あいつ意外と……?
裏門から姿を現した俺は、レアンと対峙する。
射抜くような視線を真っ直ぐに受け、背筋が泡立つ。
ビリビリと空気が震える感覚。
「なんだ、子供か……」
だがそれも子供の姿の俺を見て、すぐに緩んだ。
どうやら俺が元四天王だとは気づいていないようである。
「少年、こんな所に何の用だ?」
「あはは……ちょっと散歩してたら迷い込んじゃって……」
「そうか。ここは獣人ばかりだ。向こうに行けば人がいるだろう。どれ、連れて行ってあげよう」
そう言ってレアンは、俺に近づいてくる。
おいおい、知らない子供に道案内をするなんて、いつからそんなに親切になったんだ?
だがレアンと行動を共にする理由はない。
それに獣人は勘が鋭い。流石にかつての俺だと気づかれはしないだろうが、万に一つの事もある。
俺は慌てて手を振り、拒否する。
「い、いいよ! 一人で帰れるから! それに剣の訓練中だったんでしょ?」
俺の言葉にレアンがぴくんと反応した。
「……何故、それを?」
「簡単だよ。動きやすい格好をしているし、足元の草もいっぱい倒れてる。それにお姉さんの手のひらに剣ダコも出来てるしね」
加えて言えば、やっていたのは俺が先刻していたのと同じ、「型」の訓練だろう。
あれは威力を確認する為、力を地面に流すものだからな。
辺りの草は軒並み踏みしめられ、横倒しになっている。
かなり長い時間やっていたのは一目瞭然だ。
俺の語り口を聞いていたレアンは、可笑しそうに笑う。
「ふっ、これは驚いた。よくそこまで見抜いたな。やるじゃないか少年」
「あはは、そのくらいはわかるよー」
「なら私も一つ推理をしよう。少年、君は武術を嗜んでいるね? それもかなりの使い手に教わっていると見た」
得意げな顔でレアンは言う。
「当たり。すごいねお姉さん」
ま、正解半分といったところだがな。
親父に少しは教わったが、特に得るべきものはない。
だがそういう事にしておかないと、言い訳が面倒だしな。
「ふふ、私の推理も捨てたものではないだろう?」
屈託のない笑顔を向けてくるレアンに、一瞬目を奪われる。
こんな顔して笑うんだな。
四天王時代はいつもむすっとしていたのに、随分丸くなったものだ。
感心していると、レアンは俺の目線の高さに合わせ、腰を落とす。
「私の名前はレアンだ。レアン=バルバロッサ。見ての通り獣人だよ」
「知ってるよ。獣王さんだよね。昨日ちょっとだけ目が合ったんだけど、憶えてる?」
「あぁ、窓越しに見えたあの時の少年だな。その節は部下が失礼をした。……しかし君は獣人相手でも全く驚かないんだな」
「うん、獣人さんの中にはいい人もいるって知ってるし。獣王さんもね」
「レアンでいいよ。君とはいい友人になれそうだ」
そう言って、握手を求めて手を差し出してくるレアン。
本当に以前とは別人だ。
それともただ子供好きなだけだろうか。
もちろん握手に応える。
「ところで少年、君の名は?」
「ランガだよ」
「――ッ!?」
ランガの名前を聞いた瞬間、レアンの顔が一瞬引きつった。
俺は慌てて補足を入れる。
「と、父さんが鬼王が好きで、同じ名前を付けたんだってさ。参っちゃうよね、ハハハ……」
「……なるほど。いや驚いたよ。実は私はかつて鬼王ランガと肩を並べ戦った事があってね。因縁浅からぬ名だったのでつい動転してしまった」
「へ、へぇー。そうなんだねー」
危ない危ない。
レアンは昔の俺を目の敵にしていたからな。
名乗る時は気を付けないとな。
「ところでランガ君、ここで会ったのも何かの縁だ。いいものを見せてあげよう」
レアンはそう言って、腰の刀に手をかけた。
何故いきなり剣を抜こうとしてるんだ?
まさか、獣人の嗅覚で俺から何かを感じ取ったとか?
昔の決着をつける時が来た、とか?
思わず後ずさる俺に構わず、レアンはそのまま刀を抜き放つ。
――それは黒い刃紋に彩られ、赤く、怪しく輝く抜き身の刃。
柄には魔石が埋め込まれ、竜の爪と牙で彩られている。
赤と黒の鮮やかなその太刀には見覚えがあった。
「妖刀、鬼牙王。君の名の元となった鬼王ランガが、かつて愛用した刀だよ」
――鬼牙王、まさしくかつての俺の愛刀である。
勇者との戦いの前、探したが見当たらなかったので誰かに隠された――と思っていたが、何故レアンが持っているのだろうか。
まさかこいつが隠した犯人だった……のか?
驚く俺に、レアンが言葉を続ける。
「だが勇者との戦いにて、鬼王はこいつを使えなかった。奴は四天王の中では嫌われ者だったからな。他の四天王が隠したのさ」
なるほど、レヴァノフの仕業だったか。
あの野郎はあの時俺を嵌めた張本人だ。
武器まで隠していても不思議ではない。
「それを知った私はこの鬼刃王を探し出し、届けようとした。だが結局は間に合わず、私が駆け付けた時には力尽き、敗北していたのだよ」
「へ、へぇー……そう、なんだ……」
驚愕の事実である。
あの時、確かレアンは軍を率いて人間たちと城下で戦っていたはずだ。
それをほっぽり出し、一人で俺の所に来たってことか?
「鬼王を、盟友を助けたかった。その為に懸命に駆けた……だが間に合わなかった」
目を細め、そう語るレアン。
しかも俺を助けに、だと……? にわかには信じられんが、その目は真実を語っているようにしか見えなかっ
「私は単身勇者たちに戦いを挑んだが、全く歯が立たず敗走した。情けない話だがね、これを今でも持っている理由は、あの時の弱さを忘れない為だ。勇者たちと一人で戦い、死んでいった盟友を忘れない為だ」
レアンは鬼刃王を握り、言葉を続ける。
「大戦が終わり魔王軍が崩壊した後、私は獣人たちを率いて暮らしていた。しかし魔界の痩せた大地では獣人全ての食料はとても賄えん。そんなとき、ふと隣を見れば人間たちの街はとても豊かで食料が溢れていた。今までの私なら奪う為、戦いを挑んでいただろう。そして多くの犠牲を出し、獣人の立場を悪化させていたかもしれない。最悪滅んでいたかもな。あの鬼王ならそんな事はしない。泥臭くても出来るだけ犠牲を出さず、多くの部下が生き残る道を選ぶはず……そう考えた私は悩みに悩んだ。あいつならどうするか……とね。その結果、人間と和平を結ぶのが最良だと思ったのだよ」
確かに、俺が同じ立場ならそうしたかもしれない。
魔王軍は滅びたわけだし、魔界にいる理由も薄い。
ならば人間と共存の道を取るのが最も効率的だ、と。
だが決断は容易ではなかったはずだ。
何せ今まで殺し合っていた仲である。部下たちも快く首を縦に振ったとは思えない。
――レアンが説得して回ったのだろう。
懸命に、真摯に、根気強く。
長たる獣王にそうされては、いかに血気盛んな獣王軍と言えど無下には出来まい。
しかしあのプライドの高いレアンがそんな事をするなんて……変われば変わるものである。
「大変、だったね」
「あぁ、だが私に賛成してくれた者もいた。妹のシリアだ」
――シリア、その懐かしい名前に俺は目を丸くする。
獣王レアンの妹であるにも関わらず、とても穏やかな性格の持ち主だった。
だれにでも優しく平等に接し、まるで聖母のように全てを包み込むような女性だった。
獣人のみならず、魔王軍の他の者たちでさえ一目置くような存在。
それが獣王の妹、シリアだったのである。
「あの子はここアレーシアで獣人たちとの懸け橋になるべく、働いた。最初は色々と辛いこともあったはずだが、文句ひとつ言わずにな。シリアのおかげで獣人の中にも良き者がいると街の人々に理解してもらえたのだよ。それから数年、シリアに結婚を申し込んできた者がいてな。それがナーバルだったのだ」
「ええっ!? じ、じゃあナーバルさんの死んだ奥さんって……」
「あぁ、シリアだよ」
悲しげな表情を浮かべるレアン。
まさかあのシリアが人間の妻になり、しかも死んでいたとは……嫌な事を聞いてしまったな。
「ともあれ死んでしまったものは仕方がない。思う事もあったが、私はあの子の死を無駄にしない為にも和平に向けて動き続けた。ナーバルも亡きシリアに誓いを立ててくれ、病院や孤児院を作り、獣人の為に力を尽くしてくれた。そうして根気強く活動してきたのがようやく実り、今回の和平会議が実現したのだ。獣人たちの為、亡きシリアの為……この会議、必ず成功させて見せる……!」
真っ直ぐに前を見据えるレアン。
その凛々しい表情に、思わず目を奪われる。
「……なんて、一体何を言ってるんだろうな私は。君にはつい要らぬことまで話してしまうよ」
と、レアンは俺を見て苦笑した。
「今話した事、内緒にしてくれるとありがたい」
「うん、もちろん!」
「いい子だ」
レアンはにっこり笑うと、俺の頭に手を載せてきた。
あの獣王に頭を撫でられるなんて、妙な気分である。
「ところでランガ君、名前繋がりで聞くわけではないのだが……鬼王は勝手に愛刀を持っていかれて、怒っているだろうか?」
「ううん、きっと鬼王は気にしてないよ。それどころか取り換えしてくれて、届けようとしてくれて、喜んでいると思うよ。もう本人も使う事はないだろうし、レアンさんが持ってた方がいいんじゃないかな」
「……そうか。そうだといいな。うん」
鬼刃王を鞘に仕舞うレアンは、どこか晴れ晴れとした顔をしていた。
それにしてもレアンが俺の事を盟友だなんて思ってくれていたとは、驚きである。
絶対嫌われていると思ってたからな。
あの時一人で助けに来てくれていただなんて、ちょっとグッとくるじゃないか。
どのみちあのままでは鬼刃王は勇者たちに持ち去られていただろうし、レアンが使ってくれるなら文句はない。
「ランガ様ぁーっ! どこですかぁーっ!?」
しんみりした空気の中、アーミラの声が響く。
俺を探しに来たようだ。
「おっと、どうやら迎えのようだな。早く行くといい」
「うん、じゃあね! レアンさん!」
俺はレアンに手を振り、駆け出すのだった。