第二章 その②
女は俯いたまま、オレにかの有名なセリフを投げかけた。
「私…、綺麗?」
「え、ええ?」
えーっと! こういう時ってなんて答えればいいんだっけ?
確か…、「綺麗」って答えれば、「これでも?」と言われて、マスクを外される。
マスクの下には、耳まで裂けた口!
じゃあ、「綺麗じゃない」って答えればどうなるんだ?
絶対に殺されるに決まっている!
これ、詰んでんじゃん! 享年十四歳じゃん!
「ねえ…」
口裂け女が答えを催促する。
「ひい…」
オレは恐怖で口の筋肉が引きつって声が出せない。
「ねえ…」
もう駄目だあ…。
「うわあああああああああああああ!」
オレは恐怖が限界に達して、蹴り飛ばされたように走り出した。
「ああああああああああああああ!」
逃げろ! 逃げろ!
絶対に逃げろ!
こんなところで得体のしれない女に殺されて死んでたまるか!
めちゃくちゃになって走りながら、ちらっと後ろを振り返る。
女は走って追いかけてくるものの、少しずつ差が開いていった。
「はあ、はあ、はあ」
初めて、陸上をやっておいてよかったと思った。こういう時に速く走れる!
そうだ、女になんか負けてたまるか。
オレが負けていいのは、速水だけだ!
「って違う! 速水にも負けてたまるか!」
いかん! 速水に負けすぎて速水に負けることが当たり前になっていたオレの性根が出るところだった。
気を取り直して走る。
このまま振り切ってやる!
「うわあ!」
その時、オレの足に何かが絡みついた。
反射的に、視線が足元に向く。
オレの足には、鉄の重りを両端に携えたロープが絡みついていた。
これは、狩猟道具のボーラボーラ!
「へ!」
まずい! と思った時にはもう遅く、オレはロープに脚を取られて、ぐらっとバランスを崩した。
「ふぎゃああああ!」
そのまま、コンクリートの上に倒れこむ。
痛い…。
振り返ると、女が見事な投擲フォームを保って立っていた。
口裂け女って…、戦闘民族だったんだな…。って、感心している場合じゃねえ!
オレが転んだのを確認すると、また、ふらふらとした足取りで歩いてくる。
オレは逃げようとしたが、脚にボーラボーラが巻き付いているせいで立ち上がれない。
女は、耳元のマスクの紐に指を掛けた。
「これでも?」
そう言って、マスクを外そうとする。
「やめろ! オレはまだ『綺麗』だとも『綺麗じゃない』とも言っていない!」
なに答えも聞かないうちにマスクを外そうとしてんだよ! 口裂け女なら口裂け女らしくルールにのっとってやってくれ!
「やめろお!」
オレの叫びもむなしく、女はマスクを取り去った。
マスクの下には、当然、耳まで裂けた口がある。
「ぎゃああああああああああ!」
オレの全身から血の気が引いて行って、意識が遠ざかった。
オレは死ぬ。この口裂け女に殺される。
速水…、一度でいいからお前に勝ちたかったなあ…。
そんなことを思いながら目を閉じた。
「ぷぷぷ…」
突如、口裂け女が吹き出した。
「あははははははははは!」
そして、爆発したように笑いだす。
オレは目を開けた、
口裂け女は、肩を小刻みに震わせていた。三日月みたいな目をして笑っている。先ほどのしゃがれ声を忘れ、女っぽい透き通る声で笑っている。
「あははははは!」
……。
「あははははははははは!」
………。
「あははははははははははははははははははははは!」
…………。
「あは」
「いつまで笑ってんだよ!」
一喝すると、女はピタッと笑うのをやめた。
笑いすぎて涙を浮かべた目を拭う。
「ごめんごめん。君があまりにも面白い反応をするものだから…」
ん?
この声、どこかで聞き覚えがあるぞ?
「あんた、まさか…」
オレは脚に絡みついたボーラボーラを解くと、女の顔をじっと覗き込んだ。
相変わらず、口は耳まで裂けて、赤黒い血が滲んでいる。
血とは対照的に肌は異様に白い。
眼球の白目の部分が真っ赤に染まっていた。
どこからどう見てもこの女は「口裂け女」だ。
だけど…。
「ああ、ごめん。この格好じゃわからないよね」
口裂け女はにっこりと笑うと、トレンチコートの袖で顔をごしごしと擦った。
顔のおしろいが拭われ、人間らしい肌が姿を現す。
「これも」
カラーコンタクトを外す。
しまいには、耳元まで裂けた唇をべりっと剥がした。
「これでどうよ」
特殊メイクが取れ、オレの目の前に見慣れた顔が姿を現した。
その顔を見た途端、オレの記憶がビビビッと刺激された。
「ああ!」
女の顔を指さす。
「あんた! メイ姐だろ!」
「せーいかーい!」
メイ姐はにっこりと笑った。