第十六話 盗賊伯爵、王族とまみえる
ザイゴール・ヴァンサンカンだという自覚が確立されたところで、俺の中身が過労のサラリーマン矢形修字郎の延長であるということにそこまで大きな違いはない。
頭の中はやはり、ここがやまとさんの動画で見た『アルカナ』シリーズの世界だという認識があるし、イーゲルジットの記憶は懺悔録で確認する必要があるし、アークエンデはいつかラスボスになる少女だ。
ただ、これまではいつ去るともわからない外来の客だったような気分が、この世界に根付いて生きる一人の人間であるという意識に変わった。神ではなくこの世界の人々に命を救われたことによって。
だから俺はこの世界でもう一度正しく死のう。
大切な人たちの成長した姿を見届け、老いさらばえ、天寿を全うして。
そしてもう一つ忘れてはいけない。
自分は高等な教育を受けた貴族でもなく、それにふさわしい矜持や精神を秘めた伯爵というわけでもない、貧弱一般人であるということを……。
※
ヴァンサンカン伯爵また復活! と世間で騒がれたかはわからないが、俺の体調と子供たちの冒険を知る一部の関係者たちからは、今回の出来事はかなりの激震をもたらしたらしい。
アークエンデとオーメルンの髪色が変わったのは誰の目にも明らかだったし、ほうほうのていでニーズヘッグの爪のカケラを持ち帰った話は、魔竜をぶちのめして堂々凱旋した話にすり替わっていた。
そして、一部では俺は闇の暗黒魔術によって蘇った真・ヴァンサンカン伯爵だという噂まで持ち上がっているが……まあ、人は空想に耽っている時が一番の熱狂なので、放っておけばいずれ鎮まるだろう……。
そんな水面下で騒がしい、ある日の俺の自室。
執務Sのズッ友執事が家令と政務の両方をやってくれているとはいえ、最終的に書類にサインを引くのはヴァンサンカン伯爵の仕事になる。
本日の業務が運ばれてきた時、俺はにこにこしながらバスティーユを歓迎した。
「何か良い事でもございましたか」
「いや……いつもご苦労様と思ってな」
怪訝そうに眉をひそめるバスティーユだが、俺は知っている。彼は俺を助けるため、寝る間も惜しんで薬の開発に尽力してくれたのだ。声を嗄らして指示を飛ばし、領主にも内緒で作った地下室まで開け放って……ん? 領主にも内緒で作った……?
「そうですか。ではこちらもどうぞ」
懐から新たに取り出された封書が特等席のように目の間に置かれ、俺は否応なしにそちらを向かされた。
「バスティーユ、これは?」
「国王陛下からのお手紙です。中は改めておりませんが、封蝋や封筒の形式からして、すぐに王宮へと出向くようにとの勅令書でしょう」
「ぺあっ!? な、何で……!?」
俺がビビり上がると、バスティーユは性格Zの冷酷であっさりと、
「旦那様が伯領の長に就いてから陛下に一度もご挨拶に伺っておりませんので、“臣従礼”の件でしょう。これまで体調不良でいかんともしがたい状態でしたが、回復した今、断る理由はありません」
「し、臣従礼?」
バスティーユによると、臣従礼はオマージュとも言い、君主と諸侯が結ぶ忠誠の儀式だという。領主は代替わりごとに国王と契約を結び直すのだが、ヴァンサンカン伯爵はそれをまだしていなかったというわけだ。
「こ、これって、直に王様に会いに行かないといけないの……?」
「いけないに決まってるでしょう。下手に渋ればそれだけで不敬と見なされ、地位を剥奪されますよ。もちろんその場で粗相があってもされますが」
ノオオオオオオオ……。
というわけで、ザイゴール・ヴァンサンカン伯爵は、生まれて初めてお城へと出仕することになったのだった。
※
「これが首都の街か……!」
「何て美しい街並みでしょう……! 劇場に、広場に、教会……。どれもピケの町と似ているのに、大きさと荘厳さで圧倒されますわ」
「一体どんなヤツらが住めるんだよ、こんな街に……」
馬車の窓から顔をのぞかせる子供たちに混じって、俺も王国首都ユングラードの景色に目を輝かせる。
ヴァンサンカン領は首都からは少々離れた土地にあり、馬車旅も数日をかけていくつもの領地を横断することになったが、いずれもまあ何というか、のどかな田舎だった。
だが、今日首都に入って突然のこれだ。
建物の様式自体は、ヴァンサンカン領とよく似ている。わーくにの建築がここを手本としているからそれは当然として、だからこそわかる差異というものも当然あった。
歴史が染みついた古色蒼然とした街並み。石材のくすみや小さな傷など、見ようによっては傷んでいるだけなのだが、ピケがオモチャの町に見えてしまうほど、それらは長い歴史と人々の暮らしの重みを感じさせた。
一方で通りを行き交う人々のあか抜けた服飾、広場で行われる奇抜なパフォーマンスの数々からは、生まれたての瑞々しさが迸っている。
それらを違和感なく受け止める懐の深さ。それが花と石の都ユングラードだった。
「物見遊山なのは車内だけにとどめてくださいね。宮殿内で不審な振る舞いをすれば、直ちに叩き出されますので」
そう淡泊に述べたバスティーユは、貴族街だという豪邸が立ち並ぶ区画を通り過ぎる際にちらと外を見やっただけで、他は壁でも眺めているみたいにまったくの無関心だった。
そう言えば彼の出身は首都の近くだと聞いたことがある。見慣れてしまえば、この街も日常の一部として淡々と処理されていくのだろうか。
「あっ、お父様。ユングラント魔導学園ですわ」
しかし、アークエンデが発した一言に対しては、車内の人間が全員視線を振り向かせることになった。
魔術的な文様が刻まれた校門。奥にそびえる白亜の校舎。象牙の塔とはよく言ったもので、都市部にありながらその学校は独特の静けさと高貴さを漂わせている。
国内の魔道最高学府。やがてアークエンデが通うことになる学び舎。
俺の脳裏に、ふと一人の人物が思い浮かんだ。
王太子クレインハルト。
それは『アルカナ・アルカディア』最強のスーパーダーリンとして知られる、超人気男性キャラだ。文武両道、眉目秀麗、清廉潔白に加えて王位継承権第一位まで付いた、女子の夢デンドロビウム。古からの煉界症候群であるやまとさんも最推しである。
ただ、卒業後に王位に就くことが決まっている彼は、ファン以外からするとガバガバ権力の使い手でもあった。生徒会長なのに学校の運営方針に直に手を入れたり、生徒を独断で退学に追いやったり……。そうアークエンデに直接引導を渡すのもこの人だ。
卒業後に王位継承が決まっているとはいえ、まだ一生徒の身には過ぎた権力である。でもみんなのスパダリだから誰ももんく言えない……。
ただ、愛嬌のあるところもあったりする。
それは「スルーされ癖」だ。これは多分純粋なシナリオ被害だと思うのだが、クレインハルトはたびたび発言を周囲からスルーされる。話を振っているのに誰からも反応がなかったり、急に場面転換が起こってしまったりするのだ。そんなことから、誰も会話をキャッチできない天然要素があるのではと、やまとさんは考察を働かせていた。
王宮に入るとなれば、そんな人物の子供の頃と鉢合わせることもあり得る。夢女子の皆さんにこんな抜け駆けがバレたら袋叩き待ったなしだが、仮に『アルカナ』新作で追加された回想シーンに、眼の下にクマのある謎の陰気男が登場しない限りは知られるはずもないのでセーフ。
そんな思いに耽っている内に学校を通り過ぎ、馬車は人気のない道へと入っていった。
裏路地というわけではない。むしろ道は幅広く、整備も行き届いている。
跳ね橋という防御機構を見るまでもない。正面に泰然と構える美しい建物。
王宮だ。
城下町程度で驚いていた俺たちは、それを前にとうとう出せる言葉も尽きた。
それは神が設計し巨人が丁寧に積み上げた、大きな宝石箱だった。これを毎日眺められる場所に住んでいるだけで、力と自信を与えてくれる。そんなお城だ。
正面入り口での手続きをバスティーユに丸投げし、いよいよ宮殿へと入る。
外観の華美に違わず、内部また豪華絢爛だった。白色をメインとした壁や柱の随所に、金ぴかの装飾が施されている。天井は高く、通路は果てしなく真っ直ぐ。これに比べたらうちのお屋敷はただの民家だよ。
しかし、街があれだけ賑やかなら、お城の中もさぞ人が多いのだろうと思っていた俺は、足を踏み入れるなり感じた水底のような静けさに息を呑むことになった。
人がいないわけではない。現に、どこか遠くで忙しなく働く人の気配があった。けれど俺たちが歩いている廊下は、部外者は虫すら立ち入り禁止と言わんばかりに人影ひとつない。
先を案内してくれている衛士がいなければ、道を間違えたと思って引き返しているところだ。
この雰囲気には、天真爛漫なアークエンデとオーメルンも緊張の面持ちを見せていた。直に王様と会う俺は、すでに心臓が止まりかけているが……。
(ん……?)
そこで俺は奇妙な物音を聞いた。ボソボソと誰かが内緒話をしているような音だ。
子供たちに目を向けてみたが、気づいた様子はない。
これは……竜の血で蘇ることで身についた、俺の奇妙な能力だった。
ごくたまに、そこにいない人の声が聞こえるのだ。初めは幽霊の声でも聴いているのかとビビったが、どうやらそれはちゃんと生きた人の話し声のようだった。それも――何らかの悪意を持った人間の。
俺はこの力を、〈壁の耳〉というそれっぽい名前で呼んでいた。誰かが話した内容を壁が聞いていて、俺がそれをまた聞きしているような、そんな感じがしたからだ。
そして、また一つ認識を新たにしないといけないことになっていた。
ボソボソ……ボソボソ……ボソボソ……!
声は、いたるところから押し寄せてきていた。両壁から天井から床から……ありとあらゆる方角から、悪意ある誰かの会話が漏れ聞こえてくる。
これまで時々しか聞こえなかったのは、ヴァンサンカン領が平和で大した悪意を感じなかったからだったのだ。けれどここは違う。この麗しい宮殿内は人の悪意の坩堝だ。泥のような悪意があちこちに染みついている。しかも妙に真新しく、生々しい……! これはどういうことだ……!?
「お付きの方はこちらでお待ちください。陛下に謁見できるのは御当主とそのご家族お一人までです」
先導する衛士にそう言われ、俺は我に返った。取り巻いていた音も霧が晴れるように退いていく。いつの間にか足は、控室だという部屋の前まで来ていた。
「それでは旦那様、練習通りに」
「あ、ああ。頑張るよ……」
「お嬢様もしっかりな」
「わ、わかっていますわ」
バスティーユとオーメルンと別れ、俺とアークエンデだけが儀式の間へと向かう。
不穏な声が聞こえなくなると、今度はこの先のイベントが憂鬱になってきた。
臣従礼の段取りはバスティーユが何度もリハーサルしてくれたのでわかっているが、それ以外の点で何か粗相があれば一発でアウト。これだから偉い人と会うのはイヤなんだ。庶民が会ってもいいことないのにリスクだけは特大。
「お父様、わ、わたくし、緊張してきました……」
そんなタイミングでアークエンデが俺の手をこっそり握ってきた。彼女の手は汗ばんで冷たい。
「大丈夫だ。わたしもだよ」
俺も手汗にまみれた手でそれを握り返した。濡れた感触が混ざり合ったが不快さは一切なく、俺たちは微笑んだ。
そしていよいよ謁見の間へと足を踏み入れる――。
「ほう、ようやく来たかヴァンサンカン伯爵。愛らしい我の呼び出しを幾度も断りおって、責務不履行で支配権を剥奪してやろうかと何回考えたかわからんぞ」
へえっ!?!?!?
俺は不敬な奇声を上げて一発退場するところだった。
「なんだ? 我があまりにも愛らしいので唖然としておるのか。ははっ、それならば仕方ない。そのアホ面も許す」
隣のアークエンデも多分ぽかんとしている。
俺たちが跪く玉座前。そして、顔を伏せたまま待った王様の御成り。許可を得て顔を上げた途端、目に飛び込んできた玉座の国王陛下は――どう見ても小さな女の子だった。
星を宿しているのかと思うような煌めく金髪。肌は白く繊細で、世の汚れをミリも知らないようだ。大きくてつぶらな紫の瞳。真っ直ぐな鼻筋に、花弁のような唇。
王冠とマントを身に着けてはいるものの、華奢すぎる体には合っておらず、どちらも今にもずり落ちそう。服に関してはさすがにちゃんと子供用にしていたが、そのせいか王様というよりは王子様という印象が強い。半ズボンに白タイツも余計にだ。
――えっ、えっ、何で? 何で?
俺はメチャクチャに混乱した。想定は外宇宙まで飛んでいった。
だって俺は、王様を見たことがあるのだ。ゲームの中でだけど。
長いおヒゲを生やしたザッツ王というくらい王様っぽい王様だった。歳だって結構いってたはず。
しかし、俺の前方にいる子は、マジで女の子と見まごうほどに可愛いし、何なら長い三つ編みをリボンで飾って肩から垂らしてさえいる。今の表情はクッソ生意気そうだけど……これで王様ってのは無理がある。
何なんだこれは。どういうことなんだ……!?
玉座に座る見知らぬメスガキロリ王子王(大混乱)、どうする伯爵?