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新世界~光の中の少年~  作者: 成宮 令
第一章 一
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第一話

 それは、闇の中を歩いているようだった。

 十二歳の時父親が他界してからというもの、笑顔さえ今となってはどう作っていたのか、覚えていない。

 あの日以来、瑞樹は抜け殻も同然だった。次第に成長する身体は、立ち止まらない時の残酷さを、物語っているようであった。

 心は霧が掛かったように薄暗い。気がつけば中学生になっていたが、その集団生活に馴染めるわけもなかった。周りはワイワイと賑やかで、箸が転がっても可笑しい人々の中では、疎外感に苛まれた。

 人は、人の中にいた方が孤独を感じるようだ。学校では早く帰りたい、家では早く死にたいと、そう思っていた。

 存在感が薄く、どこかクールで、人と交わらない。そんな人間は異質で目に付きやすい。それでも人々に、多様性を許容する姿勢があるならば、問題はないだろう。

 だが現実社会は違う。

 瑞樹が己の性分により、災難に見舞われることになるのは、入学後しばらくしてからのことだった。


 ある時クラスでグループ学習の機会が訪れた。

 テーマに伴い、席順により六人でひとつのグループに分けられる。そいつの席は斜め前、同じグループになってしまったことは、運命のいたずらと呼ぶべきだろうか。

 突然「うちだけ五人?」と呟いた。顔を下に向けたままぼそっと、そう言った。他の者はその異様な雰囲気にやや凍り付き、目線でカウントをし始める。欠席者などおらず、確かに六人在席していた。

 そいつはその様子を窺った後、「違う?」と続けた。姿勢も微動だにさせないところが、より不穏な空気を醸した。

 周りの者はキョロキョロと互いに目を合わせるが、瑞樹は俯いていた。そいつは徐にノートを取り出し、『担当者』と書いた元に名前を羅列していく。

 そこに瑞樹の名前はなかった。

 一瞬で背筋が凍り付く。

「担当、どうする?」

とそいつは先に進めようとするが、やっと誰かが「おい…」と口を挟んだ。顔で瑞樹の方向に目配せをしている。

 そいつは間を置いて、「あ、いたの?」とぶっきらぼうに言った。

 これを皮切りに、いじめは始まった。


 中学生とは人生に於いて最難関の試練であろう。いくつかの小学校が合わさり、知らない校舎で知る者に知らない者が多く混ざり合う。着心地の悪い堅苦しい制服を着せられ、それが一同に集合するその様子はまるで軍隊に入隊した、隊員達のようである。

 それに加え、先輩との交流も強いられるのだから、その緊張度は尚更だ。そこに成長期という人体形成へのメインイベントが襲来する。

 そのような葛藤が渦巻く中、ストレスの捌け口として深刻になるのがいじめ問題である。必死に仲良しを見つけてグループで行動するのも、ただ単に学校を楽しもうということだけが目的ではない。

 それはいじめを回避するための手段なのである。仲間外れは格好の餌食となり得るのだ。 現状として学校という場所は、サバイバルが行われる舞台となっており、それ以上でも以下でもない。


 そして遂に、瑞樹はターゲット宣告をされたのだった。人の視線は今まで以上にひんやりと冷たくなる。それがエスカレートし、その後待つのは冷酷。やがて暗黙に、この者に近寄ってはいけない、という雰囲気が作り出されていく。

 一方当人の心境はというと、そんなことはどうでもよかった。生きる気力さえもなかったのだから、抗うこともない。死にたいと思っていたから、靴に画鋲を入れられようが、痛みも感じない。流れる血を見ては、まだ自分は生きているんだ、と実感をするだけだ。

 それでも毎日学校に通っていたのは、母親を心配させたくないからであった。

 母子家庭となった今、母は看護師として復職をしていたので、家でも顔を合わすことはあまりない。ひとりの方が気が楽ではあったが、その分自分のことで心を煩わせないように気を遣っていた。いつも明るく気丈に振舞う彼女自身も、父の死で深く傷ついていることを知っていたから。


 鍵っ子となった瑞樹がひとり、家で始めていたことがある。

 それは、絵を描くこと。とは言っても、画用紙を塗り潰すだけの単純なものであるが、悶々とした時には特に精が出た。

 黒を取って真っ白な画用紙にボツボツと筆を置いていく。やがて置きが叩きに変わり、ドンドンドンと音が鳴る。 粒が埋め尽くされた後は筆を横方向に移動させ、ビュッビュッと上書きをする。

 時には忌まわしいあいつのことを思い浮かべ、時には言い様のない苦痛や、不遇への憤りをそれにぶつけた。

 白が完全になくなるまで。なくなれば薄い部分を更に濃くするように作業を続ける。終了の頃は手が疲れ切り、動かなくなった時。

 ぶらっと手を下げて、その画面の奥の奥を眺めるようにして呆然と放心する。

 何とか学校に通えていたのも、その作業がストレスを発散してくれたからである。その根本的な原動力、そこまでして自分を奮い立たせていたのは、彼が父との約束を守っていたから。


 優しく、たくましく、深い愛を注いでくれた親愛なる父。

 幼い瑞樹は父が病気であるということを、正しくは理解できていなかった。それよりも何よりも、家にずっと居てくれることが嬉しくて、学校から帰ると、真っ先に病床に駆け寄って「ただいま!」と声を掛けた。

 仕事が忙しく、毎晩遅くに帰る父親には「おかえり」と言うのが日常であったため、その立場が逆転したことに新鮮味を覚え、嬉しかった。

「瑞樹に大切なお願いがあるんだ」

 ある時、父親はそんなことを言った。いつもの表情とは少し違う。瑞樹は戸惑いながらも、うんと頷いた。

「いつも正しく生きること。それと、お母さんを守ってあげるんだ。約束してくれるか、瑞樹?」

 何だそういうことか、と安堵した瑞樹は大きく「うん!」と返事をした。

 満面の笑みを見せたその父親の表情は今でも脳裏に焼き付いている。まさかその数日後に、別れの日が待ち受けていたなんて、十を少し過ぎたばかりの子供にはわかる筈もない。


『正しく生きること』

『お母さんを守ること』


 この二つの約束はしっかりと瑞樹の胸に刻まれた。心が暗闇に包まれ、半死半生のような人生を送ろうと、その言葉は常に彼を導いた。

 だからこそ学校に通った。家事も積極的にやっていた。それで母親を安心させたかった。

 いじめをされてやり返さなかったのは、気力が欠けていた、ということより何より、それが正しいことなのかわからなかったから。暴力を暴力で返すのは、彼なりに違うと思っていたが故だったのだ。

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