第十二話 庭園はふわふわ不和
「この度は、わたしどものお願いを聞き入れていただき、誠にありがたく存じます――」
屋敷の応接間に通された後も、アーノルド卿は感謝し通しだった。その奥方は出されたお茶をのほほんと嗜んでいるが、夫と合わせてたびたび頭を下げていることから恩を感じているのは確かなようだ。
温厚で人の好い父と、温和でのんびり屋の母。こんなダブル光属性の中心で照らされて育てば、アルカナのような少女も生まれるというもの。
ちなみに彼女の魔導素養は癒しを得意とする『水』、後に『星』が覚醒して『星水』であり、『煉火』のアークエンデとは属性相克図で真逆に位置する。
「しかし、大変失礼ながらヴァンサンカン伯爵。なぜ、遠方に住む我らの願いを聞いてくださったのです?」
アーノルド卿が不思議そうに問いかけてくる。
今、応接間にいるのは俺とサンシード卿夫妻。それから借金にあたって事務的な詰めを行うためのバスティーユのみ。子供たちは庭に遊びに出ている。借金の話など聞かせるものではない。
夫妻の対面に座る俺は、そっと彼らの服装を品定めする。
上等ではあるが使い古され修繕の跡も見える衣類。時代ものの簡素な装飾品。盗賊イーゲルジットの鑑定眼によると、これはシロ。ただの貧乏だ。豪華な暮らしで身を持ち崩す貴族とは違う。
「いえ、なに。アーノルド卿の手紙に書かれていたご息女が、ちょうどわたしの娘のアークエンデと同い歳でしてね。放っておけない気持ちになっただけです」
「そうでしたか! 確かに娘というのは目に入れても痛くないほど可愛いものです。自分のまつ毛でさえあんなに痛いのに」
まるで同志を得たみたいに破顔し、声を弾ませるアーノルド卿。
ああ、この明るい笑顔の一割でも俺にありゃあなぁ……。
手紙によると、彼らが住むボッカーナ領は最近、大規模な治水工事と城壁の修理が重なり、多額の拠出金を求められた地方貴族たちの財政は一気に悪化してしまったという。
直に会ってその内容に偽りはないこともわかり、借金も堅実な返済が見込まれた。
まあ、彼らの人となりはアルカナ本人が本編で何度も語ってくれるので、知ってたっちゃあ知ってたんだが……。
「うちのアークエンデは、そちらのお嬢さんとお友達になれるでしょうか?」
さりげなく席を立って窓際へと移動した俺は、庭園の方を見やりながら独り言のようにつぶやく。
「ご心配ありませんわ伯爵。あの子は誰とでもすぐに友達になれますので。それにアークエンデさんはとても優しそうなお嬢様です。きっと今頃はすっかり打ち解けて、仲良く三人で遊んでいますわ」
メアリー夫人がふんわりした声で応じてくれる。
誰とでも仲良くなれるですと……。そんなゆるふわな中身で済むか。あれはほとんど魔性の魅力だ。
暴風を錯覚するほどの人を惹きつける力。これまで変な虫がつかなかったのは、引力とセットで彼女を傷つけては絶対にいけないという謎の自制心が働くからだ。
『アルカナ1』には遊び慣れた不良貴族も登場するが、アルカナの前では好きな子に対するイジワル以上のことはできなかった。体感して初めてその理由がわかった。
あの時発現したアークエンデの『執着』の刻印は、誰に気づかれることもなくすぐに引っ込んだ。そして彼女は平素と変わらぬ声で、アルカナへ屋敷の案内役を申し出たのだ。
まるで、生意気な転校生に学校を案内する悪役令嬢みたいな空気で……あ、いやいや、そんなことあるはずない。アークエンデはひとまず悪役は回避したはずなのだ……。
ああっ、ちくしょう。まさかこんなことになるなんて。
予定では平穏な出会いとなるはずだったのだ。それがまさか、アルカナにあんな力があって、それに俺が引きずり込まれてしまうとは……。
結果として二人のファーストコンタクトは、正史以上に悪いものとなってしまった。
俺のアホ、バカ、毒親! 彼女の運命を俺が追い詰めてどうする!
内心で自分を罵倒しつつ、俺はそっとジャケットの襟元に小箱を押し込んだ。小箱と繋がった盗み聞きの糸は窓の隙間を通り、庭へと続いている。
子供たちの会話が聞こえてきた――。
「ここが我が家の庭園ですわ。どう、綺麗でしょう?」
「わあっ、本当に綺麗。素敵だねっ」
得意げなアークエンデの説明に、花が咲くようにふんわりしたアルカナの声が続く。本編でははきはきした物言いをするアルカナも、この頃はふわふわの女の子だったらしい。
くっ……可愛い。声を聞くだけで足がそわそわしだした。姿が見えなくてもこの吸引力……! 学校内の特定の場所まで行かないと会えない『アルカナ1』の男性キャラたちが、いかに鋼の自制心を持ち合わせていたかがわかる。チョロいとか言って正直スマンカッタ。
「そうでしょう? あなたのおうちに、こんな立派な庭園ないでしょう」
「うん。うちはお母さんの小さな花壇があるだけだから」
アークエンデの追撃に、あくまでゆるふわの声を返すアルカナ。
あーっとそれはいけませーん! いけませんアークエンデ! そんな嫌味ったらしくマウントを取っては! もっと穏便に、対等に、お友達にならないと!
たまらず俺がクイクイと糸を引くと――。
「いやオレにどうしろってんだよ……。女の子同士の話によ」
聞こえてきたのは苦々しく這いずるオーメルンの声だ。
実はこの糸の釣り針はオーメルンに預けてある。彼には前もってアークエンデとアルカナが仲良くできるよう配慮してほしいと伝えていた。
「心配性だなぁ」と呆れつつも引き受けてくれた彼にこちらからの声は届けられないが、こうして糸の引き方で俺の意図を伝え、反応してくれているというわけだ。
「庭園が立派なのはその通りだろ……? お嬢様はホントのこと言ってるだけだ」
そこを何とか……。お願いしますよぉオーメルン~。解決してくださ~い……。解決してくださいよぉ~……。
クイクイ、クイクイクイ……。
「わかったよ、も~……」
なんといい子なのだオーメルン。おまえこそ真の仲間……!
意を決したように息を吸う音が聞こえ、オーメルンの発言が飛んだ。
「なあ、アルカナの母さんはどんな花を育ててるんだ?」
おおっ! 相手の話題を広げることで会話の均衡を取る作戦! オーメルンに紳士ポイント10点!
「うん。ホワイトスノーとスイートソーンっていう花だよ。花弁が真っ白ですっごく綺麗なんだ」
「へえ……。それって、ここにはない花だよな。お嬢様?」
「ムッ……。そうですけれど……。オーメルン、おまえどっちの味方なの?」
「何で怒んだよ……」
オォン……何かこれ、『アルカナ1』のワンシーンみたいになってないか。オーメルンが普通にアルカナと話をしようとするだけでアークエンデが不機嫌になる。三人が遭遇した際のお決まりのパターンだ。やばい……。これはまさか、本編イベントを先取りしているだけじゃないのか。まだ人間性が未熟な子供の段階で……。
「実はね、今日はその花の種を持ってきたんだ。アークエンデちゃんにプレゼントしようと思って」
朗らかなアルカナの声。アークエンデが少し動揺するのが、何の音もなくとも伝わった。
……!! このイベントはッ……!!
まずい! これは本当に本編にあるイベントなのだ。わざわざ一枚絵まで用意された重要なシーン。話の流れは少し違うが、内容は同じ!
「よかったじゃん」と、ここでもオーメルンが促す合いの手を入れてくれる。ううっ、オーメルンに紳士ポイントプラス10点! た、頼む……!
「受け取って、くれるかな……?」
おずおずとアルカナ聞く。控えめで、上目遣いになっている様子が容易に想像できる。
頼む、受け取ってくれアークエンデ……!
正史の彼女はここで種を払いのけてしまうのだ。そんな安っぽい花の種なんていりませんわとか言って。それによりアルカナとの仲は決定的に壊れ、彼女のゲーム内での立ち位置も確定。やまとさんの配信においてもリスナーのヘイトは完全なものとなった。そんな分岐点となるシーン。だから頼むゥ!!
「ふ、ふん……。そう言われても、この庭園に植えるかどうかはわかりませんわ。ここはお父様の庭園で、お父様が気に入るかどうかですもの」
! よ、よしっ、よくこらえた! ひとまず現状維持の対応! これがお父様のいるアークエンデの力!
「いや、伯爵は喜ぶだろ。お嬢様と一緒に見られるなら何だって……」
「……! そっ、それは……。そうですけれど。そうですけれど! ふっ……ふふ……」
こ、これは……? オーメルンの一言により、これまで頑なだったアークエンデの態度がフニャフニャし始めている! どうやら照れているらしい。こんな手段があったとは……。ナイスゥオーメルン! 今日のおまえは三打数五安打! 犠牲バントでホームラン10点だ!
「ふふふ……。アークエンデちゃんは、お父さんが大好きなんだね」
そこに素朴な声が並んだ。アルカナだ。
しかし、ここでアークエンデは我に返ったように「当然ですの。それが何か?」とツンとした態度を取ってしまう。ああっ、ダメだ。〈執着〉の刻印を持つアークエンデは、俺が彼女に引っ張られたことが相当に許せなかったらしい。
せっかくうまくいきそうだったのに、また元のピンチに戻ってしまうのか。オーメルンもすぐに反応できないでいる。ここでアルカナが委縮して黙ってしまったら、彼のフォローも限界だ。
だがここで奇跡は起きた。
「わかるよ。アークエンデちゃんのお父さん、優しそうだもんね」
「!!!!!」
えっ……。
ピロリロリローン!
聞こえた……。『アルカナ』シリーズ伝統の、好感度アップSEが今……!
「そう……そうですの! 初対面の人にはあまり伝わらないけれど、お父様は世界一お優しい方なの!」
「ま、まあ、そうだな……。伯爵は見た目によらず、優しいよ……単なる付き人のオレにだって……」
ここでオーメルンからも同意の声。さっきまでと違って、ちょっとたどたどしさはあるものの、「やっぱり」とのアルカナの柔らかな反応がそれらを包み込む。
「少し疲れてそうだけど、領主が疲れてるのは民のために働いているからってお父さんが言ってた。きっとアークエンデちゃんのお父さんは、みんなに優しい人なんだね。そんな人が領主なんて、この土地に住んでる人は幸せだね」
ピロリ、ピロ、ピロロ、ピロロロリロリーン! キュインキュインキュイン!
ああなんかパチスロの当たり演出みたいな音すら聞こえる気がする。どうやらアルカナがアークエンデの嬉しいツボを突きまくってるらしい。
「アルカナさん、あなた――」
ぷるぷると震え、低く押し殺したアークエンデの声。からの……。
「わかってくださるのね! お父様のこと! お父様が世界一優しくて立派な領主だってこと、わかってくださるのね!」
デデデデーデデデーデデデーン! 昭和にあったという仮想大賞の合格音まで鳴り響き、それまでの不穏な空気を晴れ渡らせた。
お見事……アルカナ、本当にお見事だよ……。主人公って、マジにすごいんだな……。
「みんな誤解しているの。お父様は怖い人だって。でも違う。お父様は生まれ変わったの。わたくしのことをとても愛して、大切にしてくれる……。わたしはお父様のもの、お父様はわたしのもの。愛し合う二人は永遠に一緒……」
「お、おい、それはよせって……。アルカナが驚くだろ」
オーメルンが軽く止めに入る。確かにこの過激な物言いは、子供には刺激的すぎるかもしれない。だが、
「どうして? わたしはとっても素敵なことだなって思うよ?」
「はっ?」
は?
俺とオーメルンの頭の中は完全に一致していた。
しかしアルカナは一切の他意なく、心からの純粋な声で次を放った。
「大切な家族とずっと一緒にいたい。それは当然のことだよ。だって、ずっとわたしを愛してくれた人たちなんだから。アークエンデちゃんの言ってることは何もおかしくない」
「……!」
これまでのふわふわした口調から、将来の気丈さを思わせる強く確かな響き。
あ……ああそうだ……。普通に考えたらそういうふわっとした受け取り方が正しい。アルカナは何も間違ってはいない。
「この種の花もそうなの。“愛する人といつも一緒”“何者も二人の仲を裂くことはできない”そういう意味があるんだって、お母さんが言ってた。アークエンデちゃんとお父さんにぴったりだね」
「なんて……なんて素敵な花言葉なの! 是非いただくわ! 庭園中に……いいえ、屋敷中にこのお花を咲かせてみせますわ! ありがとうアルカナさん、本当にありがとう……! わたくしとお父様のことを認めてくれて……!」
「エヘヘ……喜んでもらえてよかった。アークエンデちゃんのおうちなら、きっとたくさんの花が咲くね」
――一部始終を聞き終えた俺は、無言で、静かに、夫妻の待つ対面のソファーへと戻った。
「あら、何でしょう。お庭の方で煌々と光が……」
「おお、不思議なこともあるものですな伯爵」
「ええ……ホントに……。しかし、世界には不思議なものなどないのかもしれません」
すべては行き着くべくして行き着く。
窓の外を見やる夫妻に隠れ、俺はそっと目元を拭った。
何やかんやあったが……アークエンデはアルカナのプレゼントを受け取ってくれた。
俺のしくじりを、オーメルンと、これまで過ごしたアークエンデとの時間が埋めてくれた。
正史では、アルカナがあの花言葉を先に伝える下りがある。愛する者をすでに失っていたアークエンデにとって、その言葉の無力さ、虚しさは相当なものだったのかもしれない。
だが……今度は違う……!
これが、毒親や辛い境遇に歪められなかったアークエンデの本来の姿。だからこっちが正史なのだ。アークエンデが彼女のままでいられたこの世界が。アルカナと友達になれた今が。
成し遂げたぜ……!
「伯爵、お嬢様がすっげーまぶしいんだけど……」
糸を通じて伝わるそんなオーメルンの小言に、俺は「エンディングだぞ、泣けよ」と聞こえない声を返していた。
当然まだエンディングではありません。