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第3話・腹黒王子と、ペット?


 それからというもの、茅野くんはことあるごとに私に絡んでくるようになった。


「あ、大場! もしかして今からご飯? それならさ、俺らと食べない?」

「…………」


 保健室に行こうとする私の前に立ち、にこにこの王子スマイルでお昼に誘ってくる茅野くん。


 それに対し、私は心の底から嫌な顔をしてみせるが、茅野くんはまるで気にする気配もない。そしてもちろん、私に断る権利などはないわけで。


「……ハイ」 


 渋々頷くと、茅野くんは満足そうに笑った。

 その日のお昼は味がまったくしなかった。


 茅野くんは場所や場合、ほかのクラスメイトたちの視線すらかまわずに、毎日飽きもせずに付きまとってきた。


「大場! 次の移動授業、一緒に行こうよ」

「いや……でも」


 さすがにそれは、と思う。取り巻きの女子たちの視線が痛いほどに刺さっている。しかし、秘密のことを考えると、無碍にすることもできない。


「…………ハイ」

「よし!」

「……はぁ」

 

 あぁ、もう。私がこれみよがしのため息をついても、前を行く茅野くんはにこにこしている。


 なにが学園の王子様だ。私にとっては、まるで脅しのような笑顔だ。


 いつまでこんな状況が続くのだろう……。

 茅野くんの背中を見つめながら、私は何度目か分からないため息をついた。



 * * *



 それは、茅野くんにつきまとわれるようになってから二週間が経ったある日の放課後のことだった。


 また絡まれる前にと、急いで帰る支度をしていると、すでに帰る支度を終えた茅野くんが目の前に立っていた。


「大場お疲れ! 今日さ、よかったら一緒に帰らない? どっか寄ってこうよ。駅前に新しいソフトクリーム屋さんができたとかで――」


 飽きもせず、茅野くんは陰キャの私に話しかけてくる。


 彼の周りには、いつもどおりの取り巻きの女子たち。それらの視線の鋭いこと鋭いこと。


「ねぇチトセ、この子も一緒に帰るの?」

 黒髪縦ロールの女子が、茅野くんに向かって不満げな声を出す。

 それに対し、「そうだよ」とニコニコ笑顔で答える茅野くん。すると、縦ロール女子は小さく舌打ちして、「最悪」と呟いた。


 私は奥歯を噛んで、あふれそうになる感情を抑える。彼女の小さな文句は、彼女の知らぬ間に私の心臓を一突きしていた。


 集団というものは分かりやすい。ひとりが文句を言い出すと、周りの女子たちも口々に不満を言い始めた。


「私もこれ以上ひと増えるの嫌なんだけどー」

「分かるー」

 あけすけに不満を口にするひと。


 ……私だって嫌だよ。


「というかこの子私知らなーい」

「私も。だれ?」

「さぁ? こんな子いた?」

 嘲笑混じりの反応をするひと。


 ……私だって、あなたのことなんて知らない。興味もない。


「そもそもこの子迷惑がってるんじゃない? ねぇ、行きたくないよね? 一緒になんて」

「そうよ。強制しちゃ可哀想だよ。ねぇ?」

 語気を強めに空気を読めとすごんでくるひと。


 ……私だって行きたくない。あなたたちと関わり合いたくなんてない、と心の中で叫ぶ。


 ……が。小心者の私が言い返せるわけもない。


「まぁまぁ、そう言わないでよ。たまにはいいじゃん、こういうのも。ね?」

 茅野くんはそれらの声をまるで気にする素振りもなく、笑顔で私に微笑みかけた。


「そういえば、最近チトセってこの子にばっかり話しかけてるよね」

「ねぇ、なんでこの子をかまうの?」


 取り巻きの女子たちの強い視線が刺さる。


「っ……!」

 いくつもの視線の圧に、背筋がぞくりとする。


 蘇るのは、中学生のときに受けた深いトラウマ。


 あのときの恐怖が、足元からじわりじわりと迫ってくるようだった。

 全身に鳥肌が立ち、呼吸が苦しくなっていく。

 

「さて。みんなで仲良く一緒に帰ろう。たまには普段話さないひとと話すのも楽しいでしょ!」


 茅野くんが笑顔で間に入ってくる。


 あぁ、もう……。


 私はたまらず額を押さえた。

 頭が痛い。もういい加減に、止めてほしい。


 私たちは、そもそも住む世界が違うのだ。干渉しなければ、お互い平和でいられるのだ。それなのに。どうして私の穏やかだった生活をかき乱すの……。


 ぷつん、と私の中のなにかが切れた音がした。


「ね、行こうよ大場も」

 笑顔で話しかけてくる茅野くんを、キッと睨む。


 茅野くんやその周りの女子たちに「いい。私、ひとりで帰るから」と言い放つと、私は鞄を手に足早に教室を出た。


「えっ、ちょっと、大場!」


 背後で私を呼び止める声が聞こえるけれど、無視して歩みを進める。すると、女子たちの私を批難する声が、大きな石となって私の背中めがけて飛んできた。


「うわ、なにあの態度」

「ウザ」

「何様? 最悪じゃん」


 容赦ない批判に、たまらず耳を塞ごうとしたそのときだった。

「止めろよ。お前ら、大場のなに知ってんの」


 茅野くんの静かな、苛立った声が空気を震わせた。足が止まる。

 

「……はぁ? なに。チトセはあの地味子の味方なわけ?」

「ていうかチトセくんも、なんか私らに対していつもと態度違くない?」

「マジ? チトセくんってあーいうのが趣味?」

「地味子?」

「やば。趣味悪! 冷めるわぁ」


 女子たちは、今度は茅野くんへ批難の声を向ける。愛情の裏返し、手厳しい鋭い言葉たちが茅野くんを襲う。茅野くんは黙ってしまった。


 どうしよう。


 私はまた、パニックになる。


 どうしてこんなことになっちゃったの? 私のせい? 私のせいでこんなことになったの?


 ……違う。


 私が気にすることじゃない。あのひとは勝手に自爆したんだ。私には関係ない。そう言い聞かせて、私は再び足を進めた。



 下駄箱まできて足を止めると、私はその場にしゃがみ込んだ。


 茅野くんを置いて逃げてきてしまったことが、余計に私の呼吸を荒くしていた。

 戻ろうかと悩みながらも、結局足が震えて動けない。

「最悪……」


 思い出すのは、あのときのこと。


 私が辛くてたまらなかったとき、誰も助けてくれなかった。かつて私は、なにもしてくれなかった傍観者たちに苛立ちを覚えていた。


 ……それなのに、批難しておきながら私は、かつてのあのひとたちと同じことをした。勝手に自分を正当化して……。

 茅野くんは、傍観者じゃなかったのに。私を庇ってくれたのに。


「クズは私のほうじゃん……」

 自分の声がどこか遠くに感じた。


 その後結局あの場に戻る勇気もなかった私は、そのまま帰宅していた。


 とぼとぼと河川敷の道を歩いていると、

「大場!」

 遠くから私を呼ぶ声がした。ハッとして足を止める。


 振り向くと、息を切らした茅野くんがいた。


「さっきはごめん」

「……私こそごめんなさい。庇ってくれたのに」

「いや……」


 茅野くんは一度深呼吸して乱していた息を整えてから、言った。

「今からでも行かない?」

「行かない」

 茅野くんの言葉を遮るように言うと、残念そうなため息が聞こえた。

「大場……」

「……もう、私なんかにかまってないで戻った方がいいよ。待ってるんじゃないの。茅野くんを好きな子たち」

 そう言って、私はまた歩き始めた。しかし、茅野くんはまだ諦めずについてくる。


「待ってよ! 大場、なんか勘違いしてると思う。俺、大場とちゃんと話したい」

 歩き続けながら、ため息をついた。

「……勘違いってなに? そんなのべつにしてないよ」


 正直、勘違いだろうとなんだっていい。興味もない。


「さっきは、俺の友だちがひどいこと言ってごめん」

「いいや。もう怒ってないし、私も謝ったし。それでいいでしょ。もう関わらないで」

「あいつらも、本当はいい奴なんだ。ただみんな、大場のことを知らないから、あんなことを言っちゃっただけで」


 呆れてため息が出た。足を止めて、茅野くんを振り返る。


「……いい子? あれが? よく知りもしないくせに私を責めたあのひとたちが?」


 指の先が白くなるくらい、拳を強く握りしめた。


「茅野くんは、私以外にはすごいお人好しなんだね」

「え……」


 茅野くんは、戸惑いの表情を浮かべて私を見つめた。


「さっき、茅野くんはあのひとたちに私のなにを知ってるのって聞いたけど……じゃあ、茅野くんは私のなにを知ってるの」


 私の指摘に、茅野くんはぐっと言葉を詰まらせた。


「大場……」

「私は、茅野くんとは違う。さっきのひとたちとも違う」

「違うって、なにが」

 茅野くんは声を荒らげて、少し苛立ったように言う。

 私は思い切って、茅野くんを見上げた。

「……中学の頃、ずっといじめられてた。だから、やり直すために知り合いが一人もいないこの高校を選んだの。もういじめられないように、親に心配かけないように……入学してからずっと必死に目立たないように、息を殺して過ごしてきた。それなのに……どうしてこんなことするの? 私、茅野くんになにかした?」


 途中から、涙で視界が滲んだ。縁にたまった雫が、ぽっと落ちる。


 茅野くんはなにも言わず――いや、たぶん私が泣いているからなにも言えないのだろう。口を開けては目を泳がせ、なにも言わないまま閉じる、を繰り返している。


 戸惑う茅野くんにかまわず、続ける。


「私は、自分に自信なんてないの。だから、できる限りひとと同じように、できるだけ浮かないように、それだけを考えて、必死に息をひそめて学校生活を送ってきた。でも、これで全部台無し……。明日から、またいじめられっ子の毎日に逆戻りだよ」


「そんなことない! 俺がいる!」

「!」


 王子様らしからぬ声だった。顔を上げると、茅野くんは珍しく眉間に皺を寄せて、強い眼差しで私を見ていた。そのまっすぐな視線に、一瞬ぐっと息が詰まる。


 私は瞳に涙を溜めたまま、半ば叫ぶように言う。

 

「茅野くんがいたところで、私には関係ない! 茅野くんになにができるの!? 茅野くんみたいに周りに好かれるひとには、私の気持ちなんて分からないよ!」


 すると、茅野くんは私の物言いに苛立ったのか、ぶっきらぼうな口調で言い返してきた。


「……なんだよ、それ。そもそも、学校生活に馴染むかどうかなんて努力でどうにかなる話じゃん。大場はただ逃げてるだけじゃないの」

「…………」


 やっぱり、と思った。やっぱりこのひとには、私の気持ちなんて分からないのだ。一瞬でも嬉しく思った自分が馬鹿みたいだ。


「……逃げてなにが悪いの? 私は茅野くんみたいに強くないの。毎日毎日容姿を罵られて、バカにされてもなにも感じないでいられるような無神経にはなれない!」

「それは……」


 涙で滲んだ瞳で睨みつけると、茅野くんは言葉を詰まらせた。その顔に罪悪感が滲む。私は茅野くんから目を逸らした。

 

「……もういい。バラすならそうしたら? お願いだから、もう私にかかわらないで」


 私はそう小さく言い捨てると、そのまま逃げるように茅野くんに背を向けた。歩きながらも、茅野くんが最後に見せたあの悲しい顔が、頭から離れなかった。


 私は悪くない、私は悪くない。

 歩きながら、私は自分自身に何度も言い聞かせた。


 私は悪くない……。


 苦しくて苦しくてたまらなかったあの頃。私は何度も死を選ぼうとした。


 結局怖くてできなかったけど……でも、当時は本当に死にたかった。死んでやりたかった。


 私をいじめたあの人たちに思い知らせるためにも。


 私をいじめた人間が、私が死んだあとの世界で後悔すればいいと思った。世間から、社会から、責められればいいと思った。私が苦しんだように、死にたくなるくらいに苦しめばいいと思った。


 家族には悲しい思いをさせるかもしれないけれど、当時の私には、そんなことは二の次だったのだ。


 震える足を踏み出す。


 ……けれど、この足は一体、どこへ向かっているのだろう……。


 まるで、あの日の道みたい。怖くて怖くて、不安でたまらなかった中学校の通学路。


 背後に、死神が大きな鎌をかまえて笑っている気がした。


 立ち止まって振り返ることすら、怖くてできない。トラウマとして刻まれたかつての記憶が蘇る。


 また、あの日が戻ってくるの――?


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