勢からの注視で緊張こそするものの、やること自体はひどく単純。小心者の俺も何とか震え声にならずにここまでやり遂げられた。


 ……が、ここでユングレリオ陛下は予想外の動きを見せる。

 肩に手を置く段取りのはずが、突然俺の前で身を屈めると、両腕でそっと抱きしめてきたのだ。そして頬に、多分、キスをした。


 式典中がざわめいた。


「これは〈誠心(せいしん)臣従礼〉……!」

「最大の友誼(ゆうぎ)を結ぶ相手への作法ですぞ……! それを伯爵ごときと……!?」


 俺も驚いて声も出せないでいる中、頬をほのかに赤く染めたユングレリオ陛下が、上目遣いのまま囁いてくる。


「伯爵はボクの最後の臣下だ。それを覚えていてほしい」


 そして彼は立ち上がると、集まった人々にこう宣言した。


「この式の終了をもって、我は王の座から退位する! この場にいる全員が証人となれ!」

『!!!』


 さっきのキスとは比べ物にならないほどの動揺が、臣下席を文字通り根元から震わせた。


「へ、陛下、何ということを……!」


 お付きの爺やが玉座の隣からまろび出るようにして歩み寄るも、陛下はそれを丁寧に受け止め、


「大叔父上、今日まで本当にありがとう。王位は弟のクレインハルトに譲ります。しかし、彼には今少し学びの猶予を与えてやりたい。本人も楽しみにしていた、近く入学が決まっているユングラント魔導学園を卒業するまで、大叔父上が国王代理となって国をお治めください。お願いします……」

「ああ、陛下……ユングレリオ……! そんな……。これは彼女が仕組んだことなのか……」


 爺やが震える小声でうめいた。その態度から、彼が元王妃サイドではなく、無辜で無力な人間の一人だったことがうかがえた。


 城に染み込んだ数々の悪意が、この場のざわめきに塗り替えられるようにして消えていく。陰謀は成った。これで満足か。それとも血を見ずに終わった落胆か。


 当初の筋書とさほど変わっていないだろうに、臣下のどよめきは俺とアークエンデが謁見の間を去っても鳴りやむことはなかった。


 ※


「さあ、お二人とも急いで……」


 バスティーユに急かされるように、俺とアークエンデは宮殿脇に停められた馬車へと乗り込もうとしていた。今や王宮は蜂の巣をつついたような大騒ぎだ。ここで下手に巻き込まれてはたまらない。

 特に俺はユングレリオ殿下が最後に臣従礼を交わした相手。ゲスな勘繰りの浸透率は100%だ。


 しかし、そこに――。


「伯爵」


 なんてこった。現れちまった。

 元王妃殿下。それとクレインハルト――。


 クレインハルトは、多忙を極めているであろう兄の代わりの見送りと言った安穏な空気。だが元王妃の方は……。ダメだ、わかんねえ……この女の腹は……。


 馬車のタラップに足を載せかけていた俺たちは、慌てて二人の前に並んで姿勢を正す。


「――礼を言う」


 元王妃は俺に向かって、そうとだけ言った。


 直々の指名により面倒なく王位が譲られたからなのか。ユングレリオを殺さずに済んだからなのか。あるいは甥を生かして逃がしたことか。わからないが、本心は「余計なことを言わずに速やかに去れ。いいな?(腹パン)」なことは確かだ。言われんでもそうするさ。


「あの、母后様――」


 しかしここで声を上げた者がいた。

 今は一刻も早くこの場を解散させるべき……俺だけでなくバスティーユもオーメルンもそう思っていただろうから、話を長引かせるこの一声には、誰もが驚いて目を向けた。


 アークエンデ。


 母后――元王妃は彼女を熱のない目で見やる。

 そして、アークエンデは、言った。


「母后様、あの……。す、素敵ですっ!!」


 ブーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッッ!!!!!????


 俺たちはフイタ。松田優作のAA並みに。


 それはあまりにも突拍子もないアークエンデの推し発言。

 クレインハルトも、そしてあろうことか元王妃殿下ですらきょとんとしている。


「す、すみません。突然こんなことを申し上げて……。でもっ……母后様のその力強く気高いお姿は……とても素敵でした! わたくしの憧れです!」


 興奮したように言い募るアークエンデ。彼女は目の前の元王妃が企んだ残酷な陰謀を知らない。だが、それにしたって、よりによってこんなバケモンに対して、そんなこと言う!?


 ぷっ……。


 その時、小さな息が漏れる。


(え……)


 俺は唖然とした。


「ふふ……ふふふ……」


 ウソ、だろ……この女……!

 あんな魔物みたいなオーラを纏っておきながら。国王の暗殺まで企てておきながら。

 こんな、()()()()()()()()()()()()()()()()()笑うなんてっ……!!


 その様子にはクレインハルトでさえ唖然としている。


「伯爵の娘、名は何という?」


 ひどく穏やかで涼しげな声で、彼女は聞いてきた。


「はいっ、アークエンデと申します!」

「そうか、アークエンデ。わたしのことはマリスミシェルと呼べ。そしてまたここに来い。その時は二人でゆっくりと話をしよう」

「は、はいっ! ありがとうございます! マリスミシェル様!」


 そうして俺たちは、元王妃マリスミシェルとクレインハルトに見送られ、騒動冷めやらぬ宮殿を後にした。

 車内では男性陣全員が「ぶはぁ……」とマリスミシェルのプレッシャーにやられてへたばる中、アークエンデだけはうきうきと浮かれた様子で、ユングラードの最後の街並みの眺めていた。


 何で……どうしてこんなことに……。

 あれのどこが素敵と言えるんだ? あの毒蛇の巣窟みたいな女が……。息子を王位に就けることにひたすら執着した女が……。


 しかし……考えようによっては、あの破滅フラグすら押し潰して進む気迫はアークエンデに必要なものなのかもしれない……。もし俺が彼女の闇堕ちフラグを防げないような事態になったら、あの女傑が受け皿になってくれるか……。


 いや、それにしたってあれはないだろ、あれはぁぁぁ。お父さんはまずいですよぉ……。

 そんな俺の苦悩は、うちに帰るまでずっと続いたのだった……。


 ※


「ん……? 何だか外が騒がしいな」


 ヴァンサンカン領に帰って、数日。

 世間はまだユングレリオ七世の退位で揺れつつも、一時的に後任についた大叔父殿の安定した指揮で、諸侯諸領の混乱にまでは波及しないで済んでいる。やはりあの人は、きっちり王様ができる人だったわけだ……。


 俺は自室の窓から外を見やった。

 すると、見慣れない黒塗りの大型馬車が次々と屋敷の前に到着してくる。


「お父様、あれは何でしょう?」

「何だろうなぁ」


 などと部屋にいたアークエンデと話していると、


「旦那様、旦那様!」


 珍しく色を失ったバスティーユが、扉を破るようにして飛び込んでくる。


「外にお出になってください! あの馬車は、あの馬車に描かれた紋章は……!」


 俺と子供たちは意味もわからないまま屋敷の外へと飛び出た。

 そこで――。


「伯爵ーっ!」


 いきなり飛びついて来たのだ。その女の子は。――いや、男の――ホアッ!?


『ユングレリオ陛下!!!???』


 俺たちは揃って声をひっくり返らせていた。

 天の川のようにきらめく金髪の三つ編み、天上の匠による整った顔立ち。そしてケーキのような甘い匂い。間違いなく、数日前に別れたユングレリオ陛下その人。


「違う。ボクはもうただのユングレリオだ。ふふっ、伯爵、会いたかっただろう?」


 ぎゅっ、と俺の腹に回された腕が締まる。


「ど、どうして陛下がここに? 新聞では近く退位の儀式とかそういうのが行われると……」

「こーら、陛下とか言うな。名前の前に“可愛いわたしの”を付けることのみ許す。その手の儀式は準備にアホみたいに時間がかかる上に、ボクにできることなど何もないからな。あちらにいても騒がしいだけだから、ここに逃げてきたのだ」

「し、しかし、その格好は……」


 俺は狼狽した。ユングレリオ陛下はどう見てもドレス――女の子の服装をしていたのだ。


「可愛いであろう? 以前の格好のまま出歩くわけにはいかないからな。変装というわけだ。それでも、道行く民が振り返らずにはいられないだろうが。嬉しいか伯爵」

「ええっ……何で……?」

「何でだと?」


 一瞬ムッとした顔を見せた彼は、しかしすぐさま蠱惑的な微笑を浮かべ、


「ボクとの、あの二人だけの夜を忘れたとは言わさんぞ。恥ずかしい姿を見せたボクに、伯爵は優しくしてくれた……。謁見の間でも〈誠心臣従礼〉を受けてくれたではないか。そなたはボクを愛してくれる……」


 !!!!????


 その言葉は衝撃となってヴァンサンカン屋敷の前を吹き荒れた。

 ここでの愛は親愛とか敬愛を意味するものであって、あっちの方を示すものではない。だが、その前の誤解を招く言い回しのせいで文脈が絶望的にまずゥい!


 ギギギギ……ビキィン! バキィン! ベキィン!


 うわあああああ! 後ろからすごい音が聞こえてくる。刻印が拡大する音……! 怖くて振り返れねえ!


「そういうわけでしばらく世話になる。この愛らしいボクを好きな時に好きなだけ愛でられるのだ。こんな幸運、他にないんだからな伯爵っ。あははっ!」


 と、とんでもないことになってしまった……。

 引退した王様が我が家に居着く。

 数日前までは無難に臣従礼を終えることしか考えてなかったのに、どうしてこんな結果になるの……?


 これは、煉界症候群でもない動画勢が、シリーズ人気ナンバーワンのスパダリを直視した呪いなのかもしれない……。

 ノオオオ、お許しください腐女子の皆様……!!


こういうのでいいんだよこういうので(そうか?)

次回、伯爵のおうちもっとダメになる。

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― 新着の感想 ―
拡大した刻印が地面に引っかかって前見て歩けなくなりそう。
作者さんは可愛いロリの描写がいつも上手いっすね。 によによしてしまう。
>突拍子もないアークエンデの推し発言 アークエンデちゃん…?なにメチャヤバ女傑のファンになってんの…(´・ω・`) なんかラスボス的やべー女と思ってたけどそうではないのか?うぬぬ… >数日前に別れた…
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