旅路
「む」
ふと、前方から何か気配を感じた。
敵意と悪意の入り混じった感覚。
何かが俺たちを狙っている気配だ。
「……ランガ様」
「あぁ、魔物だな」
眠っていたアーミラも起きてくる。
どうやら遥か前方に魔物がいるようだ。
しかし大した魔物ではないな。
漂ってくる魔力が弱すぎるし、しかもこんな遠くから気配に気づかれている。
「俺たちが相手する必要もないだろう。親父たちに任せようぜ」
「そうですね。わかりました」
二人の戦闘はまともに見たことがないし、危険地帯へ足を踏み入れるならここらで実力を知っていた方がいい。
いざって時には俺が助けに入らなければならないかもしれないしな。
とはいえ結構な距離がある。
馬車を操っているガエリオもこの距離からは気づいてないようだ。
親父はがーがーいびきをかいているし、この先は見通しの悪い岩場である。
そこで襲われるよりは、周囲を見渡せるここで迎え撃った方がいいか。
「父さん、起きて起きてー」
「……んあ? 一体どうしたんだ?ランガよう」
「ちょっとトイレに行きたくなっちゃって……」
とりあえず馬車を止めよう。
そうすれば向こうさんも襲いやすいだろうしな。
「ったくしゃあねぇな。ガエリオ隊長、トイレ休憩いいっすかね?」
「ん……あぁ、そうですね。では馬車を止めます」
ガエリオが馬車を止めると、俺は近くの岩陰へと駆け入る。
さて、お手並み拝見といこうかね。
俺は魔物の気配を探りながら、襲撃を待つ。
「おーいランガ、まだ終わらないのかよぉ」
――だが、来ない。
親父の催促の声が聞こえてくる。
ったく襲うなら早くしやがれよ。
「ランガ、早くしろって!」
「まってーもうちょっとー……ったく、仕方ないな」
こうなりゃ無理やり動かしてやるか。
俺は足元の石ころを拾い、魔物の群れ目がけ――投げた。
ひゅるるるる、と長い風切り音の後、どぉん! と遠くで衝撃音が響いた。
よし、命中。我ながらいいコントロールだ。
魔物の気配は混乱しているのか、右往左往しているようだ。
だがすぐに俺たちから攻撃を受けたことに気づいたようで、こちらに移動し始めた。
「な、なんだぁ? 遠くで爆発がしたぞ!?」
「ダリル殿! 魔物が近づいてきます!」
よし、計画通りだ。
土煙を上げながら、魔物たちが向かってきている。
最弱種の粘体型の魔物であるゼルに、子供ほどの大きさの最弱鬼種であるゴブリン、それが三体ずつか。
小手調べとしては丁度いいだろう。
「ガエリオ隊長、迎え撃ちますぜッ!」
「えぇ、背中は預けますよダリル殿ッ!」
「了解! ランガ、すぐに馬車へ入ってろ!」
「うんっ!」
俺が急いで戻ると、二人は馬車を守るように配置に着いた。
少しして、土煙が二人に迫る。
「ぐギィィィィ!」
「ピギャーーー!」
ゴブリンとゼル、二種の魔物が土煙の中から襲い掛かった。
剣戟音を背に、俺はふぅとため息を吐く。
「……ふぅ、始まったか」
「はい、お二人とも中々お強いですね。あれだけの魔物相手にかなり余裕があります」
「あぁ、俺たち程じゃないけどな」
ガエリオの方は三体の魔物相手に涼しい顔で戦っている。
親父の方も少々傷を負いながらも、剣を振り回し圧倒していた。
街を守る番兵として、日々稽古をこなしているからだろう。
二人とも魔物相手に全く戸惑う様子はない。
あれなら並の獣人くらいであれば、普通に戦えるだろう。
「私たちが手を出す必要はなさそうですね」
「そうだな……ん?」
ふと意識を遠くへ向けてみると、他の気配が近づいているのを感じる。
こいつはゼルたちよりもかなり強いな。
どうやら奴が親玉のようだ。
俺たちに雑魚をぶつけ、様子を見ていると言ったところか。
「……アーミラ、少し出る。何かあったら適当に誤魔化しておいてくれ」
「承知いたしました」
親父たちの戦闘はもう少しかかりそうだし、あの距離なら俺が戦っても気づかれまい。
俺はこっそり馬車から抜け出し、地面を蹴った。
一気に加速した俺は景色を置き去りにし、岩の合間をすり抜け、駆ける。
すぐに岩陰に潜む、巨大な影に辿り着いた。
真っ黒い身体を持つゼリー状の巨体。
こいつはラージゼルだ。
「お前が親玉か」
「シュルルルルル……」
俺に気づいたラージゼルは、身体の中心にある核をこちらに向けてくる。
途端、核の表面に無数の目玉が生まれた。
その全てが一点に俺を見ている。
「シュー……!」
粘体に穴が開き、周囲がぷくっと膨らむ。
その直後、勢いよく黒色の液体が勢いよく吐き出された。
毒だ。喰らっても効きはしないが、服が汚れるのは困るので当然躱す。
「シュウッ!?」
まさか躱されるとは思わななったのか、動揺しつつも触手を伸ばし追撃をかけてきた。
数は多いが、その全てを余裕で叩き落とす。
触手と毒液で俺を近づかせまいとするラージゼルだが、俺は意に介す事もなくゆっくり近づいて行く。
ラージゼルは後ずさりながら、必死に攻撃を繰り返している。
「ふむ、やはり普通のゼルより手数は多いな。……無駄だがな」
「ッ! ツッ?」
一瞬、高速で動いてラージゼルの視界から消える。
無防備な背後に回り込んだ俺は、身体を捻り右拳に力を溜める。
基本、ゼル種に打撃は効果が薄い。
ゼリーのような身体が衝撃を吸収し、全身に流してしまうからだ。
身体が大きいほど吸収率は高く、小さいものならともかくこのサイズのゼルには普通の打撃は殆ど効果がない。
故に通常なら魔力による攻撃をするのだが、あまり大っぴらに魔力を使えば俺が魔族の転生体だと知られる恐れがある。
大国に目をつけられれば、勇者級の強者や軍隊を差し向けられる恐れがあり、それは俺の平穏を脅かすだろう。
だからここは、いつも通り普通に打撃で倒す。
「ふっ!」
短く息を吐き、ラージゼルの身体に拳を打ち込む。
ゴムでも叩いたような感触と共に、拳がめり込んだ。
押し退けられたラージゼルの身体は必然、戻ろうとする。
だがその前に更に踏み込んで、一撃。
戻ろうとした身体は俺の拳に跳ね返され、更に伸びる。
「よっ、ほっ、はっ」
まるで掘るように、連続して拳を放ちラージゼルの身体を押し込んでいく。
気づけばラージゼルの身体は倍以上にも伸び、核を守る部分が肉薄できるほど薄くなっていた。
俺は防御膜がなくなり、無防備となった核へ一撃を繰り出す。
「――終わりだ」
「ピギ……ィィィ……!?」
モロに拳を受けた核は粉々に砕け、ラージゼルはびくんと震えると、水のように溶けてしまった。
打撃耐性があるとはいえ、やりようはいくらでもある。
しかし久しぶりの大物だったな。中々いい訓練になった。
「おっと、早く帰らないと親父たちの戦いが終わっちまう!」
俺は急いで馬車へと駆け戻るのだった。
■■■
「やべ、ちょっと遅くなっちまったな」
すぐに戻ったが、間に合わず親父たちは戦闘を終え一休みしていた。
しまったな。思ったより親父たちは強かったようだ。
アーミラが上手く言い訳してくれているのを祈り、俺は岩陰からいそいそと歩み寄る。
「おいおい遅えーぞランガ、いつまでトイレに行ってるんだっての」
……どうやらアーミラは、俺がまだトイレから帰ってきてないていで誤魔化していたようだ。
どんだけとトイレ長いんだよ。というかトイレから帰って来たばかりでまたトイレかよ、と突っ込みどころはあるが、悪かったのは俺だし文句を言っても仕方ない。
ここは話を合わせるとするか。
「待たせちゃってごめんなさい」
「気にしなくていいよ。僕たちも休憩したかったからね」
「でっかいのが出たのかよ? へへへ」
「……」
あまりに下品な問いに、思わず真顔になってしまう。
イケメンなガエリオと並ぶと、親父の下品さが際立つな。
「ははは、ダリル殿はランガ君を心配しているんだよ。ここらはラージゼルというとても強い魔物の通り道だからね。君たちを案じて早く離れようと、急かしていたのさ」
そんな親父へのフォローも忘れない。
全くもってよく出来た人である。
「そうだぞう、ラージゼルはとっても怖いんだぞー。牛一頭丸呑みにするような魔物だ。ランガなんてぺろっと食べられてしまうかもしれないぞー?」
「ははは、ちょっとダリルさん、あまり怖がらせては……」
脅かす親父を見て、ガエリオは苦笑する。
「……でもさ、多分だけどラージゼルは出てこないと思うよ」
「む……それは何故だい?」
「カンだけどね。さ、早く出発しよう」
俺が乗り込むと、馬車が走り出す。
ちなみに俺の『予想』通り、ラージゼルが出る事はなかったのである。




