第十七話 蛇の道は邪悪な女王
容姿は美少女。態度はクソガキ。服装は王子。役職は王様。
そんな属性がバトルロイヤルしているこの子が、王国全土を束ねる君主ユングレリオ七世閣下……。本当に?
謁見の間には俺の臣従礼に合わせて多くの家臣団が集められている。その中の誰一人として、玉座でふんぞり返るこの子供に怪訝な目を向ける者はいない。
マジで。この子が王国のトップ。マジで。
そんな驚きが俺の頭をフリーズさせていると、
「ふぅむ。それにしてもひどいクマだな伯爵。どれ、ちょっと我に見せてみよ」
突然、ユングレリオ陛下はそんなことを言い出し、玉座からぴょんと飛び降りてこちらに歩いて来た。
「陛下……」と補佐役と思しき高齢の男性が止めようとするも、「いいだろ」と軽く突き返されて黙ってしまう。
……つーか、ちょっと待って……?
その爺やみたいな人。そっちの人こそ俺が知ってる方の王様じゃないか!
何がどうなってんだ。王様が補佐役で、子供が王様?
ますます混乱を深めた俺のすぐ横に、ニンマリと笑った顔が現れた。あまりの近さに思わず身を引くと、
「こら、この愛らしい我から目を背けるなど人生の損失であるぞ。特別に我の吐いた息を吸うことを許すので、そなたも顔を見せろ」
何だこの物言い! しかし言うだけあって、間近で見る陛下は物凄い可愛さだった。どんな美形も近くで観察すれば粗が見えてくるというが、そういうのが全然ない。むしろ、見れば見るほど完璧な造形なのがわかる。ウソだろ神よ……。
「うわぁ……これはひどいな。ぷぷっ、三日徹夜した兵士でもここまで見事なクマはできまいよ。まるで化粧に失敗した道化のようだぞ。これは傑作だ。よわよわ伯爵、あははっ」
(……このガキっ……大人をバカにしやがって……!)などというわからせルートが確定しそうなメスガキ王子っぷり――何だそれ――だが、俺は俺で驚きと困惑でそれどころじゃない。
本当に誰なんだこの王様は。王位継承権一位のクレインハルトではない。おヒゲのおじいさん国王でもない。そして何でこんなクソガキムーブ……。
「ふーん……。怒らないのだな」
戸惑うままの耳に、何かを確かめるような、そんなつぶやきが聞こえた。気がした。
何だ? と思って改めて陛下の顔を見直そうとした途端、彼(?)はいきなりこちらから身を離し、
「面白い人物だ。なぜそのような顔になったのか話を聞きたいな。おおっ、そうだ。伯爵、今夜は王宮に泊まっていくがよい。臣従礼は明日執り行うことにしよう」
『!?』
会場中がざわめいた。それはそうだろう。有象無象のように一か所に集められている人々だが、恐らくは全員が重要な役職持ち。それを気まぐれで集散させるなんて、いくら王でもワガママが過ぎる。俺だって儀式が終わったら即座に屋敷に帰るつもりだった。
「陛下、そのようなことを突然決められては……」
戸惑いの視線が乱反射する中、俺的には国王なはずの爺やが、さすがに咎める口調を向けた。身勝手さもそうだし、きっと明日は明日で別の予定があるのだろう。しかし、玉座に戻ったメスガキ国王はふんぞり返りながら白タイツの脚を組み、
「いーや今決めた。もう決めた。我は明日、伯爵と儀式を行う。今日はしない」
完全にワガママな子供だ。これでは年下のアークエンデの方がはるかに大人。
俺もこのまま流されるのはまずいと思い、
「あのう、陛下……」
「いいから! ゆっくりしていけ伯爵! そうだ、後で庭園を案内してやろう。な? これは王の命令だ! 断ったら許さないぞ!」
「は、はい」
ダメだこれは……。完全にクソガキムーブ。爺やは肩を落として匙を投げてしまい、周囲の人々も何やらぼそぼそと言い合うばかりで誰も諫めの言葉を飛ばそうとはしない。
王様がこんなんでこの国は大丈夫なのか……?
ともかく、こうして俺の臣従礼は翌日へと持ち越されてしまったのだった。
※
ぼそぼそ、ぼそぼそと、顔の見えない囁きだけがあちこちで蠢いている。
まただ。悪意ある誰かの話し声。いったいどれだけの年月、この宮殿はそれらの聞き手としてやってきたのか。
それらをスルーしながら、俺は控室で待っていたバスティーユとオーメルンに事の次第を伝えた。
「なるほど……。ユングレリオ陛下はまだお若いとは聞いていましたが、まさかそのようなことを……」
「何だそれ。子供のワガママじゃんか……。まあでも、王宮に泊まれるなんてラッキーかも」
二人の反応はこんな感じ。彼らの呆れ顔はもっともで、謁見の間から退場していくお偉方も同じ顔をしていた。ただ、アークエンデはそれについて、さっきから何か考え込んでいる様子だ。後で話を聞いてみよう。
それよりも、俺は謁見の間で抱いた疑問を我が領地のブレーンに投げてみることにした。
「なあバスティーユ。変なことを聞くんだが、まだ子供のように若い王様が、ある日突然高齢の王様になっていることって、あるか?」
何気ない質問のはずだった。しかし、途端にバスティーユの目が鋭く尖る。
「旦那様、滅多なことを口になさいませぬよう。ここでは誰が聞いているかわかりません」
「えっ……これってそんなにヤバいこと……?」
バスティーユはちらと窓の外を見やるようにしながら、子供たちにも聞こえぬ小声で先を述べる。
「もし、若く健康な君主が、ある日突然老いた人物に代わっていたとしたら、それは何らかの理由でご本人がお隠れになったということです」
お隠れになった。一瞬、あのメスガキ王子が勝手にかくれんぼを始めた姿を想像したが、違う。
「……死んだってことか……?」
「……王宮は常に血生臭いところです。ユングレリオ陛下はお若く、王位を継いで日が浅い。こういう権力が不安定な時こそ、影で人の血が流れます。古い因習の残る場所ならなおさらに……」
俺の質問は、今は冗談にはならないということだ。
ギクリとした。俺は少なくともこの数年後、あの子の姿が玉座にないことを知っている。
壁に染みついた誰かの囁きが、再び耳に覆いかぶさってきた。もはやざわめきに近いそれは、単なる陰口では済まない剣呑さを帯びている……気がした。
「……しかし、奇妙な話ではございます」
バスティーユが声量を平時に戻しながら話を続ける。
「先代国王の崩御から急に王位を継ぐことになったユングレリオ陛下ですが、お若いなりに勤勉に政をされているとうかがっていたのですが」
「え……そうなのか? 俺の見た限りじゃすっごいクソガ……オホン、おワガママな感じだったけど?」
「お父様……少しよろしいでしょうか?」
そこへアークエンデが声を差し入れてきた。さっきまで何かを考え込む様子だったから、そのことかもしれない。
「わたくしも、陛下のご様子が何か不自然に思えましたの」
「なに?」
アークエンデも俺と一緒に謁見の間にいた。俺のイーゲルジットの目は、悪い大人を見抜く技術には長けていたが、子供に関してはよくわからない。けれど、同じ世代のアークエンデには気づくものがあったらしい。
「アークエンデは、あれがお芝居のように見えたのかい?」
「ええお父様……。とても不思議なことだとは思うのですけれど……」
彼女は俺たちの不穏な会話を知らない。だから当然、彼女が感じたままのことを口にしたにすぎない。
「陛下のあのご様子はまるで……助けてと言えない子供が、必死に大人の気を引こうとしているみたいでした……」
『……!!』
俺とバスティーユは揃って身を震わせた。
ほどなく玉座から姿を消す国王。
王宮の壁に染みる不穏な囁き。
助けてというメッセージ。
この状況って……。
「……旦那様、やはり急用を思い出したことにして、至急この場を離れさせていただきましょう。今の王宮は不穏です。我々の手には余るほどの……」
バスティーユがそう言いかけた時だった。扉がノックされ、俺と彼は揃って椅子から飛び上がった。
「……伯爵、よいか? 待たせてすまなかった。庭園を我が自ら案内してやろうぞ」
ユングレリオ陛下の声がした。
俺たちは顔を見合わせる。逃げるタイミングを失った……。
※
「そうか。伯爵のところにも庭園があるか。だが、偉大な王宮の庭とは比べ物になるまい」
「は、はい。宮殿に入る前に少しだけ見させてもらいましたが、とても立派なお庭でした」
ユングレリオ陛下はまるで俺の手を引くような距離感で、宮殿の外、庭園への道を歩いていた。
態度は尊大で生意気。俺の目からはそれがメチャクチャ板についていて、とてもお芝居だとは思えない。今でさえ、そんな窮地に立たされている風には微塵も見えなかった。
「陛下?」
と、ここで、春風のように爽やかな声が俺たちの足を止めた。
「おお、クレインハルト!」
なにっ!?
ユングレリオ陛下の少女のような嬉しそうな声に、俺は横面を叩かれた勢いで声の方へと振り返っていた。
そこにいたのは、視界ごとすっと涼しくなるような一人の少年――。
(うっ……でけぇ……)
年齢は多分、まだ十四とかそこらのはずだ。だがすでに身長は百八十を超えている。
モデルのようにすらりとした体型、長くも短くもなく上品にカットされた金髪、中性的だが確かな男性を感じさせるハンサムフェイス。ゲーム内で知られている顔より数年分は幼いはずだが、すでに大人びていて端麗……。
『アルカナ』シリーズ最強のスパダリ、クレインハルト……!
まさか煉界症候群の皆さんを差し置いて、動画勢の俺が出会ってしまうとは……やまとさんお許しください!
「ご機嫌麗しゅうございます、陛下」
丁寧に臣下の礼を見せるクレインハルト。背丈もあるだろうが、その所作は洗練された大人と何ら変わらない。横に並ぶと、ユングレリオ陛下が本当にただのロリメスガキに見えてしまうほどだ。
「公の場でもないのだから堅苦しい挨拶はよせ。兄上でよい」
そのユングレリオが、クレインハルトを見上げるようにして言う。
兄上……?
ユングレリオはクレインハルトの兄ということか?
それは……何というか、当然だ。王位は年長者が継ぐものだろうから、彼の立場は兄以外にはありえない。けど……見た目的には年上でもなければ兄ちゃんでもない。
いいんか? エグい身長差のある姉(兄)弟とか……。
「しかし、お客人の前です」
ゆるりとした声でクレインハルトから返され、ユングレリオはこちらを一瞥した。
「ああ、そうであった。うん……でもまあ、よいだろう。伯爵はそのようなことは気にせんだろうし。な?」
「はあ、まあ……」
何でここまで馴れ馴れしいのか……。しかし、アークエンデは陛下が俺の気を引こうとしているようだとも言っていた。いやでも、これは普通に偉そうなだけでは……?
「お初にお目にかかります。クレインハルトと申します」
こちらに向けられた風の形をした瞳に、俺たちは揃って姿勢を正した。
「ヴァンサンカン伯爵におかれましては、長らく悩まされていたお体の具合が、最近ようやくよくなったとか。やがて国政の一部を担う者として、お慶び申し上げます」
「こ、これはご丁寧に。ありがとうございます、クレインハルト殿下……」
俺がわたわたと挨拶すると、まわりの家族たちは仕草も含めた丁寧な答礼をする。このメンバーだと俺が一番ダメなんすわ……。
そして対面して実感する。このスパダリはガチ。
隙がないというか、うわべだけの作られた高貴さではない。根っからの貴人であり、揺らがぬ高潔さがうかがえる。
何を隠そう、正史のアークエンデも彼に惹かれることになるのだ。これは……そうもなる。
「立ち話もなんだ。どうだ、クレインハルト。これから一緒に庭園に――」
「クレインハルト? どうしたか?」
ユングレリオ陛下の嬉しそうな声は、その一声によって遮られた。
クレインハルトの背後から、新たな登場人物が一人。
「――――!!」
俺はその人を見て、体中の毛が逆立つのを感じた。
『母上』と声を揃えた兄弟から、その人の素性がうかがい知れる。
元王妃殿下――。
だが……!
(何だ、こいつは……!)
高く結い上げた巻き髪。宮殿を服の形に仕立て直したような豪奢なドレス。一分の隙もない、高貴で洒脱な貴婦人。しかしそんなものがすべてお飾りに見えるほどの……猛烈な冷気……!
竜の血がそれを見せているのか、不穏な空気が蛇のように彼女の体を這い回り取り巻いている。これはもう瘴気と呼んでもいいほどだ……!
冷徹、怜悧、麗人にして白刃。盗賊なんぞの小悪党が及ぶところじゃねえ……。本当に人間か、この人……!!
「陛下、ご機嫌麗しゅう」
クレインハルト同じく臣下の礼を取った元王妃だが、ユングレリオが反射させた態度は真逆――震えるほどの動揺と、火がついたような焦燥だった。
「は、母上。そのような他人行儀はおやめください。ボクは……」
「なりませぬ陛下。国王たるもの、いついかなる時でも王として振る舞わなければ……」
優しく窘めるようでいて、凍れる刃の凄みがある。美しい顔立ちも、微笑も、常に焼けつくほどの冷気がつきまとう。陛下は縮み上がっていた。
「聞きました、陛下。臣従礼を一日延期したとか……」
「そっ……そうだ、母上。こちらはヴァンサンカン伯爵です。あのトメイト・ケチャップを発明した……。それを半日で帰してしまうのはもったいないと思って……」
「ほう……。あの地を治める伯爵か」
元王妃の切っ先が、今度はこちらにずらされた。突きつけられた冷気の先で、喉の奥がパリパリと凍りついていくのがわかる。
「卿の治める土地は、その豊かさゆえに長らく二大騎士領の係争地であった。かの騎士団は我が国の剣と盾。お互いをいたずらに傷つけては国の存亡にかかわる。伯爵、難しい土地を守るだけでなく、よい特産品を作ってくれた。今後も王国に対する変わらぬ忠節を期待する」
「は……い……」
彼女の体にまとわりつく多数の蛇に睨まれ、俺はかすれた声を返すのが精いっぱい。全感覚が告げている。この女の前で声を出すな、身じろぎもするな。そうでなければたちまち噛み殺される――。
「そっ、それで、今宵の晩餐に伯爵を招こうと思うのです。母上もご一緒にいかがですか。もちろんクレインハルトも。トメイトウ料理に関して、きっとたくさんの話が聞けると……」
ユングレリオのまくし立てるような誘いは、元王妃の「申し訳ありません」という上品な断りによって堰き止められた。彼女はわざとらしく豪華な扇で口元を隠し、
「体調が優れないため、今夜はクレインハルトと共に別館で過ごそうと思います。伯爵との会食はまた次の機会に……」
「! ……そう……ですか。それは……お大事になさってください……」
「お気遣い、ありがとうございます陛下。――伯爵?」
「はっ……!」
「遠い所をご苦労であった。今夜は王宮での夕餉を楽しんでいくがよい。くれぐれも……慎ましやかにな」
「はい……」
うへぇ……。背中の汗が凍って肌に食い込むようだ。
正直なところ、同席せずに済んでよかったとしか言えない。誘いを蹴られてしょんぼりしている陛下には悪いが、こんな人間が同じテーブルについていては息すら喉に詰まる。
「では行こう、クレインハルト」
「はい」
並んでこちらとすれ違う二人は、まるで別世界の生き物だった。
一人は汚れも知らぬ若者。そしてもう一人は、蛇の巣さながらの怪物。
何なんだこの人は。ユングレリオ陛下もそうだが、こんなバケモンが『アルカナ』シリーズにいるなんて知らなかったぞ……。
すれ違いざま、彼女の声がかすかに聞こえた。
「……蛇の居場所に気づくのもまた蛇……」
「……!」
油断していたところに刃を突きつけられた気分だった。
俺が感じ取っているものを……彼女もまた見ている……?
だとしたらバレている。俺の正体がケチな泥棒であることも……。
二人が見えなくなるまでの数分。俺たちは、金縛りにでもあったみたいに棒立ちになっていた。
それを打ち破ったのは、あまりにもか細いユングレリオの声。
「伯爵……すまないが、庭園はそなたたちだけで回ってくれるか……」
「えっ、陛下?」
「気分が……優れぬ。晩餐にはちゃんと顔を出すから……」
そう言い残すと、彼はよろよろと宮殿への道を戻っていってしまった。
まるで余命の宣告でも受けたみたいに、力なく。
…………。
……いや、今のは例えだよな……?
主人公が手を下す前にわからせられてしまう。もう一度調子に乗らせなきゃ……(変質者)