読む理由(その壱)
以前書いた「書く理由」シリーズに対抗しました。
幼い頃、本が友達だった。
小学校で初めて借りた本は寺村輝夫さんの『こまったさんシリーズ』。
平易な文章と美味しそうな挿絵に夢中になった。
「こまった」が口癖なだけの普通の花屋の奥さん。いつもお題の料理を完成させないと現実世界に帰ってこれないというお決まりの流れが実は斬新だと感じる。
私は、人の気持ちに疎かった。言い変えれば、自分の言動に対して他人がどういう気持ちを抱くかということに無頓着だった。
当然人間の友達はなかなか出来ず、昼休みには図書室に居ることが多かった。休日は市民図書館に自転車を走らせ、五冊以上は何かしらの本を借りていた。
沢山本を読み続けていた思う。
那須正幹さんの『ズッコケ三人組シリーズ』は、ハラハラさせられたりキュンとしたり様々な感情を揺り動かされた。ハチベエ・もーちゃん・ハカセのトリオが大好きだった。
いつの間にか作品の登場人物に感情移入するようになった。その結果、自分が嫌われているどころか誰からも関心を寄せられていないことに、はたと気付いてしまった。
卵が先か鶏が先か分からない。ただ読書によって自分の異質さに気付き、誰かと話したい友達が欲しいと思い始めることになる。
本を読まなければいつまでも、心の成長もなく閉じた世界にいただろうとつくづく思う。また私はめでたく単純な思考回路の持ち主でもあるので、本に書いてあることは学校生活でも実現出来ると信じていた。
例えばどんなに厳しい環境でも、気高く優しい心を持ち続けた『小公女』の主人公。
過酷な現実も彼女に比べれば大したことないじゃないか、どんなに虐げられても負けないと心に誓った。
そうやって、孤独な戦いを長く続けていた。だがいつしか好きな本について、クラスメートと話すことがゆっくりと増えていった。本を勧めたり勧められたりがとても嬉しく貴重な体験だった。
友達から最初に勧めらた本は、宮沢賢治さんの『注文の多い料理店』。ユーモラスだけれど、最後に嫌な汗をかいたのが思い出深い。
きっと、本を読むことを通じて自分の心と向き合うことになり、その結果友達というものが出来たのだと思う。
高校生になって人生に悩んだときは、遠藤周作さんの狐狸庵シリーズのエッセイにとても助けてもらった。好きなエピソードがいくつもある。
四十年以上前に書かれたエッセイだが、醜悪な心も滑稽な失敗も受け入れて生きていけると教えてもらった。
これまで読んで最も影響を受けた本は、やはり彼の『私が棄てた女』という作品。ハンセン病と誤診された平凡な女性の姿を静かな筆致で描いている。何度読んでも涙が止まらない。
作者が故人になってしまったとしても作品は心にしっかり在る。
いつも本を読むという行為が私を諫め諭し、そして生きていくことの喜びを与えた。
「書くこと」と「読むこと」対になった二つの行為。これからも、新しい出会いを探し読み続ける。
そして自分の物語も誰かと繋がれればこんなに幸せなことはないだろう。
読んでくださってありがとうございました。