そして、追い詰める③
「くはははははははッ! くはッ! きききき! ヒハハハハハハハハ!」
突如、ナーバルは狂ったように笑い始めた。
その場の全員が驚き後ずさる中、ミゲルとレアンは掴んだ手を離さない。
「罪を認めるのですか? ナーバル様」
ミゲルの問いに、ひとしきり笑い終えたナーバルは口元を歪めて答える。
「ひひ……えぇそう00です。あの愚かな父を殺したのは私ですよ」
もはや取り繕う事すらせず、ナーバルは俺を睨みつけた。
悪鬼のようなその目つきは人間というよりは獣に近い。
「――何故、こんなことをした?」
肩を掴む手に力を込めながら、レアンが問う。
念願の和平を、その一歩手前で砕かれたレアンは怒り心頭といった表情だ。
戦闘時の、敵を全て殺戮し尽くす前の目だ。
おー怖え怖え。
ナーバルは口元を歪めて笑いながら、語り始める。
「……父が邪魔だったのですよ。獣人との和平なんてされたらたまったもんじゃありませんね。そんな事をしたら獣人どもを奴隷として使えないではありませんか。全く、最初に話を聞いた時は何事かと思いましたよ。あれだけ長い間殺し合ってきた獣人と? 和平だと? 何を言っているのか理解に苦しみますね。だから殺してやったのですよ! 獣の王、貴様の仕業に見せかけてね! ……父を殺した後は私がこの家の当主だ。適当に犯人をでっちあげて、和平なんてぶち壊してやる予定だったんですよ!」
ヤケクソ気味に声を荒らげるナーバルに、信じられないといった顔でミズハが声をかける。
「何故ですナーバル様!? あなたはあんなにも獣人を愛していたではありませんか!?」
「愛、ですか……?」
不快そうに顔を歪めるナーバルに、ミズハは詰め寄る。
「そうです! ナーバル様はこの街に孤児院を作り、病院を作り、学校を作り、仕事も与えて下さいました!そのおかげさまで戦争孤児である私たちは今まで生きる事が出来たのです!それに亡くなった奥様も獣人だったではありませんか! これを愛と言わずして、なんというのですかっ!」
どうやらミズハはナーバルに相当世話になったようだ。
あの姿を見て、まだ信じていると見える。
目を丸くしていたナーバルだったが、懸命な表情のミズハを見て、吹き出した。
「ふはッ! 笑わせてくれますねェ! あなたという獣は!」
「ナーバル様っ!?」
「確かに私は獣人たちの生かす為、街に様々な施設を建てました。仕事も与え、生きやすいようにもしましたよ。だがそれは獣人らの為ではありません。私の為にです。……ミズハよ、一つ問うがあなたが魚を捕まえ飼育しようとした時、当然水を用意してあげるでしょう? 餌を用意してやるでしょう? 私はそれと同じ事をしただけなのですよ! つまり貴様ら獣人は、私にとっての愛玩動物だというわけです! それを愛とは……ふはっ! 随分とまぁ笑わせてくれるじゃあないですか?」
「で、ですが……それでも私たちは救われていました! 目的がどうであれ貴方のしたことは立派だったはずです! それなのに……」
それでも、縋るようにミズハは訴える。
だがそれを見て、ナーバルは更に顔を歪めた。
「俺は獣人の身体を研究していたのですよ。人とは全く違う、その強靭な肉体はどうやって作られるのか、とね。その為に孤児院を作り、病院を作りました。私自身が医者をやることで、治療と称して様々な実験を行えた。どんな薬も怪しまれることなく飲ませることが出来た。おかげさまで実験には困りませんでしたよ。まぁ身体の弱いガキどもの中には、死んだ者も多かったですがねぇ。くくっ」
「そ、そんな……」
なるほど、ナーバルが獣人の為にとした行動は、全て研究の為だったというわけか。
魔王軍にもこの手の輩はいたが、どいつもこいつもイカレていた。
自分の知識欲の為に身体を引き裂き、命をもて遊ぶようなクズばかりだった。
ナーバルは実験体をストックする為だけに、孤児院と病院を作ったのだ。
涙を流し崩れ落ちるミズハとは逆に、レアンの顔は険しくなっていく。
「ナーバル、貴様に嫁がせた……我が妹、シリアをどうした」
凄まじいまでの殺気を巻き散らすレアン。
その迫力にその場の皆が固まっていた。
「シリアは獣人たちの未来の為、この街で働いていた。そして貴様に乞われるがまま嫁に行った。私の悲願、和平の為に、笑ってな。……だが数年後に病で死亡した。青白く痩せこけたシリアの姿を今でもよく憶えている。貴様は手を尽くしたと言っていたが、それは本当か?」
「く……くく……! あぁもちろん手は尽くしましたよ。何せ獣王の妹ですからねェ……死なないように、いや、殺さないように、ですかな? クヒッ!」
不気味に笑うナーバルに、レアンの表情が強張る。
「あいつは本当に愚かな獣でしたよ。獣人の子供を助ける為、人と獣人の未来の為と言えば何でも言う事を聞いた。どんな薬でも飲んだ。どんな手術でも受けた。どんな実験にも耐えた。くひゃひゃひゃ! 獣王譲りの丈夫な身体でねぇ! 死ぬまで私を信じていましたよ! 全く疑う事すらしなかった! いやぁ笑いを堪えるのが大変でしたねぇ! くくっ、くひゃひゃひゃひゃ!」
――なんてこった。
あの優しいシリアが、こんな下衆野郎に実験体にされて殺されていただなんて……
俺もショックだったが、レアンはそれ以上だったのだろう。
あまりの怒りと悲しみにより、固まっていた。
その一瞬の隙をナーバルは見逃さなかった。
ポケットから取り出したナイフでレアンを切りつけ、肩を掴んでいたレアンの手を振りほどく。
「離せ! 獣風情が!」
「貴様……ァァァァ……ッ!?」
そのまま激昂するレアンから距離を取るが、こんな状況でそう簡単に逃げられるはずがない。
「逃すな! 全員で取り囲め!」
「ハッ!」
ミゲルの命令で兵士たちがナーバルを取り囲んだ。
そんな中、ナーバルは悠々とポケットを弄り始める。
「……私は幼い頃、親父たちの戦争を見て育ってきました。その時に見た獣人たちの凄まじい身体能力を、今でもしっかりと憶えていますよ。強く、美しく、いつまでも若い姿のまま、羨ましかった。私は獣人に憧れたのです。くく、くくくくく……」
「戯言は獄中で好きなだけ語ってもらいましょうか。さぁ大人しく縛についてもらいますぞ。者ども、犯罪者、ナーバルを捕らえよ!」
ミゲルの言葉に、ナーバルの耳がぴくんと動く。
「捕らえる……ですと? この私を? ナーバル=ガーランド様を? 捕らえるですとォ……?」
ナーバルの、ポケットを弄っていた手が止まる。
取り囲む兵士たちの円は徐々に狭まっていた。
「当然だ、逃げられると思うなよ」
「クク、ククククク、ククククククク……!」
壊れてしまったのか、それともまだ何かあるのか、ナーバルは可笑しそうに笑っている。
兵士たちに囲まれ、獣王を含む獣人らもいる。
これだけの人数に囲まれては、もはやナーバルに打つ手はないはずだ。
にもかかわらず、俺はナーバルから視線を外せずにいた。
嫌な予感がする。何かが起こるような……
「悪いが諸君、私にはやることが沢山ある。こんなところで捕まってやることはできないのですよ。申し訳ないが逃げさせてもらいますねェ……!」
「させるか! 皆の者何をしている! 早く行け!」
「おおおおおっ!」
ミゲルの命令で、兵士たちが突っ込んでいく。
「キヒッ!」
最初の一人が触れようとした瞬間、ナーバルは取り出した何かを自分の首筋に当てた。
だがそれが見えたのは一瞬、あっという間に兵士たちに押し付けられ、倒されてしまう。
「一件落着、ですね」
いつの間にか、俺の隣に来ていたアーミラが呟く。
「あぁ、だが何か引っかかる……」
妙な予感、胸騒ぎが止まらない。
まだ何か起こるような気配がする。
レアンも何か感じ取っているようで、警戒を解いていないようだ。
皆の視線が集まる中、兵士たちに押さえつけられていたナーバルの身体が、びくんと跳ねた。
「大人しくして下さい!」
「そうですナーバル様! 神妙になさって下さい!」
「ひ、ひひひ、ひひひひひひひ」
だが声をかけるも、ナーバルの身体はびくん、びくんと跳ねている。
押さえつけている兵士ごと、何度も、次第に大きく。
押さえきれなくなった兵士たちが一人、二人とナーバルの上にのしかかるが、脈動は止まらない。
「く、くききっ!……ぎひひひひひ! ひはははははッ!」
ナーバルの不気味な笑い声が室内に響く。
始めは甲高かったナーバルの声が、次第に変わっていく。
声はくぐもり、異常なまでに低く、人間離れしていく。
まるで魔界の獣のような……
「うわああああああっ!?」
兵士の一人が悲鳴を上げ、跳ね飛ばされる。
「ぎゃあっ!?」
「ひぇえっ!?」
続いて一人、また一人と、ナーバルを押さえつけていた兵士が飛ばされていく。
ナーバルはどちらかというと細身で、筋肉量も大した事はなかったはずだ。
人一人を投げ飛ばせるような力はないはず……一体何が起こっているんだ!?
――ぬっ、と。
毛むくじゃらの長い腕が、団子になった兵士たちの中から伸びる。
人ならざるもの、異形の手にその場の全員にざわめきが走った。
「ひぃぃっ!?」
「な、何だあれは!?」
「ば、バケモノだ!」
兵士たちの頭を、兜の上から異形の手が掴む。
そしてゆっくり持ち上げると、思い切りぶん投げた。
ずずん! と壁に激突した兵士は泡を吹き、白目を向いている。
「バケモノ、とは言ってくれるじゃあないですか。クク……ククク……」
のそり、と兵たちを払いのけながら、姿を現したのは全身分厚い体毛で覆われた獣人だった。
銀色の体毛、長い鼻、耳まで裂けた口、そこから覗く鋭い牙。
金色に輝く瞳で周囲を一瞥すると、長い舌でべろりと口元を拭う。
狼型の獣人、だがその体躯はあまりにも巨大で、顔つきも通常の獣人とは違い、完全に獣と化していた。
獣は自らの姿を確認するように両手を広げると歓喜の声を上げた。
「これが私の長年の研究の成果です。魔族たちが行っていた研究をベースに獣人どもで実験を繰り返し、ようやく完成した獣化の薬! 獣人の血液をベースに古今東西様々な身体強化の薬を配合! 血管に直接注入することで! あらゆる生命を超えた力を得ることが出来るのですよ! ふはっ! ふははははっ!」
狂喜する獣を見上げ、ミゲルは驚愕の表情を浮かべる。
「な、ナーバル……なのか……?」
信じられないといった顔のミゲルを見下ろし、獣は答える。
「獣神ナーバル様、と呼びなさい。下等な人間風情が」
言葉と共に、獣は全身に魔力を漲らせる。
その圧倒的な威圧感に、ナーバルの周りにいた周りの兵たちは震えあがった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
そして悲鳴を上げながら、逃げ出す。
「お、おいお前たち! 逃げるんじゃあないッ!」
恐慌状態になる兵たちを留めようと声を荒げるミゲルだが、兵士たちは立ち止まらない。
「全くです、逃げられたらこの力を試す相手が減るではありませんか」
そう言って、ナーバルは踏み出す。
姿が消えた――そう思った瞬間、ナーバルが入口へと立ちふさがった。
「ここは通行止めですよ」
「ひいっ!?」
悲鳴を上げる兵士たちを見下ろしながら、ナーバルは長い腕を振るう。
どどどどどど! と薙ぎ払われた兵士たちは、天井近くにまで吹き飛ばされてしまった。
床が抉れ、深い爪痕が残っている。
すさまじい威力に、その場の全員が息を呑んだ。
ナーバルは自身の力を確かめるように、右手を強く握り締める。
「素晴らしい! これが獣人の力! ははははは! 何ということだ! 全身に力が漲ってくるぞ!」
巨体を揺すりながらバカ笑いするナーバルは、まるで獲物を見つけた獣のように、俺たちを一瞥し舌なめずりをしている。
さて、どうしたものかな。




