第百九話 怖い人、冥府に立つ使徒
俺たちは騎翅に乗ってさらに平原を前進する。
廃村周辺は大部分がなだらかな草原で、時折岩場や小さな森が目に付くばかり。
しかしスノーカインが示した地点に近づいた時点で、空気が異様なこわばりを見せるのがはっきりとわかった。
日差しは変わらないのにまるで薄暗い墓所のよう。空気は重く、肌をみしりと掴んでくる。
「近い。どこ……?」
スノーカインが仲間を気遣う眼差しを方々に向けるのがわかる。
と。
「……! お父様、前に!」
下方にばかり注意がいっていた俺たちの耳をアークエンデの警告が叩いた。
はっとして持ち上げた視界にあり得ないものが映る。
首無しセルガイア像――。まるで見えない地面に安置されているかのように空中で静止している。
次の瞬間、それは間のシーンをすべてすっ飛ばしたかのように、十数体に増えていた。
そういえばこいつらはこういう唐突な現れ方をするんだった――。
「くるわよ!」
ベルゼヴィータが叫んだ直後、首無し像たちは戦闘機の編隊のように一斉に散開した。
煉界船が引き連れていた岩塊を思わせる、高速無制限機動。そして頸部からはすでに攻撃用の腕を何本も生やしている。だが、格闘戦ならこっちの騎翅たちも後れは取らない。ここは一気に叩き落して――そう考えた時。
「――邪魔」
スノーカインがつまらなさそうに言い捨て、左右に広げた指先を素早く交差させた。
直後、自由自在に飛び回っていた首無し像は一斉に中央の空間へと突進すると、何とお互いの体を衝突、粉砕させる。
内部に溜まっていた赤黒いゼリー状の何かが、落下する破片たちの中で弱々しく明滅し、消えていく。
どう見ても相討ちによる自滅だ。これは一体……!?
「スノーカイン……まさか君が操ったのか?」
スノーカインはフッと指先を吹き、「あれくらい容易い Φv廿」と少し得意げに微笑んだ。
あの石像の内部は死者たちの怨念が渦巻いている。霊魂を操る〈操霊機の巫女〉ならば、ああして死霊同士を相討ちさせることも可能ということか。これはすごい。さすが、ある意味煉界戦力のボス……!
しかし、首無しセルガイア像がここに現れたということは――。
“…………!”
何かが耳をかすめた。今の囁きは……!
「イクシード、来るぞ!」
俺の声が皆に行き渡るのと同時に、下方の地面が赤黒く煮溶けた。
そこから飛び出てくる肉塊の蛇。赤黒い表面は日の光を浴びてピンクにも見える。――やはり氾濫化した煉界人!
長い体をうねらせ、まるで龍のように空を駆け上がってくるイクシード。その周囲には取り巻きの魚群のように首無し像たちもついて来ている。
「どうして死霊たちまでついて来てるんだ?」
「多分、煉界から引っ張り出された時に一緒にくっついてきた……」
スノーカインがつらそうに言う。
「ミアズマは足りてるはずなのに、どうして……」
彼女の抱く謎を解いている時間はない。俺たちの近くを通り過ぎたイクシードから、首無し像たちがバラバラと剥がれて襲いかかってくる。その数、ゆうに二十超え!
「パパ、あの人を追って」
周囲が石像だらけの中、スノーカインはあくまでイクシードの追跡を求めてきた。
まずはこの囲いを突破しないと――そう思った瞬間、世界中の空を震わすかのような大轟音が鳴り響いた。
肌の薄皮を波立たせるこの波動……。俺は天を仰ぎ見る。
太陽を隠す巨影が、真昼にもかかわらず二つの赤い月をきらめかせていた。
グノーの振動波だ! 煉界船でも無数の岩塊を叩き落した広範囲攻撃。彼の前ではどれだけ数を揃えようと一網打尽の獲物でしかない。
「伯爵さん、行って!」
その王冠座席からベルゼヴィータが身を乗り出してくる。
「助かった、すまん!」
俺は騎翅を操り、暴れ狂うイクシードへの接近を試みた。
「苦しい」「おのれ、あの女」「助けて」「死にたくなかった」「どうしてオレが死なないといけないんだ」
肉塊から浮き出た苦悶の顔たちが、耳障りなノイズと重ねて様々な恨み言を吐き出している。
煉界人の魂魄に死者の怨念が大量に潜り込んでいる。そうして煉界人は自身のコントロールを失う。これが氾濫化の正体。
「スノーカイン! この人を助けられるか!?」
うねり、暴れるイクシードの頭部と必死に並走しながら、俺は彼女に問いかける。轟轟と風が唸る高速飛翔の中、スノーカインが息を呑んで俺の肩を強く掴む感触が伝わった。
「小さい魂の中に、限界まで死霊が入り込んでる……。無理やり追い出そうとすればこの人まで傷つける……」
苦々しく答えたスノーカインは短い杖のようなものをその手に握っていた。両端がナイフのように尖った、どこか祭具じみたアイテムだ。
「他に手はないのか?」
「汚濁を剥がせるのは函とこの“剣”だけ。でも剣だと相手も傷つけてしまう……」
「外科手術のメスみたいなものか……」
逆に函は煉界人たちを癒す効果だった。免疫力を上げて細菌を撃退するのと同じなのかもしれない。
「傷つけながら傷を癒す方法は、ある……。でもそのためには大量のミアズマが要る……」
スノーカインは悔しそうに唇を噛んだ。
このあたりは自然豊かな原野とはいえ、ミアズマはもっと魔境めいた場所でないと発生しない。どうする。またどこかに誘導できるか?
そう思案した矢先、イクシードが突然飛翔の向きを変えた。
「!? まずい、その方角は!」
空中で悶え飛びながらイクシードが向かっている先にあるのは、カグヨやタマネたちがいる柳凛公の本陣だ。今も死霊や傭兵たちを引きつけて戦っているはず。そこにあれが飛び込んだら……!
「伯爵さん、まだなの!?」
イクシードに追いすがる俺たちに岩のような影が並んだ。ベルゼヴィータとグノーだ。声に焦りを滲ませる彼女も、イクシードの狙いが本陣だと気づいている。
「イクシードを安全に元に戻すにはミアズマが必要らしい! 何とかならないか!?」
「……! ここじゃ無理よ……!」
ベルゼヴィータが苦しげに吐き出し、スノーカインを一瞥する。
「これ以上イクシードを進ませるなら……グノーに倒させるわ」
「!! 待って、傷つけないで……!」
スノーカインが必死に訴える。ベルゼヴィータの険しい――しかしやるせない目が彼女を見据えた。
「あなたが仲間を大切にする気持ちはわかる。でもそれはわたしも同じ。どちらかしか助けられないなら、自分にとって大事な方を選ぶしかないでしょ……!」
「……! わかった、やる、から……! 待って……」
スノーカインの声に覚悟が宿った。だが、手元は震え、唇はわなないている。無理もない。仲間を切り刻もうとしているのだ。もしかしたらそれが原因で死んでしまうことだって……。
何か俺たちにできることはないのか。煉界人の痛みを和らげてやれるような何かは。
不意に。肌で感じ取れるほどの粒子を含んだ風が、俺たちに押し寄せた。
『!?』
俺たちが揃って見れば、グノーが全身をポンプのように蠕動させ、そこから何かを体外へと吐き出している。
スノーカインが持つ“剣”の両刃に、函と同じ淡いグリーンの光が宿った。
「これは……ミアズマ……!?」
驚いているのはスノーカインだけではない。俺も、そしてベルゼヴィータでさえそうだった。
「あなた、そんなこともできたの……?」
ミアズマは深山幽谷に発生し、動植物の中で濃縮される。ならばその自然の――特大の一部であるグノーの中に大量に保管されていたとしても不思議はない。
「ど、どうして」
スノーカインが戸惑いながらハエの王を見上げる。彼女からすればグノーは敵軍の最高戦力。死神でもあった。そしてそれを幾度も殺してきた。そういう関係でしかなかった。
ベルゼヴィータの声が告げる。
「彼は王よ。仲間を大切にする気持ちを誰より理解できる。でもそれ以上に……彼も、飽いていたのかもしれない」
ぽつりと、こう付け足す。
「誰も好き好んで殺し合いなんてしたくないわ」
「……!」
スノーカインの体がぶるっと震え、ハエの王を見上る目にかつてない揺れが混じった。巨岩に穿たれた彫刻のような瞳は何も語ってはくれなかったが、そこには偉大な戦士と、平和を希求する王が重なってそびえていた。
「スノーカイン……やろう!」
「わかった……!」
こくりとうなずき、スノーカインが“剣”に手をかざす。神々しい光が跳ね散り、小さなナイフ程度だった両先端が光輝によって一メートル近くにまで延長される。まるで光の両刃剣。
「寄せるぞ、準備はいいな!」
「うん、パパ……!」
俺が騎翅をぎりぎりまで近づけると、スノーカインは光の剣を掲げ、その切っ先をイクシードへと突き刺した。
――ギャアアアアアアアアア!!!!!
光の飛沫と共に悲鳴の濁流が押し寄せる。
男も女も大人も子供も区別なしに誰もが絶叫していた。耳をつんざく悲痛な叫び。聞いているだけで背筋が凍る。赤黒い肉片が飛び散り、光となって虚空へと消えていく。これは……確かに手荒な治療だ。
しかし死霊たちの怨嗟に埋もれていた声が、次第にはっきりと俺の耳にも聞こえるようになっていった。
「頑張って。もう少し……!」
スノーカインの励ましが届いたか。
ついに最後の一片まで剥ぎ落とした後、後に残ったのは清涼な空気を纏う一筋の霊魂だった。
「姫巫女様、姫巫女様……」
どこから嬉しそうにスノーカインの周囲を回る魂からは……小さな子供の声がした。
そうか、この煉界人は子供だったのか。だから彼女は、傷つけることをあれほど躊躇して……。
「使命。使命を果たさなきゃ……。復讐を。仕返しを……」
だがやはりその言葉はある一つの信念に駆られている。こんな小さな子までも、大人たちと同じ怒りに染め上げられているのだ……。
「あなたはどうしてここにいるの? 煉界で何があったの?」
スノーカインがそう呼びかけても返事は同じ。だが、俺には不思議とこの子が他の何かを訴えようとしているように思えた。ただ、言葉が見つからないだけで。
なぜそう感じるのかわからない。だが、もし単なる思い込みでないのなら……。
「頼む。教えてくれ。煉界で何があったんだ?」
俺は思わず手を伸ばし、そう乞うていた。
霊魂がすうっとそこを通り過ぎる。
と。
「怖い」
初めて、その言葉を口にした。
『!?』
俺もスノーカインも思わず息を呑んだ。
子供の声が語る。懸命に、たどたどしい言葉で。
「怖い人がいる」「大きい人」「誰?」「知らない人」「怖い」「怖い」「もういない」
ど、どうして急に……!? いや、それよりもこの子は何かを知っている……!
「大きい人……誰なんだい、それは……!」
「教えて……!」
俺たちは必死に再度呼びかけた。
だがここが限界だった。子供の煉界人はただ「大きい人」「怖い人」「知らない人」と繰り返すばかり。
それでもわかったことがある。
煉界に……誰かがいた!
ぞわりと産毛が逆立った。
「そんなはずない……。あそこには誰も来ない。誰……? どうして……?」
カタカタと震えるスノーカインの体は、明らかに恐怖を示している。
あそこには何もない。ただ死と滅びがあっただけだ。そう確証できるだけの時間を彼女は過ごしてきている。
俺だってそれを垣間見た。感じた。
無人。孤独。
そんな死者の国に突然現れた何者か。
それはもう……人、なのか……?
「大きい人、知らない人、もういない……どこかへいった……」
子供の魂は最後までそう繰り返しながら、地面へと吸い込まれていった。……帰った。無事に。
「パパ、誰かいる。煉界に、誰か。みんなが……みんなが危ない」
スノーカインが俺の腕を掴み、必死に訴えてくる。
「……落ち着くんだ、スノーカイン」
俺はそんな彼女の手を、こちらの手でしっかりと包み込んでやりながら、
「あの子の言うことが正しければ、そいつはもう煉界にはいないらしい。きっと函が君の仲間を守ってくれたんだ。もしその何者かが君の仲間をイクシードにしたのだとしても、きっとほとんど失敗したはずだ。でなければ、もっととてつもない数の氾濫が王国中で起きているはず。最初にわたしたちが出会った氾濫の方がずっと大規模だった。違うかい?」
俺の言葉が真実かどうか俺にもわからない。だが、〈憤災戦争〉における最終盤面ではもっと広範囲に、大量に死霊たちは出現する。煉界に現れた何者かは、そこまでのことはできていない。まだあの時と同じではない。
「……みんな、無事?」
「ああ。きっとね」
俺は不安に目を曇らせるスノーカインの頭を撫でてやり、それから抱きしめた。彼女は嫌がることはなく俺の体に顔を埋めた。
煉界に現れたという大きな人。怖い人。それが誰なのか、今の俺たちには確かめようがない。
唯一考えられるのは『天の計』を目論む何者か。しかし、この世界では正史とはあまりに違うことが起きている。決してヤツの思い通りにはならない。
今はただ、この幼い少女が不安と恐怖に押し潰されないよう優しく包み込んでやることが、俺にできる精いっぱいの父親らしいことだった。
アークエンデ「んがーっ!」
一方メインヒロインさんは残った首無し像を一人で粉砕していた……。




