修行
「それじゃあ今日の授業はここまで!みんな。気をつけて帰るのよ」
「はーーーい!」
元気よく返事をして、子供たちは席から立ち上がると、放たれたように教室を出て行く、
少し遅れて、俺も教科書を纏めて紐で括ると、クレア先生の元へ行き頭を下げる。
「クレア先生、さようなら。……それと、今日はぼうっとしてて、すみませんでした」
「ふふ、いいのよランガくん。『汝、試すべからず』あなたを試そうとした私に罰が下ったのです。教師という立場に甘んじていた報い。私もまだまだ未熟者です」
クレア先生はそう言って微笑むと、目を瞑り両手を胸の前で握り、懺悔の姿勢を取る。
この人は人を疑う事もしない聖人のような性格で、子供たちにも人気である。
子供扱いされるのは未だに慣れない俺でも、この人にそうされるのは満更ではない気持ちだった。
「気をつけて帰るのよ」
「はい」
クレア先生に別れを告げ校舎を出ると、敷地内の茂みの前で子供たちが群がっている。
気になった俺は近づき近くの子に話しかけた。
「なぁ、どうしたんだ? みんな」
「あ、ランガ。猫だよ猫ー。ほら茂みの中にいる」
言う通り茂みの中を覗き込むと、そこには一匹の黒猫がいた。
迷い込んできたのだろうか、綺麗な毛並みに金と銀のオッドアイ。顔形の整った美形の黒猫だった。
猫はのんきにあくびをしながらも、いつでも逃げ出せるように皆の様子を伺っていた。
野良猫特有の隙のない所作である。
そんな中、先刻俺に話しかけた少年、レントンが黒猫の前にしゃがみこみ、指を動かす。
「ほーら、よしよし。こっちこーい」
だが猫は全く反応する気配はなく、レントンの方を見もしない。
それでもめげず、にじり寄るレントンの方をちらりと見て、黒猫は目を丸くした。
「にゃ!」
何かに気づいたのか、猫はそう小さく鳴くとレントンに向かって跳んだ。
レントンは目論見通り近寄って来たかと猫を抱こうとするが、猫はレントンの指には目もくれずそのポケットに忍ばせていた干し肉を掠め取った。
「なにぃ!? こ、こいつ俺のおやつをっ!」
どうやら猫はポケットの干し肉を見つけただけのようだった。
ぴょんぴょんと素早い動きで猫は教会の塀に上り、後ろを振り向く。
「にゃーお」
そう、馬鹿にするように一鳴きすると、猫は塀を飛び降り逃げていった。
「くっそーーーっ!」
レントンは地団太を踏み悔しがるが、猫はすでに遥か彼方。
落ち込むレントンを皆が慰めている。
哀れレントン、でも干し肉をポケットに入れておくのはどうかと思うぞ。
■■■
その場を後にした俺は、家ではなく街を囲う石壁に向かった。
家の隙間に置いていた藁束を避けると、壁には丁度子供一人通れそうな穴があり、そこから外へ抜け出す。
「よっこいせっと」
街の外は荒れ果てた大地が広がっている。
所々に枯れた草が伸びており、それが絡まって球となり、風に吹かれて転がっていくのが見えた。
俺はフードを目深に被ると、周りに人がいないか警戒しないように進む。
子供がいるのが見つかれば、すぐにでも連れ戻されてしまうからな。
しばらく進むと、岩陰に蠢くものが見えた。
「……いたな」
そこにいたのはドドメ色に濁った粘体、ゼルという魔物である。
魔物とは、大地の底から地上に溢れ出た魔力が、異形を形作った存在。
人と仇なす魔性の生物。
俺の目的はこいつとの戦闘である。
平穏な暮らしの為には、ある程度の強さは必須。
その為の修行方法は沢山あるが、結局のところ実戦が最も効率的だ。
何より都合がよいのは、こいつらは人間を見ると喜んで襲い掛かってくるので心が痛まない。
「シュールルル……!」
このゼルも例外ではなく、俺を認識するとその体内にある目をこちらに向けてきた。
敵意に満ちた赤い瞳。
のたり、のたりとにじり寄りながら、全身から触手を勢いよく伸ばしてくる。
全方位からの攻撃、俺はそれを向かい打つべく構えた。
「シャアアアア!!」
しなやかな鞭のように繰り出される触手を、俺は両掌に魔力を込め、軽く弾く。
ぱぁん、と音がして触手の鞭は軌道を変え、地面に叩きつけた。
感度良好。まずは徐々に慣らしていくか。
ぱん、ぱん、ぱぱんとゼルの攻撃を弾く。弾き続ける。そのたび、攻撃速度が上がっていく。
「シュー……?」
ようやくゼル自身、違和感に気づいたようだ。
俺はゼルに触れる瞬間、軽く身体能力向上の魔術をかけている。
ただのゼルでは相手にならないが、こうして基礎性能を上げてやればいい練習台になる。
俺とゼルの攻防は次第に速度を増していき、傍目からは目に見えぬほどになっていた。
ぱぱぱぱぱぱぱぱぱ、と乾いた音が連続して鳴り響く。
「……っ!?」
防ごうとした俺の手をすり抜け、ゼルの触手が頬に掠った。
怯んだ隙に、二発、三発と。
どうやら向こうの速度が上回り始めたようだ。
俺の体捌きに、体内を巡らせる魔力の方が追いつかなくなってきた。
むぅ、実戦中となれば魔力制御の未熟さがよくわかる。
魔力の制御は俺のような肉体派魔族にとって、生命線と言える技術。
体内で練った魔力を出来るだけロスせず、スムーズに相手にぶつける――――口で言うのは簡単だがこれが案外難しい。
速度、過多、密度、形状、完璧な一撃を連続して繰り出すのは至難の業だ。
四天王時代ですら極めたとは言えず、子供の身体である現状は尚更。
魔力の流れを体幹から腕、指先へと行き渡らせる一連の動作が非常に遅い。
今は意識してワンテンポ早めに魔力を流しているが、これが通じるのは低級の魔物くらいだな。
単純な身体能力もまだまだで、思ったように体が動かない。
今の俺の戦闘レベルは下級魔族よりさらに下といったところか。
「シューーーッ!!」
調子付いたゼルが、トドメとばかりに触手を繰り出してくる。
左右から猛スピードで迫りくる触手は、俺の首と胴を真っ二つにするべく放たれた一撃。
――――無論、くれてやる義理はない。
俺はそれを容易く掴んで止めてみせた。
「ギ……シ……っ!?」
触手は抜け出そうと蠢くが、それは叶わない。
不規則な打ち合いだからこそ、俺は動きが読めずに苦戦していたが、あんな読みやすい攻撃を喰らうはずもなし。
びくん、びくんと蠢く触手に力を込めると、その両端が歪に膨らむ。
「調子に、乗るなよ?」
「ギ――――」
ばぢん、と爆ぜるような音がして、触手がはじけ飛ぶ。
地面に落ちた触手は何度か跳ねた後、消滅した。
「ギシ……シ……ギシ……!」
失った触手を再生しながら後ずさるゼルへ向け、たん、たんとリズミカルに歩幅を詰めていく。
無数の触手を生やし、必死の抵抗を試みるがその全てを無視して前進する。
身体能力を強化しているとはいえ所詮は下級の魔物、俺とはスペックが違いすぎてまともなダメージにはならない。
至近距離、俺は拳に魔力を込めるともう一歩、踏みだす。
短く息を吸って――――吐いた。
「ふッ!」
呼吸の暇、拳に魔力を込め、ゼルの中心を貫く。
打撃の芯が粘体を置くまで貫き、衝撃の余波でゼルの身体が波打つ。
波は最初は小さく、徐々に大きく波打ち――――最終的にゼルは形を保てなくなり、破裂した。
後方に弾け飛んだ粘液の飛沫はしばらくピクピクしていたが、すぐに動かなくなり溶けるように地面に溶けて消えていく。
「ふー……まだまだだな。昔ならゼル程度、小指で弾いただけでチリ一つ残さず消滅させられたんだが」
やはりまだまだ足りないな。修行はしばらく続けなければならないだろう。
それにこの修行には魔物を間引く意味もある。
大量の魔物が集まって街を滅ぼすケースは少なくないからな。
「……おっと、そろそろ帰らないと。親父が帰ってくるな」
そう呟いて、俺は慌てて街の方へと駆け出すのだった。




