第70話: 堂々過ぎる、チャンピオン。
[星暦1551年6月18日。惑星スフィア。エウロパ。予選第3戦。]
第3戦は第2戦から2か月空けて開催されるため、エウロペの街も初冬になっていた。しかし、これまでの予選と異なり、街には大々的に告知されていて、あたかも本番のような盛り上がりなのであった。
「どうしたんでしょう? 随分とレースの話題で盛り上がってますが。」
マーリンの問いの答えはやがて明らかになった。前夜祭の空気は緊張と昂奮でピリピリしている。というのも、この予選に前年度のフェニキア・グランプリのグランドチャンピオンが参戦するからだ。彼の名はピーター・ローゼンベルグ。しかし、彼はこうも呼ばれていた。
「ピーター・パーフェクト」である。
というのも彼は、フェニキアで最も権威のあるレースである前年の『フェニキア・ギャラクシー・グランプリ』を始め、すべてのレースを無傷で制覇したチームのパイロットなのだ。今や国民的な英雄であった。
そんな高名なレーサーがなぜかこのアポロニア・グランプリという地方レースに参加する、というから大変だ。レースの運営委員会はその参加の打診を最初はホンモノだと思えず、タチの悪いイタズラか何かだと思っていた。しかしそれが紛れも無い本人だと分かると、打って変わって都市をあげての大歓迎となったのである。
「さあ、拍手でお迎えください。グランドチャンピオン、ピーター・パーフェクトです。」
颯爽とピーターが登場すると、会場に集まった群衆から割れんばかりの拍手が起こり、会場の全ての耳目が彼一人に釘付けになる。
いつもは、上の階で別口でパーティをしているオーナーたちも、レーサーたちのパーティに出るためにエレベーターを降りてきたのである。そのため、一般のファンの参加はほとんどできなかったほどである。
凜とショーンの激突の可能性にうじうじしていたロゼも今日ばかりは「ピーター様、はあと」であった。
「ふん、貴公子だろうが神様だろうが、俺たちには『戦う』以外の選択肢はないぜ。」
「そうだな。」
パーティですっかり脇役へと追いやられたかつての主役たちの一人、リトル・グルーサムは相棒のビッグ・グルーサムにささやいた。
第2戦でゼルの怪音波攻撃に膝を屈した「奇々怪界」のレーサーである。背が高く、「フランケンシュタイン博士の怪物」の仮面を被っているのがビッグ、小男で「吸血鬼ドラキュラ伯爵」の仮面を被っているのがリトルである。
二人はドライバーの有人格アプリ、「狼男」と共にレースを戦ってきた。
二人はもともと別々のチームに所属していたが、とあるレース後、レーサー同士の喧嘩の乱闘に巻き込まれ、そこで喧嘩相手のレーサーを誤って死なせてしまったのである。そのレーサーはフェニキアでも大物貴族のお抱えであったため、二人はその憤りを受け、裁判で終身刑を言い渡されると刑務所へと送られたのである。
一方的な責任のない喧嘩で、しかもほぼ事故に近い状況だったのに、残りの人生を奪われてしまった二人は、絶望のあまり蕭然としていた。そこに、別の貴族商人が取引を持ちかけて来たのだ。それは、今回のアポロニアグランプリで優勝すれば、無罪放免のための資金を提供する、というものである。
そこで二人は仮面をかぶって「グルーサム兄弟」を名乗り、用意された宇宙船、「奇々怪界」でこのレースに乗り込んだのである。それゆえにかれらにとって「戦う」という以外に選択肢はないのである。そう、自分たちの理不尽な境遇を打開するために。
人々がピーターを取り囲む。それはまるで大きな波のうねりのようであった。ピーターは端正なマスクと長身を持つ男である。彼は白いスーツに身を固め、取り囲む記者たちや、貴族や貴婦人たちの相手をしていた。彼の後ろにいる、さらに長身の男を見て、マーリンの顔が引きつった。その男はピーターとは逆に黒ずくめの服で、室内にも関わらず黒い帽子を目深に被り、さらに黒いロングのトレンチコートを身に纏っていた。彼がピーターの相棒であるキャプテンを務める男である。
「まさか⋯⋯無窮?」
「マーリン、……その、お知り合い?」
マーリンの滅多に見せない険しい表情に凜は思わず聞いてしまった。
「ええ、彼は私と同じゴメル人です。」
マーリンの声には懐かしさという波動は微塵も感じられない。
「しかし、なぜ彼がこんな所にいるのでしょうか?」
ゼルが尋ねる。ゼルにとっても知己のようである。
無窮と呼ばれた男もマーリンに気づいたようで、こちらに近づいてきた。しかも、真っ直ぐに。歩くでもなく、誰にもぶつかることなく、人ごみをすり抜けてやってきたのである。これには凜も、そばにいたメグもロゼも仰天してしまった。
「マーリンと同じ『化肉(物質化)』の身体、ということ?」
「ええ。」
マーリンは凜の問いに短く答えた。
「この惑星は私の管轄です。手出しは無用に願いますよ、無窮。」
「久しぶりだな。およそ……そう、この星の暦で言えば1550年ぶりくらいかな? それなのに、随分とご挨拶じゃないか、無我。」
無窮の目は穏やかな光をたたえていた。ただ、その穏やかさは、好意に満ちているというよりは嵐の前の静けさとでも言えるようなものだった。
「無我って、マーリンの本名?」
「ええ、こちらの言葉で訳すなら、それが近いでしょう。しかし、お言葉ですが無窮。私があなたと最後にお会いしたのは、もっとずっと前だったはずなのですが?」
マーリンの問いに「無窮」は不気味な笑みを浮かべた。
「なんだ、私がせっかく会いにきてやったというのに気がついてもくれなかったのかい? 相変わらずぼうっとしてるやつだな。それなら一つ、ヒントをやろう。とある『虫けら』に俺はチャンスをくれてやったことがある。」
「『虫けら』?」
怪訝そうなマーリンの表情に男は愉快そうに話を続ける。
「『獅子身中の虫』という言葉がある。お前が地球人種どもに貸しあたえた玩具は、あまりにも彼らの身に過ぎた。それで、バランスを取る必要を感じたのだよ。
お前たちの身体の中にその『虫けら』を送り込んだのは私なのだよ。」
「なんですって!?」
マーリンの手がワナワナと震え始める。
「無窮さん。僕にはあなたの言葉の意味がサッパリ解らないんですけど。」
凜が怒り心頭のマーリンを見やりながら尋ねる。
「キミが棗凜太朗=トリスタン、その身に『ガブリエル』を与えられたゼルの器だね? 長いので不躾ながらキミのことを凜と呼ばせてもらおう。凜、キミが人として蘇るきっかけになった『ウロボロスの蛇』事件。事件の原因となったのが、その『虫ケラ』だよ。」
ようやく無窮の言葉の意味を悟った凜の身体も震え始める。
「まさか、まさかあのモルドレッド・モリアーティ⋯⋯。『ドM』のことか? まさかあんた、あの怪物を⋯⋯。」
無窮は愉快そうに笑った。
「あはは、やっと解ってくれたかね?ただ、彼はその略称はあまり好みではない、とも言っているよ。なにしろ彼は自分が完全な『ドS』だと思っているからね。あの日、『無我』と同様、俺は気になって君たちの移民船につまれた君たちの文明のアーカイブを見せてもらっていたのさ。興味深いことに、君たちの船にはホンモノの生体脳が積まれていたからね。そうしたら一人だけ、面白そうな脳を見つけた。その中には嫉妬、憤怒、傲慢が詰まっていたのだよ。彼が蘇ったら、いったい何をしでかすだろうか? とても興味深い実験だ。だから、俺は彼を蘇らせて見た。ところが彼は予想以上に面白いことをした。多額の費用と人々の期待を背負ったキミたちのプロジェクトをいきなり終わらせようとするのだから。」
確かに、脳はあっても、人間としての意識はすでに死んでいるはずの狂科学者、自称モルドレッド・モリアーティ―『ドM』様―ことジム・ハリスの自意識がなぜ突如覚醒したのか、それは歴史の謎として語られてきたことだったからだ。そして、身体もないのに生体コンピューターから離脱し、あまつさえ、マーリンから天使を盗み出して逃亡する、そんな芸当をどうやって成し遂げたのか。これまで歴史の暗部として放置されていた謎がこんなところで解き明かされたのだ。しかも、最悪の解答とともに。
「それでは、やつに智天使の身体を与えたのは、無窮、貴方だと言うのか?」
凜の声も怒りで震え始める。彼の内面が見た目と同じ年頃であれば、間違いなくつかみかかっていることだろう。
「ご名答(That's right)。どうかね、これできみたちが十数世紀来抱えてきた謎は全て解けただろう? ⋯⋯コナンくんもびっくりだ。」
無窮は愉快そうに笑った。
「コナンくんはそんなに賢くありませんよ。『未来少年』とは呼ばれていますが、どちらかといえば野生児そのものですから。」
ゼルが口をはさむ。
「違うよゼル。彼が言っているのは『名探偵』の方だよ。」
凜が訂正する。
「それにしても久しぶりですね、無窮。あなたが、あの事件の黒幕の黒幕だったとは、びっくりしました。あなたはドMの要望でここにいる。凜の仕事を邪魔するために。そう理解してもよろしいのですか?」
ゼルの問いに無窮はにやにやしながら答えた。
「ご名答。俺も再びキミに会えてうれしいよ、ゼル。俺は『面白いこと』に貪欲でね。考えてもみたまえ、人が希望だと思って手にしたものが、なんと絶望だった、という喜劇をぜひ天井桟敷から見てみたいのだよ。あの役にも立たない超重力砲を大枚はたいてそろえた挙句、何もできずに死んでいく……。その間抜けで滑稽な人間たちがもがき苦しみながら絶望のうちに死んでいく。ああ、なんて気分がいいのだろう。」
無窮の言葉に凜は心底嫌悪を感じた。
「面白くなんかありません!少しもね!」
マーリンが声を荒げる。
「同じことだよ、無我。同じ事象でも『間近で見れば悲劇。遠くで見れば喜劇』というわけさ。そんなに睨んでくれるなよ。俺は君が肩入れする地球人種のかつての喜劇王の言葉を引用しただけなんだから。」
「むう、『志村〇ん』もなかなかいいことをいいますね。さすがは喜劇王。」
ゼルが唸るが凜は再び訂正する。
「ゼル、それは『志〇けん』じゃなくて、チャップリンだよ。」
「無我、俺たちは、今、レーサーとしてここにいる。俺と戦いたいならレースで会おうじゃないか。」
そう言って無窮は去っていった。
[星暦1551年6月25日。惑星スフィア。エウロぺ。予選第3戦。]
「マーリン、いやに緊張してないか?」
サミジーナは後部座席で兵装を確認するマーリンに声をかけた。マーリンはそれに答えず黙々と作業を続ける。
「やつが相手だからと言って気負う必要はないぞ。別に、この予選で勝つ必要はないんだから。」
サミジーナはそう言うにとどめた。
(ゼル、マーリンと無窮の間に何か因縁でもあるの?」)
凜はゼルに尋ねたが、ゼルも首を横に振るだけだった。二日前のテストランの時からピーター・パーフェクトの宇宙船、「絶対王者」は圧倒的な強さを見せていた。サミジーナの得意とするテクニカルコースでなければ手も足も出ないだろう。
ピーター・ローゼンベルグは確かに有名なレーサーであった。しかし、チャンピオンになるほどの器とは見なされてはいなかった。ところが、2年前キャプテンの「エンドレス」と出会ってから、彼は一変したのだ。たった1年で、出場した全てのグレードレースを勝ち、グランプリも圧勝した。
そして、今年度も負け知らずである。逆に、地方グランプリの「アポロニア・グランプリ」に出場すること自体が驚きをもって迎えられたのである。
「アポロニア⋯⋯グランプリ⋯⋯? それってどこよ?」
ピーター・「パーフェクト」・ローゼンベルグは聞きなれない次のレースの名を告げられ、相棒に聞き返した。
「しがないローカル・レースだよ。」
しれっと答える相棒に彼はもう一度尋ねた。
「なぜ、そんな所に、俺様が?」
かつてのピーター・ローゼンベルグは「一流半」のレーサー であった。地元の地方グランプリでは無敵だったが、上のグレードへ行くと壁にぶち当たってしまう。最高峰の「フェニキア・ギャラクシー・グランプリ」に至ってはほぼ参加賞のみ、というものであった。無論、それに出場できる『ファイナリスト』と呼ばれるレーサーは一握りしかいないため、それだけでもプロとしては立派なものだが、若くして天才の名を欲しいままにした彼にとってはとうてい満足できるものではなかった。
中には、ピーター・オークワード(イマイチ)と皮肉る者さえいたのである。彼が黒づくめの不気味な男に出会ったのは、とあるレース後に訪れたバーであった。正確を期すれば、ピーターが初めてその男を見たのはレース中のコース内のことであった。
もちろん、宇宙船レースなのだから、そんな所に生身の人間が生きていられるはずもなく、ただの見間違いだと思っていた。しかし、何度もその男を見かけ、驚いて動かしてしまった舵角が偶然、絶妙なものだったため、それが幸いしたのか、ピーターは苦手なコースであったにも関わらず、そのレースで表彰台にたてたのだ。ただ、当時、そのレースでポイントを得たところで、彼のメイン・スポンサーとの契約はすでに打ち切りが確定していた。
バーのカウンターに男は断りもせずにヤケ酒をあおるピーターの横に陣取った。男はピーターに言った。
「あんた、自分の『殻』を突き破ってみたいとは、思わないか?」
ピーターは言い返す。
「ここはオイスター・バーじゃねえよ。」
男は不思議そうな顔でピーターを見たが、不機嫌なピーターは男に目をやろうとはしなかった。
「あんた何者だ? 」
「俺の名は『無窮』。物質を超えた存在だ。」
ピーターは無窮の突拍子もない答えに思わず顔が緩みそうになった。
「あまり、面白くない冗談だな。30点だ。」
「それはキミも同じだ、ピーター。オイスターバーで自分の手ででカキの殻をむくやつはいないさ。それより、キミに乗ってほしい機体があるんだ。」
怪しいと感じつつもピーターは男の提案にのせられたまま、彼の指定したピットを訪れた。
「こいつはたまげた。」
そこにそびえていたのは最新鋭の機体だったからだ。
「それだけで驚いてもらっては困る。」
男がエンジンカバーを開けるとピーターは言葉を失う。
「不条理エンジンかよ。俺、初めて見たよ。」
それは、すでに科学では説明できない何かによって動き、時に物理法則を無視した動きをするエンジンである。
おそらく、ラノベ的には「魔動エンジン」と呼んでしまいたいところだが、科学者も技術者もプライドを持っているこの世界ではまだ、『解明されていない』という表現にとどめているのである。
「ピーター。このエンジンンもこの船の武装も君の『意思』の力に呼応する。だから、自分を信じるんだ。」
それからの彼の活躍は前述のとおりである。
フェニキア・グランプリで栄光のカップを表彰台の真ん中で掲げた彼の二つ名は畏敬を込めてこう呼ばれるようになった。
「絶対王者」と。
[星暦1551年6月25日。惑星スフィア。エウロパ。予選第3戦。]
「見て ! ジョー! ほら、オーロラが見えるわ!」
エマが少女のように瞳を輝かせてジョーダンの肩を揺する。ジョーダンは愛する妻がはしゃぐ様を愛おしそうに見つめていた。
普段、エマは人前であろうとなかろうと、夫のことを「旦那様」とよぶ。でも、この宇宙船の狭いコクピットの中だけは「ジョー」と呼ぶのだ。二人が出会ったばかりの、そしてまだ二人とも幼かった頃のように。
その夜、ジョーダンは夢を見ていた。それは、自分にとって昔というにはあまりにも最近で、娘にとってはずっと昔のことだろう。 でも、ジョーダンと娘のロゼにとっては大切なはずの記憶である。
ロゼの母エマはジョーダンとは幼馴染の間柄であった。二人は幼い頃、共に時間を過ごし、いつか結婚しよう、そう約束を交わしていた。幼い二人ならではの微笑ましいエピソードであるが、当の二人はごく真面目であった。真面目な二人は大人になるにつれ、お互いの愛情だけで結婚相手を選べない、ということを思い知らされる。
というのも、エマはジョーダンの家に仕える家の子であったのだ。ジョーダンはエマとの結婚を望んでいることを両親に訴えたが一蹴され、やはり、同じエウロパで手広く商売を営むシルベスタ家の娘との結婚が本人の意志と関係なく決まっていた。それがロゼの異母姉マチルダの母であるユーリカである。
真面目な性格のジョーダンもエマも親の期待を裏切れず、親の決定をただ受け入れるしかなかった。
「僕が本当に愛しとるんはエマ、ただ君だけなんや。でもな、僕はジョーダン・ジェノスタイン、このエウロパの繁栄を守らなアカンのや。」
ジョーダンはそう言ってエマに別れを告げた。 エマは引き続きジェノスタイン商会で事務員として働いていたが、プライベートで二人が接点を持つことはもうなかった。
やがて、ジョーダンはユーリカとの間に一男一女を設けたが、ユーリカは浪費癖のある女性であった。彼女は夫に内緒で方々に多額の借金をこしらえ、最後は若い情夫と共に夫の元を去ってしまったのである。
ユーリカは結婚生活の終わりを告げたジョーダンに言い放った。
「あなたは、私の浮気を非難するけど、あなたの目に私の姿なんかまったく映っていなかったわ。あなたは私を抱きながら、心の中で別の女の名をつぶやいているの。
私にそんなことすらわからないとでも思ったのかしら。私だって女なのよ。……確かに、あなたは私に好き放題させてくれた。そのことだけは感謝しているわ。⋯⋯でもね、あなたがそうしてくれたのは、私を愛していたからではなく、私に全く関心がなかった、ただそれだけのことよ。」
彼女の言い分はわがまま極まりないものであったが、ジョーダンには返す言葉が一つもみつからなかった。ジョーダンはユーリカを一言も叱ることもなく、恨み言を言うでもなく、ただ黙って離婚届にサインした。その態度も、ユーリカのプライドをいたく傷つけたようだった。しかし、それはジョーダンにとっても同じだった。二人の夫婦の絆とは互いに対する愛情ではなく、自分たちの家族や社会的な立場に対する愛情だけだったのだ。
ジョーダンは、離婚するとすぐにエマに求婚した。しかし、エマはジョーダンの愛には応えたが、求婚には応じようとはしなかった。彼女がようやくプロポーズに応じたのは、その身にロゼが宿ったことがわかった時であった。エマは、大店の夫人の座に収まりたかったのではなく、生まれてくる子供が、正式な父親がいない『日陰の子』になってしまうことを怖れたのであった。
エマは自分自身の予想に違わず、身分違いの結婚に苦労が絶えなかった。彼女は自分の出自にコンプレックスがあり、それはジョーダンの家族や親戚からのいじめや、家人たちの突き上げによって徐々に彼女の精神と身体を蝕んでいったのである。
そして、ジョーダンが「主席取引官」の役職を射止めてからは、彼女へのプレッシャーはさらに日毎に増して行き、彼女が病床に伏せる日が増えて来た。そんな折に、ジョーダンは宇宙船レースに参入したのである。実はジョーダン自身はあまりレースには関心がなかった。ただ、エマはそれが大好きであった。というのも、彼女の従兄弟に当たるのが、当時、レーサー、取り分けパイロットとして頭角を現してきていた、ショーン・ビジョーソルトだったのである。
ショーンの活躍について嬉しそうに、そして誇らしそうに語るエマを見て、ジョーダンは自らレースに参入すればエマの病気にもいいかもしれない、と思い立ったのだ。
ジョーダンは三顧の礼をもってショーンを迎えた。
ショーンも身分違いの結婚に苦労している従姉妹を慮ってその申し出を受け容れてくれたのだ。それでショーン、そして妹のジェシカはジェノスタイン家にやって来た。ただ、ジェシカは間も無く陸軍士官学校に進学した。彼女は卒業後、専科には進まず、同じ惑星のグラストンベリーにあるヴァルキュリア女子修道騎士会に留学することになる。
その後のショーンの活躍は目覚ましく、初年度にはすぐにアポロニアの惑星チャンピオンになり、「ファイナリスト」と呼ばれるフェニキア最高のレース、フェニキア・ギャラクシーグランプリに出場するようになったのだ。
ジョーダンはよく「魁」にエマを乗せ、ショーンに運転してもらって惑星スフィアの外周を飛翔してもらった。エマはジョーダンにもたれかかり、眼下に広がる美しい宝石のような蒼い惑星をみるのが大好きだったのである。
幼いロゼを預けて、ジョーダンはエマと共にデートを重ねた。それは、二人の心を幼かった頃の時代に、そして思い合っていても会うことが叶わなかった青春時代へと思いを馳せさせた。
「私の人生はあの時が、一番輝いていた。」
ジョーダンのその幸せの絶頂はそう長続きはしなかった。
エマに難病が見つかったのである。それは遺伝性劇症膠原病の一種で、完治が困難なものであった。それは遺伝病であり、フェニキア人特有のものだった。フェニキア人は宇宙航行に自分たちの身体を特化するため、とりわけコールドスリーブに対する適性を高めるために遺伝子を自ら弄り続けて来たのだ。そして、その弊害が彼女の身に噴出したのである。
ジョーダンは泣く泣く彼女を手放さざるを得なかったのである。適正な遺伝子治療を受けるため、カルタゴ人の遺伝子サンプルを多く持つカルタゴ本星の病院へと行かざるを得なかったのだ。彼は離縁するつもりはなかったが、「ファーストレディ」がいないと差し障りのある立場のため、エマが自ら離縁を申し出たのだ。
彼女をショーンに送らせ見送った時に、ジョーダンは二度と「魁」には乗るまい、と心に決めていたのである。
しかし、「魁」は再び飛翔し、なんとアポロニア・グランプリ本戦の出場権を獲得してしまった。あの時、エマを連れて座ったシートに今、補助パイロットとして座っているのはエマとの娘、ロゼマリアなのである。
彼の前に、突然、少年が現れる。びっくりしてジョーダンは尋ねた。
「こんなところになぜ子供が⋯⋯。坊や、どうしてこんなところにいるんだい?」
「僕はラミエル。旦那様に『魁』と名付けられたものです。今日は、お別れを言いに来ました。」
少年は、満面の笑みをたたえていた。ただ、それはもうすぐ涙で決壊しそうなもろそうな笑顔であった。ジョーダンは少年の言葉の意味が解らず、ポカンとしていた。
「ありがとう、旦那様。僕を再び飛ぶことを許してくれて。本当にありがとう。」
少年はそれだけ言うとくるりと向きを変え、スキップをするように走り去って行き、ドアの手前で消えてしまった。
「ちょっと、待ってくれ。坊や、それは、どういう意味⋯⋯?」
そこで、ジョーダンは目覚めた。彼は寝汗をびっしょり、かいていた。
「夢⋯⋯だったのか。」
このエピソードは筆者のスフィアシリーズの「星暦元年の残照~スフィア王国創世秘話」(n1896da)の伏線を回収したものです。興味があったら是非。次回、「第71話:あっけなさすぎる、幕切れ。」です。この物語はまだまだ続きますよ。




