いざ北の地へ6
「ここは……?」
「気がついた? ティルメシアさんの家だよ」
目を覚ましたエレクが目をこすりながら身体を起こす。僕は今まで読んでいた魔術書をサイドボードに置くと、まだ意識がはっきりとはしていないエレクに視線を向けた。
「あれ? なんで、トリア君?」
「覚えてないかな。僕と試験で戦ったでしょ? あの後、魔術の使い過ぎでエレクが倒れて――」
「あぁ、そっか」
エレクは頷くと、少し残念そうに肩を落とした。
「負けちゃったんだ」
「うん……。そうだね、結果だけなら僕が勝った」
「勝てると思ったんだけどなぁ。えへへ、ちょっと悔しいや」
言いながらもう一度ベッドに倒れるエレク。ベッド横の椅子に座りながら、胸を打つ鼓動を感じていた。
「もしかして、ずっと傍にいてくれたの?」
「ずっとではないけど……。できればエレクが目を覚ました時、傍にいたかったから」
僕の言葉にエレクの頬が朱に染まる。
「えへへ、トリア君がそう言ってくれると嬉しいよ。でも、それはどうしてかな?」
「そ、それは……」
「当ててあげようか」
エレクが悪戯っぽく微笑む。
「たぶんティルメシアさんに何か言われて、それを気にしているんじゃないかな?」
彼女の言葉に僕は何も答えられない。それが暗に正解だと伝えてしまっていて、ばつの悪そうな僕を見て、やっぱりエレクは微笑んでいた。
「どうしてわかったの?」
「女の子の勘なのです」
ちょっと胸を張って言うエレク。それがおかしくて、僕も少し笑ってしまった。
「本当はね、ちょっとわかってたんだ。私の魔術、まだまだ不完全なんだよね?」
「そうだね。ティルメシアさんはエレクが土属性の精霊獣を使うこととか、狼の姿に留まってしまっているのが、おかしいって言っていたよ。知っていたの?」
「ちょっと前にね。ティルメシアさんが修行で実力を見た言って言われたから召喚を使った時に言われてたの。『君の力なら、もっと他の姿になっているはずだ。属性も土に縛られる必要は無い』って」
ちょっとティルメシアの真似をするように言うエレク。淡々と話す姿が想像できるが、直接話しているとは思ってもいなかった。
「元々、私が得意なのは治癒術とか神聖魔法だもんね。それなのに、『神威』が土の精霊獣なのはおかしいかな」
「僕は……、嬉しく思ったよ」
僕の言葉にエレクは意外そうな顔をしていた。
「どうして?」
「造り出した精霊獣に影響が出るくらいに、僕のことを大切に思ってくれたんだよね。当然だよ」
エレクの瞳が潤む、頬を涙が流れそうになっている。顔を赤くして、けれど、懸命に彼女は言葉を紡ごうとしていた。
「そうだよ。私……、私は、トリア君のことが好きだからね」
いつか聞いた言葉だった。あの時は僕は何も答えることができなった。
「ありがとう。嬉しいよ」
けれど僕は……。
「私を彼女にしてくれませんか?」
懸命に紡がれた彼女の思いを受け止めることはできない。
「ごめん。僕は、まだエレクとは付き合えない」
僕の言葉に、エレクは今度こそ涙を流してしまった。
「ミアちゃんが好きだから?」
泣きながら、それでも僕に訊くエレク。直視できない。したくない。でも、目を逸らす訳にはいかない。
僕はポロポロと涙を流す彼女の瞳を、ちゃんと正面から受け止める。
「僕がミアを好きだって知っていたの?」
「ううん……。なんとなく、そうなのかなって思ってた。違うの?」
「違わない。確かに僕はミアを大切に思っている。でもね、僕はまだ誰とも付き合えない」
僕だって誰かを好きになる。僕がミアを大切に思っているのは本当だ。
「僕はまだまだ自分のことで精一杯なんだ。復讐のこと、ハンターのこと、将来のこと、何にも答えが出せていない。エレクも、ミアも、皆、大切な仲間なんだ」
「だから付き合えないの?」
エレクの言葉に僕は頷きを返す。そうしたら、エレクは表情をくしゃりと歪めてしまった。
「ずるいよ……。そんなの、逃げてるだけじゃん。そんなの、トリア君の勝手じゃない」
「……ごめん」
「ちゃんとふってよ! ミアちゃんのことが好きだから、私とは付き合えない。それでいいじゃん。なのに、私の事も大切って……。諦められないじゃん。未練ばっかり残るじゃない」
「……ごめん」
エレクの拳が僕の胸を叩く。全然力は入っていない。痛くないのに、凄く胸が痛かった。
「ごめん」
僕は何も彼女に言うことはできない。ただ、泣き続ける彼女の傍にいるだけだった。
しばらくして、一人にしてほしいとエレクに頼まれて、僕は部屋を出て行った。
扉を閉めてもすすり泣くエレクの声が聞こえたけれど、もう扉を開けることはできない。ふらふらとおぼつかない足取りでその場を離れるだけだった。
「トリア?」
ふと気がつくと僕は家の外にいた。声を掛けられたから振り返ったら、そこにはサイトが立っていた。
「こんな時間にどうした?」
「別に……、何でもないよ」
見れば、いつの間にか外は真っ暗だった。
「そうか。酷い顔をしてるぞ。何かあったのか?」
「ううん。何でも無い」
これは僕自身の問題だ。だからサイトにだって話すことはできない。ただ、見透かしたようなサイトは、僕の髪をくしゃりと撫でると、僕の肩を抱き寄せていた。
「サイト?」
「ばーか。しんどい時くらいは頼れよ」
「そうだね。そうするよ。でも、今日は大丈夫だから。だから……」
言いながら僕は胸を抑えていた。少しでも、この痛みを少しでも記憶に残そうとしていた。
そして、サイトはそんな僕の隣にずっと一緒にいてくれていた。
………………。
翌日、僕たちはティルメシアさんの家の前に集められていた。修行を終えたサイトたちは、いよいよ北のカートリア聖公国へと旅立つつもりだった。
馬車を前に、ミア、マイト、カイゼル、フリーダの四人は既に乗り込んでいる。
「さてと、リズリットはここに残るとして、だ。エレク君、君はどうする?」
馬車を前に立つエレクに、ティルメシアが声を掛ける。彼女は普段のような明るさは無い。うつむいたままの彼女の表情を、僕はうかがい知ることは出来なかった。
「ティルメシアさん、ここに残っても私にできることは無いんですよね」
「ああ、君の才能は私には伸ばすことができないものだ。君の力は、君自身が向かい合うしかない」
「そうですか。なら、私は皆と一緒に行きます」
「ほう」
彼女の言葉に、ティルメシアは少し意外そうな表情をしていた。
「てっきり、君はここに残るものだと思っていたのだけれどね。いいのかい?」
「はい。最初から、そう決めてましたから」
エレクはそう言うと、少しはにかんだような笑顔を浮かべていた。杖を手に馬車の荷台に向かう。けれど、乗り込む前に僕の前で一度だけ立ち止まる。
「トリア君、私ね、決めたよ」
「エレク?」
エレクの目は少し赤く腫れていた。それでも、今はにこやかな笑みを浮かべていた。
「私ね、カートリア聖公国とか、光滅とか、復讐とか、そんなことはどうでもいい。私はね、トリア君を手に入れる為に一緒に行くよ。トリア君は卑怯でずるい。それでも、私はそんなトリア君を好きになっちゃったから仕方ないよね。だから、もう遠慮なんかしない。私はトリア君を手に入れる為なら何でもするから」
僕は何も言い返すことはできなかった。見ていたサイトやリズリットも驚きで目を丸くしている。ティルメシアだけが、「ハハッ」と笑っていた。
そんな彼女を見て、エレクが顔を赤くしている。
「とりあえず、そう言うことだから」
そう言い残すと、エレクはタッと歩きだしてしまう。見れば、いつの間にか馬車にいたミアやフリーダ達も、僕たちの方をじっと見ていた。
「少年、どうするつもりかね? 彼女、本気のようだが」
「へ? いや、どうもこうも……」
「これは、ミアも荒れそうだな」
僕が何を言うよりも早く、ティルメシアは愉しそうに、サイトは肩を竦めてみせていた。
「とりあえず、トリア。馬車の中の居心地は良くなりそうも無いな。御者席にでも座るか?」
「そうさせて貰うよ」
願っても無いサイトの言葉に僕は頷きを返す。
こうして、僕たちは少しの波乱を含んだまま、カートリア聖公国を目指して出発したのだった。
ようやく修行パート終了です。
次回からはいよいよカートリア編に入ります。




