第百七話 柳凛公と踊れ、畏れと誉れ
――ねこみこナース! ねこみこナース!
すいませんやまとさんいきなり存在しない記憶から我を出してくるのやめてください!
今どうやら……とても厄介な展開です!
「……か、帰れ、とは……」
動揺したカグヨの足が一歩後ずさる音が、周囲の戦闘音に混じって俺の耳に届く。
「申し上げた通りです。御屋形様、後方の橋を落として参りました。策の準備は完了です」
主の娘との話を早々に切り上げた猫獣人のハガネは、俺に迫りかけていた刀を音もなく引くと、そのまま柳凛公へと何かを報告する。
……さっきはえらいスピードだった。ソラが割り込んでくれなかったら、もっと冷や汗かいてたかもしれない。
白黒入り混じったツートンカラーの髪をツインテールにしたネコミミ巫女服の獣人。その名が表すような頑強な大太刀は、タガネが用いている大型の木刀に酷似している。
間違いない、これが刀猫族の正統後継者だ。
「万端整ったか」との柳凛公からの念押しに、ハガネの「はい」の応答が繋がる。短いやり取りの中に感じ取れたのは、余人には計り知れないほど深いところで結ばれた信頼関係。もはや命が直結していると言ってもいいかもしれない。しかし、策とは……? もしかして俺たちの助太刀は余計なお世話だった……?
「あいや、お待ちくだされ!」
わずかに気が抜けかけたところに慌ただしく飛び込んでくる声が一つ。足音は二人分。
刀猫族を追放された落ちこぼれ、タマネとタガネは柳凛公の元に駆けつけるや、片膝と片拳を地につけてかしこまる姿勢を取った。
「今、お二人から覚悟を決めた声を聞き取ってでござる! もしや御屋形様とハガネはここで命を捨てるおつもりなのでは……!?」
ぎょっとした目が、俺たちから柳凛公とハガネに注がれた。
それらを遮るように、ハガネが半歩前に出る。タマネたちと変わらぬ体躯では壁のようにとはいかなかったが、その研ぎ澄まされた眼光はすべてを跳ね返すに十分すぎる鋭利さだ。
口を出すなとばかりに一瞥を向けられたタマネとタガネが、たちまち怯んで顔を伏せる。ハガネとは三つ子の姉弟のはず。だがこの冷たい態度は……。
「お父上、ハガネ、その話は真でしょうか……?」
カグヨが青ざめた顔から声を絞り出す。
「……真だ」
返事のわずかな躊躇いは何のためにあったものだったか。いずれにせよ真意を実父から聞いたカグヨの顔はさらに色を失くす結果となった。
「そんな、そんな……。わ、わらわは、お父上やハガネたちを助けるために、伯爵様にお願いを……!」
狼狽える娘をわずかな間だけ見つめ、柳凛公のブルーの瞳は俺を見据えた。
「娘の嘆願を聞き入れていただき、ヴァンサンカン伯には御礼申し上げる。しかしこれは我々に課された神聖な任務。どうかカグヨを連れて領へとお戻りください」
静かに虚空を渡るような声音ながら、その背後にはうずくまる龍じみた気迫が見え隠れする。ぞわりと産毛が逆立ち、指先が冷たくなる感覚があった。殺気とは違う。静謐でありながら、細胞の一つ一つまでが覚悟を決めたような、冴え冴えとした覇気。この人は本気だ。そして本物だ……!
「理由を――」そんな迫力に潰されかけながら、俺は何とか声を押し返す。
「お聞かせ願えますか。わたしはあなたのご息女に乞い願われ、仲間を募ってここまでやって来ました。それが到着するなり帰れとはあまりにも横暴」
こちとら一応伯爵だぞと、貴族の面倒くささを借りて言い返してみせる。盗賊の詐術スキルがあってよかった。でなければ終始震え声だったに違いない。
ぴくりと物騒な兆しを見せたハガネを片手で制した柳凛公は、あくまで水を打ったような静けさのまま、整然とした言葉を流した。
「この先、二里ほど先の廃村が逆賊の根城です。先刻、我が本隊を攻撃に向かわせたところ、その中間を狼煙と思しき煙で遮断され、その間に本陣が傭兵と謎の石像による急襲を受けました。襲撃は断続的に続き、攻撃隊も戻らぬまま。が、我が領の精兵が全滅したとは到底思えない。何らかの足止めを食っているのでしょう。ならば敵勢力の奇襲を本陣で受け続けることは意味がある」
「……まさか、お父上自身を囮に!?」
カグヨが悲鳴のような声を上げた。柳凛公からの答えは瞑目。俺が口を開く。
「それなら、我々も囮に参加しましょう。わざわざ不利な状態で迎え撃つことはないはず」
「不利であるからこそ、あちらも仕掛けてくるのです。こちらが守りを固めたら、敵戦力は攻撃隊の背後をつくやり方に変えるかもしれない。今大事なのは本陣ではなく槍の切っ先である彼らです」
柳凛なんて風流なあだ名がついているくせに、山のように重々しい論調だ。返事に窮した俺に、さらなる言葉がたたみかけられる。
「我らイルスター槍騎士団は王国の“畏れ”。秩序を乱せばイルスターが現れ、刺し殺す……その戒めであらねばならない。ここで我らが、よりによって反目するヴァンサンカンに助けられたとなれば、高祖が命で築いてきた畏れは薄れ、我が騎士団は単なる治安機構の一つとなり下がりましょう。これはイルスターの誇りや誉れなどといった些細な問題にはとどまりません。王国全土の震撼なのです。人の世が暴力を行使し、それを鎮めるために暴力が求められる限り、誰かが形のない畏れとなって悪を抑制するしかない」
畏れによる抑止。うちの執事も言っていた。大衆を抑えるのは形のない影だと。ただ突っ立っている一人の見張りより、薄っすらと蔓延する恐怖が悪事や違反を抑制する。実体よりもイメージ。イルスターとウエンジットは秩序に挑戦することへの圧倒的な罰――死神なのだ。そうでなければ、王国各地の不満の芽を抑えることなどできやしない。
「領主の生き死になどさらに些細な過程。大事なのは、イルスターが戦場に出た以上、必ず相手を殺すということ。その畏れを振り撒くためなら喜んで命を火に投じましょう」
ウエンジットの人狼公も人ならざる雰囲気を持つ人物だったが……こちらも負けてはいない。中に魔物が棲んでるんじゃないかというほどの凝縮された信念と気迫の持ち主だ。
カグヨもその薫陶は受けているのだろう。紙のように白くなった彼女の顔色は、嘆く言葉すらも奪い尽くされ、ただ涙を流させられていた。
自分たちに課せられた役目の重み。この血を持って生まれた以上、親子でさえ国の畏れのために殉じなければいけない。アークエンデもそんな彼女の肩を支えてあげるので精いっぱいだ。
だが……!
時間をかけて溜め込んだ息吹を今こそ吐き出す。
「――それならば、我らをカグヨ姫の手勢ということにすればいい」
「……なに?」
俺がその牙城を突き崩す。
「わたしは今からザイゴール・ヴァンサンカンではない。カグヨ姫に雇われた名もなき傭兵です。そして彼らは、我が傭兵団の気のいい仲間たち」
そばにいたアークエンデやオーメルンが、咄嗟に何だかよくわからないポーズを取ってみせる。ああこれは怪盗貴族探偵団の時のやつ……。
「ヴァンサンカン伯爵ともあろう者が、騎士の娘の手下になろうと?」
さすがに鼻白んだ様子で柳凛公が聞き返してくる。騎士という戦働きを重んじる家柄というだけではない。イルスターとの関係性。さらには伯爵と騎士という階級の違いも込みで。
貴族階級において、序列的には騎士より伯爵の方がはるかに上で、さらにヴァンサンカン伯というのは色々事情があって同階級の中でも位が高いのだ。
だが、興味ないね……!
「そうです。身内からの救援なら、御家の畏れに傷がつくこともないでしょう。強いて言うなら、カグヨ姫の名前に少々勇ましい印象がついてしまうくらい……。しかし元より勇猛果敢な姫なら、手に余ることもないでしょう」
「命を賭けておきながら、手柄をすべてこちらに譲るおつもりか……?」
「そうです。そんなものは大したことじゃない」
「では一体何のために」
「家族を失った姫から笑顔が消えることの方が、わたしにとっては何倍も何十倍も苦しい。だからです」
「……!」
柳凛公ははっとしたように俺を見た。俺もまた彼を強く見つめ返した。相手が息を呑む音が伝わった。
察してもらえたな。
カグヨはアークエンデの親友だ。アークエンデがユングラント魔導学園に入学するまで……いやそのずっと後も、生涯の友として隣にいてほしい。そんな彼女にここでつらい過去を背負ってほしくない。俺はアークエンデの父親として、彼女の友にも幸せでいてほしいのだ。
「お父上……」
すがるように見つめるカグヨの先で、柳凛公の沈思は一分近くにも及んだ。
ハガネですらその動向を確かめる目線を送る中、不意に彼の肩から鬼神めいた何かが抜け出ていくのが感じられた。
「……わかりました。そこまで譲歩されて己を曲げないとなれば、頑迷の誹りは免れないでしょう。ご助力、ありがたく頂戴します」
……よ、よしっ! やったッ! 通ったッ!
俺の脳内で小さな男が跳ねまわる。
「お父上! ア、アークエンデ……!」
「カグヨ。よかったですわね……! あなたのお父様もご立派でした……」
感極まったカグヨがアークエンデと抱き合う。近くで見ていたタマネとタガネも、へたり込むほどの安堵を見せる。
フーッ……何とかなった……。バスティーユが言っていた柳凛公の手強さというのは、こういう深慮と生真面目さのハイエンドにあったのだろう。
使命、誇り、義務、意地、正義、歴史、すべてが一寸の隙間なく押し固められてなおかつ清冽な形を作っている。何も知らずにこの場に立たされていたら、返す言葉もないまま事態を確定させられてしまっていたに違いない。やはりおまえはZっ友だ……!
「ヴァンサンカン伯。この戦が終わり、しかるべき時が来たのなら、カグヨに支度をさせて御領へと向かわせましょう」
柳凛公が大真面目な顔でそんなことを言ってくる。え? たかがお礼でそこまでせずとも……。
「そうかしこまらずとも、姫にはいつでも気軽に遊びにきてもらって結構です。我が屋敷の者たちとも気心が知れていますから」
「なんと。もうそこまで……。わかりました。このように少々勇み足のある娘ですが、よろしくお願い申し上げる」
「いえいえ、こちらこそ……」
思わずお辞儀を返してしまいつつも、これで何とか柳凛公の捨て身の策は阻止した。
カグヨも歓喜が度を越えたのか、ぼうっとした顔でこちらを見ている。良かったな、カグヨ。
さあ、ここからが本当の戦いだ。
「それで柳凛公、早速ですが、あなた方を襲ったピンクの怪物というものについてお聞きしたいのです」
「あれは、我が騎士団でも見たことも聞いたこともないものでした」
彼が話したことによると、経緯はこう。先ほどより細かい説明になる。
十日ほど前に任務地にたどり着いたイルスター騎士団は、現地調査の結果、反乱分子の首魁の居場所を突き止めた。
十数人規模の小さな拠点を落としながら進んでいたところ、突然、皮膚のない筋肉の塊のような怪物が乱入してきたという。
それは長い体を毬のように跳ねさせながら、進路上のイルスター兵数人を圧殺。怪物はそのまま逃げ去ったが、以降それが引き連れてきた首無し像が一帯に出没するようになってしまい進軍が鈍化。反乱分子たちが本拠地に結集する隙を与えてしまったとのこと。
「その後、怪物の姿は見ていません。しかし亡者たちが断続的に襲ってきていることから、まだ近くに潜んでいると考えるべきでしょう」
なるほど、精強なはずのイルスター槍騎士団が反乱分子程度に手こずるわけだ。こんな人外インシデントが多発しては……。
首無しセルガイア像を引き連れたイクシード。しかし『アルカナ・クロニクル』の決戦盤面に比べると規模は格段に小さい。まだ事態は窮まってはいないはず。
「その怪物は我々が知っている相手かもしれません。こちらで対処します」
俺が述べた言葉に、柳凛公はわずかに眉を動かし、「なるほど。この異形の――深族の戦力はそのための……」と、上空で待機したままの大多数の騎翅、そして空飛ぶ巨岩のようなグノーを見上げる。
「無論、柳凛公の本陣も同時にお守りします。こちらに攻撃を引き付ける作戦は良いと思いますので」
「伯爵殿、拙者とタガネはここに残って御屋形様たちと一緒に戦いとうござる!」
タマネが勢い込んで話に割り込んでくる。タガネもうなずき、姉と意見を一致させる態勢。この二人がいれば戦力は大幅アップだろう。生き別れたハガネとの共闘も、彼女たちが夢見たことかもしれない。
当のハガネは、まるで心まで刃になったみたいに何の反応も示していないが……。
「カグヨ。あなたも家族のところに残りなさい」
さらに。いつの間に乗り換えたのか、中型の騎翅にまたがったベルゼヴィータが俺たちの頭上に降りて来ていた。
「騎翅を三騎預けるわ。うまく使いなさい。彼らにもあなたたちを優先的に守るように伝えておくから」
「会長様……!」
ベルゼヴィータの後ろに控えていた三匹の騎翅が、次々にカグヨの近くへ着陸する。これで反乱分子なんて拠点ごとすり潰せそうな戦力。本陣の守りは盤石だろう。
「わたしたちはイルスターの攻撃部隊を探しつつ例の怪物を追います。もしこちらに現れた場合はすぐさま駆けつけましょう。それでは柳凛公、また後ほど」
「お、お待ちください伯爵様!」
いざ行動開始というその直前で、カグヨが俺に駆け寄ってきた。
「本当に、本当にありがとうございました。今はそれしか言えないわらわをお許しください。それと、これを……」
そう言って彼女が大事そうに差し出したのは東方風の御守りだ。
「どうかご武運を。必ず……必ず生きて帰って来てくださいませ……!」
「ああ、約束する。君もケガなどしないように」
受け取った御守りを首にかけ、いざヴァンサンカン伯爵、再出撃!
勝利の宴の準備に変更だ!(ミンサガ並感)




