第百二十二話 悪童ヨハンの謀反
斜めに突き出した未来的な高層ビルという奇怪な背景に佇んでも、その男には何の違和感もなかった。
鋭角的な鷹の目に挑戦的な薄笑い。そして破滅に自ら突き進んでいきそうな歪で刹那的な雰囲気が、この景色と奇妙な親和性を見せているのだ。
アンサー。元レンジャー兵で、今は裏社会に籍を置くアウトロー。
「アンサー様!」
「アンサー!」
「ああ、ファーバニス島の船にいた人ね」
途端、子供たちから一斉に声がかかり、危険な男の顔を苦笑いへと変えた。
皆、彼とは初対面ではない。島流し用の孤島から帰る船で、何日も顔を合わせた仲だ。
「ハァ、このオレが女子供にこんなに気安く呼ばれる日が来るとはな。おい伯爵、ちょっとツラ貸しな。むこうで話そうぜ……」
少し疲れた様子でクイと親指をビルの瓦礫裏に向けるも、ちょうど彼と俺との間にいた一人の少女が不服そうに声を上げる。
「は? パパ、誰こいつ。いきなり現れて偉そう。Φ_廿」
「おまえこそ誰だよ。またおかしなモンを引き当てたか」
スノーカインとアンサーは初顔合わせだ。何だか相性が悪そうな二人をなんとかより分け、話をするために少し離れた場所に移動する。
彼が現れたことは凶兆以外の何物でもなかったが、話し合いから始める気があるのは助かる。
「やれやれ。前から小うるさい小娘に囲まれてると思ったが、知らんうちに獣人にドワーフに……あの浮いてるのはいよいよもって何だ?」
邪気のない子供たちから離れ、アンサーはようやく裏社会の剣呑な空気を取り戻せたようだった。
「ま、まあ色々とあったんだ。それでどうしておまえがこんなところに……って、その手」
「ん? ……ああ。帰ってきたぜ、兄貴のグレゴワが……!」
俺が目を見張ると、アンサーは頬が引きつるほどの笑みを浮かべて右手をかざしてみせる。サイレンスに切断されたはずの指がきっちり五本揃って並んでいた。一本一本折りたたんではまた開く滑らかな動作は、それがまやかしでも義手でもないことの確かな証明。
「ヨハンが治したのか」
「ああ。約束は守る男だったぜ。あいつは」
以前、刺客でごった返すファーバニス島から脱出するために、ヨハンはアンサーに手助けを要請した。その見返りが、彼が兄の化身と信じてやまない右手の指の復元だった。
「面白れぇから今も雇われてやってる。オレがここにいんのもそういう理由だ」
「なに!? ヨハンがロンギヌス高地にいるのか!?」
「声がでけーよ。一応内緒話してんだぞ?」
さして咎める様子もなく釘を刺さされ、俺は慌てて口を閉じた。子供たちがいる方向から、にわかに驚きの気配が広がるのがわかる。もっとも、あっちにはオーメルンもタマネもいるから、コソコソ話したところで最初から筒抜けではあったろうが……。
「ヨハンが、ここに……」
現在王国を実質仕切っている母太后マリスミシェルと同じくらい、同じテーブルにつきたくない相手。
ヨハン・ゴルゴンパイクは声に異能を持ち、彼と話をしていると内なる正義を暴走させられ独善的かつ過激な行動をとるよう人格を改造されてしまう。本人は誰がそうなるかは制御できないと嘯くが、果たしてどこまで本当か。
島流し用の離島の、そのまた秘密の隔離施設に封印されていただけのことはある危険人物だ。
「ヤツは教会を裏切った」
そんなことを考えているところに、アンサーはそんな危機的な一言を放り込んできた。
「えっ……」
「“ロンギヌス写本”ってのを知ってるか?」
「し、知らない……え、ちょっと待ってくれ。裏切った? ヨハンがセルガイア教団を? 何だそれ、どういうことだ?」
盗賊の頭脳をもってしても理解が追いつかないどころか、思考が歩き出さない。それでも何とか思索の足場を固めようと足掻く。
セルガイア教団は王族に次ぐ――いや下手すれば王族以上に影響力を持つ集団。信者の数は国民の総数に等しい。それを裏切る? あの男、いよいよアホか?
アンサーは、そこからかよ、とでも言うように小さく嘆息し、
「貴族と教会は昔っから権力闘争してんだよ。ゴルゴンパイクみてぇな大貴族は特にな。今でもお互い抜け目なく相手の弱点を探り合ってる。政敵の足を引っ張るには一番何がいいか、わかるか?」
「スキャンダル?」
「おお、意外とわかってんじゃねえか。ハハーン、さてはあの養子の娘に内緒で二、三人孕ませたか」
「俺は至極真っ当健全に生きてるよ!」
アンサーはケラケラと笑い、「真っ当ならさっさとガキ仕込めや」とこちらが全然笑えない小言を言った。
「ま、テメーのお家事情はいいとして。ゴルゴンパイクほどの名家のメンバーなら教会も当然全員をマークしてる。が、ヨハンは最近出戻った鬼子だからな。今ならフリーに動ける。このことは本家も元王妃サマも暗黙に了解してる。んで、手綱がなけりゃ何すると思う? あの男が」
「悪だくみ……」
「そう。普通なら坊主どもの頭を押さえただけで満足するが、ヤツはガチで教会を潰しに来た。さっき言ったロンギヌス写本がそれよ。こいつはな、セルガイア教団の過去がすべて記録されているっつう文書だ。教団は人間社会最古の組織だ。何せ箱舟伝説の最後に出てくるくらいだからな。そこから今日まで、致命的な悪事を一つも犯してねえなんてことはねえ。そんな政敵垂涎の秘密が写本にはすべて詰まってるって寸法だ……」
「それを探しに来たとでも? でも言っていいか? 何だか……全体的にすごいふわっとしてるというか、眉唾というか……」
俺の率直な感想に、アンサーは無邪気な笑みをこぼした。
「ハハッ、そうだ。ロンギヌス写本てな裏社会じゃ有名な話さ、世紀のガセネタとして。古いモンは何でもロンギヌスにある、そういう夢物語から生まれた都市伝説だ。ただな、そんな与太話にヨハンが興味を示した。ヤツのことだから単なる酔狂ってことも十分に考えられるが……意外と本気そうだから不思議なもんだ。実際、ヤツはここに着くなりあっという間に戦団を一つ丸め込んで手下にしちまった」
「!! おい、まさかそれって……」
「察しがいいぞ怪盗。そうだよ、おまえらがさっきぶつくさ話してたロンギヌス大戦団だ」
なんてこった……! ロンギヌス大戦団の魔の手が俺たちに迫ってきてるのかと思ったら、あっち自体がすでにヨハンの手に落ちていたとは。
「そういうわけで、やっこさん知恵を貸してやりながら遺跡漁りの真っ最中というわけさ。まあ……この異様な地下空間が見られただけで、オレとしちゃあついてきた甲斐があったがな……」
意外と殊勝なことを言ってのけるアンサー。さしもの彼も無秩序に交差する古代の高層ビル群は衝撃だったか。
しかし妙だな……。この先に進んで〈リバースヘブン〉を目指すのなら、そこは洪水前の世界。洪水後に作られたセルガイア教団の秘密を探すにはちょっと年代を遡りすぎな気もするが……何かしら考えがあるのだろうか。
「ところで、そんな話までしてよかったのか? 俺に」
あまりにもアンサーがペラペラと依頼主の動向を話すので、俺は不安になってたずねた。彼は残忍な男だがプロフェッショナルでもあった。依頼人の名は明かさないし、不必要な破壊もそこまで好まない。
「ああ。もしおまえに会ったら隠すことなく伝えろとヨハンに言われてる。まさか本当に会うとは思わなかったが」
「ヨハンが俺に? ……ずいぶん信頼されたもんだな。俺が教会に密告したらどうする気だ」
「おまえな……。貴族のくせにどこまでお人よしだよ」
ハアーとどでかいため息が、俺の顔の前を通り過ぎる。
「ヨハンはおまえを巻き込みたいんだよ。前みたいにな」
「なっ……!」
「ファーバニス島じゃそれで面倒ごとが広がっただろ? ヤツにとっちゃ、助けられたことより想定外の騒ぎを起こしてくれたっつう恩の方がでかいのさ」
あ、あの悪魔の子め……! 正論パンチで反撃したいが手首を捻挫する未来しか見えない。俺がヨハンと出会ってしまったがために刺客はなりふり構わなくなり、島で唯一の村は焼かれてルーガはお店まで失った。
「あいつは珍しいハチの巣があったら棒でつつかずにはいられねぇのさ。そうして自分がどこまで踊れるか知りたい。気が合うぜェ、ヤツとは」
「そんなことしてたら命がいくつあっても足りないぞ……」
「一つありゃ十分だ。それで納得するさ……。で、テメーは何なんだ? 僻地に家族旅行する趣味でもあんのか?」
話の矛先がこちらに向く。彼の目が興味深げにスノーカインを見ていることを鑑みれば、そういう流れになるのは当然。ここまで相手の内情を聞かされてしまったら、こちらも話すのが筋のようにも思えるが……。
「……言いたくないって言ったらダメか?」
「ダメなわけねえだろ。オレたちは仲間でも友達でもねぇんだ。なんなら利害の不一致ってことで今から一戦してもいいぜ。グレゴワもおまえとのリターンマッチをしたいって言ってる」
ぶらぶらと右手を振ってみせるアンサー。物分かりがいいのかイカれてるのかわかったもんじゃない。ただ、こいつは本気だろう。ここでガチの殺し合いになっても本望だと思ってる。それこそ、自分がどこまで飛び回れるか知るために。
「冗談じゃない。今は人間同士で争ってる場合じゃないんだ」
「はん……。あんだけ珍妙なメンバーが揃ってるのにはワケがあるってか。それもいいだろ……」
どこか遠くを眺めるように言い、アンサーは腕組みの中に右腕を封じた。
そこで会話は途切れ、これで話は終わりかと思った、そのすぐ後で。
「っと、そうだ伯爵。“イヨルの声”とやらについては何かわかったか?」
「!」
ついでのように振られた話題に、俺は素直に驚き顔を晒してしまった。
「どうしてそれを……」
「普通にヨハンから聞いとけって言われただけだ。その様子だと収穫はねえみてえだな」
「ああ。ヨハンと別れて以来、その名前を聞くことは一度もなかった」
“イヨルの声”。それは、ヨハンが彼の祖父から遺された奇妙な遺言だ。彼はその正体を突き止めることをライフワークの一つとしている節がある。
イクシードだとか操霊機の巫女だとかの新手の重要ワードはイヤというほど聞いたが、イヨルという言葉とはまだ一度も出会っていない。
「ゴミ溜めの裏社会でも聞いたことのねえ単語だ。よっぽど古いか、まだ生まれてねえほど新しいか、どっちかだろうな。まあ、オレにはどうでもいいことだ」
肩をすくめ、今度こそここで話が一区切りという空気をアンサーは醸し出した。
俺も考えを整理する。ひとまず不穏な結果に発展せずには済んだが、得た情報はどれも凶報というのが正直なところだ。ロンギヌス大戦団にブレーンがついたのは事実だった。それも悪魔のような男が。
その事実を抱えながら皆のところに戻る。ついてきたアンサーが思わず「チッ、何でオレまで一緒に戻ってんだ」と無駄に萌えポイントを振り撒くのを聞きながら、俺はふと、彼に音もなく近づく白い人影に気づいた。
「おまえ、変な人 Φ_廿」
スノーカインがまたアンサーに絡みに来たのだ。
「テメーに言われたかねえな、半透明のガキ」
「魂が一つと半分ある。……仲いいの?」
「……!!」
ぞんざいだったアンサーの動きがその時完全に停止した。そして、
「ハハハ、ヒャハハハハッ! わかんのかテメェ!」
嬉々として。本当に嬉しそうに彼は高笑いした。
こくりとうなずくスノーカイン。
魂が一つと半分……。一つはもちろんアンサーのものだろう。ではその半分は、まさか本当に……?
「伯爵、気に入ったぜコイツ。おいガキ、名前はなんつうんだ?」
「スノーカイン」
「カイン……? はーん……。まあいい、半分分の魂はオレの兄貴のグレゴワさ。よろしくな」
ハンドパペットでもはめてるみたいに、右手をお辞儀させてみせるアンサー。スノーカインも怪訝そうにしながら「ヨロシク……」と律儀に返している。なんだこの二人。今から可愛いでも目指す気か。
「一応、オレはこのあたりの見張りを任されてたんだがな。伯爵とそのお供だけなら好きに通りな。ただ、戦団集めて突っ込んでくるってんなら、それなりの対応になるぜ」
俺たちには温情をかける一方で、ビールケたちには好戦的な眼差しを向けるアンサー。ビールケもビールケでそんな脅しにビビるようなことは微塵もなく、
「ふんっ、今は一旦退いてやる。けど、後で絶対取り返しに来るからな。覚えとけ!」
これはお宝そのものではなく、お宝に通じるルートの奪い合いだ。ヨハンとしても戦団が絡まず邪魔をしないというのなら気にしない方針なのだろう。
そうしてアンサーと別れた俺たちは、負傷したドワーフたちと共にドルマゴム戦団の拠点へと戻ることにした。
ここでは取った取られたは当たり前。当初は悔しそうにしていたビールケも、帰る途中ですでにケロっとしていた。
だが。俺たち……いや彼女たちに降りかかる災いはここからが本番だったのだ。
拠点にたどり着くなり、血相を変えて一人のドワーフが駆け寄ってきた。
熱烈な出迎えなどでは当然なく、彼は凍えるような声でこう告げた。
「大変だビールケ、アイゼン団長が倒れた」
パペットマペット!




