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第百二十五話 あくまで人として

 その日からシノホルンは試薬作りに没頭することになった。

 器具はヴァンサンカン領から持ち込んでいたが、ドワーフたちが提供してくれた分の方が性能が良く、規模も大きかった。戦利品の一部とのことだ。


「大がかりな薬品作りは少し前にやりましたから」とは、研究室にこもる前に彼女が言い残したことで、どうやら俺や子供たちを助けてくれた竜血の秘薬作りがいい経験値となった模様。


 魔性の巨大ハエから見つかった小さな希望が、彼女の手で特大の太陽になってくれることを俺たちは心から願った。


 シノホルンが研究室にこもりきりになってからも、こちらはこちらでフィールドワークを続行していた。治療薬の精製はエクリーフと、それから実は結構飲み込みが早いルーガが手伝ってくれているので、俺たちもできることをしようというわけだ。


 ただ、それはほとんど経口補水液を配り歩くのが目的になっていたように思う。シノホルンならハエたちの素材をモノにしてくれると、なぜかそう信じられたのだ。


 そして、それから三日目の朝――。

 シノホルンは一瓶の液体と共に俺たちの前に姿を現した。


 誰もが期待と緊張の眼差しで出迎える中、試薬は彼女自身の手によってこの拠点でもっとも重篤な患者――アイゼン団長の元へと届けられた。


「これが、薬か……」


 アイゼン団長の容態はゆっくりとではあったが確実に悪い方へと向かっていた。それでもベッドの上で身を起こした彼は、瓶の匂いを嗅ぐなり「効きそうだな」と顔をしかめるくらいのお茶目は披露してくれた。


「じゃあ一杯やらせてもらうか」


 毒だろうと薬だろうとどの道もう後はない。看護のビールケに震える手を支えてもらいながら、アイゼン団長は試薬を一気に煽った。


「頼む、効いてくれ……!」


 ビールケの懇願は、その場にいる俺たち全員の――いや、このロンギヌス高地全体の願いでもあった。

 一分たち、二分たち……。そもそもそんなに早く効き目は出てこないのではないかと、ごく当たり前の発想に俺たちが至るよりも前に、それは起こった。


「ヌオッ!!」


 それまで瞑想するように目を閉じていたアイゼン団長が、突然叫び声を上げたのだ。


「ヌオオオオオオオオオオ!!!!」


 そしておもむろにシャツを引き千切ると、次の瞬間、出血を押さえるために巻いていた包帯が内側から弾け飛んだ!


 中から現れたのは、荒岩のようなドワーフ男の筋肉モリモリマッチョな胸板。そして――そこに穢れのように蔓延っていた文様は何一つ残っていない。正に健康的な、むさくるしい、人の肌だ。


 治っ……てる!!!!!??


「お、親父ィ!!」

「団長ォォ!!」


 ビールケと他数名いた側近が、涙ながらに彼へと抱き着いた。そんな彼らにアイゼン団長はニカッと笑い、


「がははは! 心配かけたなテメェら! 今いきなり体が軽くなった。こんな気分になるのは初めてだ! もう何も怖かねえ!」


 不吉な喜び方をするなというツッコミも意識の彼方で、俺たちはその突然の復活ぶりにただ唖然としていた。もう少しこう、経過観察だとか、そういうのは……!? しかし、ドワーフたちが肩を組んで応援歌みたいなのを歌い始めたのを見て、じわじわと感情が追いついてきた。


「~~ッやった、やったぞシノホルン司祭!」

「きましたわ~~~!!!」


 立ち合い人となっていた俺とエクリーフは、左右から同時にシノホルンに飛びついていた。この中で一番成果を不安視していたであろう彼女は初め、びくりと驚いた様子で俺たちを見やったが……やにわに、その顔がくしゃっと歪む。


「よ……よかった……よかった……やったぁぁぁぁ……。助けられたぁぁぁ……。わああああん……」


 ぼろぼろと涙を流して号泣する彼女を、俺とエクリーフは改めて優しく抱きしめた。

 この小さくて柔らかな体の中に、多くの人々の生死が押し付けられていたのだと思うと、やはりそれはあまりにも大き過ぎたのだと実感できる。


 命は、やはり重い。

 病が災害でたちまち消えていってしまう(かす)かなものでも、それは世界にとっての話。人一人が背負うものとして、人命は絶対に重いものだった。


「よく頑張った。よくやった。すごい、あなたは本当にすごい、シノホルン……」


 これまで押し潰されてきた分、目いっぱい誉めそやしてやりたい。それでも過剰になることはないだろう。歴戦のジプシーヒーラーですら手に負えなかった病の解決法を彼女は見つけたのだから。


「ぐすっ……こうしてはいられません。すぐに大量生産に入らないと……!」


 不安もプレッシャーもすべて涙で洗い流したのか、シノホルンが早くもそんなことを言い出す。


「フフッ、それはわたしたちに任せて~。司祭様はここ数日ほとんど寝てないでしょ~。レシピがあれば後はわたしたちでもできるわ~」


 エクリーフが懇切丁寧に言い聞かせると、最初は渋っていたシノホルンもようやく首を縦に振った。そしてそのまま、エクリーフの豊かな谷間に埋もれるようにして眠ってしまう。

 無理もない。今の彼女は、俺とおそろいにでもなる気かと言いたいほどの濃いクマを作っていたのだから。


「本当に、よく頑張ったわ~」


 涙をハンカチで拭いながら、エクリーフがしみじみと言う。


「こんなに若くして大勢の命を預かるなんて、列聖した偉人たちでもそうは為しえなかったことよ~。優しい人ほど自分の良心に潰されてしまう。でも彼女は、壊れることなくそれを成し遂げた。彼女の力を試そうとしていた人々は、今後二度とナメた口はきけないでしょうね~」

「ああ。本当に……」


 人を信頼させてしまう少女。そしてその信頼に応えてしまえる少女。彼女もまた確かに、歴史の偉大なステークホルダーだった。


『ドワーフは最強~。とても強い~』 


 歌詞の二番に入ったドワーフたちの調子っぱずれな応援歌を聞きながら、俺はサイドテーブルに置かれた薬瓶を見やる。


 それにしても効いたなぁ、あの薬。

 だが予感はあったよ。シノホルンは凄い薬を作ったって。

 何しろあの試薬、すっげえ正露丸みたいな匂いがしてたからな!

 

 ※

 

 それからすぐに正規の治療薬が量産された。

 飲んだドワーフたちはすぐに回復の兆しを見せ、翌日には起き上がれるまでになった。いきなり闘気で包帯を弾け飛ばしたアイゼン団長は、あれはあれでかなり特殊な例だったようだ。


「まさか、騎翅から薬が作れるなんてね……」


 いまだに信じられない様子のベルゼヴィータに、シノホルンは微笑んで言う。


「医療品も食料も、わたしたちを助けてくれるものはすべて、この星の生き物がもたらしてくれるものなんです。だからわたしたちは自然の恩恵にとても感謝しなければいけないんですよ」


 もしかすると、これが環境保護に対する人への最大の実益なのかもしれなかった。絶滅してしまった動植物にどんな特効薬が隠されていたかと思うと、生物相なんてなるようになるさなんてとても言えない。


「あなた、か弱い人かと思っていたけれど、結構やるのね」

「とんでもない。あなたのお友達に何もかも救われました」


 クスッと笑い合う、闇と聖の少女。

 謙虚だ。シノホルンがいなければ、騎翅たちは謎に獣人の遺体を食べただけとしか思われなかった。ドルマゴム戦団も救うことはできなかっただろう。


 ただここで終わらないのが彼女が彼女たる所以。

 睡眠不足を解消したシノホルンは、もうすっかり総大将に復帰したアイゼン団長にこう直訴した。


「アイゼン団長さん。この薬をロンギヌス高地のできるだけ多くの戦団に配ってください。無償で」


 じろりと睨み据えてくる彼に、シノホルンは一切退くことなく、


「病は人を本当に無慈悲に、無差別に殺してしまいます。団長さんたちが信念と覚悟をもって相手を打ち倒すのとは違う。そういう命の取り合いは、誰も望むところではないでしょう」


 単なる博愛精神とは違う、ロンギヌス高地のルールに則った説法。そんなものを用いずとも、命を救った見返りにそれくらいの許可は得られたのだろうが、それをしないのがシノホルンという少女のやり方だった。


 アイゼン団長の厳しい顔つきはたちまちニッコリ笑顔に変わり、その方策は直ちに実行に移された。


 そうして一時はロンギヌス高地を壊滅に追いやるかと思われた疫病は、みるみるうちに駆逐されていったのである……!


 しばらくの間、ドルマゴム戦団の拠点に感謝を述べに来るロンギヌス住人が絶えることはなかった。普段は奪い合い上等なゴロツキまがいの人々が、ただ涙を流してシノホルンにお礼を伝えていた。


 奇跡のようだと、ドワーフの一人は語った。


 しかし、彼女が起こした奇跡はもう一つ。

 そんなタイミングで、ある会合が実現したのだ。

 ロンギヌス高地の主だった戦団長すべてが集まる、恐らく二度目はないであろう戦団大集会。


 呼びかけ人となったアイゼン団長は、集会長の立場から皆にこう語りかける。


「――“ここに悪魔はいなかった”。これは、今はもう消えちまった戦団のヤツが言い残した言葉だ。病人が薬を奪うために別の病人を殺し、そいつも薬を飲んですぐ死ぬ。そんなことがもうずっと続いてた。しかしそれらはすべて人がやったことだ。悪魔の仕業じゃねえ。全部人だ。悪魔はいなかった。……だが、聖女はいた!」


 オオッ! と並みいる戦団長から号砲めいた賛同が上がる。

 集会場の端っこに賓客として収まっていた俺たちの前髪が揃って吹き上がるほどの気炎だ。


「ほとんどのヤツァ知ってるだろうが、改めて紹介させてもらうぜ。こちらがオレたちの命の恩人、聖女シノホルンだ!」

「はっ、はい」


 教会の儀礼のクセか何かなのだろうか。名を呼ばれたシノホルンが座っていた席からぴょんと立ち上がった途端、


「ウオオオ! おれたちの聖女!」

「あんたはアタシらの女神だよ!」

「聖女はここに! 聖女はここに!」


 たちまち色めき立つ戦団長たち。声、というか顔の迫力だけで、押し流されてくるシノホルンの背中を俺が手で支えてやる。


「すっげぇシー様! あの荒くれ者どもがみんなシー様を尊敬してるぜ!」


 隣の席で興奮を抑えきれない様子のビールケは、多分その中でも随一のシノホルン信奉者だ。エルフの王族レベルのロウレールにすらつけるのを面倒がっていた「様」を自発的に言い出したのが何よりの証拠。


「こ、困りました。わたしだけの力ではないのに……」


 人々のあまりの熱狂ぶりに、俺の陰に避難しようとしてくるシノホルン。それを目ざとく見つけた面々は、


「聖女様が隠れた!」

「あの目の下のクマの男は……!?」

「聖女とどういう関係だ!」


 荒々しい視線が俺に集中する。集会に俺まで招待されているのは多分こういう事態に備えてのことだとは思っていた。なので、ここは俺が彼女のマネージャーになって窓口役を……。


「この方はザイゴール・ヴァンサンカン伯爵……。わたしと魂を分け合った、この世界でたった一人の、運命を共にする巡礼者です……」


 なっ……!?


 隠れていたはずのシノホルンがなぜかスーッと前に出ていって説法を始めた!? しかも無駄に神々しいオーラを放ちながら!


「魂を分け合った相手!?」

「運命かぁ! こいつはスミに置けないねェ!」

「聖女はここに! 目の下のクマの男もここに!」


 ああそうやってすぐに人を煽る! 聴衆もすぐに煽られる! シノホルン司祭、実はこういうのの才能あるだろ!?


「おいヴァー伯! シー様を泣かせたら絶対許さねーからな!」


 ビールケまでもがこの波に乗ってくる。しかも悪ノリとかそういうわかっててやってる風ではなく、もろに影響されてる。


 つまりこの土地の脳みそはだいたい()()というわけだ……。


 だがこの騒ぎは、決して集会の余興には終わらなかった。「紹介する手間が省けたが」とアイゼン団長が土間声を差し込み、無節操なざわめきを一気に収束させる。そして本題を叩き込んだ。


「この男ヴァンサンカンと聖女は、煉界の門とやらを探してこの土地までやって来た。話によると〈リバースヘブン〉のどこかにあるらしい。だからどうだ。オレたちは前と変わらず穴を掘る。だが、もしこの方々や身内がそばに来たらケンカをやめて力を貸してやろうじゃねえか! なあ!」


 オオウ!!


 賛同に間髪を入れず。すべての声がただ一つに唱和された。


「す、すっげえシー様! 戦団の心が一つになっちまった! かははっ、こんなの見たことねえ! 奇跡だ!」


 種族も、信念も、あるいは遺物を得る目的もてんでばらばら。強いて言うならルール無用というスタイルくらいしか共通点のない彼らが、一糸乱れぬ結論へとたどり着いた。

 それほどのことをした。それほどの人なのだ。シノホルンは……!


「わたしとザイゴールは分霊の巡礼者……。運命の二人……。今日はそれだけでも覚えて帰ってください……」

『聖女! 目の下のクマの男! 聖女! 目の下のクマの男!』


 ああやってせこせこと都合のいい情報を広めている姿からは、ちょっと想像できないかもだけど……!

 

 ※

 

 そんなロンギヌス高地始まって以来の不戦協定が締結された後のことになる。

 俺たちはアイゼン団長の案内で、拠点のとある地下室へと招かれていた。


 ドワーフでも二人がかりで持ち上げる重しに塞がれていた扉の先にあったのは――。


「わぁ……すごいですわ……」


 アークエンデだけでなく、誰もが目を丸くする。そこはドワーフたちの宝物庫だった。


 武具、食器、装飾品……金銀のきらめきもさることながら、明らかに未来の発明品めいたアイテム群が目を引く。正確な目利きを心がけるオーメルンなんか、あまりの換算不能な価値の前に思考停止に陥っているほどだ。


「ここはオレたちの先祖代々の宝を収める場所だ。この中から一つ、どんなもんでもいい、聖女様にやる」


「えー、一つかよ親父」とおどけた様子で茶々を入れるのはビールケだ。最近ではセルガイア教ではなくシー様自体を拝みに部屋に遊びに来ている。


「この宝の中にはオレたちの先祖が命懸けで集めたもんが山ほどある。確かにオレらは命を救われたが、ここにはもっと多くの命が費やされてる。だから一つだ。そのかわり何でもいい。持ち運べないならオレたちが後で責任をもって運んでやる」


 これは単なる宝の山というだけでなくドルマゴム戦団の歴史でもあった。その一部を明け渡す。それはきっと、彼らにとって最大の感謝の表れであり、親愛の証なのだろう。


「どうしましょう……。こんな高価なものをもらっても使い道が……」


 ビールケから陳列棚を案内してもらうシノホルンがそんなことをつぶやく。ヴァンサンカン伯爵でのメイドバイト代すら人のために使ってしまう少女だ。しかし、そんな彼女のさまよう目が、とある一点でぴたりと止まる。


「……この本、“天使文字”で書かれていますね」


 ぽつんと置かれた本を指さし、彼女は言った。


「え、シー様これ読めんのか?」

「ええ。大昔に使われていた希少文字です」


 俺たちも見せてもらったが、この中では一番学のあるエクリーフでも「あ~、これはちょっと~」と敬遠するレベル。


 パッと見はアルファベットの筆記体に似ている。ただ、ところどころにマルとか羽みたいな形があって何だか可愛らしい。そのことをシノホルンに伝えると、


「ふふっ、正にこの形状が天使文字と呼ばれる由来で、正しくはエクノコードというんです。一応教会に完全な翻訳辞書があるのですが、この文字が使われている書物自体がとても少なくて……。ただ、祖母がこれの詩集を持っていたんです。彼女はそれを訳して伝えてくれたのですが、どうしても自分でオリジナルを読みたくて、それで……」


 身に着けたというわけか……。


 詩を原文で味わうためとは何ともハイソというか高貴というか……。そういうところに労を惜しまないあたりが彼女がエリートである所以なのだろう。


 そんな過去を物語る横で、ふとビールケとアイゼン団長がこんなやり取りをする。


「なあ親父、シー様がこれが読めるってことはさ」

「ああ。あれも読めるってことだろうな」

「?」


 何だが意味ありげな会話だ。シノホルンも興味を引かれたのか彼らに目を向ける。

 ビールケは俺たちにこう告げた。


「実はさ。〈リバースヘブン〉の一角にこの文字が書かれた壁があるんだよ。何かありそうなんだけど、てんでわかんねえ。とりあえず隠して放置してあるから、今から見に行ってみるか?」


既成事実と信者と次のイベントへのフラグを獲得するシー様。

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────、と言うわけでこの『ヴァンサンカン伯爵様貞操爆散RTA』最序盤で司祭様に龍血秘薬の作成をお願いして製薬スキルを育成する必要があったんですね。 いやぁ、ここまで苦労しました…なんせ全員の好感度を…
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