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第一話 異世界、反省会

「死んだか?」


 第一声がそれだった。


 俺はブラック企業に勤める社会人、矢形(やがた)修字郎(しゅうじろう)……だった男。

 過労、睡眠不足、満員電車……。かろうじて命を繋いでくれていたゲーム実況動画を、とうとう歩いている時も手放せなくなって……挙句、歩道橋の最上段から転げ落ちた。


 後頭部に多段ヒットした石段の感触が、今も生々しく残っている。

 正直、久しぶりに生きてる感じがした。


 まだいけるはもう危ないっていうのは、社会人の標語だった……?

 もう少し、あとちょっと、明日まで、明日こそ……そんなことを壊れたレコードみたいに自分に言い聞かせた結果の、妥当な末路。やっぱ歩きスマホはアカンわ……。


「死んだ、よな……?」


 俺は身を起こして周囲を見回した。


 病院とは、到底思えなかった。

 本場らしい西洋風インテリアで溢れたスイートルーム。病院の大部屋に空きがなくて、総理大臣専用の特別豪華個室にぶち込まれたというなら、頭でソリ遊びした甲斐もあるのかもしれないが、さすがに医療器具がまったく見当たらないというのは解せない。


 治療の跡もなく、服装も清潔で高級そうな寝間着。何から何まで、俺が搬送された病院という可能性を減衰させてくる。


 それに何というか……クリアだ。頭の中が。これまで脳に栓でもされてるんじゃないかと思うほど狭かった思考領域が、隅々まで広がっているのを感じる。

 忘れていた。数年前まではこれくらい頭の中がスッキリしていたんだ。でも、ここまで明瞭だったか……?


 その時ふと、部屋の隅に置かれた姿見が目に入った。

 そこに映っていた男を、俺は二度見した。


 一度目は、ああ俺だ、と。

 しかし二度目は、


「誰だコイツ!?」


 思わず上げた声にも違和感。俺の声じゃ、ない……!?


 そして鏡に映った男もまた。中肉中背の体格と二十代前半の外見こそ似通っていたものの、顔はまったく知らない。

 一瞬、俺の顔だと誤認したのは、マッキーで引いたかと思うくらい濃いクマが目の下にあったからだ。ここ一年、ずっとこのクマさんと一緒に暮らしてきた。


 だが違う。誰よこのクマ! なかなか立派なクマじゃない! この顔も誰のだ!?


 やや長めの髪は暗い金髪。顔立ちはなかなか男前だが、クマと陰鬱な目つきと無精ひげが、長年の逃亡生活か闘病生活を臭わせる。コイツ……何だ? 俺は、どうなったんだ……!?


「旦那様?」


 突然、部屋の扉から声が聞こえた。

 粛然とした、しかしどこか驚きを含んだ呼びかけ。

 俺は慌てた。この姿を見られるのはヤバいのではないかと一人で勝手に焦った。


 しかし何の対応もできないまま、扉はゆっくりと開かれる。


 現れたのは……。


 誰だ!?(再掲)


 クッソイケメンだった。今鏡に映っている微妙イケメンのクマ男よりもはるかに。

 時計の長針のように真っ直ぐでスマートな佇まい。黒髪は女性のように長く、ひたいで分けられ肩の下まで流れている。年齢は二十代半ば。精緻な刺繍の入った、高価そうなジャケットコートが身に馴染んでいる。鋭く切れ長の目はしかし、驚きと戸惑いに見開かれ俺のことを見ていた。


「旦那様、性懲りもなく煉界(れんかい)の底から蘇ったのですか……!?」

「へえっ……!?」


 いきなりの罵倒に――罵倒らしきものに、俺は間の抜けた声を上げた。


 レンカイ? なに? どういう意味?

 この時、一瞬だけ俺の脳裏に閃くものがあったが、その正体を掴み切るより先に「失礼しました」とスマートな長針は咳払いをし、前言を訂正した。


「藪医者の見立てでは昨晩が峠で、深夜のうちに坂を上り切れずに転げ落ちていったと聞いていたもので」


 ……あんまり訂正されてないかもな。

 それに、峠を登り切れなかったって、アウトだったってことでは……?


「後はもう、最期の時が来るのを待つだけだとばかり……。旦那様? ザイゴール・キア・エムス・ヴァンサンカン様?」


 わけがわからず呆然と立ち尽くすばかりの俺に、イケメンはあくまで礼節ある距離を置いたまま、そんな言葉を投げかけてきた。前後不覚に陥った酔っ払いに、身元を確かめるみたいな顔で。


 ザイゴール……何だって? それは……もしかして俺の名前?


「私のことがおわかりになりますか? 執事のバスティーユ・バレンステインです」


 執事! バスティーユ! バレンステイン!


 そうか……なるほどな……! ……やっぱわかんねえわごめーん! 俺の名前も聞いたことないー!


 いやでも待て。最後の、ヴァンサンカンってのだけは、何か知ってるような……。

 ああ、少し考える時間があれば答えにたどり着けそうなのに! どうにかして今だけ誤魔化せないかなあ! 何とか時間を稼げないかなあ!


 そう思った時だった。


「――少し……起きたばかりで混乱しているようだ。時間をくれないか」


 俺が言った。えっ、今の俺が言ったのか?

 何か言わなくちゃと思っていたら、なんかそれっぽい言葉が自然とまろび出てきた。


 すると、執事という男は合点がいったようにうなずき、


「そうでございましたか。医者も諦めたほどですから無理もありません。無事快方へ向かったのなら何よりです。何かほしいものはございますか?」


 説明! ネタバラシでもいい! これが何かのドッキリ企画――そうたとえば炎上系Uチューバーが疲れたリーマンをターゲットにした金のかかった大規模イタズラだと今からでもバラしてくれれば、俺は喜んで「めっちゃ驚きました」と一般人のコメントを残すよ!


「だいぶ空腹だ。何か食べるものがほしい」


 しかしそんなたわけた気持ちとは裏腹に、俺の口は冷静にこの場で一人になるための冴えた回答を伝えていた。


「かしこまりました。直ちにスープでも作らせましょう」


 恭しくそう言うと、執事――バスティーユ・バレンステインは静かに扉を閉めた。

 その足音が完全に消え去るのを待ってから、俺の足は自然と本棚の方へと向かっていた。


 分厚い蔵書が大量に収められた、俺が住んでたボロアパートなら一階まで床をぶち抜きかねない立派な本棚だ。

 俺はそこから一冊の本を抜きだした。

 まるで、そうするのが正しいと知っているみたいに。


 背表紙には『エビサル・オベル』とある。見知らぬ文字だ。いやこれは文字ではない。文字ではないということを、俺の頭はなぜか理解している。


 もしかして、この男がそれを理解しているのか? ザイゴール・ナンタラ・ヴァンサンカンとかいう、今俺が中に入っている男が?


 本を開いてみると、びっしりと文字が書き込まれている。

 手書きだぞ、これ……と驚きつつ目を走らせると、おかしなことに気づく。

 これはやっぱり普通に使われている文字じゃない。俗に言う……創作文字というやつ。俺も暗黒の中学時代に作ろうとして面倒になってやめたが……それとは違い、もっとアーティスティックで秘密めいた感じの。


『雪葛の月、13日。業突く張りのジジイの家から15万エーギル盗む。俺が生き残るためにこれは使わせてもらう――』


「こ、これは……!?」


 それは日記であり、犯罪の記録だった。

 内容は主に泥棒。それから詐欺が少々。暴力や殺人といった荒っぽいものはない。金目当ての犯行。


 これを書き残したのは俺だという実感がなぜかあった。つまり、この、ザイゴールとかいう男の。

 だけどおかしくないか? こんな豪華な部屋に住んで、執事までいるのに、泥棒? 犯罪?

 しかし読み進めるうち、その謎も解けた。


 まず、このザイゴールというのは偽名だ。本当の名前はイーゲルジットというらしい。

 職業は盗賊。貧民街の生まれで親の名前より先に盗みのやり方を覚えた。

 犯行を重ねながら町を流転し、そしてこのヴァンサンカン家にたどり着いたらしい。

 先代の当主に上手く取り入り、何をどうしたのか養子となって、ついには貴族の仲間入りをしてしまった。ウソみたいな成り上がり伝。


 だが、そこからが盗賊イーゲルジットの悪夢の始まりだった。


 衣食住が足りたことで気持ちに余裕が生まれたのか、これまで犯してきた数々の罪に対し急に罪悪感が芽生えた。そしてその報いを受けることを猛烈に恐れた。


 そもそもこの記録自体が自慢話などではなく罪の告白だ。犯行の記述の後には、必ずといっていいほど自分を正当化する言い訳が添えられていた。しかし、それで気が晴れるほどイーゲルジットの罪は少なくなかった。


 やがてこいつは、屋敷の人間すべてが、自分から何もかもを奪うために現れた簒奪者に見えてきた。自分が奪ってきたようにだ。

 使用人を片っ端から解雇して、自分で新たに雇い入れ、それも信用できず、とうとう寝込んでしまったらしい。


 彼には泥棒としての才能はあったが、肝心な悪人としての才能がなかったのだ。悪党に必須な、奪われて泣いている者をせせら笑う残忍さが。


 そしてさっきのイケメンの話を聞く限り、昨晩とうとう肉体も限界を迎えた……。


「これが、この男の正体……」


 不思議な感覚だった。こんなことあり得るとは思えない。だがどういうわけか、俺の意識は今、この罪人の中に入っている。それを確信している。


 思えば、頭の中もどこか変だった。いくら思考がクリアになったといっても、矢形修字郎という男の頭はここまで回転が速くなかった。

 これは盗賊から貴族まで上り詰めたイーゲルジットの狡猾で聡明な頭脳なのだ。そんな気がする。


 しかし肝心のどうしてこうなったという謎に関しては未だ不明なまま。

 どこか引っかかっていたヴァンサンカンという言葉についても、家名ということしかわからない。


「お父様……?」


 そんな時、扉の向こうから聞こえてきたか細い声に、俺は慌てて懺悔録を本棚に押し戻していた。

 ……お父様? なんだとコイツ、子供がいたのか?


「バスティーユから、記憶が曖昧になっていると聞かされて……。わたくしのことがおわかりになりますか? お父様にお屋敷に呼んでいただいた、アークエンデです」


 ……アークエンデ……アークエンデだって!?!?!?


 その瞬間、俺の中に濁流のように記憶がよみがえった。


 アークエンデ・ヴァンサンカン!


 それは俺が。死にかけリーマンの矢形修字郎が、歩道橋から転げ落ちる直前まで見ていた実況動画ch『やまとさんの煉界ぐらし』でプレイされていたゲームの、ラスボスの名だ。


 そのゲームの名前は『アルカナ・アルカディア』。

 ファンタジー世界を舞台としたアドベンチャーゲームで、魔法学園を中心に、女キャラが主人公で、恋愛できるイケメソキャラが多数登場するから乙女ゲー、と言うのはちょっと安直かもしれないが、とにかくそこにアークエンデ・ヴァンサンカンなる人物は存在する。


 いわゆる悪役令嬢とかそんな枠のキャラで、意地悪そうな顔をしてホントに意地悪をしてくる。そんで最後はこれまでの悪事がバレて身の破滅となるわけだが、そこに至るまでに魔眼を解放するわ禁呪を発掘するわ闇堕ちして魔王になるわ、やりたい放題やらかすのだ。


 リスナーからは蛇蝎の如く嫌われていたが、俺は結構好きだった。そのパワフルさが、もはや自分でゲーム機の電源を付ける気力もないリーマンの心には響いたのだ。


 その、アークエンデ・ヴァンサンカンが扉のむこうにいる?


 どうすればよいかわからず固まる俺の眼球に、おずおずと開かれる扉が映る。

 そうして現れたのは――、


 今まで見たことがないほどの、可憐で愛らしい女の子だった。


 ナ、ナニイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!

 何だこの美少女!? アークエンデ・ヴァンサンカンつったら、常時ガンギマリの四白眼に、口の端にシワができるほどのクッソ悪そうな笑みが特徴のキャラなのに、そんなものどこを探してもない。


 ふんわりとした長い金髪は自然と左右に分かれ、そのうち羽になるんじゃないかと思わせるほど美麗で軽やか。つぶらなアクアブルーの瞳はかろうじてツリ目に近い形はしているが、本家のガンギマリ様には遠く及ばない。いたいけな子猫とやさぐれた野良猫の目つきぐらい違う。

 表情は不安げでいじらしく、そして幼い。まだ十代前半くらい。ランドセル背負っててもおかしくないかもしれない。


 その幼いアークエンデが恐る恐る言った。


「も、もしお元気になられたのなら、お洗濯、一緒にいたしませんか?」

「へ……?」


 洗……濯?

 現に彼女は、自分のものと思しき小さなブラウスを胸の前に持ち上げている。でも何で洗濯……?


「お嬢様。旦那様は先ほど起きられたばかりです。今はまだ休んでいただかないと」


 そんな時、廊下からバスティーユの声が流れてきた。わずかに身を引いたアークエンデを押しやるように、トレイにスープ皿を載せた彼が現れる。


「ご、ごめんなさい……」


 アークエンデは悲しそうにそう言うと、それでも未練があるようにこちらを一目見、しょんぼりと退散していった。


「今の洗濯というのは……?」


 それを見送った後、俺は如才なくバスティーユにたずねていた。

 セバスティーユは室内にあったティーテーブルにスープを置くと、「困ったものです」と嘆息した。


「たった一度、旦那様が気まぐれで褒めたことで調子に乗って、同じことを繰り返すようになってしまいました。養子として屋敷に来て日が浅いので、使用人の真似事でも何でもして気を引こうとしているのでしょう。何度断られても同じように洗濯洗濯と――」


 その説明に何か引っかかるものを感じ、俺は「何度も断っていたか」と自分の行いを確かめていた。返答は「はい。何度も」と簡潔に。


 そうだ……。そういえば、ゲームに登場するアークエンデのプロフィールに、「好きなもの:家名、洗濯」とあった。悪役なのに何か妙な組み合わせだなと当時は思ったものだが……まさか?


 ぐっと胸が押し込まれるような感触がして、俺の目はなぜか室内のくず入れへと引き寄せられていた。何でかわからないが、そこが気になる。


 中をのぞいてみると、ちぎった紙が何枚も入っていた。中身はそれだけのようだ。何気なく拾ってみると文字が書かれていた。『お元気になられたら』と読めて、慌てて中を漁った。


 それは手紙だった。子供の文字――アークエンデからだとすぐにわかった。内容が床に臥す父親をいたわり励ますものだったからだ。


 お父様に元気になってほしい。そうしたら二人で野原にピクニックに行きたい、泉を見に行きたい、庭の花を一緒に見たい。いやそんなことより、ただ二人で手を繋いで歩きたい……。そんな素朴でいじらしい願いが書き連ねられている。


「これは……俺が破いたのか?」


 俺は声を震わせながらバスティーユにたずねた。答えはまたも簡潔に、


「はい」

「ひょっとして、あの子の、目の前でか?」

「はい。お嬢様の目の前でビリビリにおやりになりました」


 吐き気がした。

 この……ドブクズ親が……ッ!

 これは、これは許されない。いくらコイツが精神的に追い詰められ、猜疑心の塊になっていたとしても、これはッ……!


 そんな目に遭ってもなお、あの幼いアークエンデはこの部屋に様子を見に来てくれたのだ。プロフィールにあった「好きなもの:洗濯」も、これを引きずってのことじゃないのか? たった一度、コイツに褒められたから。それがアークエンデにとって父親との唯一の思い出になってしまったからじゃないのか。


 ザイゴール・ヴァンサンカンは、恐らく今日、抜け殻のように死ぬはずだった。

 医者が諦めたというのも正しい。彼女は傷だけ残され、満たされないまま独りぼっちになった。そしてこの家を引き継いで、闇堕ちの歴史へと入る……。そうだろ? そうでなければ、あんな優しい子が、やがてラスボスの悪女になんてなるはずない。


 止めなければ……絶対に止めなくちゃならない!


 俺はきっと、そのためにここに来たんだ。これは、矢形修字郎が死の直前に見ている幻なのかもしれない。こんなことをしたって、世界はミリも変わらないかもしれない。だが、それでも!


 俺はくず入れをひっくり返した。アークエンデの手紙の残骸が、はらはらと散る。


「バスティーユ。これを直したい」


 彼女の傷跡のような紙片の前で這いつくばり、俺は言った。


「そのようなことをせずとも、もう一度書いてもらえばいいのでは?」


 彼の返事は素っ気なく冷酷だ。


「いや、これでなくてはダメだ。これを直さなくては……でも、ええと……」


 どうすればいい? セロハンテープなんてここにあるのか? 上手く聞き出せない俺に、バスティーユの嘆息が聞こえた。


「では下に台紙を敷いて、糊で貼りつけるのがよいでしょう」


 あっ、そうか。その手があったか!

 俺は早速手紙の修復にかかった。持ってきてもらったスープを傍らに置き、絨毯の上であぐらをかいて夢中でやった。


 パズルのように文章を繋ぎ合わせるうち、涙が出てきた。


 手紙はアークエンデからの愛で溢れていた。養子として屋敷に呼んでもらえたことへの感謝。そして俺が元気になって、親子二人の幸せな未来を夢見ていた。


 クソッ、クソッ……こんな、いい子を……コイツは……俺は……!


 こぼれる涙で手紙が濡れないよう、俺は何度も目をこすらなければいけなかった。それでも涙は止まらなかった。


 俺に子供はいない。恋人すらいなかった。家族とは不仲だ。一人で生きて、きっと一人で死んだ。寂しく、存在した理由なんてなかったかのように。


 だがこんな俺でも!


 もし、家族が持てるなら! もし、こんな優しくていじらしい子を守れるなら!

 それは、俺が生まれた意味だ! 何のために生き、何のために死ぬのかの答えだ!


 窓から夕日が差し込む頃、一通の手紙が蘇った。

 台紙ごとそれを持ち上げ、俺は歓喜と罪悪感に震えた。繋ぎ合わせる時に文面は一通り読んでいたが、改めて形になったそれは苦しくなるほど優しくて愛おしいものだった。


 ちくしょうッ……! 俺は二度と……二度とこれを傷つけない……!


「お父様……?」


 夕暮れ色の室内に、アークエンデの声がした。

 見れば、彼女が扉のところに立っている。去り行くバスティーユの簡潔な足音がした。彼がつれてきてくれたのか。


「アークエンデ。手紙をありがとう。こんなことをしてしまって、本当にすまなかった……!」


 俺は貼り絵になってしまった手紙を見せた。彼女はそれが自分のものだとすぐに気づいたようだった。目を丸くし、そこから小さな涙がこぼれた。


「お父様!」


 飛びついてくる彼女を、俺はこれ以上ないほど大切に抱き留めた。

 軽くて小さい。なのに、こんなにも大事なものがこの世にはある。知らなかった。何も。


「一緒に洗濯もしよう。二人で花や泉も見に行こう。もう大丈夫だ。わたしはおまえを独りぼっちにはしない」


 俺のよく回る口は、盗賊イーゲルジットの口車ではなく、いつの間にか俺の本心になっていた。もしこれまでのひどい仕打ちが許されるのなら、手紙にあった通りにしたい。彼女の希望が満たされる世界にしたい。心からそう思った。


「お父様。よかった。本当に。元気になって、よかった……」


 アークエンデは涙を流しながら、何度もそう繰り返した。


 彼女は養子だ。今の俺、ザイゴール・ヴァンサンカンと同じく。親子にしては微妙に歳が近いのもそのためだ。しかし彼女は家を継ぐことよりも家族の愛を一番に求めていた。それがわかる。皮肉にも、彼女につらくあたったイーゲルジット本来の洞察力によって。


「これからはずっと一緒にいられるのですね。わたくしと、お父様と」

「ああ。そうだ。おまえのおかげだ」

「ずっと一緒に。永遠に一緒に……」

「ああ。そうだよ。ありがとう」


 うなずくたびに、抱き留めた小さな体から温かい熱が流れ込んでくるのを感じた。彼女の中で凍えていたものが、自らの体温で溶け出したようだった。


 これできっと、変わる。

 彼女はラスボスなんかにはならない。闇に堕ちたりもしない。


「わたくしはお父様のもの。お父様はわたくしのもの……」


 ん……?


「もう誰も二人を引き裂くことはできない……!」


 あれ……なんか……。

 アークエンデのしがみつく力が強い……というか……熱い……?


 俺の胸に埋まっていた彼女の顔がぱっと上がった。

 涙の粒に飾られた彼女のまつ毛。その中に納まった目は、黄昏色の室内にあってさらに燃えるように輝いて見えた。


 大きく見開かれたその瞳の真ん中に、俺は見た。

〈執着〉の刻印。ラスボスへの第一歩、闇堕ちステップ1の証が、ありありと……。


 って、えっ……。

 ええええええええええええええええええええええええ!?


ラスボス階段のーぼるー。


というわけで説明山盛りで大変長くなってしまいましたが、こちらが新シリーズとなります。

まずはメインヒロインであるアークエンデを闇堕ちから救いましたので、これからは親子二人の明るく楽しい光属性の日々しかないことでしょう……。もしよければ、そんな話にどうぞお付き合いください。

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― 新着の感想 ―
ザイゴールは優れた洞察力で見抜いて逃げた可能性が微レ存?w >ヴァンサンカン みんな言ってるけどニホンショッケン♪って声が再生されてしまうw 調べてみたらフランス語なんすね
わーい、新連載だ。 やっぱりこの作者様の言い回し好きだなぁ。 >正直、久しぶりに生きてる感じがした。 こことかキレッキレだと思う。ブラック企業勤めで半死半生、最後に生を明確に感じたのがこのタイミン…
ヒャッハァー!新鮮な新作だあ! これからパパの地雷原スイープが始まるだなんてワクワクすぎる。 トラップの漢解除もいいものですね。
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