3.シンデレラ
私は、シンデレラ。
灰を被った、もう一人のシンデレラ。
これは、そんな狂った世界の話。
私の母は、死んだ。
死因は分からない。
だけど、自殺だと判断された。
警察の人に一度聞いてみたことがある。
母が自殺である根拠は何ですか、と。
警察の人は苦笑いで、曖昧なことを話した。
そのとき、悟ったのだ。
母を殺したのは、父だと。
酒に溺れ、私達に暴力をふるいつづけてきた、父だと。
そういえば、母が死ぬ少し前から、父は家にいることが少なくなっていた気がする。
恐らく、その頃からあの女に騙されていたのだろう。
そして、母を殺した。
警察には、賄賂か何かを渡したのであろう。
父の罪が知れ渡ることはなかった。
そして、あの女がこの家にやってきた。
あの女、とは、私の継母。
美しい、富豪の一人娘。
彼女もまた、夫を亡くしていた。
母が死んだのと、同時期に。
そして父と彼女は結婚、私に二人の姉ができた。
お金を持つと、人は悪に染まる。
そう母が言っていたのを思い出した。
皆、私を下僕として扱う。
所詮、私はただの邪魔者なのだ。
掃除、洗濯なんていつものこと。
私は今日も家事を淡々とこなしていた。
苦痛の毎日。
だけど、私は一度たりとも忘れたことはない。
父への憎悪を。
母の仇を取るまでは、死ねない。
『シンデレラ』…灰かぶり、という意味。
父も継母も姉も、私をそう呼ぶ。
私を灰かぶりにしたのは、彼らなのに。
私の名前は、シンデレラなんて悲しいものではない。
母がくれた、大切な名前が、あるのだ。
私に残っているのはもはやそれだけだ。
私は誰も呼んではくれない自分の名前を、忘れないように胸の奥にしまいこんだ。
そういえば、今日は城で舞踏会があるらしい。
継母と二人の姉は、美しい衣装に身を包み楽しそうに笑っている。
母が死んだのは、彼女らのせいでもあるというのに。
憎しみの感情が、私の中を渦巻いた。
そして、思い付いたのだ。
最悪にして最高の、復讐を。
継母達が馬車に乗り城へ向かうのを見届けると、私は本を開いた。
黒魔術の本。
母が教えてくれた、悪の本。
『この本は、正義のために使いなさい』と、母は言っていた。
母の仇をとることは、紛れもなく正義だ。
私は、その本で、悪魔を呼び出した。
「私、舞踏会に行きたいの」
そう言うと、悪魔はにやりと笑った。
汚れた服は、美しいドレスに。
カボチャは、馬車に。
全てが美しく変わった。
この姿ならば、舞踏会に紛れ込むことができそうだ。
<12時に魔術は解ける、それまでに帰ってくるのだ>
悪魔はそう言う。
「分かっているわ」
私はそう微笑んだ。
きっと今の私は、悪魔と同じような顔をしているのだろう。
悪魔が消えると、私は宝物を取りに行った。
硝子の靴。
母がくれた、私の宝物。
キラキラと輝くそれを履くと、私は馬車に乗り込んだ。
…名前は何にしようか。
シンデレラと名乗れば、継母達が気付いてしまい追い出されるのがオチだ。
でも、私の封印されし名前など、絶対に使いたくない。
…それなら、名乗らなければいい。
別に舞踏会を楽しみたいわけでもないのだ。
私は、馬車に揺られて笑った。
やがて、馬車は城に着く。
私の復讐は、継母達に対してだけではない。
母は、素敵な人だった。
誰にでも優しく、素直で、しっかりした人。
そんな母を、他の富豪達は嘲笑った。
自分達と違うものはおかしい。
そんな考えのせいで、母は何度も傷付いた。
絶対に許しはしない。
富豪というものは、汚い人間なのだ。
死んでしまえばいい。
私は鞄の中を確認する。
中には、マッチ。
たったそれだけ。
私はこの城に、火をつけるのだ。
富豪達と共に、継母達も焼き付くしてしまえばいい。
父は、家で寝ている。
帰ってから、灯油でも撒き火をつける予定だ。
想像したら笑いが込み上げてきた。
私は黒い感情を隠すように、落ち着いたふりをして城へと入っていった。
城の中は、美しい装飾品で着飾った富豪達が楽しそうに笑っていた。
お世辞が飛び交う。
ああ、汚らわしい。
「そこの人、僕と踊ってくれませんか」
後ろから声がして振り向くと、綺麗な服を着た青年がいた。
他の人とは違うオーラを放っている。
王子だろうか。
確か王子は、この舞踏会で結婚相手を見つけると言っていた。
可哀想な人だ。
そんな日に、死ぬなんて。
「王子様、ごきげんよう」
私は汚い言葉を言い、微笑む。
この言葉遣いのどこが美しいのか、私には分からない。
「申し訳ありませんが、わたくしダンスは心得ておりませんのよ」
今まで散々な扱いを受けてきたのだから、ダンスなど踊れるわけがない。
練習などしたこともない。
当たり前だろう。
舞踏会に来たのも、幼少のとき以来だ。
母に連れられてきて、母がとても悲しそうな顔をしていたのを覚えている。
「僕がリードしますから」
しかし、それでも王子はそう言う。
他にも女は沢山いるというのに。
ああ、ほら。
貴方が私に構うから、目立ってしまうではないか。
私は、此処にいる全員を殺そうとしているのに。
何であんな女と、とでも言いたげな嫉妬の目が私に突き刺さる。
私が断ったら、一体どうなってしまうのか。
王子のプライドが傷付けば、王子を愛する人達は怒り狂うだろう。
それこそ、私が殺されかねない。
「…分かりましたわ」
怖くなった私は、貼り付けた笑顔のまま小さく頷いた。
王子の顔はみるみる内に輝いた。
とても嬉しそうな笑顔だ。
馬鹿だとしか言いようがない。
「では、踊りましょう」
私は王子に手を引かれ、ステップを踏み始めた。
見よう見まねでも、意外にできるものだ。
また、王子がリードしてくれているから踊りやすいと思った。
躍りながら、王子と私は話をする。
他愛ない会話、いつもならつまらないと流してしまうような。
でも、きっと。
きっと私は、楽しかった。
「…僕と、結婚してくれませんか」
王子は照れたようにはにかんだ。
途端、私の心臓は大きく高鳴る。
一目惚れだったんだ、なんて王子の言葉も聞こえないくらいに、心臓がうるさい。
ああ、だから躍りなどしたくなかったのだ。
王子に近付けば、戻れなくなると分かっていたから。
運命は、時に残酷だ。
なんて。
私は、あえて聴こえなかったふりをした。
王子が勇気を振り絞って言った告白を、なかったものにした。
返事なんてできない。
仕方ない、という言葉で全てを片付ける。
それでも、あと数時間だけ。
あと数時間だけでいい。
私は王子のそばにいたかった。
なんて傲慢で自分勝手なのだろう。
いつの間にか私も、周りの富豪と同じになってしまったのか。
「…王子様、そろそろ失礼致しますわ」
でも、もうお別れ。
私は王子の手を離し、歩いた。
後ろから、王子の声が聴こえたような気がした。
聴きたくもない。
傲慢な富豪の声など、聴きたくもない。
そうして逃げ出した私は、人気のない城の裏へと向かった。
マッチに火をつければ、マッチ特有の香りが鼻をついた。
涙が零れたのは、きっとこの香りのせい。
私は火のついたマッチを、そのまま地面へと落とした。
火はすぐに大きくなる。
私の涙くらいでは、消えない。
私はしばらくその火を眺めていた。
不意に思い立って、火の横に硝子の靴を置いてみた。
きっと、理由なんてない。
火はどんどん広がっていく。
私の目の前にあった小さな火は、いつしか城全体を覆うほどのものになった。
燃え盛る城、富豪達の叫び声。
私はそれを黙って見つめていた。
一人、城から離れ馬車へと向かう。
馬車に乗る前、ふと振り返れば城は赤に染まっていた。
そして頭に浮かんだのは、彼の笑顔。
頬を涙が伝う。
でも、もう今更何もできない。
「さようなら、王子様」
そう呟いた瞬間、魔術は解けた。
美しいドレスは、汚れた服に。
馬車は、カボチャに。
全てが元通り。
果たして王子は、私のこの姿を見ても愛してくれていたのか。
答えは簡単だったから、考えなかった。
私はカボチャを抱えた。
火は広い庭にまで広がっている。
早く逃げなければ。
私は父が待つ家へと、走り出した。
「ただいま」
父はまだ寝ている。
この家を燃やしてしまえば、私の復讐は終わりだ。
適当な名前を名乗り、新たな町で幸せに暮らしていけるだろう。
そう思っていた。
だけれど、予定は変更だ。
私は灯油を撒いた。
家事の中で灯油を使うことは何度かあったため、置場所は知っていた。
マッチの箱を開ければ、一本のマッチ。
私はそのマッチに火をつけた。
小さな火。
さっきの火事を思い出す。
私は優しくもないし、復讐のために生きているようなものだった。
そんな私を、母以外に好いてくれる人がいた。
だけど私は、その人を殺してしまった。
その罪は、重い。
それならば。
「それなら、死んで償いましょう」
私はマッチを床に落とした。
火はみるみる内に広がって、家は燃えていく。
私はその火の中に、一人立っていた。
赤い火で目は眩むし、煙で息はしにくい。
そして何より、とても熱い。
この熱さは、きっと私の心。
復讐に燃えた私の、心。
私は愛さえも、焼き付くしてしまった。
それと同調する、皮膚が焼ける痛み。
ああ、これでやっと私は幸せになれる。
心から、そう思えた。
お母様、王子様、私も今そちらへ行きます。
私の意識、そして体は、燃え尽きた。
シンデレラは、幸せになった。
だからこれは、ハッピーエンド。
幸せの中に、どれだけのバッドがあったとしても。