第百二十一話 深層ロンギヌス
俺たちが出た穴は、広大な下層空間の高台にあたるところだった。
壁面がくずれてできた斜面の上。それは地下空間の天井とほぼ同等の高さにある。
だからよく見えた。
天井のところどころが発する黄昏色の光に包まれた、その世界を。
高層ビル群――。
いずれも二十階は下らないであろう背高のっぽの直棟が、世界の終わりのような薄暮に佇んでいる。
今、地上で見るいかなる高層建築とも似ない、高度文明と大都会の証明。
だが、誰もが声すら出ないのはその高さじゃない。
ビルは、地面だけでなく壁や天井からも生えていた。
想像できるだろうか。細長いビルディングが、スターゲイジーパイのイワシのようにニョキニョキとあちこちから顔を出しているのだ。
正規の建て方でないことは一目瞭然。自重に耐えられず半ばからへし折れたものや、根本付近を残して天井から墜落したビルの残骸がいくつもある。ここが古代の地下都市だとしても……どう解釈すればいい?
「な? すげーだろ! おまえらが家に帰ったらみんなに自慢していいぜ!」
見慣れているのか得意げに胸をそらすビールケにも皆無反応。それほどまでに呆気に取られている。
そんな中ようやく口を開いた者が一人。
「なるほど……。大洪水が表面的な世界の洗浄に過ぎないという説は、一理ありそうですね~……」
エクリーフだ。限度を超えた興奮が、逆に彼女に怖いくらいの平静さをもたらしていた。脳に染み込んでくる景色に操られるように、その先を続ける。
「単なる洪水なら、地下に逃れた古代人たちは助かったのではないかという仮説があるんですよ~。地底人生存説っていうんですけど~……。でもそうした記録は一切ない。もしかして洪水は、ご先祖様たちからはそう見えただけで、星の中身はもっとすごいことになっていたんじゃないかって考えた人がいたんです~」
「す、すごいことって……?」とアークエンデが恐る恐るたずねると、
「天が、大地ごと世界を作り直したんじゃないかって~……」
『……!!』
目の前にある、無秩序な角度で突き出した乱杭歯のビル群。
それは、大地がまるで粘土のようにこねられた後、たまたまそこから顔を出したという結末によく似ていた。
「で、でも地下の遺跡は無事だったんだろ?」
オーメルンが指摘してくる。
「そんなにこねくり回したら、真っ直ぐに下る〈リバースヘブン〉だって途中でバッキバキにされてるはずじゃねーか」
「全部が全部無事ってわけじゃねーぜ」とビールケが反論。「あちこち崩れたり歪んだりはしちまってる。一階層あたりの面積が広いから、垂直にできてるように感じるだけかもしんねー」
「こういう景色は、ロンギヌスの地下じゃ珍しくないのか?」
子供たちの声を聞いて正気を取り戻し、俺からも質問を投げる。なまじあれらが高層ビルとわかる分、すべてが異界の光景に見えている皆よりも動揺が激しいのが自覚できる。
「いや〈リバースヘブン〉の近くでだけだ。だから、ここがあそこの別の入口なんじゃねーかってみんな思ったんだ」
そう話すと、彼女は気負わぬ足取りで高台の斜面を下り始めた。俺たちもそれに続き、ビル群へと近づいていく。
その姿は遺跡というより廃墟だった。
地下空間の天井から降り注ぐ夕暮れ色の光が、より終末感を助長する。太陽がいくつもあるように見えるのだ。文明というより星の終わりを予感させた。
廃墟群に足を踏み入れる頃には、これが四角い塔であり、しかも中には小部屋を多数抱えているという構造を、みんなが理解していた。地上にある古い住居の遺跡と同じ。かつては人が暮らす平凡な家だった。
これが洪水前の建築物なら、やはり古代の人々は今よりもはるかに進んだ文明を築いていたに違いない。そんな成熟した社会が、洪水で世界が沈むなんて羊飼いの警告を信じるはずもない。人々は「こんなのウソだ」と叫びながら消えていったんだったか……。
さっきから身にひっついて離れない肌寒さは、やはりこれに似たビル群を見てきたからこそだろう。倒壊した高層建築。窓ガラスはどれも枠ごと砕け、鉄骨は断裂した筋肉からのぞく骨そのもの。世紀末の漫画か映画でしか見ないようなポストアポカリプス。
俺の肩を握るスノーカインの手に力が入るのがわかった。見れば、彼女は迷子のような不安げな眼差しを周囲に向けている。
この景色の健全な状態を、彼女は見ていたのだろうか。ならばその表情の理由もよくわかる。
「お父様。何だか怖い……」
気づけばアークエンデも俺の傍らへと身を寄せてきた。地上遺跡のような風化を免れたからなのか、ここの滅びは生々しく俺たちの前で息づいている。
元の世界を想像できずとも不安を掻き立てられたか、見ればオーメルンも心なしか近くにおり、俺はそっと二人を自分の側に抱き寄せた。
「は、伯爵殿。拙者、拙者も~」
猫もオマケでついてこようとした、その時だった。
「フニャーッ!? 伯爵殿あそこ! 例の首無し像があるでござるゥ!」
『!?』
突然タマネが叫び、ある一方向を指さす。
冗談だろと疑う者など誰もいなかった。この滅びの世界に、首のない神像はあまりにもマッチしていたのだ。
が。
「ああ、このへんによく転がってんだ」
頭の後ろで手を組んだビールケの放言が、身構えた俺たちの前を気楽に素通りしていく。
そんな彼女の無頓着を支持するように、確かにタマネの言う通り首無しセルガイア像はそこにあったのだけれど、それはただ立っているだけで突然消えたり飛び回ったりもしなかった。
「動かない? 本当にただの石像ですの……?」
「あたりめーだろエンデ。石が勝手に転がってきたらすげー迷惑だろうが……」
彼女とビールケの会話はどこまでも噛み合わない。石像が動くところを見たことがない? つまり……ここには死霊が現れないということか? 事実、俺の耳にも死者の声は聞こえてこない。だがそれなら、どうしてこんなところにあんなものが……?
「ビールケ、これが本当にたくさんあるのか?」
「あるぜ。ほら、そことか、あそこにも」
俺の問いかけに対し、ほいほいと指先を方々に差し向けるビールケ。そこでようやく気づく。ビルの影や瓦礫のそばなど、今まで気づかなかった物陰に結構な数のセルガイア像が転がっている。
しかももれなく首無しだ。完品は一つもない。どういうことなんだこれは……。
「おまえら、逆にこれが何なのか知ってるのか?」
あべこべにビールケから質問を受けてしまう。
「何もこうも、これはわたくしたちが盟主と崇めるセルガイア様の神像ですわ。ドワーフたちはこういう石像を作りませんの?」
「へえ~……。いや、あたしらは作んねーな。セルガイアっつったって盟友ってだけで神様とかじゃねーし」
そう、セルガイアはあくまで人間族のリーダーだ。だから盟主として奉られたが、他の種族からは命の恩人、盟友止まり。これは深族や獣人たちも同じ。
「じゃあ、これも洪水前に人間族が作ったもんなんかな?」
「それはおかしいです~」
ビールケの想像を否定したのは、眼鏡をキラリと光らせるエクリーフ。
「セルガイア教団が生まれたのは洪水の後、漂着した高原でなのですわ~。その前は一介の羊飼いに過ぎず、像を建てられる理由もなかったはずよ~」
「そーなのか。ま、何にせよあたしらは天使の化石って呼んでるよ。羽生えてるしな」
あくまで興味半分な態度のビールケ。ドワーフたちにはあまり価値を感じられない遺物のようだ。それもそうか。ここで求められているのはもっと明白なお宝と、力だ。
スターゲイジービルに謎の首無し像も加算され、俺たちの道行きはさらに謎めいたものとなった。
テポーン老師がここ行きを勧めるわけだ。俺たちをより世界の薄暗い場所へ導くものが揃っている。でもこんなことになるならもうちょっと予備知識を授けてほしかったぜ。今なら言える、ケチ! つるセコ!
「そろそろあたしらのキャンプに着く。そこまで行ったら今日のところは引き上げようぜ」
そう説明し、剥離したビルの表皮を迂回した直後。彼女が泡を食って駆け出す景色がそこにあった。
「ど、どうしたんだ、みんな!?」
横倒しになったビル。壁面の一部が崩れ、そこがちょうど秘密のアジトの入口のようになっている。
その場所に、縛られたドワーフたちが転がっていた。
「すまねえお嬢。やられたぜ……」
ドルマゴム戦団のドワーフたちは傷だらけだった。命には別状ないようだったが、激しい抵抗は試みたのだろう。鎧はボロボロで壊れた武器の破片が床に転がっている。
「んだと~!? どこのヤツらだ!?」
「ロンギヌス大戦団だ。大勢で一気に来やがった」
「なっ、なに~っ!」
子供じみた怒りを滲ませるビールケの後ろで俺たちも顔を見合わせる。ロンギヌス大戦団というと、今朝、砂塵にまぎれて拠点に近づいてきた連中だ。
「それはいつのことだっ!?」
「もう何日も前だ。すまねえ、見張られてて連絡することもできなかった」
「ええ!? でもあいつら拠点にも来てたぜ。いつの間にそんなに大軍団になったんだよ」
驚きを上塗りさせるビールケに、俺は何かがピンときた気がして「ちょっといいか」と声を挟み込んでいた。
「ビールケ、ロンギヌス大戦団が拠点に近づくようになったのはいつからだ?」
「えーと、数日前ってくらいかな。それで、親父と何人かがここのキャンプから拠点の守りに戻ったんだ」
ここのドワーフたちが襲われたのも数日前だ。タイミングは近い。
「もしかしたら、拠点に来てた連中は、実はそんなに大勢じゃなかったかもしれない」
「なに! どういうことだ、ヴァー伯!」
「自分で言うのも何だがわたしはけっこう目がいいんだ。あの時、人影に何か違和感があった。もしかしてあれはカカシのようなものを持って来て、わざと砂埃を起こして人数をごまかしていたのかもしれない。それで拠点を襲う振りをして、ビールケたちの注意をそっちに向かわせた……ということは考えられないか?」
「そ、そんなのずりーじゃねえか! でもそんな作戦、連中が思いつくとは思えねーぜ!」
狼狽えるビールケに「いや……」という反証の声を投げかけたのは、たった今タマネにロープを切ってもらったドワーフの一人。
「今のあいつらは何か規律的な動きをしてる。この土地の平均的なバカの集まりじゃなかった」
確かに『アルカナ・クロニクル』におけるロンギヌス大戦団は脳筋の集まりだ。見るからに賢そうな眼鏡をかけた獣人ですら『政治5』しかない(ステータスの最大値は14で、7~8あたりが現実的に使える数値)。
では、頭のいい何者かが戦団に加わったということか? しかし、そんなヤツは正史にはいないはずだ……。
疑惑と当惑がはびこる正にこのタイミングで、その声は降ってきた。
「おいおい。まさかこんな地の底でテメーと会うとは。無神論者のオレでも運命を信じちまうぞ?」
気配ゼロ。仮に視界に収めていても、下手をすれば風景の一部として見逃してしまう。
そんな隠形を極めた男の声が、俺の背中をぞくりとさせる。
慌てて振り返り、あえて垂らしたのがバレバレな相手の気配をたどって一つの影へとたどり着く。
狩猟民族の格好をした、右腕だけが拳一つ分長い奇矯な男。元レンジャーの脱走兵。
そいつの名前は。
「アンサー……ッ!」
アンサー「オレの名はキュアアンサー」
サイレンス「私の名はキュアサイレンス」
アンサー「二人は!」
サイレンス「宿敵!」
アンサー「くたばれや先輩ィ!」
サイレンス「死ね、裏切者」
伯爵「ハンニンダー」




