3話:久保伸介の結婚と港北ニュータウン開発
それでも人里離れた竹林、山林、農地、荒れ地に価値がつくのには変わり
なく橫浜市の提示にしたがって指定された換地移転を久保家でも承諾した。
しかし当時、田園都市線の駅や新横浜駅から10km以上も離れていてただ単に
交換地が決まっただけで、大きなビルも商店も建つことはなかった。この年
1977年、昭和52年に田園都市線、たまプラーザ駅と江田駅の間に
田園都市線のあざみの駅ができた。
1978年2月に久保伸介は地元の幼なじみで3つ年下の地元農協に勤める
安井成美と結婚し、その年の12月18日に長男の久保圭介が誕生した。
同じ年に、妹の久保米子は結婚して東京郊外の団地に引っ越して行った。
その後、1981年4月4日に久保伸介の2人目の子として長女の久保清実
が誕生した。
そして1981年10月4日、電話でソニー株が上げてるから2600円で
売りの指示を受け全株を売り税引き後利益326万円を得て、残金が331万円
となった。
1983年、昭和58年にテレビドラマ「金曜日の妻達へ」が大ヒットし
田園都市線沿線が舞台になった。隣町の「たまプラーザ駅」前の喫茶店がロケに
使われたのでは話題になったが、この頃はテレビロケ、そのものが珍しかった。
また、この頃に、たまプラーザ駅がショッピングに使える街になった。同年、
港北ニュータウンでは第1次共用開始。その後、マンション、土地の分譲が
ボチボチ始まったが、まだ交通の便が悪く、人気はいまいちだった。
1987年2月12日にN証券の佐藤賢一君からの電話でソニー株が安いから
を1200円で買いを奨められ2千株240万円で買い残金が86万円となった。
その後1989年10月24日、電話でソニー株が上げてるから4300円で
売りの指示を受け全株を売り税引き後利益486万円を得て、残金が602万円
となった
1992年8月12日にN証券の佐藤賢一君からの電話でソニー株が安いからを
1680円で買いを奨められ3千株を504万円で買い残金が58万円となった。
1993年に新横浜からあざみ野まで、橫浜市営地下鉄ブルーラインが全線開通し
、このあざみ野駅が市営地下鉄線の終点となり田園都市線とつながり急速に発展
することになっていった。そこで、橫浜市営地下鉄ブルーライン全線、開通後、
駅から最も近い場所を大手不動産会社が高値でビル用地として購入してくれたが
、その面積は小さく、大勢の共同で販売したので3千万円程度しか久保家には
入らなかった。その他の駅から近い土地は、業者に整地してもらい、有料駐車場
にして営業を始めたが利用率が少なかった。