第57話:不審すぎる、地味子。
ゴールデンウィーク最終日です。今日は家や近場でのんびり、という方が多かったのでは?
リーナのキャンバスライフに忍び寄る魔の手とは⋯⋯
[新地球暦1841年9月10日 惑星ガイア]
[スフィア時間:星暦1552年11月25日]
「リーナ、お願いがあるんだけど。」
ロボフトの練習が終わり、研究室に戻ると同期生のフランソワ・ロジャースが話しかけてきた。
「フラン、どうしたの? 例の課題を見てあげる、という約束ならちゃんと覚えているわよ。」
リーナは相変わらず内気ではあったが、仲良くなった仲間とは打ち解けて話せるようになって来た。フランソワはリーナと同様「地味子」で、リーナも彼女と同じ匂いを感じていた。そして、同じ「幻想月世界旅行記」のファンだと知って意気投合していたのだ。
「私ね、こういう会に通っているのだけど、あなたも一緒に来てくれない?」
パンフレットには
「人は死んだら地球に帰るのか?」
と書かれていた。
「宗教? 私、実家に居た時はきちんと教会に通っていたから、私は結構よ。」
リーナは丁重に断りを入れたが、フランソワは自分一人で年寄りたちの相手は嫌だ、と引き下がらない。根負けしたリーナは一度だけ、付き合うことにした。
「リーナ、行ってはいけません。良からぬ何かを感じます。」
ティンクがいかないようにリーナに忠告した。
「大丈夫よ。⋯⋯多分。」
リーナは苦笑した。
「だって、『幻月』ファンに悪い子はいないもの。」
「それが安易なんですよ。」
ティンクはもう一度警告した。
「宗教だったら興味はないわ。それに、大学の敷地を出る時はちゃんとSPさんに付いて来てもらうから。」
これがリーナの不自由な生活の正体であった。国家機密のティンクの宿主であるため、大学構内からの外出の際には必ず地元警察の許可と警護を受ける必要があるのだ。無論、このような不自由な生活が余計に彼女の中にある「月」への憧憬を加速させる。もっとも、大抵の用事は構内で済ませることが可能なため、生活に支障をきたすほどの不自由はない。
「フランなら、……多分、大丈夫だと思うのよ。」
フランソワとはこれまで1年ほどの付き合いがあるが、遠慮もなしにプライベートに土足で踏み込んでくるような子ではなかったのだ。無論、「子」と言っても彼女の方がリーナより6つも年長なのであるが。ただ身長はリーナの方が高いだけである。
[新地球暦1841年9月13日 惑星ガイア、アポロニア連邦、学園都市セント・アンドリュース]
[スフィア時間:星暦1552年11月28日]
その「集会」は予想していたものほどおどろおどろしいものではなかった。「礼拝」ではなく「集会」と銘打っていただけあって、儀式と言うよりは聖典に基づくディスカッションやシンポジウムなどが主であった。リーナにとってその教えは耳触りの良いものではあったが、彼女の腑に落ちるものではなかった。
「ありがとうリーナ、付き合ってくれて。どうだった?」
終わった後、フランソワに尋ねられたリーナは率直に感想を述べた。
「まあ、こんなもんじゃない? 評価できるのは寄付を求めずにカネカネ言ってなかった事ぐらいかしらね。」
彼女たちが集会場を出て、警察からの迎えの車(覆面パトカー)で大学の寮へ戻ろうとした時、リーナは異変に気付いた。SPが根こそぎ入れ替わっているのである。
「ちょっと良いですか? 婦警さん、(警察)バッジを拝見してもよろしいですか?」
リーナは不審に思い、隣の女性警護官に警察手帳の提示を求めた。すると彼女たちが上着から取り出したのは拳銃であった。彼女たちは、助けを求めて叫ぼうとするリーナの口を塞ぎ、そのまま自動車に押し込める。フランソワはそのまま走って立ち去った。
(なぜ? やっぱり罠だったの? ティンク、ティンクはどこ?)
リーナは慌ててティンカーベルを呼び出そうとしたが、応答がない。彼女は手際よく手を後ろにされ手錠をかけられ、モニターの眼鏡とルーターのピアスを外される。「お兄ちゃん」を呼ぶペンダントにも手が届かない。その間にクルマは勢いよく走り出した。
リーナを拉致したのはドライバーを含めて全て女性であった。両脇の女性たちが力を込めてリーナの腕を掴んでいるのを見かねたのか、
「あまり、手荒な真似をするな。彼女は我々のVIPなのだから。」
助手席の『少女』が命じた。
リーナも口を塞いでいた手が外されると、リーナは荒く呼吸をした。恐怖で言葉が出ない。助手席に座る少女がリーナに尋ねる。
「リーナ。あなたはチェイニータウンのセント・バーバラ孤児院にいたのでしょう?その時一緒だったルイ、という名のこどもの事を覚えていませんか?」
「ルイ?……いいえ。」
少女の問いにリーナは首を振る。名前の響きに懐かしさを感じるものの、行き当たる記憶はない。4年前の「ファビュラストレジャー号事件」の時にティンクを受け入れた結果、大脳皮質をいじられたため、彼女のそれまでの記憶はほとんど残ってはいないのだ。とりわけ、孤児院での記憶はほぼ失われていたのである。たとえ残っていたとしてもかなり断片的であり、養女になった後も交流があるフランクの記憶くらいである。ただ、懐かしい
孤児院の名前が出たおかげで体の震えが止まった。
「ルイですよ。サンタ・バーバラ孤児院で一緒だった、ルイですよ?」
ルイはもう一度強い口調で問うと、リーナも首をもう一度振った。
「ごめなさい。わたし、4年前に一度、記憶喪失になっているの。だから、孤児院にいた時の記憶は断片的なものしか残ってはいないの。」
「記憶⋯⋯喪失?」
ルイは聞き返してしまった。血の気が引いたようなその表情にはショックの色がありありと浮かんでいた。
(俺の人生の中で最も大切で、最も輝いていた俺とリーナとの記憶が無い、だと?)
「ええ、そうなの。本当に、ごめんなさい。」
ルイはショックを隠せなかった。リーナと再会するために、その4年前に孤児院を出る決意をして、1年後実際にそこを飛び出した。以後3年間というもの、彼女と会うためだけ、いや、会って彼女を取り返すためだけに、どれだけ多くの修羅場を潜り抜けてきたことか。
(そんな、バカな……。)
彼の体が衝撃で震えが走った。
[新地球暦1841年8月13日 惑星ガイア]
[スフィア時間:星暦1552年10月28日]
「ルイ、朗報だ。」
組織の幹部である栄光と勝利に呼び出されたルイはリーナの誘拐を命じられたのである。
「この娘、お前の探し物だろう?」
ルイの心は踊った。
「2年前、つまりお前がまだペーペーだった頃だ。俺たちは尊師を奪還するためにアシュリー上院議員の妻と娘を誘拐したのだ。人質交換のためにな。
そうしたら、ヤツの娘、つまりメアリーナが『ワイアット・アープ』を起動させたんだ。その起動の言語形式はフェニキア語だったんだよ。この意味が分かるか?」
「さあ?」
ルイはあまりそのことに興味は無かった。もう彼の心では彼女を手に入れたら、ということに興味が移っていたのである。
「彼女の中にあのファビュラストレジャー号の有人格アプリ『ティンカーベル』が住み着いているのさ。そう、貴重な宇宙航路図と共にね。あの時メアリーナは奪還されてしまったが、怪我の功名で、ティンカーベルと航路図のありかが判明したんだ。
彼女こそ我々が探し求めて来た第11の、そして最後の大幹部、『知識』だ。俺たちの計画に絶対に必要な存在なんだ。ルイ、お前の任務は『知識』の回収だ。」
ルイは女性でチームを作り、すでに組織によって大学に潜入していた工作員フランソワと大学構外におびき出し、拉致を決行することにしたのである。
ルイたちは警護官を拘束して、入れ替わってリーナの拉致に成功したのである。
[新地球暦1841年9月13日 惑星ガイア]
[スフィア時間:星暦1552年11月28日]
(俺は、こうやってキミに会うために、それだけのために、全てを犠牲にしたと言うのに。)
ルイは忸怩たる思いであった。しかし、リーナの表情には恐怖だけで、懐かしさを微塵も感じていないようであった。
「お兄ちゃん、助けて。」
リーナは凜の名を呼んだ。
(くそ、不幸せそうだったお前を俺が助けに来たのに。ほかの男の名が呼ばれる。これほどの屈辱があるだろうか?)
その時だった。ドライバーが急ブレーキをかける。目の前に突然、人が現れたからだ。
「どうした?」
ルイが前方を見ると、そこには凜が立っていた。
「あれは、あの男はトリスタンです。なぜここがわかったのでしょう?」
恐慌する部下たちにルイは怒声を込めて言う。
「落ち着け、俺がやる。」
ルイは天使のデバイスを手にすると車を飛び出した。
「リーナを返してもらおうか。」
凜はルイに言った。
(返してもらったのは俺の方だ。)
ルイは返事もせずに「天使」を起動した。そして、その手にはガンソードが現れる。
「……女の子?、か。」
凜の声には驚嘆の波動が含まれていた。凜はルイが少女だと思っていた。確かに彼の格好も容姿もそうとしか見えない。ルイが男子であることを知っているのは組織でも一部の者たちだけだ。
ルイは無言で銃弾を放った。すると、弾丸は凜の目の前で地面に落ちてしまった。
(何?)
ルイは凜の周りを回る。重力制御ブーツで加速されたその姿は並みの戦士の眼では捉えられないであろう。
そして、凜の背中に回り込んだところをめがけて再び引金を引いた。
すると凜の背中から細い腕がにゅっと現れる。その手は弾丸を握り潰した。そして、凜の背中かから少女が現れた。ゼルが顕現したのである。
「ほほう、名乗りもせずにいきなり銃をぶっぱなすとは。さすがはプロですね。アマチュアならここで、嬉々として自己紹介を始めるというのに。……凜は騎士なのでたとえプロでも女子の相手に本気を出すのが苦手なんです。代わって私がお相手しましょう。」
ルイは無言で凜を狙うがゼルに銃弾をことごとく落とされてしまう。
(『空間断層式バリア』⋯⋯まだガイアでは知られていないようです。)
ゼルは空間の一部を転送していわば見えない壁を作っているのである。その壁は「重力子界」であり、炭素を突っ込めば数秒でダイアモンドができるといわれる空間に、物質は一切干渉できない。
(強い。あれが噂に聞く『有人格アプリ』か。攻撃が一切通用しないとはな。これ以上の攻撃は無意味だ。)
ルイはあっさり攻撃をあきらめ、車に戻る。驚くほどルイは落ち着いていくのを感じた。別に彼を倒す必要はない、リーナを取り返されなければルイの勝ちなのだ。
「あれが、月の王子様か。なるほど、神出鬼没だな。おい、ぶつけるつもりで突破しろ。ヤツは簡単には死なない。殺すつもりでいかないと、やられるのはこっちだ。」
ルイはあの人質を奪われた事件のビデオで何度も見た凜の強さに舌打ちをした。
ルイが命じると、ドライバーは再びアクセルを踏み込む。タイヤが空転し、地面にグリップした瞬間、車体は凜へと猛然としたスピードで襲いかかる。人を轢くことになんの躊躇いもない。
凜とクルマが接触する⋯⋯かと思いきやクルマは凜の身体をすり抜けるように進み、一切接触しなかった。
「なに?」
ルイは思わず振り向いてしまった。
セント・アンドリュースの街並みを抜け、迎えの飛空艇とのランデブーポイントが近づいたころ、再び運転手が悲鳴を上げる。
「また、ヤツが現れました!」
ルイは舌打ちをする、
「くそ、どうやって移動してるんだ? まあいい、もう一度突っ込め。ここを抜け、迎えと合流できれば俺たちの勝ちだ!」
ドライバーは再び凜をめがけてアクセルを踏み込む。凜の体は再び車をすり抜ける。それどころか、凜はリーナの身体を受け止めると、リーナの身体も車体をすり抜けて行った。車はリーナを残して走り抜けたのである。
「何!?」
ルイは何が起きたのか、事態を把握するまでに数秒を要した。
振り向くとそこには凜がリーナをお姫様抱っこをして立っていた。その後ろ姿のまま歩き去ろうとしていたのだ。
「チクショウ。一回目はリーナの位置を確認しやがったのか。」
ルイは悔しがったが、
「帰投しろ。」
そのまま走り去るよう命じた。
「知識を残したままですか?」
部下は驚いた表情を見せる。
「そうだ。ヤツから知識を取り返すのは今の俺たちの戦力では困難だ。ヤツは強い。ヤツが狩人に豹変する前にここを脱出する。」
部下たちは驚いた。
(「塔」が戦いを避けるとは、いったい何者なんだ?)
作戦成功率が高く、二人の実戦指揮官からも信任が厚い彼をそうさせる存在とは。
ただ、ルイは2年前に凛が見せた戦いの動画を何度も見ていたのだ。それゆえ、凜を侮る事はなかった。また、実際に自分の方が年少であることも認めていた。しかし、ルイは万全の準備を整えてから彼と戦いたかったのだ。
(あいつは強い。でも、それはあいつが多くを持っているからにすぎない。準備さえすれば俺にだってチャンスはある。俺は男としてあいつを上回りたいんだ。)
クルマはそのまま逃走した。
「凜様。ゼル様。ありがとうございました。」
ティンクが凜に礼を述べる。ティンクが直接凜に助けを求めていたのだ。凜はリーナが連れ去られると後を追っていたのだ。
「ありがとう、お兄ちゃん。そして、ティンクも。」
リーナは凜の首を抱きしめた。当人は無邪気にしているにだが、身体は十分大人なので、たわわな胸が潰れるほどに押し付けられると、凜も下半身が反応しそうになる。
「さすが童貞の身体。刺激に弱いですね。」
ゼルがからかう。ここは、すでに女性経験があるルイの方が凜をすでに上回っている分野であった。
凜が警察に連絡すると迎えに来たのは地元警察であるセント・アンドリュース市警ではなく、連邦捜査機関(FAI)であった。
「よお、久しぶり。少しは背が伸びたじゃないか、凜。」
覆面パトカーから出て来たのは2年前にリーナの誘拐事件をともにあたったケビン・スイフトであった。
「ケビン、今回はお名前通りお早いお付きですね。」
二人は握手を交わした。
「そりゃまたのっぽさん(マーリンのこと)に嫌味を言われたくないんでね。やあお嬢さん、初めまして。FAIのケビン・スイフトです。リーナ、と呼んで差し支えないかな? ミス・アシュリー。」
「はい、構いません。」
ケビンはリーナとも握手を交わす。
「ところで、警護の婦警さんたちは無事だったのですか?」
リーナは今一番心配な事を尋ねた。
「ああ、心配してくれてありがとう。例の『集会場』の倉庫に縛られた上、麻酔を打たれて転がされていただけで、無事だったよ。あいつら短剣党は利口でね。余程の事態にならないと警官殺しはやらないんだ。俺たちは身内をやられると躍起になるからね。」
そう言ってケビンはタバコをくわえた。
「ところで凜、今回もこの件に首を突っ込むつもりかい?」
火をつけると紫煙が立ち昇る。リーナは露骨に嫌な顔をした。
「ええ。きっと警察だけだと手がつけられない案件だと思うのでね。僕が現在アシュリー上院議員のところで厄介になっているのは知ってるでしょう?⋯⋯だからちゃんと取ったよ、許可証をね。」
凜が出したのは「大統領親任特別保安官(S.S.P.D.)」のバッジと手帳であった。
「おい、本物か?これ。」
ケビンは初めて見るバッジをしげしげと眺めた。
「はい、ザック(・ブラッドフォード大統領)に私が頼みました。」
ゼルが現れる。今回、ゼルも正式にガイアのインターネット網に入ることができるので、ガイア人とも接触できるようになったのだ。
「一応、警視正待遇なので、粗相のないようにしてくださいね。ケビン。」
ゼルの言葉にケビンは目を丸くする。
「ええっ!? 警部の俺より2階級も上かよ。」
トホホな顔をするケビンにゼルはさらに追い討ちをかける。
「大丈夫です。ケビンも『殉職』さえすればすぐにでも追いつけますよ。二階級特進ですからね。」
「してたまるか!」
3人は初めてそこで笑った。
「とりあえず、まずはリーナを病院に連れて行くことが先です。手荒く扱われたようですから。」
凜の提案にケビンが応えた。
「よし、じゃあ警察病院を手配しよう。」
次回は第58話:「俗っぽすぎる、名前。」は5/14投稿予定です。




