魔物侵入
そして朝。
いつも通りに起きて学校へ行く途中の事。
何やらガヤガヤと商店街が騒がしい。
人だかりの中に肉屋のおじさんがいたので声をかける。
「おじさん、どうかしたの?」
「やぁランガくん。それにアーミラちゃんも。…いやね、どうやら魔物が街に侵入したらしいんだよ」
魔物の侵入とは物騒である。
街の中には巨大な結界が展開されている。
故に、弱い魔物は近づく事が出来ないのだ。
門番だっているにもかわらず……何かあったのだろうか。
「なんと、それは大変です!」
「あぁ、全く門番は何をしているのやら……あ!ランガくんのお父さんの事を言ってるわけじゃないんだけどね!」
慌てて取り繕うおじさんに、首を振る。
「んーん、気にしないで。じゃあ僕学校があるから」
「気をつけて行くんだよ」
おじさんに別れを告げ、俺とアーミラは学校へと向かう。
「しかし魔物が街に出没するなんてな」
「結界が壊れたのでしょうか?」
「いや、それならもっと魔物が近づいて大騒ぎになっているはず。門番の人たちが街を駆け回っているから、どこからか侵入したんだろうな」
だが中に入り込むようなのは魔族の斥候やかなり強力な魔物が多いが、そんな気配もない。
恐らく結界のほころびに入り込んだのだろう。そう気にすることでもないか。
■■■
「おう、ランガ! アーミラちゃん! 今から学校か? 今日は休みだぜ」
学校から戻ってきたレントンと鉢合わせした。
レントンは学校でもらったと思しき一枚の紙を俺たちに見せてきた。
それには本日は魔物出現のため休校、と書かれていた。
「つーわけだべ、川に魚でも獲りにいかねーか?」
レントンはウインクをしながら言った。
俺はため息を吐いて返す。
「生徒は家で大人しく自習をしている事と書いてあるが……」
「ばっかおめー優等生かよ!暗に気を付けて遊べと言ってるんだよっ!」
そんなことはこの文面からは微塵も感じられないが……レントンは構わずグイグイ来る。
「今日は魔物騒ぎで川を見張ってる番兵さんがいないからさ、お前も知ってるだろ?セーヌ川。あそこの魚はデカいし美味いんだ!」
「ほぅ、お魚ですか」
それを聞いたアーミラが、興味津々といった顔になる。
「この街はどうにもお魚が高くて、困っていたのです。タダで手に入るならそれは重畳。沢山獲って生け簀に飼育しましょう」
「おおっ!いいねーアーミラちゃん!ナイスアイデアだぜ!」
「本当ですか?では貴方の家でお魚を飼いましょう。水槽は私が作りますので」
「おおっ!いいねーアーミラちゃん!ナイスアイデアだぜ!」
いや、話聞いてるのかレントンよ。
自分の家が勝手に改造されようとしてるんだぞ。
親の許可もなく、何やろうとしてるんだ。
「どんな命令でもまずはイエスを返す。レントン、貴方は中々見所があります。来たるべき日には我が部隊の一番隊長を任命いたします」
「なんだか分からないがアーミラちゃんの一番になれるなんて光栄だぜっ!」
レントンはよく分からないまま快諾し続けている。
全くこの二人の会話は頭が痛くなるな。
なんだかんだ言いながら、魚獲りをすることになった俺たちはセーヌ川に到着した。
成る程、いつもいる監視の番兵の姿はなく、これなら川に入っても怒られない。
「ひゃっほーーー!」
レントンは網とバケツを持って、川に飛び込んだ。
ばしゃばしゃと水の冷たさを堪能した後、バケツに水を入れ俺に渡してくる。
「じゃあランガ、こいつを持っててくれよ! 俺がすぐにバケツ一杯獲ってきてやるからさ!」
「がんばれよー」
「まかせときなっ! うおおおおおーーーっ!!」
ばっさばっさと網を振り回すレントン。
だがそんな雑なやり方で魚が捕まえられるはずもなく、網は水を切るのみだ。
「むぐぐ……くそーーーっ!」
レントンは苛立ちのままに声を上げている。
「あのままじゃ、日が暮れるまでやっても捕まらないな」
「水中で足を動かすことで腰が強くなります。しかも獲物を狙うカンも養われますし、魚は獲れずとも良い訓練になりますよ」
「なんでもかんでも訓練にするなと言うのに……」
とはいえ折角ここまで来て、収穫なしというのも面白くない。
少し手を貸してやるか。
俺は足元に落ちていた小石を拾い、魔力を込める。
それをポイポイと川の中へと投げ込んだ。
川の上流と下流に数個、落ちた小石は波紋を描きながら水に沈み淡い光を発し始めた。
「ランガ様、今の石は……?」
「悪意を持って魔力を込めた石だ。……軽くだけどな。だが小動物は敵意に敏感だ。あの石には近づかない……」
俺の目論見通り、魚たちは俺の投げた石に全く近寄ろうとしなくなる。
それはすなわち逃げる場所を封じたということ。
自然、魚たちはレントンの周りを回遊するしかなくなった。
「おーーーっ!なんだかわかんないが、魚がいっぱい寄ってきたぜーーーっ!」
正確には逃げ道がなくなっただけなのだが……レントンはそんな事を気にもせず、魚を追う。
狭い範囲では魚も逃げ道がないようで、しばらくするとバケツの中は魚でいっぱいになった。
「へへっ、どうよアーミラちゃん!俺と結婚すれば毎日魚を一杯食べさせてあげるぜっ!」
「まぁ、レントンの妻となる人は幸せですねー」
あえてずらして返すアーミラだが、レントンには通じていない様子だ。
勘違いするからそういうのはやめておけよ、アーミラ。
そんなことは気にするそぶりもなく、得意げにバケツの中身を見せるレントン。
そんな微笑ましいやりとりを眺めていると、川の向こうから何かの気配を感じる。
「! ランガ様!」
「……お前も感じたか」
アーミラもそれを感じ取ったようだ。
「え? なに? どうしたんだってばよ?」
魔力を感じ取れないレントンは、俺たちの反応に戸惑っているが説明している暇はない。
そうしているうちに気配は水底を這って近づいてくる。
ざざざざざ、とせり上がってくる水面の中から現れたのは一体のゼル。
こいつが街に侵入した魔物……だがその大きさ、魔力はただのゼルとは程遠いものだった。
というかおいおい、もしかしてあのゼル……アーミラがぶっ飛ばしたやつじゃないか?
俺が視線を送ると、アーミラはまさにといった様子で青ざめていた。
「も、申し訳ありません。ランガ様……」
ただのゼルならアーミラの一撃で消滅していただろうが、身体強化魔術がかけられていた。
一命を取り留めたゼルは、川に流され街へ侵入。
辺りの魚など、生物を吸収し回復したのだろう。
「……まぁやってしまったものは仕方ない。消滅を確認しなかった俺も悪いしな。とにかくさっさと処理してしまうぞ」
「しかし、レントンが……」
アーミラがちらりと見ると、レントンが怯え竦んでいた。
「ま、魔物……な、なんでこんなところに……!」
うーむ、確かにレントンの前で倒すわけにもな。
強化されているとはいえゼルを倒すのは容易だが、それを見られると大騒ぎになってしまう。
「気絶させてしまいましょうか? 魅了してもよいですが、一度かかった相手は二度目はかかりにくいですので」
「そうだな」
「だーもう! 何言ってるんだよ! 早く逃げるぞ!」
背を向けたレントンの首筋に、手刀を振り下ろそうとした時である。
「うおっ! 魔物じゃあねーか!」
遠くで番兵の声が聞こえた。
川沿いに作られた小高い丘の上から現れたのは……親父だった。