第十三話 アークエンデは愛に微笑んで
それからアークエンデとアルカナは姉妹のように仲良く過ごした。
食事の時も向かい側に座ってしきりに話しかけ、お風呂も一緒に入り、就寝も二人で同じベッドで寝たそうだ。
彼女たち二人がそんな経験を楽しげに話すのを、俺とサンシード夫妻はにこにこしながら聞いた。
滞在予定は三日間。その間、彼女たちは色々なところに出かけた。
町へ繰り出した時は、すれ違った人がそのまま民家の壁に激突するくらい、人々の目を釘付けにしていたという。
アルカナのあの吸い込み能力ならさもありなんとも思ったが、どうやら我が娘も負けてはいなかったらしい。オーメルン曰く「初めて見る笑顔」で、町民たちを振り返らせていたそうだ。
トメイトウ農場では、収穫やケチャップ加工の手伝いもした。
本来なら賃金を受け取ってやる労働をなぜ嬉々としてやれたのか、俺は知っている。
思い出を作っているからだ。
バカみたいに混む初詣も、何時間も並ばないといけないイベントも、友達と一緒ならその一つ一つが思い出になる。目的地に着くことがゴールじゃない。友達と一緒に家を出た時から、すでに楽しい時間は始まってる。
アークエンデには同い年の友達がいなかった。関わる相手はオーメルンか俺やバスティーユといった大人たちで、彼女の歳相応な部分を見せられる相手はいなかった。アルカナは、それを引き出してくれたのだ。
現在二日目。
トメイトウ畑から屋敷に帰ってきた二人は、休む間も惜しむみたいに次のことを始めている。
アークエンデの部屋で、お互いの服を交換する着せ替え遊びをしているそうだ。おかげで、これまで献身的に付き添ってきたオーメルンは締め出された。
別に盗み聞きするつもりはなかったのだが――自室で書類に名前を書くだけの仕事をしていた俺には、空いた窓を通して隣の部屋の二人の会話が筒抜けになっていた。
いや本当にたまたまなんだ。たまたま窓が開いていたから。
フォロォーメルンがいなくて大丈夫かなとか、いざという時は飛び込んで「待ちたまえ君たち」をやる覚悟だったとか、そういうのじゃないから。さっきからペン先が一行に動かないのも、ちょっと休ませてやってるだけ。
「可愛い! アークエンデは何着ても可愛いね」
「アルカナこそ、やっぱりそのドレスが似合うと思いましたわ」
「アークエンデのドレス、すごい……。わたし、こんな可愛い服着られるなんて思ってもみなかった」
領主の娘たるアークエンデにはそれなりの量の衣装があり、逆によそいきを厳選してきたであろうアルカナは、それでもやはり地味であることが、会話の内容から何となく察された。
そして二人はいつからか名前を呼び捨てにする仲になっている。出会って間もなくお互いの距離を縮められるのだから、子供の心というのは本当に真っ直ぐで、むき出しだ。
「ねえアルカナ。それ、あなたにプレゼントするわ」
不意に、アークエンデがそんなことを言い出した。驚いたアルカナの声が窓枠で跳ね返る。
「だ、ダメだよ。こんな高そうなドレス。もらえないよ」
「もらってほしいの。お父様には後で話しておきますわ。きっと許してくださるはず」
何でも許す。
「その代わり、わたくしとこれからもお友達でいて?」
その一言が出た途端、部屋の空気が動いたのが盗賊の肌感覚でわかった。
「そのための贈り物なら、いらない」と膨らんだアルカナの言葉は、聞きようによってはひどく酷薄な内容だったかもしれない。しかし、その思いには続きがあった。
「こんなものなくても、わたしとアークエンデは友達だもん」
ああ、優しい言葉だ。ぺかっと笑った彼女の顔が目に浮かぶ。
いくら貧乏でも、いくら目の前に高価なドレスを差し出されても、感情は秤にかけない。この潔さと誠実さが、将来イケメン貴公子たちを堕としていくのだ。
「違うの」
けれど、アークエンデもまた、柔らかい声で不服を表した。
「気持ちだけでは、人はいつか相手のことを忘れていってしまう。これはどうしようもないことなの。でも、わたくしにはあなたからもらった花がある。あれを見るたび、あなたのことを鮮明に思い出せる。だから、そのドレスを見てわたくしのことを思い出して。そうして、いつも心で繋がっていてほしいの」
無邪気なアルカナの声とは対照的に、アークエンデの言葉は何だかひどく大人びて、そして切実さを帯びていた。
「でも、花の種とドレスじゃやっぱりおかしいよ……」
「いいえ。だってわたくしは、アルカナに、わたくしのことをちゃんと好きでいてほしいんですもの」
アークエンデの声が部屋の中を渡り、やがて木の小さく軋む音が二つした。二人は椅子に腰かけたようだった。
「わたくしの愛を、独りぼっちにはしたくないから」
「愛を……独りぼっち……?」
きょとんとするアルカナ。対するアークエンデの言葉は、身に起きたことを語る者特有の確信に満ちている。
「わたくしは本当は、お父様に呼んでいただいた養子なの。前の家では、いてもいなくても変わらないような扱いだったわ」
「……! そんな。そんなのおかしいよ。アークエンデが可哀想」
「ありがとう。でも、わたくしだけではないの。あの家の人たちはきっとみんな不幸だった。いつも何かに苛立って、焦っていた。わたくしが領主様の養子になると聞いて、ウソみたいに褒められたわ。……お金がたくさんもらえるって。初めておまえが役に立ったって」
「そんなの、ひどい。ひどいよ……」
アルカナの言葉が詰まる。泣いているみたいだった。
「わたくしはそこでようやく気付きましたの。自分は愛されていなかったんだって。でも、わたくしもあの人たちを愛してはいなかった……。愛さなかったから、愛されなかった。そしてそれはとても寂しいことだと気づきましたわ。だから、次は、いっぱい愛そうと思った……」
……!! そういう……ことだったのか。
愛情に飢えているというのは何となくわかっていたが、子供ながらにそんなことまで考えていたとは……。
「ただ、お父様は、前の家の人たちよりも気難しいお方で……」
「えっ、アークエンデのお父さんが?」
うぐっ……それは本当に申し訳ない……。
「それでもわたくしは、お父様に気持ちを伝え続けましたわ。愛すれば愛してもらえる。きっと気持ちは伝わるって。……そしてあの日。元気になったあの日。お父様は応えてくださった。わたくしを優しく抱きしめてくれた。その瞬間、わたくしは空っぽだった自分の中が満たされるのを感じたの。わたくしの愛を初めて受け取ってくれた人。わたくしを初めて愛してくれた人。わたくしを認めてくれた人。お父様はわたくしのすべてだって……」
「よかったねアークエンデ……!」
アルカナは今度はえぐえぐと感動にむせび泣いていた。素直な少女の態度に、アークエンデがかすかに微笑む気配が伝わる。
そして彼女は、この話を締めくくる口調でこう告げた。
「その時わかりましたの。独りぼっちの愛ほど悲しいものはないって」
「独りぼっちの愛……?」
「愛したのに愛してもらえなかった気持ち。これは本当に悲しくてつらいことですわ。もう何も愛さなくなってしまうほどに。好きという気持ちは、お互いがそうであって、初めて正しい形になるの。だからアルカナにはわたくしを好きでいてほしい。わたくしがあなたを好きでいるように」
敷かれた沈黙が示すのは、戸惑いではなく、アルカナが抱いた驚愕のようだった。とても子供とは思えない実直で切ない要望。まるで、今の自分ではない自分が辿る悲惨な道を知っているかのように。
「……わかったよ! わたしもアークエンデを好きな気持ち忘れない。アークエンデの気持ちを、独りぼっちにさせない!」
力強いアルカナの返事が弾け、知らず俺の手に部屋の窓を閉めさせた。
多分、もうアークエンデは大丈夫だ。
彼女がこの先、道を誤ることはない。他ならぬアルカナという友がいる。彼女のことを思えば、決して間違ったことはできない。
俺はそう喜ぶ一方で、心のどこかに隙間風が吹く感覚を味わった。
もうこちらの心配を必要とせず、彼女は彼女の道を歩いていけるだろう。
それが少し寂しいのか。
いつまでも子供扱いするな、なんてセリフをよく聞くが。
きっと、急に成長しすぎなんだよ、君たちは。
※
サンシード一家が帰る日。
アークエンデのことも考えて、もうちょっと滞在してはと引き止めはしたのだが、バスティーユの話では、これ以上よその領地の貴族と親しくすると他の諸侯との軋轢が生じるらしい。単なる友達でいられないのが責任者のつらいところか。
荷物も積み終え、別れの馬車を前にして、アークエンデとアルカナは二人で泣きながら抱き合った。お別れしたくないと、何度も繰り返した。
「アルカナがここまでワガママを言うのは初めてですわ。あの子は友達と別れる時も、きっとまたすぐに会えるからと前向きに捉えられる子だったので」
サンシード夫人は困ったように手に頬をあて、それから優しそうに微笑んだ。
「とても大切な友達ができたようですね」
「ええ。アークエンデにとっても。どうもありがとうございました」
俺は心からうなずき、そう伝えた。
一緒に過ごしたのはたった三日程度。しかし、何もせずとも勝手に流れていく尺度なんて、大した価値はないのだろう。
正史ではぶつかり合う二人。きっと彼女たちはそっくりな存在だったのだ。他人同士ではいられない――激しく衝突するか、それとも一つになるか、どちらかしかなかった。この大勢の人が住む広い世界で、たったそれだけしか選べない二人。だったらこうして無二の友になるのが一番だろう。
「あれっ、アルカナのその目……」
不意にオーメルンが奇妙な指摘をした。
俺たちが首を傾げる中、顔をくしゃくしゃにして泣くアークエンデもまた、アルカナの異変に気づいたようだった。
「アルカナ。あなたの瞳に、模様が……」
「!〈慈愛〉の刻印か……!?」
確認するより先に俺は口走り、そして実際それは正しかった。
魔導属性『星』の優れた素養を示す〈慈愛〉の刻印。これは、アルカナがユングラント魔導学園に入学し、大切な人を見つけていく中で発現する徴だった。
なぜそれが今……。いや……。
「とても綺麗ですわ、アルカナ……」
「アークエンデ、わたし、どうなったの……?」
驚きが別れの悲しみを押しのけたのか、アークエンデはしげしげとアルカナの瞳をのぞき込んでいた。彼女は自分の変化に戸惑う友人に対し、静かに目を閉じ、そして開いてみせる。
「あっ、アークエンデ。その目は……」
そこには〈執着〉の刻印。
「これと似たようなものが、アルカナの目にも表れたの。悪いものではないわ。わたくしたちの気持ちの強さを物語ってくれる、とてもいいものですの」
「アークエンデと同じものが……エヘヘ、お揃いだね」
「ええ。お揃いですわ」
アルカナの素養を引き出したのはアークエンデだ。アルカナが数年後にじっくり育んでいく感覚を、ここ数日で一気に花開かせた。それが、アークエンデの魔力なのか、それとも別の何かなのかは、素人の俺にはわからない。
ただ、泣き顔で微笑み合う二人の姿は、この出会いの終着として、これ以上ないほと美しく清らかなものに見えた。
「さようならアルカナ、わたくしお手紙を書きますわ! また必ずお会いしましょう!」
「さようならアークエンデ! わたしも手紙を書くね! いっぱいいっぱい、書こうね!」
最後まで二人は手を振り合い、お互いの姿が見えなくなるまでそうしていた。
もはや別れに涙はなく、運命のような強い絆だけが、見えない距離を繋いでいるように感じられた。
ややあって――。
「バスティーユ。あのトメイトウを増やした薬、くださらない?」
アルカナ一家が屋敷を去ったすぐ後。アークエンデは小さな鉢を両手に収めた姿で、執務室の彼にそんな要望を口にした。
もらった種を植えたのだという。そのソワソワした態度からも、親友との思い出を一刻も早く形にしたいという気持ちがくみ取れる。
「試薬の残りもわずかで特に使い道もありませんので構いませんが……。これは魔導錬金術で作られた薬ですので、トメイトウの時のように上手くいくかはわかりません」
それに対し、バスティーユはあくまで事務的、冷徹、思い出なんか食えんの? みたいな素っ気ない態度で返事を寄越した。
「どう違いますの?」
「錬金術は誰が行っても手順さえ正しければ同じ結果になります。一方で、魔導錬金は実験を行う者の素養、メンタルが常に作用し、さらにこのような不完全な試薬の場合、道具を使う瞬間にさえ使用者の影響を受ける可能性があるのです。お嬢様は強い『煉火』の素養をお持ちなので、それがどう反応するか……」
「それならきっと大丈夫ですわ。だってアルカナがくれた種ですもの」
確信を帯びた顔でそう言うと、アークエンデはまだ土しか見えない鉢に、バスティーユから受け取った薬を垂らした。
「大丈夫かよ……」
と心配げなオーメルン。トメイトウの時はこれでポコンと芽が出てきたのだが、果たしてどうか……。
一秒、二秒、と何も起こらない。
しかしアークエンデがじっと見つめる三秒後――。
ドッバアアアアア! とそこから触手のバケモノでも生まれたみたいに植物のツタが家中に広がっていった!
『おわあああああ!』
俺もオーメルンもツタに押し出されてひっくり返る。そしてバスティーユは事が起こる一秒前にすでに机の下に避難しているのが見えた。この卑怯者! 性格Z!
促進栽培というのも生ぬるい、もはや狂暴化とすら言える成長を遂げた植物は、やがて次々に白い花を咲き乱れさせた。アルカナが話していたホワイトスノーの花だ。
一つ一つは確かに小さくて可愛らしい。しかし爆増した際の生々しい動きや、部屋を埋め尽くす群量を鑑みれば、それはもう恐怖だ。そしてこの花は、まるで意思を持つみたいに明確な動きを一つだけしていた。
俺のまわりに特に花が密集しているのだ。絡まり合う蛇のように足元に蔓延った茎は、特大の模様を描いていた。〈執着〉の刻印。まるで俺を閉じ込めるように――。
「ああ……やっぱり――」
鉢の前でしゃがんでいた無傷のアークエンデが、背を向けたまま熱っぽいため息をつく。
「わたくしとお父様の未来を祝福してくれるのね、アルカナ……」
振り返った彼女は、恍惚とした微笑みを浮かべた。
「わたくしだけのお父様。お父様だけのわたくし。もう世界はそれを認めている――」
ギギギ……バキィン!! Σ<煉><〇>
とうとう刻印が瞳からはみ出て目の周囲まで広がった。
何でぇっ!? 超光属性のアルカナと友達になったじゃん! 二人でめっちゃ仲良くなってたじゃん! 明るく楽しいお嬢様ルートに入ったはずでしょう!?
どぼじでパワーアップずんのおおおおおおおおおおおおおおおおおお!
知ってた。
※お知らせ
前回分の感想返しは後ほどいたします! センセンシャル!




