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第百二十四話 アブないハエたち

 翌朝、朝食を済ませた後で、俺とシノホルンは早速疫病調査のためのフィールドワークを皆に伝えた。


「それで親父はよくなるのか……?」


 昨日よりはだいぶ落ち着き、疑うよりはすがる色合いの濃い声で発されたビールケの問いは、意図的かどうかはさておき俺たちの問題点を端的に指摘していた。


 すなわち、これは解決への最短ルートではない。


 シノホルンが当初、意識的にしろ無意識的にしろこのやり方を選択肢から除外してしまっていた理由がここにある。リアルに迫る死という不可逆的な一線を前に、急がば回れは仕事放棄とほぼ同義だったのだ。


 今差し向けられたビールケの質問は、そんなシノホルンを直撃する鋭さを持っていた。ここは口八丁の盗賊脳の手番かと思い俺が口を開きかけたその矢先、静かに、けれども芯の通った声が場に広がった。


「少しだけ時間がかかってしまいますが、必ず治療法を見つけてみせます。それまで待っていてください」


 シノホルンのその揺るぎない言葉に、ビールケがわずかに安堵した笑みを浮かべる。


「ああ。ドワーフは最強の種族だ。親父なら十年くらいは待てる。頼んだぜ、シー先生」


 これは……! 昨晩のように自分を追い込み切り刻む言葉ではない。断固たる決意というべきものだ。

 だからこそビールケも不安を払って奮い立てたのだろう。暗い未来に怯えるよりも、無人の荒野に振り下ろす一歩を。


 二人の決心は、そばでそれを見ていた俺たちにも勇気をもたらした。

 このフィールドワークで必ず何かを掴んでみせる。


 ただ、同行者は少数でいく。広い範囲を調べるので頭数は多い方がいいのはわかっているが、この先にあるのは悲惨な光景でしかない。


 自分たちもついていくと言い張るアークエンデやオーメルンに対し、俺はこう伝えた。


「すまない。まだ君たちをつれていくわけにはいかない。きっと、つらいものを見ることになる。君たちがそれに耐えられるということはわかっている。でも、今はまだそれを背負ってほしくない。父親のワガママだ。許してくれ」

「……わかりました。お父様」

「……わかったよ、父さん」


 時に人は、直面したたった一つの場面で人生観を変えてしまう。定めてしまうと言ってもいい。今日から巡るのは戦いを決意した者たち同士の信念の果てではない。もっと無差別で無慈悲な死の飛散。そこで子供たちに死生観の結論を出してほしくなかった。まだ。もう少し大きくなってから。本当にただのワガママだ……。


「あたしは一緒には行けねえ。拠点を守らなきゃだし、親父のこともある」


 ビールケも残った。騎翅たちに乗り込んだ俺は、地上で見送る彼女へこう呼びかける。


「地図は受け取ったから大丈夫だ。ポジティブにいこうビールケ。アイゼン団長が寝込んでるってことは、休息に専念できてるってことだ。こちらが調査をしている間に、勝手に完治した第一号になってしまうかもな」

「へっ……! あたしもそう思うぜ! 頼むぞヴァー伯! シー先生!」


 離陸!

 こうして俺たちは、疫病の蔓延した土地の調査へと出発したのだった。

 

 ※

 

 同行メンバーは以下の通り。

 俺、シノホルン、ベルゼヴィータ、エクリーフ、マスカレーダ、タマネとタガネ。

 スノーカインも今回はお留守番だ。文様についての予備知識はほしかったが、彼女も身近な人の死について敏感になっている。実年齢のほどはわからないが、精神年齢は見た目と大差ないことを俺はもう知っていた。


 騎翅に乗って飛ぶことわずか十数分で、ドルマゴム戦団謹製のマップに書かれた最初の拠点に到着する。


「“ムーラントッド戦団”。……人間たちの戦団だ。アイゼン団長たちと手を組んでいた」

「人間たちの……」


 俺の後ろに乗っていたシノホルンがはっとした空気を漏らす。

 彼女がロンギヌス高地に送られていればどこかの人間の戦団に厄介になっていたはずだ。名前までは知らされていなかったようだが、ドルマゴム戦団と手を結ぶほどの勢力なら可能性としてはあり得る。

 そんな有力戦団の現状は……。


「ひどいものね……」


 ベルゼヴィータも思わずそうつぶやく景色。

 墓だ。どこを見ても。


 吹き荒れる砂塵が石造りの小屋を洗う中、所かまわずに墓標が突き立てられている。墓地に遺体を運ぶ労力すら枯渇したのだろうか。拠点内に動くものはなく、時折動くのは風でちぎれた灌木の枝くらいなもの。


 死の村――としか言いようもない。


 ビールケの話によると、ムーラントッド戦団は早い段階で病が蔓延し、もっとも早く遺物争奪戦から脱落した戦団らしい。

 以降は仲間の治療に専念していたというが、ある時ぱったり音沙汰がなくなって……これか。


「ごめんください。どなたかいらっしゃいませんか」


 木材が貴重だからだろうか、扉の代わりに垂らされた絨毯のような分厚い布の隙間からシノホルンが呼びかけてみるものの、どこからも返事はない。


 いくつかは空き家だったが、いくつかには住人が残っていた。

 干からびた遺体として。


 それがこの乾ききった荒野の気候のせいなのか、それとも奇病――文様病と名づけられた――の最終段階なのか、俺たちにはわからない。ただ、立派な武具を飾った部屋で横たわる遺体は、しのばれる勇猛さとは裏腹にあまりにもか細く、儚く見えた。


 どこか、ジプシーヒーラーたちを助けた時の、反乱首謀者の末路を思わせる。煉界の火に焼かれ瞬時にミイラ化した死体……。 


 シノホルンはそのつど目を閉じて冥福を祈ると、すべての遺体の様子を記録に書き留めた。

 ムーラントッド戦団は全滅だ。病を恐れて土地を離れた生き残りがいることを信じたい。


 次に向かった戦団は小規模なドワーフたちの勢力だった。ビールケたちとは異なるグループだが頑強さは同等らしく、発疹を生じさせながらもまだ半分以上が活動可能だった。

 彼らから話を聞き、シノホルンが作った経口補水液を提供する。飲み口爽やかなレモン味のおかげで大いに喜ばれた。


 患者たちの発症から今に至るまでの経緯を聞き取り、死者の分布なども書き記す。

 涙ながらに無念を語る遺族の話にも、シノホルンはひたすら耳を傾け続けた。俺やエクリーフも彼女に倣って方々の記録を取った。


 そうして三つ、四つと戦団を回っていった。

 証言の内容は大雑把だし特段の違いもない。遺跡から病気が始まったことは誰もが知っている。


 わずかに、こんなことをして意味があるのかと不安がもたげる。だがこの調査が意味を為すのはすべての記録が揃ってからだ。全体を俯瞰し、そこに手がかりとなる違和感を見つける。そういうやり方。それまでは無為と有意の境界線上で揺れながら、地道に聞き取りを続けるしかない。


 そんな日が二、三日ほど続いて……。

 その日の夕方、そろそろ引き上げようかと考えていたその頃に、残酷な世界がついに俺たちに牙を剥いた。


 そこは獣人たちの戦団だった。

 拠点に足を踏み入れるなり、誰かが倒れていた。

 シノホルンが駆け寄って調べるも、すでに事切れている。


 遺体はそれだけではなかった。にわかに強く吹き始めた砂塵の中に、ぽつりぽつりと黒い塊が見えている。

 どれも獣人たちの死体だった。時間が経過したものもあれば、さほどでもないものもある。


 住居の一つでエクリーフが手記を見つけた。

 どうやらこの拠点はある時を境に急速に病が蔓延、進行し、対処する間もなくばたばたと住人が倒れていったようだ。


 ベッドで手を取り合って横たわる親子がいた。抱き合ったまま路上で干からびる小さい遺体があった。

 あまりにも無慈悲で陰惨な光景に、戦士たるベルゼヴィータやマスカレーダでさえ絶句する。


 こんなにも無慈悲に、こんなにもあっけなく、人は死んでいくのか。

 どれだけの人生があった? どれだけの願いがあった?

 ここにはもう何も残っていない。命は大事だとか、人生は素晴らしいなんて謳い文句は何一つ通じない。これが世界の真の姿。たくさん生まれたくさん死んでいく小さな虫のように、人もまた生から死へと移ろいゆく……!


 俺たちの仲間もそうなるのか。今必死に病と闘っている団長やビールケも。

 劇的なドラマなんてなく、当然の現象として死んでいく。世界における命の軽さを示す単なる事象の一つとして。


 そんな突き放された光景に、俺たちが立ち尽くすしかなかった、そんな時だった。


「フギャーッ! 伯爵殿、虫が、虫たちがっ!」


 住居の外を見張っていたタガネが、姉のような騒々しさで民家の中に駆け込んできた。

 何事かと俺たちが外に飛び出てみれば、そこにあったのは目を疑うような景色。


 騎翅たちが獣人たちの遺体を貪り食っている……!


 強靭な顎が骨を噛み砕く音がする。まだわずかに水気の残った肉が引き千切られる音がする。


「ヒ、ヒーッ! ついに本性を表したでござる! やっぱり騙されていたでござるーっ!」


 弟ともども俺の後ろに隠れて、タマネが泣き言を並べ立てる。……彼女らでなくとも巨大な虫が人を食らう光景は怖気を振るう。これは一体、何だ……!?


「ベルゼヴィータ、彼らは肉食だったか……?」


 かすれた声で彼らの女主人にたずねる。彼女もまた面食らった様子で、


「雑食よ。石と土以外なら何でも食べるわ。でも普段は果物ばかりだし山でミアズマも大量に吸い込んできたから、今ああして何かを急いで食べないといけないなんてことないはず……」


 最悪の予想が俺とベルゼヴィータの間を通り抜けた。

 まさか騎翅たちまで、疫病でおかしくなってしまったのでは――。


「いえ……待ってください。これは、もしかして」


 そんな中、一人だけ質の異なる声音で話す人物がいた。

 この凄惨な景色に似つかわしくない、冷静で、そしてどこか期待と希望が入り混じった発言。出所はシノホルン――。


「見てください。彼らは見境なく遺体を食べているのではありません」


 人が食われる衝撃から立ち直り、何とかその様子を直視してみると、彼女の指摘する通りそこにいる三体の騎翅は無節操に死体を食い荒らしているのではなく、一つの遺体を皆で分け合っているように見えた。まるで必要な分だけを腹に入れているみたいにだ。


「以前読んだ伝記に、このようなことが書かれていました……」


 ハエたちをじっと見つめながら、シノホルンが気丈な声で話し始める。


「昔、王国の片隅で、人も動物も虫までも死んでしまう恐ろしい奇病が発生したそうです。たまたま旅行中にその噂を聞きつけたイプシロン博士という医者の方が、治療のために現地に赴きました。するとそこでは黒い霞のように大量のハエが発生していたそうです。話によれば虫さえも死んでしまう病だというのに、どうして? そこでイプシロン博士は、そのハエと、少し離れた土地のハエを見比べてみたそうです。すると、わずかですが違いがあったのです。そう、疫病地帯のハエたちは、死にながらも卵を残し、そこから生まれた子供たちには病への耐性があったのです。博士はこのハエたちをすり潰し、そこからエキスを抽出して治療薬を作りました。こうして、謎の奇病は大きな被害を出すことなく治まったそうです――」

「何だそれは。どうしてハエから薬が……?」

「もしかして……免疫かしら~!」


 話に加わってきたマスカレーダとエクリーフに、シノホルンはうなずいた。


「ええ、恐らくは……! ハエはそもそも劣悪な環境でも生きられる強力な免疫機能を持った生き物なんです。ベルゼヴィータさん、彼らは確か傷の直りがすごく早いんでしたよね?」

「え、ええ、そうね」

「傷の直りが早いということは、体を作り直すスピードも速いということです。もしかしたら、すでに……」


 騎翅たちは獣人一人分の遺体を跡形もなく食べ尽くすと、動きを止めていつもの通りその場で待機していた。そんな彼らに、シノホルンはポーチから取り出したハサミを手に近づいていく。


「ちょ、ちょっとシノホルン。彼らに変なことするつもりじゃないでしょうね」


 さっき、ハエをすり潰したなんて話を聞かされたベルゼヴィータが慌てて釘を刺しにかかる。が、シノホルンは微笑んでうなずき、


「もちろん、ここまでお世話になっている彼らにそんなひどいことできません。イプシロン博士は非常に細かい性格で、ハエのどこに薬としての効能が集中しているか徹底的に調べてみたそうです。その結果は、毛」

「毛……? まさかその人、あの普通の小さなハエから毛をむしり取ったのか……?」

「ええ。本当に細かい性格ですよね。でも博士によると、虫の毛というのは立派な感覚器で、しかも病気に対する強力なバリアーでもあるそうです。人の皮膚がそうであるように」


 シノホルンが騎翅たちの獣毛じみた黒い毛を撫でる。


「最初に食べていた子の手触りが少し違います。もう始まったのかも……。ごめんなさい、少しだけ毛を分けてもらえますか?」

「ニー(〇w〇)」


 まるで承諾のような音を受け取ると、シノホルンはハエの体毛を少しだけ切り取り、大事そうにバッグにしまった。


「シノホルン司祭。もしかして、騎翅たちから薬が作れるのか……?」


 期待しすぎてはいけない。そうブレーキをかけつつも、はやる気持ちが俺にそう問いかけさせる。


「まだわかりません。でも、イプシロン博士のやり方は頭に叩き込んであります。今はこれに賭けましょう……!」


 数日前、絶望と失望に一人潰されかけていた少女とは思えない力強い返事。たった一夜で彼女はこうも強くなった。


 こうして俺たちは、かすかな希望を胸に拠点へと帰ったのだった!


この世界における医療はこの世界専門です。地球の方は真似しないでください。

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― 新着の感想 ―
騎翅さんもっと厳ついボイスだと思ってたら「ニー(〇w〇)」…だと…!?おそらくでっかい蠅の王的ヴィジュアルから繰り出される「ニー(〇w〇)」……こやつらギャップ萌という概念を理解しておる… そして本…
おましょうま! 前半が過去一にシリアスな情景で書ける事が…書ける事が無い!(ぉ しかし死体が干からびるお陰で腐敗による疫病蔓延の追い打ちが無いだけまだマシなのか? >「ニー(〇w〇)」 ここに来て…
リス「ふむ、このパターンは前にも見たな?(ガバ一門第六百二十八走感想欄参照)」 鎖マン「なんで野獣因子の話するとちょいちょい次の話にヒットするんだよ…コメ主も困惑してたぞ」 メガトンコイン「やっぱ…
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