第64話:童貞すぎる、対戦者。
やっと梅雨らしくなってまいりました。
[星暦1550年12月25日。惑星スフィア。フェニキア領エウロペ。地上港ロビー]
凜の目の前に現れたのは少女であった。ロゼマリア・ジェノスタインという活発極まりない女の子だ。
「ロゼ?⋯⋯どうしてこんなところに?」
凜が尋ねるのを待たず、ロゼは凜に打ちかかった。
「でーりゃーーーあっ!!」
ロゼは鋭く踏み込むと、低い位置から凜のボディを目掛けて拳が繰り出される。凜は一回ステップバックして距離を取る。
凜の背中に一対の光翼が顕現した。
(これは、本気で行っていいんやな。)
凜が思いのほか臨戦態勢を敷いてきたので、ロゼは本気モードに切り替えた。
「でりゃー!」
ロゼは気合いを込めると凜の足元にスライディングキックをかましながら滑り込む。
凜がそれを避けて上へ跳ぶとそのまま体勢を立て直したロゼが拳を繰り出す。
「低い位置からの打撃か⋯⋯。良いセンスだ。」
見てくれを気にして飛び技ばかりかけそうだが、実際にはロゼは凜のバランスを崩そうと揺さぶりをかけながら攻撃を繰り出す。
凜もそれを体捌きだけで受け流す。
リングの周りには本来そこに上がるはずのちびっ子たちと保護者たちが茫然としたていで見守っていた。
「凜、打ってきても良いんやで」
ロゼは人差し指で凜を挑発する。
(幾ら何でも女の子は殴れないって。)
「レディ・ファーストですよ。ロゼ。」
凜は苦笑を隠さない。
「ほな、遠慮なく。」
ロゼの拳はあくまでも真っ直ぐだ。鋭く踏み込んで拳を振るう。
拳闘については騎士たちの間でも意見が大きく二分される。全ての格闘技術の基本であるとして重視する者と、武器も持てぬ卑しき者のするもの、と軽視するものである。何れにしても、拳闘用のグローブとブーツも存在する。要は拳の周りに強力な力場を張って殴打するための作りになっている。また、重力加速によって、速度と威力を増加させるのである。
そうすると手足を支える膝や肘の関節を過度の負担から保護するため、プロテクターをつける必要もある。もちろん、膝蹴りも肘打ちもあるのでその衝撃からの保護のためでもある。
「ロゼ、もう少しコンビネーションの工夫をした方が良いと思うよ。攻めがやや単調なんじゃない?」
次々に繰り出されるロゼのキックやパンチを受けながら凜は忠告する。しかしロゼは気にも留めないようだ。
「これがウチの本能⋯⋯いや、本領や。」
凜がロゼの左フックをスウェーで避けた時、ロゼはさらに右フックをたたみかける。凜はそのままロゼの右手首を掴むとそのまま腕をとって腕ひしぎの体勢に入った。
「しもた。」
次の瞬間には完全に腕ひしぎ十字固めが完成していた。
「り、凜。」
ロゼは凜に訴えかける。
「ギブアップ?」
凜の問いに
「いやん。凜の足がおっぱいに触ってるん。ああん。」
ロゼが艶っぽい声を出す。確かにプロテクター越しにロゼの張りの良い胸の感触が伝わって来た。
「ご⋯⋯ごめん。」
凜は慌てて技を解く。
ゼルはそのまま跳躍するとコーナーポストの上に降り立った。
「やーい、騙されおったわ。凜もいい加減、童貞を拗らせてる場合やないで。」
「騙された⋯⋯のか。」
凜はここでどうリアクションを取るべきか迷っていた。それを見越したのか、ゼルが挑発して胸を張った。
「さあ、今度はこっちの番や!」
その時だった。音もなくロゼの背後に影が現れる。その影はロゼを捉えるとそのままリングに落とした。
「え?」
すでにその体勢は今度はサソリ固めのようにがっちりと固められていた。
「ロゼ⋯⋯お嬢様。一体こんなところで何をなさっておられるのですか?」
「ジェシカ?」
その影の正体はジェシカ・ビジョーソルトであった。
「なぜ、ここに?」
ロゼが苦しい体勢のまま尋ねる。
「ロゼ様がフォルネウスに気づいたら地上港に来るだろう、そう読んでいたのです。本日の旦那様のご用事は、ここにおられるトリスタン卿の歓迎会です。さては連絡メールを一度もご覧になっておられませんね?」
ロゼはマットを叩きながら答える。
「ギブ、ギブアップや⋯⋯。ごめん⋯⋯堪忍やで、ジェシカ。すっかり放ったらかしにしとったわ。凜の歓迎会やったら、心配せんでもちゃんと出るで、ホンマやで。だから堪忍な。」
ジェシカはようやくロゼの戒めを解いた。
「おおきに。凜。今日はまた会えるんねんて。ウチ、実家に帰ってくるわ。ほなまたな。」
ロゼはお付きの者たちとともにあっけらかんと去って行った。狐につままれたような表情の凜や関係者たちにジェシカは頭を下げた。
「この度は当家のロゼマリアが大変お騒がせ、そしてご迷惑をおかけしました。このお詫びはまた改めて。」
下手だが有無を言わせぬ言いっぷりに凜もローダン氏もすっかり気圧されてしまっていた。
「いやいや……。まさか、あの『猫夜叉』がこんなところにいたとはねえ。」
去りゆくジェシカを見ながらラドラーが感慨深そうに言う。
「ラドラー卿はジェシカさんとお知り合いなんですか?」
ラドラーは鼻の頭をかいた。
「まあな。あの娘はGTRの妹弟子でな。ヴァルキュリアでも最速で天位を取った才女なんだよ。確かお兄さんがいたはずだ。宇宙船レーサーだったはずだが。」
「宇宙船レース、……ですか?」
凜が不思議そうに言ったのでゼルが説明を始めた。
「宇宙船レースは星系外航行が自由に出来る先進文明惑星で盛んなレースです。人工的に作られたワームホールコースの中を宇宙船が亜光速で駆け抜けるのです。殊にフェニキアでは国技と言われるほど盛んです。大店の旦那衆は大抵自前のレースチームを持っていて、賭け事の対象にしたり、物事を決めたりする時にレースを使うこともよくあるのです。」
「へえ。」
人ごとのように感心する凜にラドラーは苦笑して言った。
「なかなか壮観なレースだよ。確か来年はアポロニア・グランプリが行われるはずだ。後学のためにも一度見ておくと良い。君は士師、陛下の全権代理なのだから。相手国の娯楽にも興味を持たないとね。」
エウロペは南半球に位置するため、北半球にあるスフィア王国の主要三都とは季節が反対である。また、坂が多く、暮らしにくいが街のどこからも海が見えるため、まさに風光明媚な町である。
フェニキア人にとっては有数のリゾート地でもある。銀河系にあまねく存在するフェニキアの植民市の中でも商売よりも観光で食っている、と揶揄されているくらいである。この都市は地球人種がアマレク人に奴隷にされている時代にフェニキアに租借地として貸与され、所有権が地球人種の手に戻った後も引き続きフェニキアが借りているのである。
「それでは閣下、まいりましょう。」
ローダン・カーチス氏に促され、一行はホテルへと向かった。
[星暦1550年12月25日。惑星スフィア。フェニキア領エウロペ。ホテル、ロイヤル・ボヤージュ・エウロペ]
ホテルで凜たちを出迎えたのはノートン・ジェノスタイン。ジョーダン主席の女婿であり、その右腕と目されている人物であった。妻のマチルダはロゼの異母姉である。
「ようこそトリスタン閣下。いつも陛下にはご贔屓いただいております。」
「お久しぶりですノートン卿。今回の交渉も良しなにお願いいたします。」
おおよそ、新惑星防衛システムに関する交渉は彼を通して行っていたので、互いの気風については良く解っていた。
簡単なセレモニーで壇上で紹介されるのは凜とマーリン、ラドラーとメグである。今日は正式な歓迎会のため、皆ブラックタイとイブニングドレスという正装であった。そして主席取引官のジョーダン・ジェノスタインと夫人のカメリアが凜たちを迎えた。その傍にロゼもおめかしさせられて居たのだが、憮然とした表情であった。
「マグダレーナ様もしばらくお会いしないうちに、すっかりと貴婦人になられましたな。うちの跳ねっ返りな末娘にも見習わせたいものです。」
凜の傍のメグにジョーダンは機嫌良さそうに挨拶する。
「いや、私も騎士道を修めるべく日々剣や槍を振るう身。ご息女のロゼ殿とはそうは変わりませぬ。」
メグは苦笑しながら答えた。メグもヌーゼリアル王室の一員として、彼とは既知の間柄であった。
「⋯⋯ほんならウチにも騎士団に入団すんの認めてくれたらええやん。」
ロゼはソッポを向き、ポツリと呟いた。
その後パーティーが始まる。ただ、貴族の社交界のような形ではあるが、所詮は商人の集まり、アルコールが入ってくるにつれ、皆上機嫌で饒舌な雰囲気になってきたのである。
凜やラドラーは多くの商人たちの挨拶を受けている。重力制御に関する様々なバイタルチップや天使の交易で、スフィア王国の銀河系での地位は決して低いものではないのだ。
「閣下は良い船をお持ちのようですな。軍艦にしておくのはもったいない。余計な兵装をはずせばかなりのペイロードが確保できますな。」
フォルネウスを褒められ凜は頭をかく。
「いえ、あれは国王陛下の船をお借りしているだけで、私のもの、というわけではありませんよ。」
「閣下はレースにご関心はないですか?」
やはり、レースの話になるのかと、凜はもう少し勉強しておけばよかったと後悔した。
「いや、これまで機会はありませんでしたので、是非一度拝見してみたいものですね。」
銀河系を股にかける商人たちだけに宇宙船の話が多い。この都市には商用よりもリゾートで訪れている人間も多いのであろう。雰囲気は明るく和やかなものであった。
「何だか危機感もへったくれもありませんね。」
マーリンが凜に耳打ちをする。
「しかたありません。私たちの危機はここにいる大半の人たちにとっては他人事に過ぎないですからね。でも、この街に住んでいる人たちの大半はこの惑星に根ざした生活をしています。私たちの計画は彼らにとっても役に立つはずです。」
ゼルが凜の考えを代弁した。
すると、来年行われるアポロニア・グランプリに関するプロモーションが行われたのである。エントリーを求める告知が行われた。7つの予選を含むレースの予定が発表される。会場に徐々に熱気が高まってくる。出場を表明しているレーサーたちや宇宙船が迫力ある動画で次々と紹介される。
「ところで、どの船が一番速いのですか?」
この凜が放った一言が会場の空気を一変させてしまった。会場は水を打ったように静まり返ってしまったのである。
「何か、まずいことでも言いましたか?」
パーティーがお開きになった後、凜は思わずノートンに尋ねてしまった。ノートンも言いにくそうであった。
「実は、ジェノスタイン宗家は最近、レースに出場できていないのですよ。ですから、皆も言いづらかったのでしょうね。」
「そうなんですか?」
思いがけないノートンの言葉に凜は思わず聞き返してしまった。確かに、国技と言われている宇宙船レースにジェノスタイン家のような大店が船を出して居ないのは不思議に思われたからだ。
「正確には船はあります。でも、キャプテンもパイロットも、いやドライバーさえもいないのですよ。」
[星暦1550年12月26日。惑星スフィア。フェニキア領エウロペ。]
翌日から、ジョーダン・ジェノスタイン氏とのトップ同士による交渉が始まった。ほぼ、条件については同意を見たものの、融資に関しては難色を示されたのだ。
「恐らく、ジョーダン氏はこれ以上、スフィアの技術の革新が進み過ぎて、自分たちの手から離れてしまうことを危惧されているのではないでしょうか?」
マーリンの予測にゼルも頷く。
「かもしれませんね。スフィアが自力で銀河系内を行き来できるようになってしまえば、ラドラー卿の言い方じゃありませんが、『金の卵を産むアヒル』が飛んで行って、いなくなってしまうかもしれませんからね。」
凜は苦笑する。
「でも、進歩を続けないと、その『金の卵』が金ではなく、銀や銅に価値が下がってしまうと思うのだけど。それが資本主義の本質のはずなんだけどね。」
夕べになると、ロゼがジェシカを伴って凜たちの宿舎を訪れた。
「あーあ、一人でも来れるんやけどなあ。」
ロゼがぼやく。
「うわあ、良いお部屋やなあ。」
ロゼが宿舎になっているホテルの部屋を見て歓声を上げた。
「それはそうでしょう。我が都市最高級ホテルのロイヤル・スイートですから。」
ジェシカは眉一つ動かさない。
「まあ、今は観光シーズンですから、男三人で相部屋にしてもらったんだ。無駄に部屋を潰すのも申し訳ないし。」
「アンとメグも相部屋だよ。」
アンも嬉しそうだ。確かに、庶民にとって、一泊するだけでサラリーマンの月給の2ヶ月分が飛ぶような部屋に泊まることなんてこれまでなかっただろうから。
(凜と結婚したら、こんな素敵なスイートルームでハネムーンなのね⋯⋯グヘへへ。)
アンは思わずよだれが出そうになってしまった。
「相部屋といっても寝室が5つもありますからね。寝る場所には少しも困りませんよ。」
マーリンも屈託がない。
「うわあ、夜景が超綺麗!」
ロゼはあまり話を聞かず、リビングから見える街の夜景に大はしゃぎである。
「そう言えば、昨日、気になったままのことがあるのだけど。ジェシカさん。聞いても良いかな?」
凜はそう言ってから、なぜ宇宙船のドライバーとパイロット、そしてキャプテンがいないのかジェシカに尋ねた。ジェシカはあまり話をしたがらなさそうであった。
「それは、あたしがパイロットになるからや!」
ロゼが突然声を上げる。
「?⋯⋯どういう意味?」
皆が驚いてロゼを見つめると
「お嬢様。」
ジェシカがロゼをたしなめた。
「お恥ずかしい話ですが、実は当家は『船員組合』ともめているのです。それで、クルーやドライバーなどの派遣や紹介を拒否されてしまっているのです。」
(「連盟派」と言われるオットー・ガーブ氏の団体だったな。)
「何があったのか、聞いても差し支えはありませんか?」
マーリンが聞いてみる。ジェシカはしばし沈黙したままであった。
「ダメ、みたいですね。」
凜が助け舟を出した。
(注)ロゼの言葉遣いはあくまでもカルタゴ弁です。「関西弁」とは異なります。ご了承ください。
次回、第65話:『踊りすぎる、ネコ耳たち。』は来週金曜日、投稿予定。オヤジたちの頭にも猫耳が……。




