21話:母の突然の死と葬儀
この頃、母は近くのコミニティクラブでのお茶のみ友達とのおしゃべりや
絵手紙教室、日本舞踊、カラオケの会に出席して10月12日は友人の誕生
パーティーに呼ばれて食事してくるよと言って夕方5時に出かけて行き、
夜8時頃に帰って来て、入浴後床についた。翌朝、8時になっても起きて
こないのを不思議に思い久保成美さんが母の家に入る布団から出て格好で
倒れている母の久保富子さんの変わり果てた姿をみて久保伸介の所へ急いで
駆け込んで倒れてると大声で言った。
急いで久保伸介が母の家に上がると既に脈がない、かかりつけの内科の
お医者さんに電話して来てもらうと、食べたものを吐いて、吐いたものが
喉に詰まって窒息してなくなったと言った。そして、死亡診断書を書いて
置くから取りに来て下さいと言われた。そして、以前、父の葬儀の時に世話に
なった葬儀社に電話して葬儀のお願いをすると、少しして3人の人がやってきて
、棺と着替えをして、ドライアイスを入れた。
1人が葬儀が気を利かせて横浜北部斎場は一番早くて4日後10月17日の
昼が空いてると言うので、葬儀の手配をお願いし、父と同じ形式の葬儀を
お願いした。そして近所に住む親戚筋に電話をかけて母の死を告げて10月16日
にお通夜、10月17日、10時から横浜北部斎場での告別式を知らせた。
その他、葬儀案内状を15部、作り郵送した。念のため、頻繁に通っていた
コミニティクラブの人に葬儀案内状を渡すと掲示板に掲示してくれた。
10月16日のお通夜には近所で高齢の8人とコミニティクラブから15人
の友人が来てくれ、お線香を上げてくれた。気さくで優しい人で生前、本当の
良くしてくれたと涙を流してくれた。翌日、10月17日は快晴で家を
9時半にマイクロバスと大型ワゴン1台で25人で出発した。
到着して喪主の久保伸介の長男・久保圭介と長女の久保清実が2人で受付を
して次々と弔問客が駆けつけて葬儀が始まり喪主の挨拶から始まり形式通り、
弔電を読み上げられ、次々と、ご焼香が続いた。昼に遺体が荼毘にふされ、
その間に食堂で昼食を食べながら、在りし日の久保富子さんの思い出を
多くの人が語ってくれた。
やがて儀式が終わり墓地へ14人がマイクロバスに乗ってついて行った。
その後、母の通っていたデイサービスに連絡し終了の手続きをした。
母の家を片付けていた時に、以前、母が私にもしもの事があったら洋服ダンス
の真ん中の引き出しに遺言を書いたので見てくれと言われたことを思い出し、
空けて遺言書と書いた封筒を見つけて開けた。すると、そこには便せんが
入ってあり、この引出にある通帳を遺産として久保伸介に残すと書いてあり、
後は宜しくお願いしますと書いてあった。
貯金通帳2通で、約4千万円が入っていた。それをありがたくいただき、
久保伸介の口座に移した。そうして、母、久保富子さんの葬儀が終わり、
両親の家が空っぽになってしまった。その後は長男・久保圭介と長女の久保清実
が来るときに泊まってもらう様になった。この年、その後も異常気象が続き、
大きな台風が日本列島を駆け抜けたが11月には過去最大級の台風が発生したと
11月1日、ニュースがあった。それに夜と900ヘクトパスカル近くの
過去最大級の低気圧で時間をかけてどんどん巨大化していて南シナ海の
フィリピンの東海上を西に向かっていた。




