第十一話 遠方より主人公の号砲鳴る
トメイトウとトメイトケチャップは短期間で爆発的に領の内外に広まった。
ホデオが育ててくれていたトメイトウがすでに高品質だったことと、バスティーユが謎の薬を撒いた畑にて十分な量がすぐに収穫できたからだ。
この第一陣は他の誰かに先を越されないための速攻戦であり、次回からはちゃんとした農法で栽培するとのこと。領内に求人募集を出すことで、人手もすぐに確保できた。ホデオ農場の始まりである。
一方でバスティーユが放った遍歴商人はよほど頑張ったらしく、トメイトケチャップの噂はかなりの広範囲まで及ぶことになった。
その相手には庶民だけでなく、貴族も含まれていた。優雅な暮らしをし、食にもうるさい彼らのことだ。すぐさまこの特産品目当ての注文書が大量に届く――なんてことはなく。
我が屋敷宛てに山のように押し寄せたのは、借金の申し込み書だった。
「地方貴族は皆、貧乏なくせに金のかかる生活様式から離れられないため、常に借金の相手を探しています。初めは地元の商人や有力者。彼らから相手にされなくなると、次は隣の領地の者にまで。旦那様の羽振りがよくなりそうだと嗅ぎつけ、我先にと手紙を送りつけているのでしょう。金がなければ使うのをやめればいいというのに、浅はかな者たちです」
「oh……」
これは性格Zの執事が言ったことが正しいようだ。
借金申し込みの手紙を見せてもらったが、封筒はきっちりとし、封蝋は厳かで、中に書かれた文字も手本のように美しい。なのに用件は贅沢するための金、金、金! 貴族として恥ずかしくないのか! ……と言ってみたものの、中には王国への拠出金や国境防衛の戦費なんて理由もあったりして、貴族の財政はだいぶ切実な問題らしい。うちだってバスティーユがいなかったらどうなっていたか……。
「旦那様は下手な情けなど出さないように。貸したところで返ってくるアテなどないお金です」
「ああ、わかったよ……」
そう言いつつ、俺はマジで山のようになった手紙の中にある名前を見つけ、危うく心臓を止めかけた。
アーノルド・ミカエラトゥ・サンシード子爵。
「こっ……これはっ……!」
サンシード。知らないはずがない。忘れるはずがない。アークエンデを闇堕ちから救うと決めた今、一番心に刻んでおかなければいけない名前。
震える手で手紙の内容を改め、そっと封筒に戻す。
「……バスティーユ。この人に援助することは、可能か?」
さっき釘を刺されたばかりでこれだ。彼は怪訝そうにこちらを見やり、
「無論できましょうが……。その地方貴族が何か? ウエンジット鋼領の先の片田舎の、何ということはない家のようですが……」
「うん、まあ、その……恩を売っておきたいというか……」
バスティーユが真意の読み切れない目で俺をじっと見つめる。頼む、細かく聞かないでください。説明したって余計に疑われるだけだ。俺の存在を。
たっぷり五秒はその眼圧を押しつけてきたところで、彼はふっと机仕事に戻った。
「政治的にも大して関わりのない相手ですので、その程度の気まぐれは何の問題もないでしょう。早速、了承の手紙を用意するといたします」
「あ、ありがとう……」
早速言いつけを破った俺を叱るどころか、意を汲んですぐさま手配を始めてくれるバスティーユ。これもう執事の皮を被った大神なのでは?
だが、不快な鼓動は鳴りやまない。
サンシード。その家名と言えば。
……アルカナ・ミカエラトゥ・サンシード……。
『アルカナ・アルカディア1』の主人公だ……。
※
出てきた……もう出てきた……!!
ラスボス。アルカナ・サンシード。いやラスボスはうちの娘の方なんだけど、こっちからすればあっちがラスボスだ。魔王に対する勇者。会社員に対する月曜……いや曜日は特に関係なかったわ。
アルカナは名もなき地方貴族の娘で、『1』の舞台となるユングラント魔導学園でも田舎者扱いだった。ただ、持ち前の前向きさと素朴さで、世間擦れした貴公子たちを次々に籠絡していく(悪意のある表現)のだ。
当然、作法にうるさい上級貴族の令嬢たちからはウケが悪く、その急先鋒が我が娘アークエンデというわけだが……。
幼いアークエンデがうちで暮らしているように、彼女も当然この時代この王国内に生きている。シノホルンとも会ったのだから、どこかでの接触は十分ありえた。しかし、まさかそれが借金の申し込みでとは……!
だが、これはある意味チャンスかもしれない。
主人公のいるサンシード家と良好な関係を結んでおく。幸い、金を貸す以上こっちの立場が上だ。ただし借金のカタに主導権を握ろうとか考えてはいけない。それは悪役がやって絶対失敗するパターンだ。平穏に、ちょっとだけ恩を着せる。それだけでいい……。
だがここでさらに予想外のことが俺を襲うゥ……!
「サンシード夫妻とその娘が、一家揃ってお礼を言いに来る……だと……?」
「そのくらいはして当然でしょう。先方が住むボッカーナ領はヴァンサンカン領のすぐ北東で、道の関係でウエンジット領を挟んではいるものの、距離的にはそう遠くはないのですから。安い頭の一つや二つくらい下げてもらわなければ」
バスティーユは相変わらずひどい言いようだったが、俺にとっては一大事だった。
サンシードの夫妻の娘というのはアルカナで間違いない。アークエンデとアルカナがもうエンカウントしてしまう……!
しかし……これこそが俺にとって真のチャンスなのかもしれない。
某有名ドラゴンクエスト〇でも、リメイク版の追加イベントで嫁さん選びの正当性が確保された。青髪を選ぶのは人の心とかないRTA走者だけとは限らなくなった……!
だとしたらここでアークエンデとアルカナが仲良くなれば、ユングラントに入学してからも良好な関係のまま過ごせるのでは……?
よし、やってやる……! うちの娘はおまえと仲良くなるぞアルカナーッ!
……というわけで、本日がそのサンシード家が一家揃ってやって来る日だ。
遠方より同い年の女の子が来ると聞いて、アークエンデが朝から彼女の到来を今か今かと待ちわびてくれているのが唯一の救いだ。
そうだ。今のアークエンデは闇の欠片もない超絶可愛い素直な女の子なのだ。二人が争う理由は何もないし、こんなもん勝ったなガハハトマト畑で風呂入ってくるで十分だ。
「お父様、このドレスでいいかしら。どこもおかしくないかしら?」
「ああ。とても似合っているよ。そんなに慌てなくても、馬車が着くのは昼頃だそうだよ」
「でも、もしかしたら早まるかもしれませんし……。あっ、ちょっとオーメルン! おまえも少しはおめかししなさい! 相手は女の子なのよ!」
「なっ、なんだよ、別にオレはいいよ……」
こんな可愛いやり取りが午前の間中続き、そして陽が最も高くなるお昼ごろ。
ピケの町へと続く林道から一台の馬車がやってきた。
よく言えば年季の入った、悪く言えば古ぼけた車体は、道の小石を踏んだだけでバラバラになりそうな不穏な揺れ方をしている。
玄関前で待ち構えていたアークエンデに呼び出された俺たちは、一家総出でそれを眺めることになった。
「ひっでぇボロ……」
オーメルンのつぶやきを、俺は慌ててたしなめる。
「そういうことはお相手の前では言わないようにな」
「そうよオーメルン。お客様に恥をかかせてはダメよ」
「はいはい、わかってるよ。ちぇ、何だよ二人して。そんなガキじゃねえよ……」
「私は心の中で千回クソボロだと唱えていますがね」
「バスティーユ、大人の対応でもやめてクレメンス……」
そんな無責任な会話をしているうちに、馬車は無事玄関前に到着。
中から中年の紳士が降りてくる。アーノルド・サンシード子爵だろう。
地方で育ったよくカボチャのような、小太りで温和な風貌の人物だった。人の良さそうな優しいお父さんという意味では、陰気臭い目に大型のクマを飼っている俺などよりはるかに理想的で絵になる人物だ。
続いて、母親の手を引きながら一人の少女が降り立つ。
「あっ、あの子……!」
アークエンデが目をキラキラさせながらつぶやく中、俺の緊張は皮膚までも固くしていた。
陽光に揺れる小麦色の髪は、ヒロインの王道を行くストレートロング。優しさとほんのちょっぴりの逞しさを兼ね備えた大きな目に、上品で小振りな鼻。素朴でありながら愛らしい唇。ただし叫ぶと声は誰よりも大きい。広い土地でのびのび育ったから。
体は少し痩せているが、小顔のおかげで貧相な印象はない。むしろ質素なドレスと相まって、麦畑に立つ妖精を思わせる――。
彼女だ。ゲーム内の回想シーンで見た幼い姿そのもの。
あれが……アルカナ・サンシード本人……!
「!?」
その時、強烈な違和感が俺を捉えた。
ずっ、とブーツの底が地面を滑る。
「んん……!?」
何だこれは。体が……引き寄せられていく!? 脚が勝手に前に歩いて……!?
「わっ、何だよっ……?」
「これは……!?」
見れば、オーメルンは露骨に後ろ向きになって踏ん張ろうとしており、バスティーユでさえ体を斜めに傾けて何かに抗っている。
俺と同じだ。俺と同じく……引き寄せられている!
これは――引力!?
引っ張られる……! 何に? いや誰に?
一人しかいない。アルカナだ!
俺はここで、ある恐ろしい事象について思い出していた。
『アルカナ・アルカディア』の評価を下げる一つの要因として、恋愛対象キャラがチョロすぎるというのがあった。それも生半可なチョロさではなく、三度目に会った時にはほぼ例外なく頬を染めているという性急さ。それまで自己紹介と雑談くらいしかしてないというのに。
恐らくは好感度パラメータのバグだと思われるが、これのせいでハッピーエンドであるトゥルーエンド以外のゴールに行き着くことが非常に難しくなっていた。
ノーマル以下のエンドを見るためには、相手の行動を全把握し、会う回数を限界まで減らした上で、選択肢まで厳密にコントロールするという、これもう逆に愛だろというプレイが必要になるのだ。
ちなみに煉界症候群の女性プレイヤーはこれがデフォになってしまい、中盤になってもキャラの頬が赤くならないと「オラッ早くデレろ!」「もう惚れてんのバレてんだよ!」などと野次を飛ばし出すらしい。怖すぎる。
だが。
その異質なまでの愛されガールが、純然たる現実だとしたらッ……!?
俺たちを見て、この世界の主人公アルカナがニコッと笑った。
「どぅおおおおおおお!?」
ズザザザと引き潮にさらわれるように靴底が滑っていく。
もはや気のせいでも何でもなく、強烈な突風によって中心部に吸い込まれる! これがアルカナ・サンシードの能力ッ! 出会った男をたちまち虜にしてしまう! ばっ……馬鹿なッ! このままでは俺たちもゲームの貴公子たちと同様に……!
その時だった!
――ガシイ!
「はっ!」
風によってもはや宙へと浮きかけていた俺の体を、繋ぎとめる手があった。
この魅力の暴風圏において、髪をなびかせながらも二本の細い足でしっかりと立つ小さな影。その者の名は――うちの子アークエンデ!
た、助かった! 同じ女の子であるアークエンデにはさすがにあの能力は通じなかったのだ。今のうちに体勢を立て直す。俺は感謝の念を込めて彼女を見やるが……。
ギギギギ……バギン!!!!
えっ……今の音は……?
力を込めるように下を向いていたアークエンデの顔が、静かに持ち上がる。
「お父様……? あの子が、何か……? <煉><〇>」
アッ……アアアアーーー! せ、戦闘モードに入っているうううううう!!!
幼い頃からの因縁イベントを追加しました! new!