第十話 トメイトウのメイト
庭園は大きな木が一本だけある原野じみた中庭とは違い、様々な花や木が植えられた華やかな区画だ。ヴァンサンカン伯爵屋敷に古くからあるもので、執務に疲れた領主が目を休めに来たり、季節の花々を楽しむためのものだそうだが、俺はこんなだしバスティーユは花など鼻で笑うため、これまであんまり活用されなかった。
「だ、旦那様……!」
そんな庭園の管理人ホデオは、俺を見るなりハンチング帽をむしり取ってかしこまった。
上よりは横に幅のある体格とは裏腹に、気弱そうな中年男性だ。
こちらを多少言葉の通じる猛獣レベルに捉える彼にそれ以上の心的負担をかけないよう、俺が「仕事中にすまない」とフランクに呼びかけると、続くアークエンデが「ホデオ、お父様にお花を見せてさしあげたいの!」との用件を告げる。ここでようやく、ホデオの型にはめ込まれたような体は本来の柔軟性を取り戻した。
「こちらでごぜえます」
彼に案内された花壇には、壁になるくらいの多くの花々が咲き誇っていた。
「おお……これは本当に綺麗だ」
俺が素直な感動を口にすると、手を繋いだアークエンデも嬉しそうにはしゃぎ、
「そうでしょう! ほら見てくださいませ。この子は一つだけ色が濃いの。ホデオはこれを切ってくれようとしたのだけれど、わたくしは断りましたわ。だってこの子、きっと一番頑張って綺麗に咲いたのですもの。明日も明後日も、ずっとここで咲いていてほしいのですわ……」
うっとりと花について語る彼女は本当に愛らしかった。花と庭師には申し訳ないが、俺は草花よりもそちらの方に心を癒された。
花というのは巡り巡ってこういう効能もあるのかもしれない。人の笑顔を次々に増やす。今の俺に欠けているものだ。
「ありがとうホデオ。おまえのお世話のおかげでいいものが見られたよ」
子供たちと花壇を一通り見終えた俺は、少し後ろで控えていた庭師に礼を言った。
「と、とんでもねえことです。おれこそ、珍しい草花を扱わせてもらえて感謝しとります。町では普通の花も育てられねえとバカにされとりましたが……」
ホデオは恐縮した様子で、町での境遇を少しだけ明かした。
なるほど。この悪評立ちまくるヴァンサンカン屋敷に来てくれたのも、そのへんの事情があったからかもしれない。
「ん……?」
と。俺は花壇の隅に生っている赤い実に気づいた。
「おお、これは……! すごい、見事な出来栄えだな」
「へえ。色々試した結果、ようやく納得のいくもんができました」
ホデオも隣でうなずいてくれる。
赤い実は大きくて艶やか。身もしっかりしている様子だ。あまりの見た目の良さに、俺はごくりとつばを飲み込んだ。
「もう食べられるのか?」
「えっ……とんでもねえです! これには毒がございます。食べるものではございません」
「ええっ……」
あたふたと忠告してくるホデオを視界の端に置いたまま、俺はまじまじと赤い実を見つめる。アークエンデとオーメルンも怖いもの見たさの顔でそれを眺めている。
「でもこれは、トマトだよな?」
「へえ。トメイトウでございます」
なぜ流暢に。しかし、それは確かにトマトのようだ。
「毒があるって、そんなことはないだろう」
トメイトウ好きだよ俺。『アルカナ・アルカディア』の実況をしていたやまとさんがよく動画内でトマトの酒の話をしていたから、俺もレッドアイとかブラッディシーザーとか飲んでみたし、ストロングトマト・ゼロがあったら間違いなく買ってた。
……何か急にトマトが食いたくなってきたな。そう言えば、ここでの食卓にトメイトウはなかった。この色、このツヤ、これ絶対うまいやつだ。
「ホデオ、これ、二、三個もらってっていいか?」
「それはようございますが……。間違っても食べないでくだせえよ」
「そ、そうですわよお父様。毒だなんて危ないですわ」
「他に旨いもんいっぱい食ってんだからさ。やめろよ絶対……」
子供たちからすら釘を刺される。そんなに物欲しそうな顔をしているのか俺は。
だが、これは間違いなく食べられるもののはずなのだ。もしそれが周知されていないのだとしたら……。
※
「は? トメイトウを食べたい?」
困った時のバスティーユ。あるいは俺はバスティーユを困らせるために領主をやっているのかもしれない。
「トメイトウには毒があるとされていますが」
「それ本当か? 何かで聞いたことあるんだ。トマトは昔、毒があると思われていたって」
「……昔?」
「あっ、いや、今でも、かな……? とにかくこれ食べられると思うんだ。ちょっと確かめてみていいだろうか」
「…………。まあ少量であれば、命までは落とさないでしょう。念のため解毒剤も用意しておきますので、好きになさいませ」
何かを思案するような沈黙の後、バスティーユはオーケーを下した。
この屋敷において彼の判断は神よりも正しいとされる。心配してついてきた子供たちとホデオに見守られながら、俺は台所を借りて早速トマトを切り分けてみた。
中から溢れ出る果汁と、どろりとした緑色の種。やはりこれは普通のトマトだ。
「お父様、中から毒々しい液体が……」
「やっぱやめようぜ伯爵……まずそうだし……」
アークエンデとオーメルンがそれぞれネガティブな感想を口にする。そう言われると確かに野菜の中でも群を抜いて中身キモいし、トマト嫌いな人がいるのもうなずける。
しかし気にせず、俺はそれを食べてみた。
味は――。
「酸っぱ!!」
想像以上の酸っぱさに思わず顔をしかめる。これは食ったことがない酸っぱさだ。すぐに吐き出した。それを見たホデオが、
「やっぱりそれは食い物ではございません。おやめくだせえ旦那様。おれの作ったもんで旦那様のお体にもし何かあったら……」
「いや大丈夫だ。見ての通りピンピンしている」
「しかし目の下に生者とは思えねえクマが」
「それは元からだろ……」
トマトは残り二つある。そちらも試す。
二つ目も見た目はいい。しかし食べてみると苦い。これもダメだ。最後の三つ目。他より小さくて、形も歪んでいるが……。
「……ン! これはちょっと甘い……!」
他二つと違って苦みやえぐみがなく、さっぱりとした瑞々しさの中にかすかな甘み。
「これは食える……!」
「どれ……」
唖然とする一同の中からバスティーユが進み出て、トメイトウの欠片を摘まむ。
彼は慎重にあごを動かし、やがて飲み下した。
「……なるほど。悪くありません。美味しいですね」
彼がそう言うと、ホデオも子供たちも目を丸くしつつトマトを口にした。そして結構イケるということにさらに目を見開いていた。バスティーユのお墨付きがあっただけでこの対応差。いいか、これが人としての信用の差だ!
「トメイトウの毒は、かつて食器に使われていた鉛が原因だというのが、研究家の最新の説です。実際、これの原産地では手づかみで食べるため、中ったという話はないそうです。しかしそれはまだまだ世に出回っていない情報……。旦那様はこれをどこでお知りになったのですか?」
突然、バスティーユが鋭い目線で俺を射抜いてきた。いや、彼の目つきはいつも鋭いのだが……。
まずい。違和感を持たれた。俺の中身がこの世界の住人でないことがバレる。いや、そうでなくても素性は盗賊だったりと、ザイゴール・ヴァンサンカン伯爵のスネはもうズタボロ。ごまかさなくては……。
「い、いや、どこでだったかな。わたしの故郷の友達の親戚のペットの故郷が、酔っ払った拍子にそれを手づかみで食べていたのを見たんだったか……?」
「そうでしたか。トメイトウの種は貴族ぐらいしか手に入れられない貴重品なのですが、ペットの故郷さんは裕福な生まれのようですね」
「そっ、そんなことより! これが食えるんならもう一つ試したいことがある」
俺はアクセルベタ踏みのままインド人(※ハンドル)を右に思い切り切った。
ホデオに頼んで三つ目のトマトの株からいくつか実を切り取ってきてもらい、包丁でそれを切り刻む。
「お父様、お上手!」
「えっ、伯爵が何で料理できるんだよ」
驚く子供たち。俺も元気な頃は自炊とかしてたんだよな……。
細切れにしたものをヘラで潰しながら煮込む。材料はそれっぽいものを適当に。
そうして試作されたのがどろりと半液体化したトマト。
我々はこの存在を知っているッ。これはつまり――カ〇メトマトケチャップ! いやカゴ〇は別に付いていないが……。
「うめぇです……」
「おいしいですわ……!」
「なにこれマジでうまい……」
試食してもらったホデオや子供たちにも好評。真の〇ゴメケチャップのコクうま味を知っている俺からするとだいぶ隔たりがあるのだが、この世界の調味料のおかげか別の味わいがある。
「バスティーユ」
俺は最後に試食した彼に、一言だけ呼びかけた。
「はい。察しておりました。旦那様はこれを我が領地の特産品にしようというのですね」
鉄面皮にわずかな笑みを浮かべ、バスティーユはうなずき返してきた。
特産品。ヴァンサンカン領が潤うためには、外の土地に出荷できる工芸品とか名産品が一番だと思った。俺が住んでいた日本でも各自治体に対して特産品の開発が奨励されている。
「鉛は今はもう体に悪いとされて食器には使われておりませんので、中毒を起こす者もないでしょう。このソースの状態であればトメイトウを連想する者も少ないはずです。領内への流通はエルバンあたりにやらせ、外へは新しいもの好きの遍歴商人に多めに握らせれば……」
早くも販路を模索するバスティーユは、珍しくワクワクしているようだった。金が絡んでいるからか。しかし他ならぬ金の話のため、彼が乗り気なのは大変助かる。
「直ちに第一陣の栽培に取り掛かりましょう。人手は、最近職にあぶれる若者が出てきたというので彼らを雇えばいいでしょう。ああ、畑に関しては私のものをお貸しします」
「えっ、バスティーユ、執事なのに畑なんか持っていたのか?」
「今回は特別に、最近たまたま偶然ひょんなことから手に入れた促進栽培用の錬金試薬を提供いたしますので、数日のうちに収穫できるはずです。善は急げですので。ただ、肝心な畑の管理者ですが――」
怒涛の早口で押し流しやがった。本当に裏で何をしているんだこの男は……。しかし、彼の協力なくしてわーくにの政策はない。そして、畑の管理人に関しては特大の心当たりが一つあった。
「ホデオ。おまえに農場の管理を任せたい」
俺の依頼に、彼はこぼれるほどに目を大きく見開いた。
「お、おれにですか?」
「あの甘いトメイトウの作り方を知っているのはホデオだけだ。おまえでなければ務まらない。もちろん仕事に見合った報酬は支払う。庭師の比じゃないぞ」
「け、けど、おれなんかが……」
「できますわよホデオ!」
躊躇う彼を力強く励ましたのはアークエンデだった。
「あんなに綺麗なお花をたくさん咲かせられるのですもの。美味しいトメイトウだっていっぱい作れますわ。どうかあなたの味を領内のみんなに届けてあげて。そして、あなたを見くびっていた人たちを驚かせてやるのよ!」
太陽のようなアークエンデの笑顔は、これ以上のないエールとなったようだった。
「おれを……バカにしてたやつらを……。ありがとうごぜえますお嬢様……! 旦那様も。精一杯務めさせていただきます!」
彼は団子のような指で目元を拭いながら、何度も何度も頭を下げた。
一介の庭師から、領内の特産品を監督するトップへ。当人からしたら想像すらしなかった大出世だろう。彼を小馬鹿にしていた人々からはもっと。
こうして、わーくににはトメイトウとトメイト・ケチャップという特産品が生まれた。
拡大するトマト産業によって雇用が生まれ、人々の生活が潤う。そして発案者であるヴァンサンカン伯爵は、領民を富ませた名君として名誉を回復するのだ! ……予定では。
そして、とても長くなってしまったが、ここまでが前置きとなる。
本題はここからだ。
富と評判を生み出したこの商品が、この地にとある宿敵を呼び寄せてしまったのである。
始まりは、一通の借金申し込み書……。
前置きホントに長くなっちゃってスンマセン……。