親友
全てが終わり、ある意味一部の学生にとっての本番、後夜祭が始まる。
かつては体育館でイベントを催した後にキャンプファイヤーを盛大に行い、火を囲んで音楽に合わせて踊っていたこともあるそうなのだが、時代と共に学校側が保証できる安全というものも幅を狭めているため、今では体育館でのイベントのみを指して後夜祭と呼んでいる。
最初はクラスの選抜代表による学年対抗ミニゲーム。お題に合わせて身振りを行い、チームの味方がお題を当てるクイズや、人限定借り物レースなど、体育館の広さを縦横無尽に利用したゲームがテンポ良く進んでいく。
続いて、ダンス、劇、バンドとステージが華やかに舞う。
それらが全て終わると、いよいよ後夜祭も終盤となる。
バンドのライブという轟音に慣れた耳が無音の中にも響きを感じ取る中、文化祭実行委員長の茉莉がステージ上に一人マイクを持って佇む。
十分に間を取ってから、茉莉は元気良く宣言する。
「みなさん、おっつかれさまでしたーっ!!」
高校二年生にとっては最後の文化祭。
元より、幸魂高校生活の中で二度しかないこの一大イベントが幕を下ろす。
この今を、きっと僕らは永遠に忘れないだろう。
誰かがそう、零した。
相変わらずの茉莉による不意打ちはあったものの、平和に後夜祭が終わり、生徒はまばらに、名残惜しそうに帰っていった。本格的な片付けは明日、行われる。
生徒会と文化祭実行委員会は多少、後夜祭のステージとなった体育館の片付けだけはするものの、そのまま体育館内で円陣となり、最後は茉莉と奏音の言葉で締め括り、その場で解散となった。
みもりと詩織は今日もいつも通り一緒に帰ろうと話をしていたのだが、みもりが文化祭前のごたごたで片付けることが出来ていなかったファイルを資料室に戻すことだけ済ませてしまう、と詩織に昇降口で待ってもらっていた。
その際、弥々が目に見えて「あ、やばッ」という表情を浮かべ、一瞬で気付いた櫛夜が指摘すると、下手くそな口笛を吹かせて、弥々がぼやいた。
「ややー、私も片付け忘れてたものがあったりーッ?」
「ただの怠惰じゃねーか」
これからクラスの打ち上げがあるらしい弥々に代わって、櫛夜は弥々が資料室の書棚に返し忘れた本数冊を手にした。
「はぁ……んじゃ行くか森崎」
「はい」
そうして、みもりと櫛夜の二人は資料室へと足を運ぶ。
既に時刻は夜七時を回っており、暗闇に包まれた資料室は少し、入るのを躊躇わせる空気を漂わせていた。電気をつけても、蛍光灯のぼんやりとした光は温かさをもたらしてはくれない。
弥々がよく話すので、弥々の彼氏としての櫛夜のことはみもりも知っているが、普段あまり二人きりで喋る機会の多くない相手にみもりは若干の気まずさを感じる。
いい先輩である以上に、あくの強い他の面々と比べて普通に話をしていて困るでもないのだが。
「しっかし文化祭はやばいな、疲れるな」
「どこもかしこも、てんやわんやでしたね」
「森崎はなんか特に大変そうだったみたいだが」
特に、と言われると安易に頷くのも躊躇われたが、否定するまでもないのでみもりは肯定する。
大変だった。
例えそれが自業自得であっても、自業自得だと気付くまでの道のりも含めて、とても。
まだ生徒会の皆に対して詳しい事情を話しきっていない、そもそもどこまでを話そうか、という話を詩織としていなかったが、櫛夜相手なら多少話してしまっても問題ないか、とみもりは考えつつ、先に言っておくべきことは済ませてしまう。
「ご迷惑をおかけしました。すみません。でも、おかけでどうにか、ちゃんとできたと思います」
「おぅ、そか」
櫛夜が表情を和らげた。
ファイルをさっさと片付けて、みもりは手と表情で終わりました、と告げる。櫛夜も手を挙げてそれに応える。
すぐに戻ろうとしたみもりを、しかし櫛夜が引き止めた。
「あー、その。結構、弥々が気にしてるから話してやってくれないか? もし可能なら、だが」
「え、と」
「今回のこと、どうせ俺たちが知らないだけで、もしくは忘れてるだけで本当はもっと色々あったんだろ?」
さすがに、やはり、櫛夜は鋭い。
色々、とぼかした表現から、櫛夜が何を言いたいのかは理解できた。
そう、櫛夜たちは皆、知らないわけではない。知ってはいたはずで、忘れてしまった。
彼女らがいた時間のことを。
この世界に全員が揃っている奇跡を。
「……そうですわね。確かに、皆、私と詩織を残して、みーんな、忘れられてしまいました。ただそれが悪いことなのかどうかは、わかりません」
みもりは櫛夜の指摘を否定しない。
どうせそのうち話すことかもしれなかったし、そのうちが今でも構いやしない。
しかし、弥々が心配してくれているなら早くに話したほうがいいのかもしれない。
逆に、親友だからこそ話さないほうが、いいのかもしれないが。
「実は生徒会には一度相談しているんです。ただ、皆さんの記憶だと、私の大切な人が能力で消えてしまった可能性がある、という風に改ざんされているようですが」
「ん、俺はそう記憶しているな」
「その大切な人っていうのは、詩織です」
「……一緒にいた、はずだが……あぁ、これが改ざんの結果か」
まさしくその通り。
改ざんに次ぐ改ざんの結果がこれだ。
詩織がいなかったことにされて、戻ってきたらいなかったことにされていたことがなかったことにされた。
無情なのは世界か、それとも記憶か。
みもりが断片しか語っていないにも関わらず櫛夜は、みもりの知る事実を理解した。
深く重く、息を吐き捨てた。
「弥々には、言わないほうがいいかもな……そうもいかないが」
まずはさすが、彼女である弥々の心配をして、次にみもりと詩織のことに言及する。
「じゃあ、事故に死んだ友人、も、織上なのか」
「私と、詩織です」
これだけは譲れなかった。
全部を知ったみもりは、言わねばならない。
誤魔化したりなんか、できない。
死んだのは一人じゃなく、二人だったことを。
「そ、か……いや、俺がこんなこと言うのもあれだけどさ、森崎」
「なんでしょう」
「頑張ったな」
「う……」
思わず拒絶反応が出そうになる。
自分は頑張ってなんかいない、と。
頑張ってくれたのも、それが報われなかったのも、全部詩織と、自分じゃない自分なのだ、と。
言いたくなったが、ここで何を言っても仕方がない、櫛夜は何も知らないのだから、と、どうにか自制心をきかせようとすると、すぐに櫛夜は続けた。
トン、と近くの机を指で軽く叩いて、快音を鳴らす。
「現実を受け入れて、でも自分の気持ちを変えずにいられることはすごいことだよ」
みもりの内面を見透かしたようなことを櫛夜は言う。知っているはずがないのに、見えているはずがないのに。
櫛夜はみもりではなく、どこか遠くを見据えて。
現実が何かも気持ちが何かも伝えずに、主語も目的語もないぼやけた話をする。
「変えられないものもある。変えたくないものもある。現実なんてそんなものだらけで、折り合いをつけなくちゃいけないことばっかで。でも折り合いをつけることと、自分が持っていた心を捨てることは違うだろう」
櫛夜の話は少し難しく、みもりは胸に手を当てて、その言葉を反芻する。
折り合いをつける。妥協する。そういうものだと諦める。
自分が持っていた心を捨てる。これがやりたいとか。この人と一緒にいたいとか。生きていたいとか。
「それなら、死んじゃった人を助けたいって思うのは、間違いじゃないって、思いますか? それが偽善で利己的で不可能だってことを知っていても」
櫛夜は、いつかどこかで見たことのあるような寂しそうな笑顔を見せた。
「なんでだよ。それがどこの誰でも助けたいって気持ちが間違ってるわけねーじゃん」
まぁ仮に弥々を殺したヤツが目の前にいたらわからんけどな、と恐ろしいことを軽々しく言って、櫛夜はものの一秒前の良い感じの台詞を台無しにする。
みもりだって、そんなことくらいわかっている。
もう、そのことで悩んではいないのだ。
それでも聞いてしまったのは、自分を守るためだろう。許すためだろう。
「森崎が死んで、織上が死んで? んで、まぁ、何があったか知らんしここにいるのが元の森崎なのか、元の織上なのかもわからないが、こうしてここに二人いる。ついでに弥々も一緒になって生徒会役員一年揃い踏みだな……問題、あるか?」
最後に付け加えたのは、質問ではなかった。
「なにも問題ありませんわね。なにも」
みもりは自信を持って答える。
確かに忘れてはいけないし、簡単に割り切ることは難しい。
自分のことも詩織のことも、納得などできるはずもなく、詩織と一緒にいたい思いだとか詩織が求めてくれることだとか、ここにいるに足る理由はたくさんあって。
それでもと悩むのだ。
これでよかったのかと。
しかしみもりは、詩織は、その度に同じ答えを出す。
これでよかったのだと。
彼女たちの心に思いを馳せて、複雑な表情を露わに笑うのだ。
「まーあれだな。人の感情ってのは怖いもんだと思うし、感情があるから間違えるのかもしんないが。いいんじゃねーの。間違えたことすら、いつかは認められるさ」
「納得、できますかね」
「さぁ、出来るだろ。こう、死ぬ直前くらいは」
「随分ぎりぎりですのね」
「いいだろ、今を大切に思えるなら、人生の後悔はまとめて死ぬときに懺悔するってことで」
「弥々にはちゃんと話してくださいよ? 私が言うまでもないとは思いますけど、あの子あれでかなり繊細で、櫛咲先輩の事になるとすぐに不安と不調で押し潰されそうになってますから」
「あー……ご、ご迷惑おかけします」
「私と詩織でどうにもできないってところが一番気に喰わないのですけどね」
櫛夜とみもりは笑い合い、そろそろ行きますか、と資料室を後にする。
みもりは廊下を歩きながら、櫛夜の言葉を考察してみて、櫛夜の人となりを考えてみる。
苦労しているのは知っていたことだが、今でもそれなりに苦悩があって、けれど弥々と過ごす今のためにどうにか乗り越えている。そんな印象があった。
「櫛咲先輩、ありがとうございます」
「おぅ、まぁこういうのは助けあいだろ。弥々のフォロー、織上と一緒に頼むよ、どうせ来年再来年は進路云々で碌に一緒にいれないだろうからな」
「はい、親友に任せてください」
なんとなく、弥々が彼を好きな理由がわかった気がする。
二人は歩く。
詩織と弥々の待つ場所へと。
少しだけ早足で。
櫛夜とみもりが資料室に行っている間に、詩織と弥々は荷物を片付けて昇降口まで来ていた。
文化祭がどうだったとか、ところで現在ナチュラルに櫛夜とみもりが二人きりだが間違いとかないよねないよねだとか。二度聞かれても、櫛夜のことなので大丈夫ではなかろうかと弥々を安心させたり。
弥々は少し先にクラスメイトがおおよそ一緒になって打ち上げ会場に向かっているはずなので、このまま小走りで追いかけるつもりで、詩織は昇降口でみもりを待つ予定だ。
と、何気なく靴を履き替えていると、そこに千晶が現れた。
現れた、というか、単純に下校するのだろうが。
しばし無言の間が入り。
詩織と千晶は目が合った。
互いに、じっとアイコンタクトを送るものの、一切何も伝えられないまま千晶は靴を履き替え、帰ろうとする。
「あ、あの、秋山くん?」
その千晶に詩織が声をかけた。
弥々はすこぶる嫌そうな顔をして、詩織の肩に手を乗せた。
「え、なにどうしたの宿敵に声をかけるだなんてあれは敵だよみもりを奪う敵だよ」
「誰が誰を奪うってんだよおい」
「あーもーちょっと喧嘩はいいから! 秋山くんちょっとこっち来て! 話したいことがあるから!」
弥々が、それはそれで、と嫌そうな顔をする。
千晶がみもりに近づいている(少なくとも弥々にはそう見える)のは気に入らないのだが、だからと言って詩織が二人きりになるのがいいわけではない。
好きでない相手が自分の好きな人と一緒にいること事態が弥々は嫌らしい。
そんなわかりやすい感情を自分にも向けてくれていることを詩織は嬉しく思う。
「むむー。ならここで話していいよ。私、なんとか黙ってるから」
それでも、なんとからしい。譲歩の仕方が弥々らしい。
だが今はそうもいかない。
勝手に弥々を巻き込むわけにはいかない。きちんとみもりと話し合って決めるべきだし、大事な親友だからこそ、そうしたい。
「ううん、別に、ちょっと、個人的に、あるから。第一、弥々はもう打ち上げ行くんでしょ?」
「個人的にってなに?」
少しずつ弥々が怖い目をしているのが詩織にもわかったが、それでも引くわけにもいかない。
この調子だと弥々はせっかくのクラスの打ち上げよりも自分やみもりのことを優先しそうだ。これまた、親友にそんな真似はして欲しくない。
「実はみもりと私は恋敵だったのっ!! だから弥々はちょっと下がってて!!」
「……はッ?」
「はぁ!?」
詩織が千晶の腕を掴んで走る。
面喰らった弥々が動けないうちにその場を去る。
弥々以上に千晶の方が驚いた表情になったのだが、そのことに弥々は気付かなかった。
校舎をぐるりと回って、人通りの少ない方へ詩織と千晶はやってくる。確かに、場だけを見れば告白の場とも言えるかもしれない。
「おいなんださっきの!?」
「わかるでしょ弥々って変なとこ、いや変でもないか、自分の大事にしてるものの話になると途端に人が変わるんだよ良くも悪くも……」
息を整えて、詩織はひとまず本題に入る。
みもりと櫛夜も資料室に寄るだけではそうそう時間もかからないだろう。
「えっと、ごめん秋山くん」
「あー何がだ」
本当に怒ったような口調で話す千晶は、少し、いや、はっきりと怖い。
誰にも気付かれない世界にいた状態で、みもりと千晶の話は聞いていたために千晶が根はいい人であることはわかっているのだが、いざ自分が話すとなるとそれはまた別問題らしい。
と、いうかこんな怖い感じの人を本当に好きになったのだろうか親友、と不安に思う。
「今回のこと。全部」
「……謝られるこた、ねぇだろ」
「じゃあ、ありがとう。みもりを助けてくれて」
「なんもしてねーよ。あんたが勝手にあいつを助けて、あいつが勝手にあんたを助けた。そんだけだろ」
勝手に、という表現がすっと胸に入っていった。
確かに全部、勝手にやったことで、みもりがしたことも勝手にしたことだった。勝手にやって、勝手に悲しんで、それだけなのかもしれない。
だが、千晶がいなければここまで来ることはなかっただろう。
ひょっとしたら、みもりはあのとき屋上から飛び降りていたかもしれない。
そうしてまた、閉ざされた時間の中に囚われてしまったのかもしれない。
そうならなかったのは千晶がみもりの心を救ったからだ。
「きっと、みもりには王子様に見えたと思うよ」
「あのな……それはやめろ」
別にからかってないって、と詩織は笑う。
こんなのはただの比喩だ。
「灰ばかりの世界でさ。自分の信じるもの全てが否定される世界でさ。自分の手を掴んでくれる存在は、すごく救いになったよ」
「……」
詩織は知らないことだが、千晶はみもりに対して、シンデレラに準えて恥ずかしいことを話している。
どこにいても見つけてやる、などと宣言している。
そんな事実を今更思いだして、千晶は反応に困る。
あのとき、保健室にはみもりの隣には詩織が寝ていた。
実は聞かれていたのではないか、と千晶は勘繰ってしまう。勿論詩織はそんなことは知らない。
「いや、単にお前らが面倒な思考回路だっただけだろ。親友を思いやるのは好きにしたらいいが、もっとちゃんと話せよ」
「うーん、隠し事なく話してるつもりなんだけどね」
あれで隠し事してないつもりなのだろうか。
結局、少しでも話をしていれば、ここまで複雑なことにはなっていないはずである。
仕方ない状況だったとは千晶も思っているが、しかしだからこそ話すべきなのではないだろうか。
「俺が口出しすんのもあれだが、今だって綾文を追い払ってたし、話してないんだろ」
「う……そう、だけど」
親友らしい親友がいない千晶にはこの辺りの感覚はあまりわからない。
親のことがあって、あまり友人との時間を作ろうとはしてこなかったし、そもそもあまり友好的なタイプではない。人付き合いは苦手だ。つい言わなくてもいいことまで言ってしまう。
だが、普通に仲が良くなれば色々と話せるものではないのだろうか。
と、考えつつ、そうなると自分の家庭事情を話したのは、つまり自分とみもりの仲が良いと、自分で考えていることになるのだろうか。
「否定はしないが否定したい事実だな……」
そのぼやきはどうやら詩織には届かなかったらしい。
しかし誰に対してか誤魔化すように、続けざまに千晶はきちんと詩織に向けて話しかけた。
「んで、話ってのはそんだけか?」
「あ、んーと、もう一つ。もう一つ、みもりについて」
「なんだよ」
これまでもみもりに関しての話だったが。
まだ詩織は言いたいことがあるらしい。
「その、秋山くんが今回のこと、どこまで聞いてるかわかんないんだけど……ええと」
「ん、なんか織上、お前が森崎を救って死んで、もう一人のお前が訳わからん世界に閉じこもってて、それを森崎が救って今に至るってくらいだな。俺が知ってるのは」
なるほど、どうやらカセットテープの話と、みもりの能力については知らないらしい。
いや、むしろここまでの事態を受け入れて理解しているだけでも十分に凄いことだとも思うが。
当たり前のように世界の理を無視してしまっている自分達が悪いので、それについてはありがたい、という表現だけに留めておく。
意味の分からない状況に巻き込まれて、しかしそれでもみもりに組したその行動はとても素晴らしいことで、当為ではない。
「うん、私とみもりは、色々あって、これから先どうなっていくのかわからない。わからない未来に生きていこうって、そう決めた」
「らしいな」
「だから、時々不安定になるだろうし、なんか、喧嘩とかもすると思う」
「……」
「その時は、みもりをよろしくね?」
「……は?」
「は、ってなにさ。は、って。私そんなに難しいこと言った?」
「いや、そんなん俺に頼むなよ。綾文とかなんか生徒会の先輩とか、あとクラスの、夏風とか菊池とか町田とか、森崎と仲良い奴ならいるだろーが」
「馬鹿? あほ? 死ぬ?」
「んだよ急に!? てめぇ喧嘩売ってんのか!?」
本気で怒気を含んだ千晶の声に、一瞬びくりと体を縮ませた詩織は、やっぱりこの人結構怖いなぁ、と体の震えが収まるのを数秒待つ。
目つきが鋭い。
あと眉間に皺が寄ってる、というか怒ったような顔をしている。
背も高くて威圧感がある。
(みもりとは正反対な印象なんだけどなぁ……合わなそうっていうか)
むしろどうして今、みもりとこの千晶が普通に喋っていられるのかわからない。
にしても、それ以上に、鈍い。
みもりの心境は、まぁ置いておくとして。
「そんなのわかってるに決まってるでしょ。その上で秋山くんにお願いしてるって私の考えを汲んで欲しい」
「汲んで欲しいってお前な……」
そんなの急に言われても無理に決まってるだろほぼ初対面に近いんだぞ、という千晶の言い分はもっともだが、そのくらいは察して欲しい詩織である。
(なーんでこいつのこと好きになったんだろみもり)
と、十分に失礼なことを思いながら、しかし、自分以外に、みもりにとって特別な存在がいることは確かに気に喰わないのだ。
自分の審美眼に適わない男を認めたくない気持ちくらい、詩織にもある。そのため弥々の言動もわからないでもないのだが、あそこまで露骨に感情を表現したりはしない。
「とにかく、みもりをお願いね? お願いしたからね? あの子あれで結構頑固だし、大人しそうに見えてずけずけと厳しいこと言ってくるし、意外とお笑いにも煩かったり、ロマンチストだったりしてすごく可愛くてすごく優しい私の親友なの。ちゃんと私はお願いしたからね。言いたいことはあと一つだけ。みもりを悲しませたら……殺す」
前言撤回。
どうやら詩織にも感情をはっきりと発露することができるらしい。
「訳がわかんねぇ、が……まぁ殺されたくはないしな。もし森崎が馬鹿みたいに悩んでて、一人で答えが出なさそうなときは、まぁ聞くくらいのことはしてやる」
「うー、まぁ、うん。とりあえずはそんくらいで、いいかな」
「ただし、そんときはお前も一緒にいろよ? 俺一人に押し付けんなっつの。お前が原因ならさっさと仲直りしろ。お前が原因じゃないんなら、お前も一緒に相談に乗れ」
「な、なんで……?」
「親友なんだろ。アホか」
変なことを言うな。
と、逆に諭されて、目を丸くしてしまう。
詩織は、自分の認識を改める。
どうやら千晶は、単にみもりのことだけを心配していたわけではないようだ。
みもりだから特別、ということでは、なく。
(目の前で困ってる人を放っておけない、わけか)
だから、今。
目の前で困っている詩織に対してもフォローを入れた。みもりが困っている状況は、きっろイコールで詩織が困っている状況でもあるわけで。
それを任されたところで、解決にはやはり、詩織の力が必要であるし、詩織が一番にみもりの相談を受けたいはずだ。
その辺りの機微まで把握してのことなのかどうかは分からないが、しかし、見た目や性格には似合わず、こうして気を遣える人であるのがよくわかった。
(でも……秋山くんは……)
だが、それはそれで一つ疑問が生じ、詩織は思わず尋ねてしまう。
「秋山くんって、みもりのこと、好き?」
「ふざけてんのか」
「本気。好き? もちろん、友達とかそういうんじゃなくって、恋愛対象として、どう思ってる? っていうか、どうか思ってる?」
「……はぁ」
千晶は詩織の目を見た。
詩織はその目を逸らさない。本気で、真面目に聞いている。
「……そういうんじゃねーだろ。第一、会って二週間とかだぞ、好きもなにもあるかよ」
「ふーん。まぁ、うん。仮に好きだったとしてもどうせ言わないだろうとは、思ったけど」
「なら聞くなよ」
「でも、大切にしてね」
「……殺すのか」
「たぶんね」
詩織は踵を返す。
自分から誘っておいて勝手に帰るとは随分と失礼な行為であるが、千晶はもう指摘するような野暮な真似はしない。
これまで、十分に見せ付けられている。森崎みもりと織上詩織の仲の良さとやらは間違いなく本物で、その詩織がみもりを心配して、あれこれ言ってくるくらいは驚くに値しない。
「だから、助けたかったんだよな」
「ん、なんか言った?」
千晶はおもむろに口を開く。
憑き物が落ちたような顔をしている詩織に向かって、たった一つの本音を吐き出す。
「俺は、森崎に感謝してるよ。感謝してるし……貰ったものを返すくらいは、礼をしようと思ってる」
言われた詩織は複雑な表情をしてしまう。
くそ真面目な表情をして、恩返しをしたいなどと言っているが、この男子。
(それは……ほとんど好きだって言ってるようなもんじゃないのかな……違うのかな、わかんないなぁ)
だが。
親友として。
言いたいことは伝わった。
千晶がふざけていたり、軽々しくみもりの手助けをしたわけでもないことは知っている。
彼になら。
まぁ。
(親友基準は、一応合格ってことにしておくかな……)
その判定だけは、内緒にしておく。
親友として応援はしてやるが。
親友として応援はしてやらない。
その結果がどうであれ。
自分と彼女が自分達の未来を選んだように。
みもりにとって、幸せな未来が、訪れるように。
お願い、と。
誰かに、願った。