感想欄。何気にいちばんオモシロイ
はい。エッセイ第三弾でございます。
またおまえか、などと言わず、今回もお付き合いくださいませ。
お陰様で過去二作も貴重なご意見を頂き、誠にありがとうございます。思い付きや勢いで書いておりますので、他者様からのご意見は非常に有用なものとなっております。
そして、今回のテーマは感想欄。
私は他作品の感想欄を読むことが大好きです。本編は読まないけれど、感想欄だけ見るという作品もいくつかあります。
やはり人気作はそれだけ活気づいていますし、作家さんの生の声が反映されていたりと、執筆最前線を窺い知れるのも楽しいです。
感想欄が荒れていたり、鋭いツッコミを多々浴びせられていれば、その返しに注目してみたり。逆に言えば、批判を多々受けるような作品は本編を読むことはありません。
あれ。これはまた、物議も醸しそうな発言ですかね? まぁまぁ。落ち着いて。
そんな中でふと思ったこと。エッセイというジャンルへ投稿させていただくようになって、これはひょっとして、かなり特殊なジャンルではなかろうかと。
通常の連載作品と違い、リアル思考をぶつける生モノのようなもの。それはディスカッションのように他者様からの意見を経ることで、刻々と変化してゆくのではないかと思い始めております。
まぁ、扱うテーマによっては、投げっぱなしというものもあるのかもしれませんが。
みんながみんな、私のように感想欄まで読まないかもしれません。ですが、そこまで読んで、初めて全貌が分かると思うのです。
つまり、何が言いたいかと申しますと、本編と感想欄を経て一つの形になっているのではないか、ということでございます。
ここからは他のジャンルでも言えることですが、ほとんどの作者様は荒らしでもない限り、一つ一つの意見に丁寧な返事をすると思います。そこで新たに生まれる方向性や、解答もあると思います。
読者様からの指摘を受けて、展開まで変えてしまうという作品も多々目にしました。それが良い方向へ向けばいいのですが、肯定派と否定派で一層の物議を醸している感想欄もありました。まぁ、それも当然のことだとは思います。万人を納得させられる解答などあるはずがないですからね。
意見の取捨選択。これも作家様に必要な能力の一つではないかと思う次第です。
感想欄を楽しみながら、そんなことを思いました。