第百十七話 領主と司祭の分霊巡礼
「あ、あの、バスティーユ。それはどういう意味で……?」
「そのままの意味です。ロンギヌス高地行きは許可できません」
彼の執務室。仕事机に座したまま俺にきつく言い据えるバスティーユは、新たな企画を持って来た新人を一蹴するデスクそのものだった。
お、おかしいなあ。この領で一番偉いのは俺のはずだよなあ。どうしてこんなに下腹部がヒヤッとするんだろう。
これまでどこへ行くのも「ご随意に」という感じで留守を任されてくれたバスティーユ。この厳然とした却下には俺だけでなくアークエンデやその他の面々も戸惑いを隠せないでいた。
バスティーユはそんな顔の並びを一望し、逆に怪訝そうに眉根を寄せる。
「……? まさかご存じないのですか。領政を司る者がロンギヌス高地に入ることは王国統治法で固く禁じられています。バレた貴族が爵位を剥奪された前例まであるのですよ」
『ええっ!?』
初めて知った!
「そ、そうなの……?」
「そうなのです。あの紛争地帯に自ら入るということは、国王から賜った領地の統治をないがしろにし、やくざな遺跡漁りに命を賭けるも同然。国政を愚弄した貴族に贈られるフザクンナ勲章と同等の処置として強い罰を受けるのが定めです」
「ううっ……」
だが……それは確かにそう。これまで俺が領外に出る時は、何らかの大義名分とセットだった。だからバスティーユも気持ちよく送り出してくれたのだ。しかし今回は違う。危険地帯に自らの都合で突っ込んでいくことになる。そりゃ職務放棄と見なされても仕方ない。
「で、でも、これは大事なことなんだよ。国どころか世界の命運がかかっているかもしれないんだ。何とかならないかなあ、我がZっ友さあ……」
「ダメですね。Zっ友ならなおのこと許可しませんよ」
ぎろりと俺をにらみつけるバスティーユ。
「旦那様は相変わらずアリの角ほどの自覚もないようですが、ヴァンサンカン領は現在、多くのものを支援しています。ユングレリオ元国王陛下の安全、屋敷のメイドたちの就職先、深族に獣人、エルフの生活、黒シルクとファーバニス島のひょうたん産業、東西騎士団との良好なバランス……旦那様が追放され、ヴァンサンカン伯領に新たな貴族が就任すれば現状に変更が生じるのは必然です。たとえそれが善人だとしても、良心の基準など人によって千差万別だということをご理解ください。世界を救うのも結構ですが、そのために今述べた身近な者たちを丸ごと犠牲にして耐えられる性格をしていますか? 貴方は」
「ぐ、ぐうっ……!」
できるはずがない。何一つ欠かせない大切なものだ。くそう、さすがはZっ友だ、こちらの弱点を正確に突いてくる……!
「でもバレなきゃいいじゃねーか。すぐ行ってすぐ帰ってくりゃいいんだろ?」
「バレますよ」
オーメルンも無責任に言ったわけではない。あくまで国内の情報伝達の遅さを加味し、それを超える迅速な行動を提案しただけだったが、そんな彼に対してもバスティーユは容赦のない語調で切って捨てた。
「我々の動きを王国が察知してないとでも思っているのですか? オーメルン、おまえが目指すレンジャー部隊がどれほどのものか、まだわかっていないようですね」
「うっ……」
父に続いて息子まで論破。これではアークエンデが情と正義で訴えようとまるで無意味だろう。バスティーユは完全に、俺たちのためにロンギヌス行きを否定してくれている。
「――やはり不許可でしたか。いつ出発します? わたしも同行します」
その時だった。執務室に押しかけた面々をすり抜け、一人の少女が決然と現れたのは。
「シノホ院!?」
俺の驚き声すら押しのけて執務机の前に立ったシノホルンは、両腕で抱きかかえていた分厚い本をバスティーユの前にどんと置いた。中ごろから真っ二つに割るようにしてページを開き、それを彼の側へと押し出す。
「鳥の月、十四節をご覧ください」
バスティーユはシノホルンの顔をわずかに見据えた後、本を手元へと引き寄せた。
「……なるほど。“巡礼の旅に出る聖司祭に、オーバン聖伯爵が守護のため同行した”とありますね。世に言う“分霊の巡礼”ですか」
何一つ聞き覚えのない言葉に、俺たちは顔を見合わせる。
ポンと手を打ったのは、この中では唯一腹芸でバスティーユに対抗できそうなエクリーフ。
「あ~、そうですわ~。そういえば大昔、司祭と領主が旅をした記録が教会にありました~。その二人は魂を分け合った清らかなる者ということで、死後聖列に加わったのです~。あ、二人は無事旅から帰って結婚してますよ~」
「ああ……聖アデライトと聖オーバン伯か。そういえばそんな変わり種もいたな……」
マスカレーダが頭に手をやりながら、失念の失態を恥じる。どうやらあまり有名な人物ではなさそうだが、これは……?
「司祭の旅に領主が同行することは前例があります。王国もこれを特例として認めています」
シノホルンがいつになく強い押しでバスティーユに言葉を浴びせかける。
「では?」と促した彼に呼応し、シノホルンは柔らかそうな握り拳を胸に当て、こう宣言した。
「わたしがロンギヌス高地へ行きます。領主様はその護衛です」
――!!
さっきも一瞬そのような発言を聞いたが……まさか本当に!?
「し、しかしシノホルン司祭……」と思わず声をかけた俺に振り返ったシノホルンは、やにわに顔の高さに手を持ち上げてみせた。
ほっそりとした指先がつまんでいるのは、ウサギの耳の形をした釣り針――盗み聞きの糸!?
「オーメルンさん。ありがとうございました。これはお返しします」
「お、おう……」
どうやらオーメルンの持ち物だったらしい。元々は俺が練習用にとプレゼントしたものだ。
「恥ずかしいことですが……わたしは談話室でのザイゴールとロウレールさんの話を盗み聞きしていました」
「えっ? どうしてそんなことを? 言ってくれれば普通に同席してもらったのに」
「……面と向かって聞くのが怖かったのです。そうしたらもう逃げられなくなってしまう。あの人たちがロンギヌス高地の名を口にした時からそうでした……」
そう言えば、一番最初にロンギヌス高地の話が出た時に誰かが息を呑む気配があった。あれはシノホルン司祭だったのか。
「本来なら、ジプシー・ヒーラーの皆さんに混じってわたしもその場にいるはずでした。でもわたしはこの地にとどまることを許され、安穏とした日々を送れた……。わたしが向き合うはずだった、助けを求める人々の存在を無視して」
「シノホルン司祭、それは違う」
自分自身を傷つける言葉を、俺は慌てて遮った。
「誰かがやらなければならないことだとしても、あなただけがその役目を負っているわけではない。あなたはヴァンサンカン領でよくやってくれている。助けられた人は大勢いる。この屋敷にもだ」
それを聞いたシノホルンは少しだけ微笑み、それからまた表情を引き締めた。
「それでも向き合う時が来たのです。わたしはロンギヌス高地に蔓延る疫病に立ち向かわなければならない。そのために教会医療を学んできたのですから……!」
ち、違う……! 今までのほんわか面白ムーブの司祭様とは、明らかに違う。聖女のオーラを身に纏っている。
その戸惑いは俺たち全員に共通するものだったらしく、
「シノホルン、何かあったの?」
と素朴に発したソラの声を筆頭に、誰からともなく全員の目線がシノホルンに集まった。
彼女はようやくここで気を緩め、少しはにかんだ様子で、
「昨晩、礼拝堂でザイゴールに抱かれた時……」
<煉><〇><〇><〇><〇><〇><〇><〇><〇><〇>ポポポポポ……。
ひいッ、無数のロックオン音が!?
「は、ハグをねハグ。シノホルン司祭が不安で泣きそうだったから……」と、彼女の独白を邪魔しないよう早口小声で釈明する。
「わたしの中の幼い何かが終わったのです。恐ろしいことから逃れたい、平穏な場所にいたいという幼稚な気持ちが。わたしは今こそ窮地に陥っている人のために力を発揮しなければならない。ただ守られているだけではいけない。ザイゴールの温もりがそう教えてくれました」
誰も。その決意に水を差すことなんてできそうになかった。そうだ。彼女は本来ならこのわずか数年後に聖女と呼ばれるまでに成長する鋭才。その才覚を、まばゆい光を、漏らさず箱に入れておくなんてこと誰にもできやしないのだ。
「ザイゴール……わたしについてきてくれますか……?」
おずおずと、ここはまだ少女の気弱さを引きずって俺に問いかけてくるシノホルン。
差し出された手を下から恭しく支え、俺は貴族の習いの一礼でそれに応えていた。
「喜んで」
※
だがここからがまた大変だったんすわ!
荒事の際はお留守番が定石だったシノホルンが出るとなって、屋敷は大騒ぎ。
歴史的な巡礼をなぞるにあたり、列伝にある聖アデライトの甲冑祭服を再現しようとシノホルンに重装備をさせたら重さで倒れたまま起き上がれなくなったり、彼女に出会うまで武闘派でならしていたオーバン伯を模して二メートル超の大剣を俺に持たせようとした。
当然だが、そんな不慣れな格好で旅などできるわけもなく却下。ただシノホルンは安全のため軽合金を仕込んだフードやローブで代用することとなった。
それでも重さで半ベソになっているだらしない様子を見たルーガが「心配だ」と同行を決意。聞きつけた傭兵や深族の若者まで護衛を名乗り出るのを丁重にお断りするハメになるなど、とにかくひと悶着もふた悶着もありまくったのである。
しかし逆にそれはシノホルンがわーくにでどれだけ人々と交流し、信頼と敬愛を得ていたかがよくわかる一幕でもあった。
時々奇抜な動きをする面白司祭ちゃんとだと思っていた俺は、本当に浅っさい男でした……。
「ロンギヌス高地行きは教会内でも半ば決まっていたことです。わたし自ら志願するのであれば、一通したためたこの書状のみで十分でしょう。返事を待たずともいつでも出られます」
とは、司祭服の随所に軽鎧をはめ込んで、勇ましい出で立ちとなったシノホルンの言だ。
鎧を追加した以上、逞しく見えるはずなのに、逆に清楚さと儚さが増したように感じるのは俺の癖の問題なのだろうか。何ともしても彼女を守らねばという使命感がムラム……メラメラと沸いてくる。
同じくして俺の釈明文も教会と王国の両方に送ることになり、こちらも許可を待つ必要がないようバスティーユとユングレリオが書面に貴族式の悪知恵を盛り込みまくってくれた。この二人がいればマージで貴族との論争に負けることはないかもしれんな……。
そうして出立の態勢は整った。
しかしここで最後の課題が持ち上がる。
現地でどう立ち回るかのプランだ。
俺たちはむこうでは完全に新参者。そして伯爵の地位などカケラも役に立たない。無法地帯のサバンナなのだ。一応シノホルンが送り込まれる予定だった人間の村落があるにはあるが、疫病が蔓延する今日の現状はまったくわからず、行き当たりばったりとの違いはさほどない。
それらについて本格的に話し合おうとしていた、その矢先――。
「わたしが皆さんをご案内します」
俺たちの様子を見守っていたエルフの一団の中から、なんとロウレールの一番の侍女アーシュが志願してきた。
その場の全員が、思わずすぐ隣に付き添っていたロウレールの顔色を窺った。
「この子とは十分に話をしました。わたくしたちを温かく迎えてくれた伯爵に恩返しがしたいと。そういう子です。思うようにさせてあげてください」
「本当は、現地でお世話になったドワーフ族に友達がいるんです。彼女のことが心配で……。わたしがドワーフに皆さんを紹介します。あちら側では一、二を争う強い“戦団”ですから、皆さんにとっても心強いはずです……!」
ロウレールに可愛がられている少女とばかり思っていたが、意外と我が強いところがある。いや、だからこそか。『アルカナ』シリーズに登場するロウレールも可愛いものとそして意外に気が強くて扱いづらいものが好きだった。主人公アルカナとの合戦前会話でも「戦いなんてやめない?」的なメッセージを送って相手を困惑させている。
もちろん、俺たちにとってこんなにありがたい申し出はない。
「わかりました。わたしが責任をもって彼女のことをお守りします。よろしくな、アーシュ」
「はっ……はい。どうかよろしくお願いします、伯爵様……」
<煉><〇><〇><〇><〇><〇><〇><〇><〇><〇>ポポポポポ……。
なんでまたロックオンされんのォ!?
オホン! ともかく!
今までで最大級の難所に対し、こちらも最大所帯。現地までの足として参加する騎翅も含めれば、もはや一つの軍団と言っても差し支えのないレベルまで増大したパーティで、いざロンギヌス戦域に殴り込み!
でもダンジョン一万階はちょっと方策考えさせて!
もはや屋敷を浮かべて移動した方が早いレベルの大人数。




